第七話「鋼のぬくもり」
一階に下りると、葵は既に玄関にて準備をしており、現れた春希を見て顔を輝かせた。そのまま、春希と葵は外に出た。
葵はタタタッと駆け出して、ディザイアフラワーを指差しては、「これはお菓子?」と春希に訊く。それを何度か繰り返して、捜索を始めてから三十分ほどで、やっと一つ目のお菓子を見つけた。板チョコだった。市販で売ってある安いやつだったが、葵は嬉しそうにそれを頬張る。
「ハルくんも、はいっ」
葵は板チョコを割って、口を付けてない側を春希に渡す。若干だが、葵側の方が大きいのが少し可愛らしく思い、笑いながら春希は「ありがとう」と受け取る。
春希は受け取った板チョコを口にしながら、周りを見渡す。高層ビルや民家などが混在している、向こうの世界ではありえない光景が広がっている。
「これだけ建物があって、ショッピングモールとかはないの?」
「あるよ~。でもね、ダメなんだよ~」
「ダメって?」
葵はう~んと頭を数回弱く小突き、思い出しながら答える。
「それがね、そのお店には人が一人もいないのに、お店としては機能してるんだよ~。だから、商品も毎日届いてるんだよ~。どこから来てるんだろうね~」
それは非常に不思議な話だったが、この世界ではありえなくもない。思い返せば、現にそれを春希は既に体験していた。七菜荘だ。管理人もおらず、電線も通っているのかすら怪しいあの集合住宅は、電気を点していた。水も出ていた。つまり、集合住宅として機能しているのだ、人の手無しで。
「それでね、葵たちお金がないんだよね。だからダメなんだ~」
盗んでしまえばいいのに、そんな悪い考えが一瞬頭をよぎり、春希は頭を振る。
「でね、なんと、麻奈ちゃんがドロボーさんしちゃったんだよね。そしたら、ジリリリリリリ! ってサイレンが鳴ったらしくて、なんか影みたいなのに押さえ込まれそうになったんだって~。あはは、あの時の麻奈ちゃん、涙目だったんだよ~、なかなか見れないよ~」
万引きを防止する機能もしているということより、影というもの押さえ込まれそうになったということに驚く春希。
「そ、それ大丈夫だったの? 影に押さえ込まれたって」
「う~ん、葵もよく分かんないんだけど、商品を置いて逃げようとしたら、あっさり逃げれたらしいよ~」
つまり、商品を諦めたら逃げられたということだ。それは、通常の店の対応とは違う。どこか、この世界の力、レガナンの力を感じる春希。
「でねでね~、カオちゃんがその話を聞いてものすご~く怒っちゃって、ショッピングモールに行くことは禁止になっちゃったんだ~」
「薫らしいね」
どんな世界でも犯罪は許さない、それが薫だった。
「さ~て、次は何かな~」
板チョコを食べ終えた葵は、またお菓子を見つけるべくディザイアフラワーを探し回る。
「お菓子好きなんだね」
「葵、食べるのが好きなんだ~! 食べてるとね~、み~んなハッピーになれるんだよ~。……だから、お食事中はみ~んなハッピーじゃないと、ダメなんだよ~」
それは、さっきの麻奈のことを言っているのだろう。あの時の麻奈の声と、それによって泣いてしまった葵の表情を春希は思い出す。
「……そうだ、麻奈さんにもお菓子を持って帰ってあげようよ。麻奈さんもハッピーになるかもよ?」
「うわぁ、ハルくん! ナイスアイデアだよ! それじゃあ、もっと張り切って探そ~!」
拳を上げて「お~っ!」とはりきる葵の声は、どこか抜けていて、本当に張り切っているのかよく分からない面白さがあった。
あれから数時間か掛けて、麻奈の分だけでなく、七菜荘住人みんなの分も集めて、二人は帰路に着く。その途中、葵は自分用に取っておいた分を食べていた。その様子を、春希は微笑ましく見ていた。
七菜荘に着いて、二人はそのまま麻奈の部屋へ向かった。何かあるわけでもないのに、どこか「入ってくるな」といったオーラが襖から漂い、春希がたじろいでいると、葵はそのようなオーラが無いかのように、平然と襖を開ける。
「マナちゃ~ん」
「な、なに!?」
本を読んでいたのであろう、机に向かって畳の上に座り、本を持ったまま、麻奈は春希たちの方を振り向く。春希の姿を見ると、少し不機嫌そうな顔になった。春希の手に持つディザイアフラワーを一瞥して、葵に向く。
「……何の用よ。てか勝手に開けないでくれるかしら」
「ご、ごめ~ん、マナちゃ~ん。えっとね、マナちゃんに、これっ」
葵が渡した一本のディザイアフラワーを受け取り、それを訝しげに見つめる。
「何よこれ」
「なんと、チョコケーキだよ~。ハルくんと見つけてきたんだ~」
「……そう、あの力を使って探してきたのね。便利なこと」
そんな憎まれ口を叩きながら、麻奈は春希を睨む。春希が言葉が思いつかず、顔が曇っていくと、葵は一層元気な声を出して言う。
「ささ、麻奈ちゃん、食べてよ! 美味しいものを食べると、ハッピーになれるんだよ~」
しかし、麻奈は冷たい口調で言う。
「こんなことで、私がハッピーになるわけがないじゃない」
それは、葵の言葉を、信条を全否定するものだった。
「どうして……」
葵がぽつりと呟く。春希は沈みかけていた顔をバッと上げて、葵を見る。目は潤わせ、今にも泣きそうで、両肩は小さく震えている。
「どうして……そんなこと言うの……っ」
麻奈も慌てた様子で「あ、あの……」と何かを言おうとするが、言葉が出てこないのであろう、葵に触れようとしている手が宙で浮いている。
葵が今にも泣き出しそうになったその直前、春希は咄嗟に手に持っていたディザイアフラワーの内一本を抜き出して、自身の鼻に近づけて嗅いだ。
「葵、あーん!」
春希の声に、葵は目を真っ赤にさせながら反応する。すると、葵の開いた口の中に、ドーナツが春希の手によってぶち込まれた。葵はそれをパクリと一口食べる。すると、みるみる内に口角が上がってき、
「おいし~い!」
笑顔でそう叫んだ。
「はい、残りのドーナツも食べていいよ」
「わ~いっ、ありがと、ハルく~ん」
春希から一口分欠けたドーナツを受け取り、それを両手でハムスターのように頬張り始める葵。その様子を見て、麻奈の宙に浮いていた手がへなへなと落ちていく。
「麻奈さんも、どうぞ食べてください」
春希が麻奈に向けて笑顔でそう言うと、麻奈は少し躊躇いながら、さきほど葵に渡されたディザイアフラワーを嗅いだ。すると、やはりチョコケーキが現れた。麻奈はそれをしばらく見つめた後に、キッとした目で春希を睨んで言った。
「皿を持ってきなさい。それに、フォークもよ」
「は、はい」
春希は駆け足で食堂へ向かい、戸棚にあった小皿とフォークを手にして、麻奈の部屋へ向かった。それらを麻奈に渡すと、麻奈は小皿の上にチョコケーキを置いて、それをフォークで食べ始めた。一口食べたところで「美味しい」と小声で呟いたのが春希には聞こえた。少し笑っているようにも見えた。それを自覚したのか、はっとした風に麻奈は手を自分の手に当てて、コホンとわざとらしく咳払いをする。そして、見据えるように春希を見る。
「あんた、使えるわね。そうね、私の下僕としてなら、仲間だと認めてやってもいいわ。まあ、そんなのどうせ断る――」
「いいですよ、それで」
「えっ!?」
春希の予想外の返事に、麻奈は素っ頓狂な声を出してしまう。再びわざとらしく咳払いをする。
「ほ、本気で言ってるわけ、あんた」
「えぇ。それで仲間にしてくださるのなら」
「ふ、ふぅん。そう、分かったわ。認めてあげるわよ、仲間に」
「ありがとうございます」
頭を下げて礼をする春希に、麻奈は慌てふためいた様子を見せる。
「と、とにかく、そういうことだから! ほら、さっさと出て行きなさい。……葵、ケーキありがとね」
「あ、うんっ! どういたしまして~」
照れくさそうに礼を言う麻奈に、屈託ない笑顔を向ける葵。それを受けて、更に麻奈は赤面する。
こうして二人は麻奈の部屋を出ようとした、その時、「柴田、あんた」と麻奈が春希を呼び止める。
「あんたのことはよく分かんないけど、その性格は、いつかあんたの身を滅ぼすわよ」
いつもと変わらない口調、でもどこか暖かさを感じる言葉を受けた春希は、その時、その言葉の意味が分からなかった。




