第八話「答え合わせ」
例のディザイアフラワーは全て葵に渡し、葵と別れ、特に用事のない春希は、自分が使うことになった部屋を見ておこうと思い、足を向けた。すると、そこには、前のその部屋の主であった薫がいた。
春希に気づいた薫は、笑顔を向けて、「おお、今、丁度終わったところなんよ」と言う。どうやら、部屋の整理をしていたらしい。
「ありがとう、薫」
「ええんよ、気にせんで。……ただ、ちと問題があってのお」
薫はそう言って、部屋の片隅に畳まれて置いてある布団を見る。
「へえ、俺の分の布団もあったんだ」
「いや、それがの、なかったんじゃ」
「えっ、でもそれは……もしかして」
春希は薫の顔を見る。薫は、自身の髪と同じくらい顔を赤くしている。それを見て、春希は確信する。あの布団は薫のだと。
「ま、まあ、あれじゃ、新しい住居人を地べたで寝かすわけにもいかんしの、ええんじゃええんじゃ、かかっ。……あっ、春希は、嫌か? うちの……あの……」
赤面で、歯切れの悪い薫。
春希は、みなまで言わすのは可哀想だと思い、少し焦りながら「俺は良いけど、薫はそれでいいの?」と言う。
「う、うちは、大丈夫じゃ。ああ、大丈夫じゃ。気にせんでええけぇ」
全然大丈夫には見えないが、春希は、これ以上薫にこの話をさせるのは酷だと考え、「わかった、ありがとう」と言う。すると、薫は胸を撫で下ろして、「そうか」と呟く。
「うちは葵の布団に潜ることにしたけん。葵のやつ、喜んどったわ」
かかっと笑う薫を見て、いつもの薫だと安堵する春希。
少し間が空いて、春希が「そういえば」と話を切り出す。
「あのクイズの答え、分かったかもしれないんだ」
あのクイズとは、七菜荘の名前の由来のことだ。かおるは「ほう」と笑みを浮かべる。
「じゃあ、言ってみ。春希の出した答えを」
「うん。――ズバリ、七つの大罪でしょ。ここの住人って、俺が来る前は七人だったんだよね? つまり、住人の数が一緒。そして、その住人たちは、七つの大罪のテーマ、憤怒、暴食、色欲、強欲、怠惰、傲慢、嫉妬のそれぞれに当てはまるものがある。それと、『七菜』ってのは、『ななざい』とも読める、つまり『七罪』ってこと。……どうかな?」
「たまげたのお、大正解じゃ」
たまげたと言う割には、驚いた様子もなく、かかっと笑う薫。
「ちなみに、うちはどのテーマか分かるか」
春希は遠慮気味に「憤怒、だよね」と答える。
「うむ、正解じゃ。しっかし、よう分かったの。うち、そんなに怒っとるかのぉ?」
不思議そうに首をかしげる薫に、はははっと乾いた笑い声で返す。
「他の連中は分かりやすいじゃろ。暴食は葵、色欲が瑤香、麻奈は傲慢、響は怠惰で、強欲は――」
「あたしだね」
突如聞こえてきた声の主の方を振り向く。部屋の入口のところに、京菜が立っていた。口に咥えている棒付きキャンディは、さっき春希たちが回収したものの一つだ。どうやら葵から貰ったらしい。
「なんだ、春希、クイズの答え分かったのか」
「うん。そうか、京菜は強欲なのか」
「つまりはわがままな奴じゃの」
からかうように笑う薫。しかし、京菜はそれに一切動じず、「ふっ」と笑ってみせる。
すると京菜は春希の傍に寄って、腕にひっつき、頬を春希の体にこすりつけ始める。さながら、犬や猫が甘えるように。
そんな京菜の行動に一番驚いたのは、春希ではなく薫だった。
「き、京菜!? なんしょんあんた!」
「春希に甘えてるだけさ。そう、あたしは強欲だからね。こんなこともしたいって思っちゃうのさ」
更にスキンシップが激しくなる京菜。薫は赤面して口をわなわな言わせて、それを見ながら固まる。
さて、当の本人である春希だが、最初は驚いたものの、実の妹にもよく同じようなことをされるため、平然とした顔つきになり、実の妹に接する時と同じように、京菜の頭を優しく撫でてやる。すると、京菜は春希に抱きついたまま動きを止めて、だんだんと、気持ちよさそうに目を細める。
「なあ、春希、一生こうしていてくれないか」
「いやあ、それは無理かなあ」
「ううむ、それは残念、残念すぎるぞ……これは、ヤバイ……すごく、気持ちいいよ~。春希お兄ちゃん、もっとやって~」
「えっ、う、うん」
途中から口調が一変したことに驚きつつ、春希は京菜の頭を撫でる手を止めない。
「これが、京菜の素なんじゃ。うちはよう分からんが、京菜はチュウニビョウって病気にかかっとるらしくてのお、じゃけんこの素が出てくるのは珍しいんじゃ」
薫は本当に知らないらしく、イントネーションがおかしかったが、春希は知っていたため、なんとなく理解できた。
それにしても、京菜の普段とのギャップは凄まじかった。どこか大人びた雰囲気をただ寄せていた京菜が、今はただの甘えん坊だ。
「……そ、それにしても、そんなにいいんか、それ」
春希が京菜の頭を撫で続けていると、薫が恥じらいながら訊いた。
「すっごくいいよ~。薫もやってもらいなよぉ」
「えっ!? う、うちもか!?」
ますます顔に赤みが増しながら、薫は躊躇いながら、上目遣いで「ええんか?」と訊く。その仕草に、春希は少しドキっとした。
「お、俺は別に、構わないけど……」
「そ、そうか。……そ、それじゃ、頼むっ」
目を瞑り、意を決した薫は、頭を下げて、春希の目の前に頭を差し出す。その上に、春希はゆっくりと、京菜の頭を撫でていないもう片手を置いた。
「んっ」
薫の少し艶やかな声が漏れる。春希は一瞬手を引いたが、薫は頭をそのままにして動かないため、春希は再び薫の頭の上に手を置く。今度は声が漏れなかった。春希は少し安堵する。そして、ゆっくりと、優しく撫でてやる。
「……んっ、んあっ……」
「わっ、ご、ごめん! 痛かった!?」
「ち、違うんじゃ……すまん、続けてくれ……頼む」
また頭から引いた手を、薫の頭の上に戻して、撫でる。すると、今度は声が漏れることがなかったが、数秒経つと、薫は足をもじもじさせながら、へなへなとその場に座り込んだ。
「か、薫!? 大丈夫!?」
「あぁ……あれじゃ、ほれ、うん。かかっ」
曖昧な答えを返して、笑い始める薫。
一方、春希は自分の手を見つめながら、思う。自分の手はいったいどんな力を持っているのかと。
そんなことを考えていると、薫がすくっと立ち上がった。春希が大丈夫かと声をかけようとしたら、薫はまた、頭を差し出してきた。
「えっと……薫?」
春希は困惑しながら訊ねる。しかし、薫は何も答えず、ただただ頭を差し出したままである。薫の垂れた髪の間から、真っ赤になった薫の肌が見える。よく見ると、薫の体は少し震えているようだ。
――やっぱり、頭を撫でろってことなのかな。
春希が薫の頭に手を置こうとした、その時、
「カオちゃ~んっ! お腹すいた~っ!」
廊下から葵の泣くような声が聞こえる。声に反応して廊下を一度振り返り、体の向きを戻すと、薫は既に頭を上げていた。しかし、春希に顔を見せないように、後ろを向いている。
「そ、それじゃ、俺、晩御飯調達してくるよ」
「あ、あぁ。よろしく……の」
背中を向けたまま、返事が返ってくる。
「京菜も行く?」
「ふっ……仕方ないな、春希はあたしに一緒に行って欲しいのだな。よし、共に行こうではないか」
「別にそういうわけじゃないけど。あっ、戻ってる」
「な、何のことだ?」
京菜にギロッと睨まれる。どうやら、素に戻ったことには触れてはいけないらしい。
玄関で靴を履いている時に、葵から「葵はカレーライスね!」と注文されて、春希と京菜は外へ出た。
七菜荘を出て数分歩いたところで、料理の名前の文字が浮かんだディザイアフラワーが一面に咲いているとこを見つける。そこは、さっき通った時には全く違う内容のものが咲いていたと記憶している春希。やはり、この世界と現世は同じ時間を共有しているらしい。よって、この夕食前の時間に、料理に関する大量のディザイアフラワーが咲くのだ。
葵に注文されたカレーライスのディザイアフラワーも早く見つかり、その後も順調に晩御飯が出てくるディザイアフラワーと、京菜の助言によって、ノルマを達成するための害のないディザイアフラワーを集める。
「これだけ集めればいいかな」
「そうだな」
七菜荘住人分のディザイアフラワーに加えて、ノルマ達成用のディザイアフラワーを三十本ほど摘み終える。それらを春希と京菜が分けて持つ。
「持ってくれてありがとね、京菜」
「ふっ、当然のことだ、気にするでない」
「あはは、どうも。そういえば、俺がこういう風に花を集めてたら、京菜に話しかけられたんだっけ。『七本でいいってことだよね』っていう俺の呟きに、京菜が『それは誰が言ったんだ』ってさ」
「あぁ、ふふっ、たしかにそうだったな」
「でも、どうしてそんなこと聞いたの? 俺なんかがこれを拾いながら呟いたことに、そこまで反応する必要はあったのかなって」
「答えは簡単さ。――この世界で、七菜荘の住人以外で、初めて見た人だからな」
「……え?」
少しの間を開けて、春希は素っ頓狂な声を漏らす。
「それって本当?」
「春希に嘘を言ってどうするんだ。今日も、あたしは図書館に行ったが、あたし以外誰もいなかったぞ。ちなみに、図書館はショッピングモールが集積しているところにあるのだが、そこを通った時も誰もいなかったぞ。というか、あたしがここに来て三年、一人も見てないな。……春希?」
春希はそれを聞いて、頭の中が真っ白になる。今まで考えていたことが一つ間違っていると分かったのだ。
「ね、ねえ、春希! 大丈夫なの?」
「え……あっ、ごめん。ぼーっとしてた」
素に戻った京菜に体を揺さぶられ、春希ははっと我に返る。
「もうっ。……コホン。疲れているのかもしれないな、花の回収も終わったことだし、早く帰ろう」
「そ、そうだね。遅くなると葵が泣きそうだし」
「ふっ、それもそうだな」
笑う京菜と横並びに、春希は帰路に着く。




