忘れ物
「さようらな」
挨拶と同時に少年は駆け出す。
靴に履き替え、体に不釣り合いな大きなランドセルを背負い小川を覗き込む。
折り紙の船をそこへ落とし、流れに乗って進み出した船を追って少年も走る。
今日は上手く行った。昨日は流して早々に淀みにはまり、船は止まってしまった。
船は流れに乗り、尚も進む。
もうすぐ一つ目の難所だ――
「準備は良いか! 配置につけ!」
三角帽子を被り、立派な口ひげの船長の声に、船員達の顔に緊張が走る。
荒れ狂う波の中へ、船が突進しする。
立て続けに襲いかかる大波に、船は今にも転覆してしまいそうだ。
彼らは、幾多の船を飲み込んだ魔の海域へと踏み込んだのだ。
しかし、数々の修羅場を潜ってきた船員達は、船長の号令の元、隙の無い動きで船を立て直す。
波の洗礼を凌いだ船は、平原へ出た。
先程までの波が嘘のように、波一つ無く、真っ平らに続く海の平原。
安堵のため息を漏らし、彼方を見つめる船員達へ、船長の怒号が響いた。
「気を抜くな! 来るぞ!」
同時に、側で大きな水柱が上がり、船は大きく揺さぶられた。
彼方から次々と砲弾が降り注ぎ、船の周りに次々と巨大な水柱が上がる。
水しぶきが嵐のように降り注ぎ、瞬く間に船は水浸しになった。一発でも命中すれば、船は木っ端微塵になってしまうだろう。
「船長!」
船員達は助けを求めるように、船長の指示を仰いだ。
「うろたえるな! 波を利用して進め!」
マストから垂れたロープに腕を絡ませ、顔にかかるしぶきを拭い、指示を飛ばす。
船長の指示の元、巧みに船を操り、砲弾が起こす波に乗って船はグングンと加速する。
やがて、平原の終わりが見えてきた。幾つもの岩の島が姿を現し、島々の間に吸い込まれるような流れ――
その先には空が見えた。
この海域最大の難所だ。ここを無事に突破できた船はまだいない。
顔を強ばらせ、各々が腕にロープを絡ませ、手すりやマストにしがみつく。
ここでは技術や経験は何の役にも立たない。ただ祈るしか無い。
「衝撃に備えろ!」
怒号にも似た船長の声が、船を駆け抜ける。
船はするりと流れに引き込まれ、急斜面を駆け下りる――
突きだした岩の島に船体がぶつかり、亀裂が走る。
下から、横から、突き飛ばされるような衝撃が絶え間なく襲いかかり、ロープに、手すりにしがみつき、目を閉じひたすら神に祈った。
衝撃が止み、スッと船が水平に戻るのを感じ、恐る恐る目を開いた――
前人未踏の海域へ、彼らは辿り着いたのだ。
歓声あげ抱き合う船員達を乗せ、満身創痍の船は海流に乗り、ゆっくりと進む。
時折、白く柔らかい物が空からふわりと現れ、ゆったりと海面を漂った。
――不意に船が揺さぶられ、船は静寂に包まれた。
船の下を、巨大な影がゆっくりと通り過ぎ、海面へその姿を現した。
巨大な口を突き出し、海面を漂う白い物をその口に吸い込み再び海へと潜った。
一匹や二匹ではない。紅白のまだら模様をした怪物が、次々と海面へその巨大な口を突きだしていた。
この海域に巣くう怪物達だ。
ここは奴らのエサ場だ。息を殺し、船員達は再び神へ祈った。
十字を切り、首から下げた十字架に口づけをし――
「あ……」
風に煽られ、船の真横に落ちた麩に鯉が食いつき、船は沈んでしまった。
水を吸い、流れにもまれた船には耐えられなかったようだ。
折り目が解け、半分紙に戻った船は水中をゆったりと漂っていた。
この海域の突破にはもう少しかかりそうだ。
少年は歩道の縁石に飛び乗る。
バランスを取りながらゆっくりと進み、切れ目を飛び越える――
着地と同時にバランスを崩し、よろめいた。
けたたましい咆哮を上げ、真横をドラゴンが通過して行った。
ドラゴンが巻き起こした風を受けながら、額に浮かんだ冷や汗を拭い、くたびれたカウボーイハットを被り直した。
底の見えぬ深い谷。落ちてしまったら、まず助からない。谷底へ叩き付けられるか、ドラゴン達の餌食となってしまう。
谷に貼り付いた今にも崩れそうな道を、足場を探りなが、滑らせるように慎重に足を運んだ。
「あれか……」
道の先に、白い歯の抜けた石造りの橋が姿を現した。崩れ落ちた道を飛び越え、橋を目指した――
橋の上を何匹ものドラゴンが飛び交い、これを渡る事はできない。
だが、秘策がある。手帳を取り出し、周囲をくまなく調べた。
「――これだ」
近くの石柱に小さなボタンが仕込まれていた。
「青き光が番人を鎮める……」
手帳に記した一文を読み上げ、そっとボタンを押した。
橋の対岸で赤い光を放っていた宝珠が、フッと青く輝き、ドラゴン達が動きを止めた。
だが、グズグズはしていられない。時間が経てば宝珠は再び赤く光り出す。それまでに渡りきってしまわねばならない。
勢いを付け、橋へ飛び移る。踏み外さないように、一つ、また一つと飛び越え、歯の抜けた橋を渡って行く――
宝珠が放つ青い光が揺らぎ始めた。
ドラゴン達が唸りを上げ、じわりと動き始めた。
助走をつけ、一つ飛ばしに最後の隙間を飛び越えた。
肩越しに再び動き出したドラゴン達を振り返り、帽子を被り直してホッと息を吐き出した。
橋の先は細い通路へと続いていた。通路は細く、滑り台のように下っている。
神経を尖らせ、そろり、そろりと坂を下る彼の耳に「カチリ」と足下から不吉な音がした。
「しまった!」
背後に巨大な岩が現れ、ゴロゴロと転がり彼の背に追った。
全力で通路を駆け下りた。行く手を遮るように、次々と倒れ込んでくる柱を、タン! と跳躍し、飛び越えて疾走する――
足はグングンと勢いに乗り、跳躍すると、そのまま宙を駆けて行けそうな気さえしてくる――
タン!
タン!
タン!
倒木を飛び越え、着地した馬は砂埃を巻き上げて疾走する。
「ハッ!」
跨がった馬へ鞭を振るい、更に速度を上げた。
手に入れた宝物を奪い取ろうと、二人の追っ手が迫ってくる。
タン! と行く手を遮る倒木を再び飛び越える。着地と同時に、二人の追っ手を振り返った。
追っ手の一人が倒木に引っかかり転倒するのが見えた。しかし、もう一人はそれを飛び越え、彼の背に迫る。
舌打ちを漏らし、激しく鞭を振るうも、ついに並ばれてしまった。
追っ手が彼を睨み付け、腰に下げたシャムシールを抜き払った。
すかさず腰のピストルを抜き、素早く馬を寄せてくる追っ手に向け引き金を絞った――
一瞬早く、追っ手の振るった剣に銃口を弾かれ、ピストルは弾き飛ばされてしまった。
弾丸が追っ手の頬をかすめ、二人の間が離れた。
追っ手は忌々しげに彼を睨み付け、くるりと回した剣が「ヒュン」と風を切った。
再び馬を寄せ、追っ手が剣を振りかぶる――
フッと湧いた気配に、二人は同時に振り向いた。
二人の目の前に、大きな木が枝を突きだしていた――
咄嗟に馬に貼り付くように身を伏せ、飛ばされかけた帽子を押さえて追っ手を振り返った。
身を起こしていた追っ手は一瞬反応が遅れ、木に激突して地面に転がっていた。
空になった馬はみるみる速度を落とし、巻き上がる砂埃に隠れ、見えなくなった。
やがて道は二手に分かれた。馬首を巡らせ、どちらへ行こうかと考えた――
今日はこっちにしよう。少年は林を抜ける道を選んだ。
手頃な枝を拾い、近くの草へ「ヒュン」と振るう。
切り落としたように、切断された草がぽとりと落ちる――
躍りかかる敵兵をなぎ払い、歴戦の猛者は怒号を上げる。
「我はここぞ!」
味方は壊滅し、孤立無援の劣勢をもろともせず、自信に満ちた目で敵を睨み付ける。
次々と斬り倒され、圧倒的に優勢であったはずの敵兵達に動揺が走る。
ジリジリと後退し、および腰に斬りかかる。
「う、うろたえるな!」
敵将が浮き足立つ兵達を一喝するも、圧倒的な強さを見せつける彼に押され、まるで効果がない。
次々と兵達を斬り倒し迫り来る彼に、ついに敵将は逃走を図った。
行く手を阻む兵を撫で斬りに、逃走する敵将へ躍りかかる――
大将が討たれ、兵達は雪崩を打って逃走を始めた。
敗走する兵には目もくれず、彼は走り出した。
「目指すは本陣! 総大将が首!」
ホラ貝が鳴り響き、地響きと共に、津波のように新手の軍勢が彼めがけて突き進んでくる。
刀を握る手を縛り、咆哮を上げ、彼はその中へ斬り込んで行く――
林を抜け、視界が開けた。
ついこの間まで、林はもう少し先まであった。
サッと窪みに伏せ、身を隠した――
黄色いヘルメットの兵士と、巨大な戦車が森を蹂躙していた。
侵略してきた帝国に抵抗するレジスタンスの一員である彼は、昨日の妨害工作が失敗した事を知った。
戦車を止めるべく、キャタピラに石を並べたささやかな抵抗は、何の役にも立たなかったようだ。
昨日まであった、小さな魚やエビがいた水路はことごとく埋め立てられていた。
「次の手を考えなければ……」
見つからぬように壁や車の影を移動し、隠れ家を目指した。
隙間から様子を窺い、隙を突いて建物の影へ駆け込んだ。
ここまで来れば大丈夫。
隠れ家を目指し、最後の坂を駆け上がった――
「おかえり」
「ただいま」
台所に立つ母に返事を返し、自室へ向かいかけた少年ははたと立ち止まった。
ランドセルからプリントを取り出し、母へ差し出した――
「ん、下がって良いぞ」
「ハッ!」
将軍に敬礼し、部屋を辞した。
基地内の自室へ戻り、ホッと息をつき、特務大尉は軍装を解く――
今日はどうしようか? もう少し待たないと工事現場には近づけない。同志の所に遊びに行こうか?
部屋を出て一階へ戻った。
リビングのテーブルに、皿に乗った二切れのカステラと、グラスに注がれた牛乳があった。
「今日おばあちゃんの所で貰ったのよ」
プリントを見ながら将軍はそう言った――
少年は僅かの間少年へ戻る。
口に広がる甘みに顔を綻ばせ、水気を失った口を牛乳で潤す。
瞬く間に皿は空になり、台紙に残ったザラメを名残惜しそうにこそぎ、口へ運ぶ。
「こ~ら」
母に窘められ、舐めていた指を渋々おしぼりで拭った。
ふと、窓辺に目を向けると、座布団の上で三毛猫のミーコが心地よさそうに伸びていた。
「ミーコ」
少年の呼びかけに、ミーコは面倒臭そうに尻尾の先だけをパタパタと動かした。
日をタップリと浴びたフワフワのミーコは、顔を押し付けると干した布団の匂いがした。
不意に抱き上げられ、ミーコは不機嫌そうな顔を向けた。
しかし、指に残る甘い香りに鼻をヒクヒクと動かし、ザラザラの舌で少年の指を旨そうに舐め始めた。
ミーコを抱え、敷居の側へ立った――
「ねぇ、もう少し居ましょうよ。私、あのお店が気に入ったわ」
腕の中でミーコが不満そうに呟く。
汽車は大きな汽笛を鳴らし、蒸気をまき散らしてゆっくりと進み始めた。
行く先は華やかな都か、寂れた田舎町か――ミーコを抱えるのは世界を股にかけるトレジャーハンターか、シルクハットの探偵か――ミーコはどんな活躍をするのだろうか?
少年は再び冒険へ出る。
「ごはんよ」
声が掛かる、その時まで――