5 クラブ・ツアー
体操部有志は、ある5月の夜、OBで大学生の滝野川に連れられて、妙におしゃれをして歩いていた。群れの中には、弘志と、典子と、美恵子と、良貴がいた。その他にも3年生が1人、2年生が2人、1年生が3人いた。
「典ちゃん、これ派手じゃないかなあ」
「いいんじゃない? 美恵ちゃんらしくなくて。たまには」
「おかしいんじゃないかなあ」
「そんなことないよ。結構似合っててびっくりだよ」
美恵子は大人っぽい黒のタイトスカートに太い真っ赤なベルトを巻き、上半身にはぴったりしたタートルネックの黒いカットソーを着て、丈の短い原色のオレンジ色のシャツをはおっている。髪はやわらかい天然パーマをきっちり整髪料でアレンジして、額を大きく出していた。
「そうかなー。典ちゃんは、結構何でも似合うんだね」
「え、これ、弘志のお下がりだよ。すそ、結構切ったんだから」
典子は弘志のお下がりの真っ黒なパンツをちょっと緩めに着こなして、腰に細いベルトをゆったりと二重に巻いていた。肩と胸元の大きく開いた白いカットソーは丈が短くて、時折おなかがちらっと見えた。その上にちょっとファンキーなアメリカンテイストのコラージュをプリントしたジャケットを着て、首にはきっちりしたチョーカーをしていた。髪はまとめてアップにして、ポップコーンそっくりのバレッタで留めていた。
弘志と良貴はちょっと背伸びしたスーツを着込み、カジュアルなカラーシャツの襟元をちょっと緩めて派手めのネクタイをしていた。
滝野川は髪にメッシュを入れてサングラスをして、首に3重くらいにネックレスをぶら下げていた。不思議な光沢の入ったパンツは歩くたびに微妙に色合いを変化させた。
他の面々も、多少の無理はあったが結構派手な格好をしていた。
「なんか、クラブって怖そー」
「滝野川先輩、大丈夫ですか? 高校生がクラブなんか行って」
「大丈夫だよ。緑も結構行くもんな」
群れの中には滝野川の目下の彼女、2年生の谷口緑もいた。
「大丈夫ですよー。みんな自分が踊るか、飲むことしか考えてないですよー」
緑は滝野川に連れられてよくクラブに行くらしく、余裕の笑顔で皆をエスコートするように歩いていた。弘志は、
「ナンパとか、あるんですか?」
と滝野川に訊いた。新宿で待ち合わせたときみたいに美恵子が簡単にナンパにあうんじゃないかと心配していた。滝野川は、
「悪いけど、この程度のレベルじゃ、ないんじゃない」
と言って部員たちを見て、笑った。弘志は美恵子をちらっと見て、
(クラブにしてはそう格好ついてないかもしれないけど、目立って美人だよ)
と思った。濃いめにつけた口紅ときつめに角度をつけて書いた眉が、普段内気そうな美恵子の顔を妙に挑発的に見せていた。
「でも、俺、コイツの保護者ですから~」
弘志は美恵子を心配している自分をごまかすように、典子の頭に手を載せた。とは言っても、典子はちょっと気取って背伸びしたお子様という気配がミエミエで、あまり心配はなさそうだった。それでも、弘志は、
(典子と須藤、両方目を配ってたら大変だ)
と肝を冷やしていた。
「えー、知らないお兄さんについて行ったりしないから平気だよ~」
典子はわざと幼児のような声で言い、笑いを誘っていた。
「おまえらレベル低いから大丈夫だと思うけど、俺は一応引率者としての立場があるので、もしナンパとかにあったりしたら、その場で自分で対処せず、保護者の俺にまず報告してくれよ。そのままトンズラとかすんなよ。帰りにちゃんと点呼とるからな~」
滝野川は全員を振り返りながら言った。
今日は、滝野川センセイによる体操部のクラブ遠足だった。
「おまえら踊れるんだから、クラブ行こうぜ、クラブ」
滝野川は体操部の練習に顔を出して、そう声をかけた。「高校生で、そういうのは」というのが部長の良貴の第一声だったが、「社会勉強」「問題は起こさせない」などと滝野川に言いくるめられた。不安だったので良貴は弘志に相談してみたが、「引率がいるときに、一度行っておけば安心」と乗り気で、弘志が来てくれるならと不安ながらに了承した。
みんなそれぞれにいろんな「クラブ」のイメージを抱いていたが、滝野川がよく行くというそのクラブは常連の多い落ち着いた雰囲気で、外周にぐるっとカウンター席を置いて座って過ごせる場所の多い、比較的「バー」に近い店だった。DJはオープンスペースになった中2階のようなところに構えていて、スピーカーがいたるところに配置され、大音響というよりはどこからでも音が鳴るような造りになっている。設計の加減で、外周の席の部分では音響が緩和され、少し大きな声を出せば普通に会話ができる。一応はクラブと称してはいるが、かなり特殊な店でもあり、だから滝野川も調子に乗って高校生を連れて来た側面があった。
体操部の面々は滝野川に一人一人特別チケットを渡された。ドリンクチケットはソフトドリンクのみ、22時まで限定になっている。滝野川が店員に頼んで作ってもらった特別チケットだった。
滝野川が入口で店員に挨拶すると、人数が確認されて、顔パスになった。弘志は素直に「滝野川さん、すげえ」と喜び、良貴は戸惑った。もし良貴が一般的な「クラブ」の知識があったら、部長として絶対にクラブ行きを阻止していただろう。しかし滝野川自身、あまりやかましくて無法地帯なクラブは好きではなく、「踊れる奴が多く、落ち着いて飲めるクラブ」としてこの店を気に入っていた。早い時間から入れて、深夜になる前に帰れるのもよかった。毎年高校生の彼女をゲットしている滝野川にはおあつらえむきの店だった。良貴をはじめ、高校生たちは「これがクラブか」と感心したが、実際はしっかり「ヌルい」クラブだった。
「怖くなさそう。よかった~」
「案外、乱痴気騒ぎとかナンパ天国とか、そーいうわけじゃないんですねー」
「そういうところに高校生、連れて来られるか」
「あ、高校生ってのは秘密」
「まあ1年生なんか一目瞭然だけどな」
全員でわらわらとドリンクをとりに行った。滝野川は、
「さすがに、人数つれて来すぎたかなあ…」
と嘆いていた。
「ちゃんと、ソフトドリンクチケット使えよ~。俺が捕まるから!」
めだかの学校の先生のように、滝野川は高校生たちに指令を出していた。男子はアルコールに手を出したくて仕方なかったが、一杯700円という値段を見て、渋々チケットを使ってソフトドリンクを手に入れた。
大所帯の体操部ご一行様がまとまって座れるスペースなどなく、いくつかのグループに分かれた。弘志が良貴を、典子が美恵子を連れて4人でテーブルをひとつ囲んだ。傍目にはわからなかったが、本当は全員がドキドキしていた。典子は良貴と話したかったが、弘志の向こうに声をかけづらい。弘志と美恵子の間に座ったのも失敗だったと思った。でも、この4人が一緒にいるなら、良貴-弘志-典子-美恵子の順に並んでいるのが自然だった。そのまましばらくは女同士、男同士でしゃべっていた。
(私が踊りに行って、其田くんの方から戻ってくるってのはどうかしら)
典子は良貴の隣になる方法を一生懸命考え、実行に移した。
「せっかく来たんだから、踊ってくる~」
典子は明るく元気に人ごみに飛び込んでいった。弘志は一瞬自分も行こうとしたが、美恵子が気になって迷ったスキに典子を見失った。
「あいつ、だいじょうぶかな~」
弘志は伸び上がって典子の姿を目で探した。良貴は弘志と美恵子に気を遣って、
「あ、じゃあ僕が…」
と言って腰を浮かせかけたが、弘志に、
「いいじゃん、いろよ」
とつかまれて引き戻された。つきあっていることがバレるのは困るので、弘志は部活の他の連中に美恵子と二人っきりでいるのを見られたくなかった。
典子は1曲(といっても、曲のつなぎ目がわかりにくかったので、多分1曲終わったらしき転換点まで)踊ると、
(よし、こっち側から戻って、座ろう)
と良貴の方に大きく回りこんで席のほうに戻ってきた。そして、さっきまで自分が座っていた席を見て仰天した。
「其田先輩と江藤先輩って、仲いいんですね~」
1年生の俵田千江美が良貴の隣にしっかり陣取っていた。典子は人ごみに押されて立っていられず、壁際まで何とか回り込み、席の様子を観察した。音楽にかき消されて、何を話しているかはわからなかったが、千江美は異様に良貴にくっついていて、典子はその座り方だけで確信した。
(…この子、其田くん目当てだ…)
なんだか体が興奮したみたいになって、脚が震えた。
千江美は典子がいなくなって席が一人分空いたのを見計らって来たくせに、
「典子先輩は、どうしたんですか?」
と訊いた。
「ああ、あいつなら、踊りに行っちゃったよ」
弘志は答えた。美恵子は、典子がいなくなった結果隣になった弘志に、
「江藤先輩、典ちゃん大丈夫ですか?」
と訊いた。典子がこの席に戻ってくるぞと千江美にわかるように言ったつもりだった。でも、千江美は遠慮なく座ったままで、弘志が、
「うーん、見てくるか」
と席を立った。美恵子は後を追おうとした。
(あ、でも、其田くん…)
千江美が弘志目当てでないことはすぐわかった。それなら当然良貴目当てだろう。
(…ここで私が席を離れたら、俵田さんの思うツボじゃない)
典子からちゃんと聞くことはできていなかったが、典子はおそらく良貴を好きなのだろうから、美恵子は意地で席に残ることにした。
典子は、弘志が自分を探しに群れに入っていったのを見ていたが、一つ席の空いたあの席に戻る気にはなれなかった。なぜか、とても怖いような気がした。
「須藤先輩は、踊りに行かないんですかー?」
明らかに自分を邪魔者扱いする千江美の言葉の含みに、美恵子はカチンと来た。良貴もやっとその場の雰囲気を理解した。
「俵田さんも、他の1年生の人たちと踊ってきたら?」
美恵子はにっこり笑ってそう言った。2人に挟まれた良貴はいたたまれない気分だったが、千江美が自分目当てで寄って来たことは理解した。悪い気はしなかった。
「私は、典ちゃんが戻って来るから、ここにいないと」
美恵子が言うのを聞いて、良貴は焦った。この状況の中に典子が戻ってくるのは避けたい。良貴は気付かれないようにさりげなく典子を探した。典子の姿が近くに見えないことにちょっとホッとして、視線を泳がせるようにあさっての方向を見た。
その途端、ホールの隅の円柱にへばりついている典子が見えた。2人の目が合い、典子は慌てて円柱の陰に隠れた。
典子が隠れた円柱を、良貴はじっと見つめた。
(…何やってるんですか?)
「其田先輩、ダンス教えてくださいよー」
千江美は甘ったれた声で言った。美恵子はまたカチンと来た。
(私の存在は、完全に無視なんだ)
千江美が結果的に美恵子にケンカを売っている状況をなんとかしようと、良貴は弘志をダシにしてかわした。
「え、僕は教えるほどじゃないよ。弘志先輩のほうが、ずっとカッコいいし、上手いよ」
「えー、でも、江藤先輩は今、いないし」
ことごとく千江美の言葉は美恵子のしゃくに障った。
(江藤先輩がいなくて、其田くんが断ったら、私がいるじゃない。私はとうてい教えるようなレベルじゃないけど、あなたはそんなこと、知らないでしょ。女同士なんだから私に話を振るのが筋なのに、存在を無視される筋合いはないんだけど)
美恵子はすさまじく不機嫌になりながらも、良貴と千江美を二人っきりにしないために意地でそこに座っていた。
その時、良貴には柱の陰から典子がすっと踊りの輪の中に戻るのが見えた。
「あ、僕、ちょっと…」
まるでトイレにでも行くかのように良貴は席を立った。そして途中で方向転換して踊りの輪の中に飛び込んだ。
千江美と美恵子が後に残された。美恵子は黙ってウーロン茶を飲んでいた。
「須藤先輩は、もしかして、其田先輩のこと好きなんですか?」
千江美は唐突な質問を投げかけてきた。美恵子は内心で、
(私は江藤先輩の方です)
と言ってアカンベをしつつ、穏やかな微笑みをたたえて、
「え、なんで? 全然?」
と言った。言ってから、「全然」は失礼だったかなと反省した。
「それなら、別に怒らなくてもいいじゃないですかー。其田先輩、気まずくなって逃げちゃったじゃないですか」
千江美はすねたような口調で言った。でも、内心は煮えくり返っているのだろうと美恵子は思った。
「別に、私は怒ってもないし、其田くんを追い出したつもりもないけど」
美恵子は静かな口調で言った。でも、その抑揚のない響きは明らかに女同士のバトルを受けて立っていた。
「俵田さん、其田くんを好きなのはかまわないけど、あんまりあからさまにそういう態度をとられると、こっちも雰囲気壊れちゃうから、やり方考えた方がいいわよ」
美恵子は静かに言って、クールを装ってウーロン茶を飲んだ。
「別に、誰も其田先輩のこと好きだなんて言ってませんよ。変な風に言わないでください」
千江美は横目で美恵子を見ながら嘘を言った。美恵子は顔色ひとつ変えずにいたが、千江美は美恵子の態度をライバルのそれと認識した。
「そういえば典子先輩って、其田先輩のこと、ごひいきにしてますよね」
美恵子は、千江美のこの言葉にはぎくりとした。
「そうね、仲いいから」
美恵子は漠然とそんな風に言った。実際のところ、弘志と良貴は仲がいいが、典子と良貴は他人の域を出ない。
「典子先輩って、須藤先輩のために其田先輩と仲良くしてるんだったりして。さっきだって、さっさと席離れちゃったし。江藤先輩も行っちゃいましたよね。其田先輩と須藤先輩を2人っきりにしようとか、本当はそういう協力関係だったりしませんか?」
千江美はからかうような口調で言ったが、その目はまったく笑っていなかった。美恵子は千江美のとんちんかんな疑惑に苦笑したが、自分もそういう発想をしがちなことを思い、笑えなくなった。そして、典子のためには、千江美の疑惑を典子からそらしておいてあげた方がいいんじゃないかと思った。
「え、何言ってるの、違うわよ。変なこと考えるのね」
美恵子はウソっぽく、芝居じみた響きでそう言った。
「そうですかー、変ですかー?」
千江美もうさんくさい笑いを浮かべながらおかしな響きをこめた口調で言った。
女の戦いはそこで一時休止したが、そこで逃げるように場を離れるのは敗北だと考えて、2人は相手の様子をうかがいながらずっと座っていた。2人とも「困ったな」と思っていたが、かといって先にこの場を離れたくはなかった。
「あのさー、隣に座っていいー?」
「何ー、2人で来たのー?」
突然2人の頭上から男の声がした。美恵子と千江美が顔を上げると同時に、2人の隣に見知らぬ男が1人ずつ座った。
「大学生?」
「でも、なんかもっと若くない?」
「もしかして、高校生だったりする?」
美恵子も千江美もびっくりした。クラブはナンパもあると聞いていたが、まさか高校生で引率者つきでやってきた自分たちの身にそんなことが起こるとは思わなかった。
「え、あの」
「あ、何、お茶なんか飲んでるの?」
小さなテーブルの上には弘志と典子、良貴の置いていったグラスもあったが、男たちは他の人がいた雰囲気なんかまったくお構いなしに話を進めた。
「せっかく来たんだから、踊ろうよ。ずっと座ってしゃべってるじゃん」
どうやら、ちょっと前から狙いをつけて観察していたらしかった。
「あの、私、踊れないんで…」
美恵子が言うと、千江美も引きつった顔で、
「あの、私も」
と言った。男2人は「踊れない」という言葉を聞いて、自分たちに都合よく、ナンパ目当てで来たという発想をした。
「なんだ、踊れないんだったら、飲みに行こうよ」
「ここにいても、しょうがないじゃん」
男たちはやや強引に2人を立たせようとした。
「あの、私たち、連れがいるんで」
美恵子が言うと、美恵子のほうに座った男が、
「後でケータイに連絡入れとけば、大丈夫だよ」
と言った。ちょうどそこに、弘志が戻ってきた。
「あんたら、何やってんの?」
弘志は十分に状況を把握した上で、軽蔑した口調で言った。
「あ、江藤先輩」
「この人、連れですから」
美恵子と千江美は同時に言い、こわばっていた表情がやっと緩んだ。でも、男2人はめげなかった。
「あれ、どっちの彼氏?」
「ちょっと話し相手に貸してよ、ここで飲んでるから。ホントホント」
男2人は、明らかに弘志を年下と思って甘く見ていた。
「こっち、彼女?」
1人は千江美を弘志のほうへ押し出した。自分が「要らない」と言われたのを自覚して、千江美は真っ赤になった。弘志は、男たちの美恵子目当ての様子にも、千江美に対して失礼な態度にもムッとした。
「どっちも彼女じゃないよ。今日、仲間みんなで来てんだよ。ナンパされに来てんじゃないんだから、放せよ」
「へー、『みんな』~」
男2人は、明らかにバカにしたような顔をした。弘志は2人をにらみ返した。その時、
「何やってんの、おまえら」
という声がして、滝野川が慌てて飛んできた。弘志は背後から現れた滝野川を親指で指して、ナンパ男に、
「連れ。まだいるよ」
と言った。滝野川と踊っていたらしい連中もやってきて様子をのぞき込んだ。滝野川は保護者らしく、まあまあとなだめるように男たちに訴えた。
「ナンパは勘弁してよ。俺、この子ら全員無事に帰さなきゃいけないから」
「なに、ダッサ、団体さんじゃん」
「保護者つきでくんなよ、こんなとこ」
ナンパ男たちは恥をかかないように、落ち着いた態度で立ち上がった。
「踊れもしないのに、クラブなんかくんなよ」
吐き捨てるように言い残して、ナンパ男は消えた。
「おまえら、なにナンパされてんだよー」
滝野川は情けない声を出した。そして弘志に向き直り、
「弘志ー、おまえ、なに席離れてんだよ、女2人でいたら狙われるに決まってんだろー」
と言った。後ろでこわごわ見ていた連中は美恵子と千江美に寄って来て、
「うそー、ナンパじゃん、すごーい」
「なんて声かけてきたの?」
などと面白がって聞いていた。
「なにアイツら。誰が踊れないって?」
弘志は去っていく2人の背中を見てムッとした声でつぶやいた。
「滝野川サン、ここ常連なんでしょ? あのステージとか、使わないんだったら、借りてよ。ウチら踊れそうな曲とかかけてもらえない?」
ナンパ男たちはまだ店内にいるだろう。弘志は「踊れない」という言葉を絶対に撤回させたかった。
「おまえも負けず嫌いだなー。いいじゃんあんな奴らー」
「嫌ですよ。俺より踊れんのかよアイツら」
「まいったな~。期待すんなよな。まあ俺も、バカにされんのはシャクだから…」
滝野川はSTAFF ONLYのドアのところで店員に声をかけ、店員と話しながら一緒に中に入っていった。
「お、なんだ、滝野川サン、常連って、ホントだったんだ」
弘志が言うと、谷口緑が、
「ウソだと思ってたんですかー?」
と不快そうな顔をした。弘志は、緑が自分に好意を示していた時のことを思い出して苦笑した。
「そういや、其田は?」
弘志は周りを見回した。良貴とのユニゾンが一番カッコよくキマる自信があった。
その頃、良貴は典子と2人だけで踊っていた。良貴は千江美と美恵子のバトルの現場を離れて踊りの群れに入っていき、しばらく探してやっと典子の後ろ姿を見つけた。
「典子先輩、ご一緒していいですか?」
良貴が声をかけると、典子はびっくりして振り返った。
「あれ、…なんで来たの?」
「踊りたいからですよ」
良貴がそう答えると、典子はいつもの笑顔をつくってからかうように言った。
「なんだ、一年生の女の子と仲良くしてればよかったのに」
それまで心では大泣きしていたし、今は嬉し泣きの状態だったが、そんなことは表に出せなかった。
「別に、仲良くなんてしてないですよ。普通に話してただけですよ」
「うっそー、なんかくっついて仲よさそうだったから、私、戻るに戻れなかったよー」
典子は悲壮なジョークを飛ばした。良貴は気持ちが沈んでいくのを感じた。
「先輩、からかわないでくださいよ、話してただけです」
良貴はなんでもないんだというように少しわざと笑って、軽くステップを踏み始めた。典子も同じステップを踏んだ。あとはお互いに、向かい合ったまま思ったとおりに体を動かした。典子は良貴のダンスを独り占めしていることに感激して、心からの思いっきりの笑顔を良貴に向けた。良貴はちょっとすました風に、かすかに微笑をたたえて踊った。
でも、良貴の心は沈んでいた。
『仲良くしてればよかったのに』
典子の声がリフレインした。
(戻るに戻れなくて様子を見てただけ…)
陰から見ていた典子の瞳を、自分への好意、…いや、自分への恋心だと感じてここまで追ってきた自分が可笑しかった。
(何を期待してたんだろう。都立高校の体操部にしてはちょっと体操の実力はあるかもしれないけど、僕なんか、男としては別に格好良くもないし背も低い、人と話すのも上手くない、地味な奴なのに…)
良貴は自分を嘲笑した。目の前の典子の顔は本当に嬉しそうで、典子が自分に向けている「好意」は本当なのだろうと思った。でも、それを恋愛感情だと勘違いしそうになった自分が空しかった。
典子に視線を戻すと、典子はもっと嬉しそうに笑った。良貴はついつられて顔を緩めた。そして一生懸命自分を見つめて目を輝かせている年上の女の子を、心底可愛いと思った。でも、「弘志先輩の妹さん」…それが自分にとっての典子なんだと言い聞かせた。
そうして踊っていると、典子の背後から弘志が近づいてくるのが見えた。
「お、いた、いた。其田、ちょっと来いよ」
弘志はそう言って指で良貴を呼んだ。
弘志にくっついて良貴と典子が体操部の群れに帰ると、滝野川が、
「舞台狭いけど、学園祭のヤツやろうぜ。DJが今、曲かけるから」
と言って得意げに笑った。クラブの隅には、ちょっと奥行きの狭いイベント用の舞台があった。今日は使わない予定だったので飾り幕が半端に垂れ下がっていて、インテリアのように見える。飾り幕がするすると退いた。
DJの声がスピーカーから響いた。真上からはナマ声も聞こえた。淡々としゃべるのが特徴の「ハウスの日モード」から急に盛り上がり、一斉に注目が集まった。
「今日は突発イベント、この中の目立ってるメンメンに、舞台を開放しちゃうよ! スタッフがどんどん声かけに行くから期待して待ってて? トップバッターは本日の団体様ご一行! アイドルでここまでイッちゃうか! Here We Go!」
クラブ用のダンスサウンドにアレンジされたアイドルソングの前奏が鳴った。学園祭用に練習したサウンドとはちょっと違ったが、曲は同じだ。部員たちは自分の出番をわきまえ、舞台に向かって駆け出した。典子と美恵子が戸惑うと、
「女の子は頭数いないから、曲飛ばしちゃった。やりたかった?」
と滝野川が言った。
「え、いえ、よかったぁ」
「さすがにクラブの舞台に上がる度胸はないですー」
2人はホッとした。そしてステージがよく見えるところを見つけて陣取った。
滝野川は女の子一同に「ナンパされんなよ」と言い残し、自分も舞台に向かった。
イントロの終わり際、一曲目のメンバーが舞台に飛び出した。とはいえ、全員が来ているわけではないので、人数の不足の分は滝野川がフォローした。滝野川は毎年ダンスを教えにきているだけあって、何でもこなせるし、振り付けもほとんどマスターしていた。
クラブの客たちは、ちょっと違うノリのJ-POPサウンドに戸惑い、舞台を見上げた。学園祭で2曲目だった部分は飛ばされ、3曲目で弘志が出てきた。3曲目のメンバーは他にいなかったから、弘志の独壇場だった。一人で大丈夫と踏んで滝野川は一時ステージを下りていた。
(さっきのナンパ野郎ども、見てるか、バーカ)
弘志は客席に挑戦的な視線を送った。視線を自然に動かすふりをして探すと、まださっきの2人組は店内にいた。
(おまえらのレベルで、美恵子にちょっかいかけてんじゃねーよ)
弘志はアドリブで2人組の男に向かって指をさし、人差し指と中指を揃えて目の前で払って「去れ」という仕草をした。2人組は、自分たちがバカにした連中が脚光を浴びているのが不愉快で、店から出て行った。
3曲目で良貴が出てきた。滝野川は今回もステージに上がらなかった。
「其田くーん」
典子は声援を送った。良貴はちょっと典子に視線を送って、かるく会釈した。千江美はちらりと横目でそれをにらんだ。
(其田先輩、からかわれてるんですよ)
小柄で地味な少年が一人で舞台に上がったのを見て、一瞬場内が「え?」という雰囲気に包まれた。
(なによ、見てなさい!)
典子はそんな空気を一瞥してステージに視線を戻した。
良貴が動き出すと、場内の空気がざわめくように揺れた。地面から浮いているような軽いステップ、コマ送りのように正確にストップモーションを織り成す腕、切れのいい全身の動き、そして、びっくりするほど高いジャンプ。それまでの面々のダンスを「このくらい踊れる奴はいくらでもいるよ」と思ってステージを見ていた連中の目の色も変わった。
(どうよ、これが其田くんなんだから!)
典子は得意満面でステージを見つめていた。そして、千江美はあまりの出来事に呆然としていた。クラブになんておおよそ縁のなさそうな良貴がステージで誰よりも輝いているのは、なんだか魔法みたいだった。
(…其田先輩って…、体操だけじゃなくて、ダンスもできるんだ…)
千江美は完全に良貴に参ってしまった。
良貴のパートの最後には、狭いながらも長さのあるステージをフルに使って側転、バック転、バック宙、そのままダンスのフリをいくつか入れて前方転回を2度入れて、前方宙返りが入った。着地が決まると口笛と歓声が飛び交った。良貴はアドリブで帽子を取ってお辞儀する仕草をした。帽子はかぶっていなかったが、それはしっかりキマっていた。
それから弘志と良貴のユニゾン、そして最後に空中技で締めた。ユニゾンのドラムサウンドはちょうどいいのがなかったので、滝野川がDJにテンポを指定して2拍子を16小節、シンセサイザーのドラム音とスクラッチ音で保たせてもらった。空中技のところは適当な音楽を鳴らし、うまくフェードアウトをイベント・トークでかき消して盛り上げた。
口笛と歓声、そして拍手が店を揺らした。がぜん注目を浴びてしまったので、滝野川はそそくさと体操部員を連れ出した。高校生ということがわかったら大変だ。しかも、開店が21時の店だったから、すでに22時半を過ぎていた。
「気持ちよかったなー」
「なんか病み付きになりそー」
ステージに上った男の子たちは皆興奮状態だった。良貴は声こそあげなかったが、静かに充実感にひたっていた。
「今日は大したイベント入ってない日だったんだよ。クラブの方もハウス垂れ流してないで、なんか違うことやって盛り上げたかったから、丁度いいんじゃねーの」
滝野川はクラブのスタッフのようなことを言って悦に入っていた。
「いい経験になりました」
良貴は滝野川に軽く頭を下げた。良貴はこれまで滝野川をどことなく軽蔑していなくもなかったが、今は見る目が違っていた。人生何事も経験だし、こういうことを知っている人に連れられてでもなければ、自分は決してこういう世界を垣間見なかっただろう。
「おう、其田、おまえがいなかったら俺だってステージにこんな高校生上げようと思わねーよ。普通の靴で、普通の床であんだけやって、大丈夫か?」
滝野川は今日の功労者をねぎらった。
「あ、学園祭で慣れましたから。宙返りも一回転だし」
「さすがだな~。俺、普通の靴だと滑ったら怖くてな~」
「体操の練習で、柔道の受け身を習いましたよ。落下事故なんかの時に、知ってるとちょっとはマシなんです」
「だからって、俺はバック宙までだな~」
滝野川と良貴の会話が終わるのを、典子と千江美が待ち構えていた。美恵子はその気配を察知し、即座に、
「俵田さん」
と声をかけた。千江美はあからさまに迷惑そうな顔で振り向いた。
「クラブに行ってナンパされたなんて、家の人に言わないでよー。廃部になっちゃう」
美恵子は適当に選んだ話題をふっかけた。千江美はナンパ男たちの目的が美恵子だったことを思い出して余計不愉快になった。
「わかりましたー。須藤先輩って、ナンパされ慣れてるんですねー」
千江美はにっこり笑ってケンカを売ってきた。
「え、そんなことないよ、慣れてたら、自分で対処できてたよー」
美恵子も微笑みを返した。いつもの女神のような微笑みというわけにはいかなかったが、こんな笑顔でもやはり美恵子はとても美しかった。
(…なによ、ちょっと美人だと思って。其田先輩はアンタになんか興味ないんだから)
千江美はすっかり美恵子を敵としてロックオンしていた。そして、そんなことを何も知らない典子は会話のスキを見て良貴の隣に滑り込み、
「其田くん、クラブのお客さんみんなうなってたよ。高校の学園祭ですごいって言われるのと、クラブですごいって言われるのって、ゼッタイ違うよねー。すごいよー、今日踊ってたありとあらゆるクラブの客の中で、ゼッタイ一番素敵だったもん。一緒に踊ってくれて、ありがとー。クラブの本日のNo.1とご一緒できたなんて、超光栄」
といつもの調子で思いのたけを伝えていた。千江美は美恵子に対抗するのに精一杯で、そんな典子の様子はとても目に入らなかった。
弘志は千江美とバトルしている美恵子を遠目に見て、
(須藤も、1年生と仲良くやってるな)
とまぬけなことを考えていた。
良貴は帰宅してスーツを脱いだ。ズボンは特殊なシルエットじゃないはずなのに、妙に余裕があって、空気を含んでひらひらした。すその丈を詰めるから、どうしてもこうなってしまう。ジャケットは裏地のないタイプを買って袖をラフな感じに大きくまくっていたが、本当はサイズの合わない袖を詰めていないだけだった。
脱いだ服の「S」のタグを見て、良貴はいつもの失望を感じた。ジャケットの肩幅はちょうどいいが、袖丈がどうしても余る。ワイシャツだってSサイズで、しかも腕に袖を止めるバンドをしていた。それをつけないと、掌に袖が落ちてくる。
身長は少し伸びて、やっと161センチになった。女の子はかかとの高い靴や底の厚い靴をはくので、すぐにこのくらいの背か、それ以上になってしまう。
(俵田さんって…)
突然一人でやってきて隣に座り、美恵子が気分を害するような不自然な態度をとっていた1年生のことはもちろん気になっていた。今まではああいう場合、いつもお目当ては弘志だった。でも今回は明らかに違った。
(僕だって高校2年生だし、そういう何かがあったっていいでしょ)
そう思った途端、典子の淋しそうな横顔が浮かんだ。
(俵田さんと、典子先輩)
良貴は自分を傲慢だと思いながら、2人の女の子を比較した。
(俵田さんは、まだどんな子かわかんないな。でも、須藤さんにケンカ売ってたからなあ)
典子の満面の笑みと、「仲良くしてればよかったのに」という言葉が浮かんだ。良貴は心の中で「典子先輩」の部分にギュッと×をつけた。
(俵田さんか)
別に好みのタイプというわけではない。まあ、そもそも自分がどういう女の子を好きなのかはよくわからないのだけれど。彼女の性格は…まだよくわからないが、少なくとも女の先輩の気を悪くさせるくらいには自己中心的。背は…、
(典子先輩よりは、ちょっと高い)
典子は自分より背が低い実感があった。でも、千江美とはあまり身長差を感じなかった。
(…並んで歩くなら、典子先輩のほうがいい)
良貴はそんな風に考えて、自己嫌悪に陥った。
(僕は女の子を、自分との身長の兼ね合いで選ぶ気なんてない。それに、そういう風に考えることそのものがみじめだ)
だから、中味を見ないと。そう思うと、良貴のまぶたには典子の笑顔が浮かんだ。
(…典子先輩は、僕を男だと思ってない。だから、あんな態度がとれるんだ)
『…もう、私の居場所なんかないね』
良貴の心の中で、春の大会のときの典子がつぶやいた。胸が痛んだ。もしかしたらと何度も考えた、典子の態度の正体を知りたかった。
典子のことを恋愛の対象として気にしている自分を認めるのには勇気が要った。他にも自分に好意を持っていそうな女の子が現れて、良貴の漠然とした感情は何かしらの結論を出さなければいけなくなっていた。