掌編 妖の話あるいは魍魎のこと
妖、鞭を振るう女と記してあやかしと記せしは妖のかくも儚き理に依るものにほかならぬ。なぜ儚く在るかそれはその起こりに至る話。いわば妖の最初の一つをを網より放たねばならない。
これより先、覚悟を決めて読まれるが良い。かの話、妖の期限に至る話は鬼よりさらに恐ろしき魍魎の理にほかならぬ。さればこそ、この魍魎忘却の隅に追いやるか、憑かれてなおも付き合うか二つに一つを選ばねばならぬのである。ご覚悟ある方のみ先へ。
魍魎のこと
日の本、この島国にもとより妖ひとつも無し。祟るもの居れば、祝すものあり、それら総てをまとめて日の本では神よ呼び表した。土地神、守り神に祟り神。神に数多くあれど妖と呼ばれしは一つもなし。ならば、この妖どこぞより持ち込まれしものと思うのが当たり前。事実その通りに持ち込まれたものである。
妖、その元は古く中つ国、清の時代に伝わった魍魎というものの成れの果て。国を跨ぎては網に囚われ人にあしらわれるかくも哀れな姿にほかならぬ。見てもらいたいのは魍魎と云うこの文字だ。これは網の外に鬼を置いている。網などでは到底捉えられぬという意味だ。
魍魎、絵巻に数多く記されど同じ形に描かれることのなんと少なきこと。それもその筈、この鬼に形など元よりないのであれば、見るたび姿を変えてうつろいゆく。それを如何にして同じものとしようか。されどこれは祓えるもの。陰陽五行の理に従い呪を唱えれば、いとも容易く消えてゆく。神が相手ではこうはいかない。それが故に日の本神の国にて、祟神に取って代るように話は広まった。
日の本はそれに飽き足らずこの魍魎に役割を与え姿を与え形という網に捉え妖とした。私が真に恐れる妖しは塗仏。それはその名のとおり仏の化生。謂わば人の死に巣食う悪鬼羅刹である。日の本において死すれば総て仏となる。それを化粧で塗り固め化生となりてこれを塗仏と成す。げに恐ろしきこと、数が多い。死するものあれば塗仏ありなのだ。祓っても祓いきれぬ。陰陽いくら居れど、足ること無し。悪霊、怨霊総て此れにほかならぬ。故に人が形を与えて、弱きを与え縛って妖と成した。
元より、魍魎は弱きにつけ入り壊さんと欲すもの。されば弱きを消せば払えてしまう。故にこの塗仏、そのものに弱きを与え祓えると信ず。斯様に信ずれば弱きを無くして祓うに至る。されど、斯様に祓えど塗仏、其処に在るに変わりなし。消えてはおらず、魍魎の元へ還ったにほかならぬ。
魍魎、それは拠り所也。形を与えられ、祓われて行き場をなくし形をなくし網を出たもの。即ち、今記すこの言葉こそが魍魎の一端にほかならぬのだ。もはや形を失い、祓う術は今や失われた陰陽五行の理のみ。
この魍魎、一つ名を持つ。耳にしたことはあろうが「呪」と云う名である。されど形に表せず、見るたび姿を変える。「名」もまた「呪」の一つの姿、言の葉総て呪の姿。これが魍魎の一つの名であり「呪」は「呪」という「呪」を持つ魍魎なのだ。
されど、恐ろしきは斯様に言葉を尽くしてやっとその姿のほんの少しを表すにしかいたらないことである。この噺が伝えるているの魍魎の姿は砂漠の砂の一粒程の小さな一面でしか非ず、故に計り知れず、故に恐ろしい。
最後に一つ、謝ろう。「名」を「魍魎」に戻してしまい申し訳ない。せっかくの妖を網から逃がしてしまった。
今作品の内容は全てフィクションです。