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11 学園祭とそのあと


 典子と良貴の2人は化学室に座っていた。

「弘志と美恵ちゃんも、少しは変わったみたいだね~」

 典子は上機嫌で言った。でも本当は比較的、兄貴と親友のことはどうでも良かった。

「うーん、…何と言ったらいいか…」

 良貴は返事に窮した。2人が別れたことを典子が知らないんじゃないかと、はじめて気がついた。

 その時、化学部の面々が登場した。良貴は自分が(とりあえずこの瞬間は)絶対的な優位にいるので、腕組みをして何でもない風に、目も上げずに座っていた。聡史はひらひらと動く掌で典子の存在を知った。手を振り返したとき、聡史の心臓は一瞬止まった。

(…あれ、兄ちゃんと彼女は)

 典子の横にはまるで余裕があるかのように装った表情で良貴が座っていて、その隣はひとつ席が空いて、ほかに見知った人はいなかった。

(…すでに、そーいうこと?)

 良貴のためにムキになる典子の顔が浮かんだ。聡史は典子から目をそらした。

 典子が花火を見ながら小声で嬉しそうに聡史の花火に賛辞を述べるのを、良貴は作り笑いで聞いていた。典子は終始楽しそうだった。

 化学室を出ると、またも聡史のお出迎えが待っていた。

「わっ、飯田くん。ヒマだね」

「ヒマやないて。俺、ちゃんとクラスのほうもかけもっとるんやから」

 典子が気にしていたので、良貴は落ち着いた笑顔を作って、

「あ、いいですよ、待ってますから」

 と言って少し離れた。一瞬良貴と聡史の目がかち合い、典子は良貴に気を遣ってちらりと振り返った。聡史はその表情に胸を射抜かれたような気がした。伏せたまつげの中にひそむ静かな憂いが典子を女性の顔にしていた。聡史はその表情がどういう感情から出たものなのかは考えないことにした。

(人間、努力と根性)

 聡史は気合いを入れなおして、典子に軽口をたたいた。

「なんや、結局、カレシやったんか」

「え! 何言ってるの、違うよ」

 典子は慌てて否定した。自分が言われて困るというより、相手に聞かれたら困るという言い方だと聡史は感じた。

「お、スマンスマン、現在、おまえが頑張っとるとこか」

「頑張ってないよ、変なこと言わないで!」

 聡史は典子の様子から、絶対に何かあるということだけは把握した。でも、まだ何も決定的ではなく、自分にもチャンスはあると判断した。

「其田先輩」

 名前を呼ばれて良貴が振り返ると、千江美が立っていた。良貴は肝が冷えた。

「あれ~、江藤先輩は~? 一緒なんですよね~」

 千江美はわかりきったことを聞きながらわざとらしくあたりを見回した。そして大げさに典子の方を見る仕草をしてから、

「あ、違う江藤先輩はいるんですね~」

 と言った。良貴は必死で冷静を装った。千江美は精一杯、含みを持たせて言った。

「其田先輩、『弘志先輩』って言いませんでしたっけ。『江藤』先輩って言いましたっけ」

「弘志先輩は、今、ちょっと別のところにいるだけだよ。すぐに合流するよ」

 典子が振り向くのが見え、良貴は面倒な状況に困惑した。

「あれ、カレシとられるぞ? おまえ」

 聡史は典子をからかうように見た。

「彼氏じゃないって! それに、あの子も体操部なの。体操部は2日目は、出番がないから皆ウロウロしてるだけ!」

 典子は焦って言い返した。良貴が千江美と話していることに気づき、戻っていいものか戸惑った。

 千江美もどうしたらいいか迷いながら、良貴と話を続けていた。

「化学室、何やってるんですか?」

「花火作ってるみたい。綺麗だったよ。でも、今終わったばっかりだけど」

 典子は意を決して、

「それじゃあ、来られるようだったら4時からの回も来るね~」

 と聡史に言い残すと、良貴のところに戻ってきた。

「典子先輩もいたんですか~」

 千江美は、今気付いたようなことを言った。良貴は苦い顔をした。典子はとりあえず作り笑いでうなずき、言い訳のように弘志の名前を出した。

「弘志待たせちゃったね」

「そうですね。行きましょう」

 2人が歩き出すと、にこにこして無言で千江美もついてきた。良貴と典子は、千江美を切り離す上手い技術を持ち合わせなかった。

 弘志と美恵子は茶道部の和風喫茶店に座っていた。

「どういう風の吹き回しですか?」

 美恵子がふてくされたような顔をして訊くと、弘志は、

「え、別に、俺は何も?」

 と答えた。美恵子は「よく言うわ」と思って黙っていた。

 しばらくじっと無言で座っていたが、弘志が何を話すでもないので、美恵子がまた口を開いた。

「こんなとこ、体操部とか、同じクラスとかの女の子に見られたらどうするんですか? 女の子から声かけてもらえなくなっちゃいますよ?」

「あー、べつに、つきあってるわけじゃないって言うから、いいよ」

 弘志は意地の悪い視線を美恵子に送った。美恵子は見ていないふりをしたが、視界の中でその様子はよくわかった。

「そうですね、私たちは全然、つきあってもなんでもないですからね」

「まあ、そう怒るなよ」

「怒りますよ。バカにしてるわ」

 美恵子は乱暴に紅茶をかき回した。

「こぼすぞー」

「大丈夫です」

 ギリギリで、紅茶はこぼれなかった。

 憤然として美恵子が紅茶をすすっている間中、弘志は黙っていた。そして、朝川リエは茶道部の喫茶店の前を行ったり来たりしながらその様子を探っていた。

(なんで、あの2人、しゃべらないのかな。あれじゃ気まずいと思うんだけど)

 弘志と美恵子の様子は明らかに不自然だった。いや、自然すぎて違和感があった。でも、今の弘志と美恵子はこうしているのが楽だった。

「どう? 最近」

 弘志が訊いた。美恵子は眉をしかめて、

「どうって、一体、何がどうだって答えればいいんですか?」

 と言った。弘志は笑った。

「だから、そう怒るなって」

「先輩の態度が、私をバカにしてるんですよ」

 そう言って美恵子は目を伏せたまま口をとがらせた。

「…昨日の朝、夢を見たんだ」

 弘志はゆっくりと言った。

「…前に、新宿の、男子禁制の喫茶店に行っただろ。そこの夢」

「ああ、先輩が同伴喫茶って言ってたとこですね」

 弘志はあの日、店を出てから「女性同伴じゃないと入れない」だから「同伴喫茶」と冗談を言った。それから弘志は何度もあの店を「同伴喫茶」と言い、美恵子は「誤解されるから、変な言い方しないでください」と言っていた。

 弘志は自分の「抹茶コーヒー」という怪しい飲み物を見つめながら、

「いや、おまえがそこで、泣いてたからさ」

 とつぶやくように言った。美恵子は胸がぎゅっと痛むのを感じた。

「もう泣きませんよ。それは、先輩の自意識過剰です」

 強がりを言う美恵子の顔をひと目だけ見て、弘志は小さく笑った。

「寂しい季節だから、何か感じてるんじゃないかなと思って…」

「そうですね、口寂しい季節だから、甘いものも恋しいですよね。懐かしいな、あそこのアイス、美味しかったなー」

 美恵子はしらじらしく言ったが、涙がこらえきれなかったあの日に「秋風が目に染みて」と言った本当の意味を、弘志はわかっているのだと思った。

(…本当に、嫌なところばかり察しがいいんだから)

 美恵子がそう思った途端、弘志が、

「だから、そう怒るなって」

 と言った。美恵子は、無駄な抵抗はやめることにした。

「気にしてくれてたみたいですね。それは、どうも」

 素直な言い方はできなかったが、なんとか本当の気持ちは言えた。

「これでも一つ人生経験を積んだんでね。人に優しくなったよ、おかげさまで」

「嫌味な言い方。私が悪いみたい」

「それはおまえの被害妄想だ」

「だって私、被害者だもの」

 それからまた話は途切れたが、別に何か話さなければという緊張感はなかった。

「ところで、さっきから外を朝川がウロウロしてるのに気付いてるか?」

弘志は普通の会話をするような態度で言った。美恵子はドアの外を気にしながら、何気ない表情を装って、

「…え、そうなんですか?」

 と小声で言った。

「おまえは、隠し事が下手だな~」

「え、なんでですか?」

 美恵子はそれなりに気をつけたつもりだったので納得いかなかった。弘志は、

「乗り出したら、内緒話してんのがバレるだろーが」

 と言った。たしかに、美恵子はわずかに弘志の方へ乗り出していた。

「表情なんかどう変えたってわかりゃしねーよ。そういう、態度に出すな。そっちの方が大事」

 弘志は涼しい顔で抹茶コーヒーを飲んで、「苦い」と舌を出した。

「…でも別に、隠れる必要はないんですよね、私たち別に何でもないんだし」

「朝川は何でもないで済まないだろ。もう、つきあってるとか、いろいろ考えてるよ」

 弘志はごくごく自然にしていた。リエがこの弘志の態度を見ても、自分の存在がばれているとは絶対に思わないだろう。美恵子は呆れ返った。

「先輩って、ホントにタチの悪い男ですね」

 弘志は美恵子をちらっと見て、

「知ってるか? 悪い男、っていうのは、ほめ言葉なんだゼ。いい人、ってのはけなし言葉。お褒めに預かり、光栄です」

 と言った。美恵子はさらに呆れ果てて言葉を失った。

「…典ちゃんは、あんなに素直なのに」

 弘志はもっと笑って、

「女は素直な方がいいよ。おまえも、怒ってるとそういう顔になるゼ」

 と言った。いちいち、どうにも美恵子に勝ち目はなかった。

「でも、どうするんですか? 朝川さん」

「俺は、別におまえとなんか言われても、いいよ」

「え…」

 美恵子がドキッとした表情になるのを見て取ると、弘志はしらっとした態度で、

「それでも俺に惚れる子は、惚れるだろうしな」

 と言った。美恵子はテーブルをひっくり返したいほど腹が立った。でも、心の奥が甘くうずいていた。

(…「なんか言われてもいいよ」…って、それは…)

 なんでもない言葉のようにも聞こえたが、美恵子には重かった。

 しばらくして、良貴と典子が千江美を背後に伴って入ってきた。美恵子はびっくりしたが、弘志は「ははあ、つかまったな」としか思わなかった。

「おまたせー」

 典子がそう言って近づいてきた時、典子も良貴もひきつっていたので、弘志は笑ってしまった。弘志は、リエがいるはずのドアの外にちらっと目を馳せたが、見当たらなかった。

(朝川はここに飛び込んでくる勇気がなくて、よかったな~)

 弘志は立ち上がり、

「なんだ、俵田もいるのか」

 と言った。千江美は悪びれずに、

「お邪魔してまーす」

 と答えた。美恵子は一瞬だけ千江美をにらんだ。

 喫茶店を出るドアのところで、弘志は千江美に、

「俵田、朝川が待ってたぞ」

 と言った。そんなはずはないと思いながら、千恵美は弘志を振り返った。

「ずっと待ってたゼ? 待ち合わせだろ? さっきはそのへんにいたんだよな。たぶん、そのうち戻ってくると思うけど…」

 弘志は千江美にごくごく自然な態度で言った。真意をさぐろうと、千江美はまじまじと弘志の顔を見つめたが、何も汲み取ることはできなかった。確かにリエはこの周辺にいただろう。もしかしたら弘志に何か下手な言い訳をしたのかもしれない。だったら話を合わせてあげないと…。

「…え、そうなんですか、すみません、どうも…」

 千江美は弘志が指した方に向けて、一人で退散した。弘志は千江美に向けた背中には出さず、顔だけでニカッと笑った。

 少しして、千江美は防火扉の陰に隠れていたリエを見つけた。

「アンタ、何やってんのよ~」

「えー、千江美、なんで来ちゃったのよ~」

 リエはおろおろしながら、情けない声で言った。

「アンタね、江藤先輩に、隠れてるのバレてたわよ~。私、アンタをダシにして、うまく追っ払われちゃったじゃない、バカバカ、せっかく割り込んだのに」

「えー、ゴメーン」

 それでも2人は果敢に作戦を続行した。しかし、弘志がしっかり2人の行動に合わせて時折振り返った。千江美とリエはそのたび慌てて隠れたが、間に合うはずなどなかった。

「後ろから、朝川クンと俵田クンがつけてきてるけど、どうする?」

弘志はお天気の話をするように自然に言った。典子は状況を重々承知で暗い気分だったが、部活の先輩としてはあんまり邪険にするわけにもいかないと思い、

「え、でも、…」

 と気を遣うような声を出した。途端、それをさえぎって美恵子は冷たく言い放った。

「今日は、私たちで約束して来たんだから、遠慮してもらいましょ」

 良貴は黙っていたが、美恵子に賛成だった。その時、講堂から黄色い声が聞こえた。

「お、ちょうどいいじゃん、『アルファ』だよ」

「アルファ」は、校内で一番人気のある、男子バスケ部のイケメン部員4人のバンドだ。椅子席の後ろはもちろん、通路や壁際まで立ち見客でいっぱいだった。バンドのステージで今まさに興奮のるつぼになっている講堂に、4人は足早に入っていった。

「抜けるぞー」

 弘志は通路の隙間と放送機材の合間をぬって、身をかがめて小走りに通っていった。3人も後に続いた。時々人が寄りかかっている壁際を、左右によけながら走りぬけた。

 少しすいた空間にたどり着き、弘志が振り返ると、美恵子がいなかった。

「あいつは、ホントに鈍臭いな」

 弘志はつぶやいて、典子と良貴に、

「ここから裏まで行って、庭まで出ててくれ」

 と言い、今来た隙間に戻っていった。2人は言われたとおり講堂を抜け、裏庭に出た。

「なーんか、弘志も、彼氏然としちゃって」

 典子は嬉しそうに言った。良貴は返事に困ったが、たしかに弘志の態度はそう見えた。

 二人は講堂のカーテンが揺れて弘志と美恵子が出てくるのをじっと待った。

「うっそー、信じらんなーい」

 千江美のけたたましい声が聞こえて、良貴は慌てて典子の肩を押して自分ごと講堂に押し込んだ。出入り口の黒いカーテンの陰に隠れて、良貴はそっと外の様子をうかがった。

「いないよー、この中だよ~」

 リエの姿が見えた。

「どうしたの、其田くん」

 典子が良貴の耳元で訊いた。

「俵田さんと、朝川さんが来たから…」

 2人して聞き耳を立てた。バンドの音はにぎやかだったが、外で甲高い声で話している女の子たちの言葉は音楽から浮き上がり、わずかに聞き取れた。

「なんで、入ったかどうか見てなかったのよ~」

「えー、でも、出入口見張ってればまた、見つかるよ~」

良貴は典子に向き直って訊いた。

「典子先輩、彼女たちと学園祭回りますか?」

「…だって、今日は、4人で約束したんだもん…」

 典子は言いにくそうに、それでも正直に答えた。それで十分だった。

「じゃあ、上から出ましょう」

 暗がりの中、良貴は自分でもびっくりするくらい自然に典子の手をとった。そして、手が触れた瞬間に唐突に自覚して肝を冷やした。

(でも、ここでいきなり手を離すほうが不自然だよな、いや、でも、離さないとまずいかな、どうしようかな)

 良貴は焦りに焦りながら、典子の手を引いて人ごみを抜けた。典子はあまりの出来事に頭の中が爆発して、ただぼけっと手を引かれていた。

良貴は身をかがめてステージのある壁の隅の方の小さな引き戸を開けた。大きなスピーカーで隠れていたが、そこは舞台のソデとつながっていた。引き戸を通り抜けるとき、やっとさりげなく典子の手を離した。

(えー、もう離しちゃうの)

 典子は残念だったが、頑張って顔に出さないようにした。

 舞台のソデの奥には狭いらせん階段があった。

「ここから上の階に行けますから」

 良貴は先に立って階段を上った。上りきったところは、コンクリートを打っただけの通路が講堂を一周していて、その通路の奥では学園祭実行委員が下を覗き込み、場内の監視をしていた。監視役は良貴と典子の登場に驚いたが、それが体操部の部長だと見て取ると、今ここにいるのはおかしいと思いつつも軽く会釈した。良貴も会釈を返した。

「ここから出られますよ」

 良貴は重い鉄のドアを開けた。そこは講堂に隣接する校舎の3階の渡り廊下だった。

「あ、ここに出るんだ~」

「知らなかったんですか。学園祭の準備の時、音響とか照明とか、話し合いやりませんでした?」

「あー、そのへんは、弘志に任せっきりだった~」

 とりあえず、一息ついた。

「弘志とかと、はぐれちゃったね」

「そのうち見つかりますよ。とりあえず、僕たちだけで回りませんか?」

「だいさんせーい」

 良貴は内心、

(…ホントは、もしかしたら弘志先輩もここから出てくるかもしれないんだけど)

 と思いながら、典子を連れて校舎に入った。

 案の定、それから5分とたたずに弘志と美恵子も同じドアから渡り廊下に出てきた。

「なんだ、あいつらもここだと思ったのに」

 2つしかない講堂の出入口を千江美とリエが分担して見張っていたので、もうここしか出入口はない。

「…まあ、いいや。化学部のアイツと一緒なら草の根分けても探すけど、其田だからな」

 弘志は伸びをしながら言った。美恵子は良貴と典子の成り行きに大いに興味があった。

(典ちゃんも、今ごろうまくいってるといいんだけど)

 それにしても、典子のことになるとてんで鈍感な弘志が、美恵子には不思議でならなかった。


 いくつか展示物を見て回り、良貴と典子はさっき弘志たちがお茶を飲んでいた茶道部の喫茶店にやってきた。

「ずっと気になってたのー、ここ。絶対に抹茶白玉アイス食べに来ようと思ってたんだ~」

 典子は食券を買った。良貴は弘志と同じように、迷ったあげく「抹茶コーヒー」の食券を買った。

「ここにいたら、見つかっちゃうかな?」

「…そのときは、また考えましょう」

そして2人で、ずっと溜めていた分だけ大きなため息をついた。典子はちらっと良貴を見て、すぐに目を伏せて、

「…俵田さん、其田くんのこと好きなんだね」

 と言った。ずっと気になってはいたが、こうして良貴が千江美から逃げ回っているのを見ると、なんとか話題にできる気がした。

 良貴は返事に困った。それはもちろんわかっていたが、自分の口からそうだと言うのははばかられた。そして、自分の気持ちも知らずにそんなことを平気で口にする典子にいささか理不尽な苛立ちを覚えて、

「それを言うなら、あの化学部の人は典子先輩のこと、好きなんですね」

 と言い返した。

「…其田くんも、そんな風に思ってるんだ」

 典子は淋しそうに言った。良貴は心の中でさらに言い返した。

(そんな風に思ってないのは、典子先輩だけです)

「私と飯田くんは、ホントに、友達なんだよ。飯田くんは、私のこと妹みたいだって言ってるし、男はおらんのかって年中言ってるし、彼氏できたら遠慮せないかんなとか、エエ友達やとか、いろいろ言ってるもん」

「…じゃあ、典子先輩はあの人のことをどう思ってるんですか?」

 必死で訴える典子に、良貴は平静を装って静かな口調で反撃した。

「ああ言われたとか、こう言われたとか、そんなの言うだけだったら誰だってできます。本当はどう思ってるかわかったもんじゃないし、…それに典子先輩の感情によっても、状況はどうにでも変わりますよ」

 暗室でなにかあったらどうするつもりだったんだ、という言葉はギリギリのところで飲み込んだ。それから、自分が典子の個人的な領域に踏み込みすぎたことに気がつき、ゆっくりと、静かに、自然な様子を装って、

「弘志先輩が、心配してましたよ」

 とフォローを入れた。

「何よ、弘志なんか。私、弘志の所有物じゃないもん。そんなの、知らないもん」

 典子はいい加減、聡史との関係を勘ぐられるのに嫌気がさしていた。しかも、良貴にそんな風に言われるのは心外だった。聡史のことをどう思っているか、その質問がもし好きとか嫌いとかいう言葉を想定しているんだったら、良貴に訊かれるのはあまりにも悲しい。

 典子が不機嫌になったので、良貴は、

「すみません、でしゃばりすぎました」

 と謝った。典子は慌てた。

「あ、ちがうの、弘志があんまり飯田くんを嫌うから、つい腹が立っちゃって」

 それで、その話はやめにした。

 なんでもない話をしながら、良貴と典子はそれぞれ同じことを考えていた。

(…俵田さんが僕のことを好きだからって、それが、典子先輩に何の関係があるの? からかってるの? 僕の気も知らないで)

(飯田くんと私が友達をやってること、なんで其田くんまでそんな風に言うの? 妬いてくれるとでも言うの? 私の気も知らないで…)

 時刻はもうすぐ夕方の4時、化学部の最後の花火の発表がせまっていた。でも、典子は良貴とそんな会話をした後に化学部に行きたいと言いだすことはできなかった。

 2人はそれからそこを出て、しばらく歩いた。

「どこ行こうか~」

「そうですね」

 そのとき良貴は、「お化け屋敷」と書かれた看板を見つけた。

「典子先輩、あれ、行きましょうよ」

 良貴が指すと、典子は、

「えー! 絶対にヤダ、私、ああいうの全然ダメ~!」

 と言った。良貴は予想どおりの反応に笑いながら、

「でも、懐かしいですよ。去年の肝試しを思い出しませんか」

 と言った。典子はぱっと顔を紅潮させた。

「懐かしいね~」

「行きましょうよ」

「え、でも、それとこれとは話が別、え、やだー」

 良貴はにっこり笑って典子の手首をつかんで、入口の前まで歩いていった。典子はつかまれた手首にドキドキして、抵抗する気力がわかなかった。

 教室1コ分のお化け屋敷はとても狭かった。距離を出すために、潜ったりのぼったり、くぐったりといろいろな仕掛けがこらしてあった。良貴は典子と並んで歩いてあげたかったが、とても横に2人並べるスペースはなかった。

「典子先輩、大丈夫ですか」

「うん、お化けがちゃっちいから大丈夫~」

 明るい声がそう言った途端、当の典子の悲鳴が響き渡った。良貴は慌てて振り返った。

「典子先輩」

 良貴が少し後戻りすると、紙でできた天井の穴からマネキンの首がぶら下がっていた。たった今誰かがおろしたのだろう。典子は通路の隅(といっても、狭いのでほとんど真ん中と違いはなかった)にうずくまっていた。

「大丈夫ですか?」

 良貴が声をかけても、典子は首を横に振るだけで立ち上がろうとしなかった。

「もう、僕と一緒に行かないと、出られなくなっちゃいますよ」

 良貴はうずくまる典子の肩のあたりを暗闇でさぐり、そっと手をかけた。途端に後ろめたい気がした。

(こんなところに連れ込んだら、僕もあの化学部の人と同じじゃないか…)

 典子に触れた手が自分で下心のような気がして、良貴はさりげなく離した。

「こんなとこで座り込んでると、また何か仕掛けられちゃいますよ」

 やっと典子がもぞもぞ動いたので、良貴はいかがわしくならないようにと気を遣いながら、典子の肩をそっと、触れる程度に叩いた。

「うん、大丈夫ー」

 典子の返事が返った。

「行きましょう」

 典子を脅かした人形のところは、床を這うようにしてくぐりぬけた。

「去年の合宿も、楽しかったですね」

「うん」

「あのビルよりは、怖くないでしょう?」

「うん」

 良貴は手を引くかわりに、典子に声をかけつづけた。

「気をつけてくださいね、段差がありますから」

「あ、ホントだー」

 暗闇は人の心に魔法をかける。2人はいつの間にか自分の気持ちを語り始めていた。

「楽しいこと、いっぱいありましたね。体操部に、弘志先輩と、典子先輩がいてくれて、本当に良かったですよ」

「よかったねー。弘志はあれで、いい奴だからねー」

「弘志先輩だけじゃなくて、典子先輩もいたから楽しかったんですよ」

「…そうなの? 良かった、私ホントは、其田くんに失礼だったんじゃないかなって思ってたの」

「え、何がですか?」

「私が其田くんに、カッコイーとか、ステキーとかやってたの、見ようによってはバカにしてるみたいに受け取られちゃうかなって思ってたの」

 その時、目の前の板が反転して血まみれの人形が出てきたので、良貴はややひるんだ。

「仕掛けがありますよ、気をつけてください」

「あ、やだー、こういうの嫌いー」

 典子は血まみれの人形の脇を勢いをつけて通り過ぎた。

「思ってませんよ」

「え、何が?」

「さっきの話。僕は、典子先輩のかけてくれる言葉はとても嬉しいと思ってたんですよ。それとも、それって…実はバカにしてたから、気にしてたんですか?」

 良貴はからかうように言った。

「そんな、みんなホントだよー。だからね、私…ホントは、其田くんに謝らなきゃならないことがあるのー」

 良貴の足が何かを踏んだ。ぼんやりと光る夜光塗料が足元を明るく染めていた。その床には、バラバラにちぎられた日本人形やフランス人形などがびっしりと敷き詰められていた。しかも、人形を踏んで通らないと出られないようになっていた。

(うわー、これは悪趣味…。僕でも、これは嫌だな~…)

 そう思いながら、良貴は典子に返事をした。

「え、何ですか?」

 典子は一世一代の覚悟で、前にいる良貴に向かって告白した。

「あのねー、去年の合宿、私、肝試しのクジ引いてないの」

 良貴が立ち止まっていたので、典子が追いついてきた。狭くて、良貴の背中に隠れていて、典子からその先の足元は見えなかった。

「…弘志と、其田くんのクジは作ってなかったの」

 良貴は振り返った。典子の足が、踏んでいた何かを軽く踏み外し、典子は足元を見た。踏んでいたのはバラバラ人形エリアからはみ出した日本人形の腕で、足の下には長く伸びた黒髪があった。

 次の瞬間、校舎が崩れ落ちるようなものすごい悲鳴をあげて、典子はそこをダッシュで駆け抜けた。良貴はあわてて後を追った。バラバラ人形エリアは、実際にはほんの5歩もなかった。

 その先の真っ黒のカーテンをまくってくぐりぬけると、光のあふれる廊下だった。

「おつかれさまでした~」

 出口の係の生徒が嬉しそうに笑った。典子はドアの脇で丸まっていた。

「典子先輩、もう外ですから。大丈夫ですよ」

 良貴は側にかがみこんで典子の肩に手を置いた。明るいから後ろめたさは感じなかった。

 やっと典子が立ち上がり、真っ赤な目をして歩き始めると、遠くから弘志と美恵子が歩いてくるのが見えた。

「典子、どうした?」

 半泣き状態の典子を見て、弘志が駆け寄ってきた。良貴は肩をすくめて「スミマセン」という顔をして背後のお化け屋敷を指さした。

「其田~、典子の反応が面白いのはわかるけど、泣かすなよ~」

 良貴は弘志と典子にそれぞれ、「すみません」と言った。

 そして、4人であと何箇所か回り、その日は解散した。いろんなことがいっぺんに起こったような学園祭だった。


「バカー、どうするのよ~」

「私のせいみたいに言わないでよ~」

 千江美とリエは、学校の側のファミリーレストランで晩ごはんを食べながら、ため息ばかりついていた。

「でもさー、そういうことなのかな~」

「そういうことなのかねー」

 今まで勝手に出来上がっていた人物相関図を、2人は一生懸命書き直した。

「…でも、典子先輩はやっぱ化学部の人じゃないかな。考えたくないけど、どっちがどっち狙いっていうなら、其田先輩の方が典子先輩を、じゃないかな~」

 千江美は自分で言って悲しい笑顔になった。リエは何も言ってあげられなかった。

「で、そっちはどんな感じだったのよ」

 千江美はリエの方に話を向けた。

「謎。絶対、謎。もしかして、江藤先輩と須藤先輩って、つきあってるのかもしれない」

「えー、どういうこと~?」

「喫茶店で、ホントはずっと隠れてつきあってたんじゃないかってくらい、変に落ち着いてたんだよね」

「どうなのかな、須藤先輩は、絶対に其田先輩狙いだと思ったのにな。私、何度もケンカ売られたんだけどな…。もしかして、逆なのかな」

「何が?」

「今までさ、須藤先輩が其田先輩とうまくいくために典子先輩と江藤先輩が使われてると思ってたじゃん。でも、もしかしたら、共同戦線を張ってるのは須藤先輩と其田先輩だったりして、と思ったの。2人がかりで江藤兄妹を囲んでオトす相談しててさ。それなら、私が其田先輩にアタックかけたら、須藤先輩が友達のよしみで邪魔するでしょ?」

「それってちょっとなさそうじゃない?」

「そうかな。でも、一つだけはっきりしてることがあるね」

「え、何?」

「どういう仮定にしたって、私には可能性がほとんど残ってないっていうこと」

 千江美は目を伏せて笑った。

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