第三話「七菜荘へようこそ」
あれからどれくらいの時が経ったのだろう。
薫の厚意に甘え、春希は、突きつけられた事実を飲み込もうとするためその場に座って休憩していた。
レガナンの話を聞くまで、いま自分が陥っている状況が、あまりにも異常だという実感はなかった。しかし、今は違う。
頭の中で、薫が重要なことだと言ったこの世界のルールを整理する。
一つ、十年間しかこの世界には住めず、十年経ったら即追放される。
二つ、追放されて現世に戻った際、この世界で培った知識、記憶の一切を失ってしまう。
三つ、現実世界に帰ると、この世界には二度と戻れない。
四つ、この世界で『死』は認められない。
五つ、『ディザイアフラワー』の使用は一日五個。破ったらリスクあり。
薫は五つ目に気をつけろと言っていた。後に、リスクの内容は謎だとも言っていた。それだけはレガナンは話さないらしい。
(……よし、大丈夫だ)
大分この状況を把握することができた春希は、隣に並んで座り、春希を待っていた薫に声をかける。
「薫。ありがとう。もう大丈夫だ」
「ん? ええんよ。こんな状況じゃ、混乱するのもわけないけん」
苦笑いを浮かべながら気遣ってくれる薫に「本当にありがとう」ともう一度礼を言う。
「ほんまええけん。――さて、そろそろ行くか」
「行くって、どこへ?」
「どこって、うちの仲間がいるところよ」
「仲間……!? 俺たちの他に、誰かいるのか!?」
驚きの声を上げる春希に、薫は「当たり前じゃろ」と笑う。
「うちかて、こんな世界で一人は寂しいけん」
「そ、そうだな」
薫を見たとき、春希はかなりの安堵を感じた。それほど、この世界での孤独は苦しいものなのだ。
「ここからちと遠いが、大丈夫か?」
まだ尚、気遣いを忘れない薫に心の中で感謝と敬服をし、「あぁ」と短く返す。
「そんじゃ、ほんまに行くかの」
「そういえば、薫はなんでここにいたんだ?」
ふと疑問におもったことを口にすると、薫は一瞬悩む素振りをし、次の瞬間にはニカッと笑い、
「あんたを探しに来たんかのぉ」
と悪戯っぽく答えてみせた。
出発する前、確かに薫は「遠い」と言った。その時、その言葉の意味を春希は甘く見ていた。
現在、出発してから三日目となる。
薫の「もうすぐで着くけん」という言葉に励まされながらここまで来たが、流石に限界に近づいてきた。
春希が墜落した山から離れ、周りには家や店、ビルなどが規則なくバラバラに建っている。
空には太陽が浮かんでいる。暑さは向こうの世界にいた時とほとんど変わらない。山の様子といい、今この世界も春なのだろうか。それ以前に、この世界に四季は存在しているのだろうか。
薫に訊いてみようか。そう思ったとき、薫が前に指をさして言う。
「ほら、見えてきた」
薫が指差す先を見ると、周りには高層ビルが立ち並ぶ中、ぽつんと佇む一つの下宿屋があった。多分二階建てだ。それらが立ち並ぶ場所も、少し遠くに見える街とは離れ、隔離されたかのような所だ。
何故、街からは離れ、周りには豪華な建物が立ち並ぶ中、ここを選んだのだろうか。
「もしかして、あそこに住んでるの?」
不思議に思い、訊ねてみると、「そうじゃ。ええとこじゃろ」と笑顔で返された。
どうも腑に落ちない春希。だが、薫は先程見せた笑顔を更に輝かせながら目の前のボロい下宿屋に駆け込んでいく。
「ん? なにボーッと突っ立ったとんな。はよ入るぞ」
「あ、あぁ!」
薫に促され、小走りで春希も向かう。
春希は建物の壁より綺麗な板に「七菜荘」と書かれたものが、玄関の横に立てかけられているのを見て、なんて読むのだろうと少し考えた。「しちさいそう」だろうか。
玄関に入ると、外見と違わないみずぼらしさがある内装が広がっていた。
「ただいまー!」
薫が奥に向かって叫ぶ。――すると
「おかえりかおちゃ~ん! 大丈夫だった?」
廊下の少し先にある階段から一人の女性がおりてきて、薫を出迎える。
「心配したんだよ~カオちゃんっ! 出発してから三日間だよ!? ホントに心配したよ~」
「す、すまんの、葵」
葵と呼ばれたゆるふわなピンクの髪を持った少女は、薫に抱きつき、涙を流しながら「心配したよ」を連呼している。
「ホントに! ホンットに心配したんだからね!」
「あーもうっ、わかったけん! 離れろ葵!」
引っ付いてくる葵を引き離すと、「うぅぅ~」と葵は唸る。
「あらあら、騒がしいと思ったらやっぱり帰ってきてたのね。……あら、可愛らしい子も来てるわね」
もう一人、階段を下りてきた、年齢は葵と同じように見えるが、ふわふわとした葵の雰囲気とは違い、長い紫の髪を持ち、どこか色気のあるその少女は、ねっとりと春希を見る。
「あれ? 君、だれ?」
ここで、やっと葵が春希の存在に気づいたことを知り、春希と薫はすこしこける。
「え、えっと、俺は――」
「おう、紹介するわ。こいつは春希。現場でおぉた……うん、まあズバリ言うと、あれの正体」
春希の言葉を遮り、薫が代わりに紹介する。その紹介内容に春希自身は少し不満に思う。しかし、二人は違った。
「あ~あれの正体さんですか! ほえ~」
「へぇ、あなたがねぇ」
あの薫の紹介で、二人は春希の情報を十分に得たかのような顔をする。
「えっ、今ので分かったんですか?」
「うん! わかったよ~」
「わかるわけないじゃない。ふふっ」
春樹の質問に、それぞれ反対の返事をする二人。
「まぁこんなところじゃなんじゃ、中に入って自己紹介しようや」
薫の提案に、二人は「うん!」「そうね」と賛成し、とある部屋の中に入っていく。
「靴はテキトーに置いとってええけん」
そう言って、薫も靴を脱いでその場に置き、二人の後を追いかけるように中に入っていく。
(薫も大概適当じゃないか?)
と思ったが、口にはせず、脱いだ靴を揃えて、春希も追いかけた。
一同が入った部屋はどうやら食堂のようだった。
春希が入った時には、既に三人は大きなテーブルを囲むように設置された椅子に腰掛けていた。
薫に手招きされ、薫の隣の席に座ったところで、薫が自身の体の前で手を合わせて、「すまん」と言ってきた。
「生憎今はないけん、茶とか出せんのんじゃ」
「いやいや、いいよ別に。お構いなく」
申し訳なさそうに謝る薫に、春希は手を横に振りながらそう答える。
「誰からいきますか~?」
「そ、それじゃあ俺からいくよ」
この中で自分が一番知られていないであろう事を考えて、春希は名乗り出る。
「柴田春希です。今年で十六歳になる、高校一年生です。この世界に来てまだ日にちが浅い未熟者ですが、どうかよろしくお願いします!」
最後に挨拶を付けた自己紹介。完璧だと思った。しかし、三人は少し困った顔を見せる。
「え、えっと……何か俺やらかしました?」
「ううん、完璧だったわよ。……そうね、言うなれば、あなたの今までの女性経験を付け加えてくれるからしら」
そう言って妖艶な笑みを浮かべる女性。春希が困惑していると、薫が「そいつの言うことは無視していいけん」と助け舟を出す。
「ひっど~い、薫ちゃん。……ふふ、でもなんだか身体がゾクゾクしちゃう――」
「じゃあ、次はうちがいこうかの」
徹底して少女の言葉を無視する薫を、少女は身体をよじらせながら見つめる。
「改めて、うちは吉舎薫! 歳は……十四? いや、十五か……いやいや、十六……」
年齢のところで言い澱み始め、遂には「分からん!」と叫ぶ薫。
「ど、どうしたんだよ、薫」
「えっとね、春希くん。カオちゃんと葵たちはこの世界に来てから一年以上経ってるんだよ~」
「そ、そうなんですか。……で?」
「ふぇ?」
薫の前に座っている葵は理由を言ったのだろうが、春希は理解することができなかった。
すると、「えっとの」と薫が切り出す。
「実はな――この世界では体に成長がないんよ」
「……は?」
薫の言っていることは理解できた。しかし、その内容に呆れて間の抜けた声が出てしまった。
薫は自分の髪の毛を弄りながら、話を続けた。
「この髪も、ここに来てから一度も切っとらん。伸びんけぇの。もちろん、身長も伸びとらんわ」
「どうして……」
「うちらもようわからん。レガナンに訊いても、あいつ、何でかは知らんが、はぶらかしおった。そこで、うちは考えたんよ。過去、誰かが《不老の体が欲しい》とかいう欲望を叶えたけぇかなっての」
「不老の体……一理あるな」
不老という誰もが憧れる体。過去にそんな内容の『ディザイアフラワー』が咲いていたとしてもおかしくない。そして、ノルマという強制力がある中、それを誰かが内容を知らずに摘み……嗅いだ。そしてその内容が『世界中の人が不老になればいいのに』といった内容だった。うん、十分にありえる話だ。
「うん、まあ、じゃけぇうちは……そうじゃのぉ。見た目は中学三年生、中身は高校一年生になるわ」
「えっ? つまり、俺と同い年か?」
「うん、まぁそうなるのぉ」
薫は少し照れくさそうに答える。
「は~いっ! 葵は高校三年生で~すっ! でも高校一年生で~すっ! あははっおかしいねこれっ! あっ、葵、瀬野葵っていいま~すっ!」
「あら、私もこの流れに乗った方がいいかしら。――私の名前は一色瑤香よ。そうね、体は高二だけど、中身はお姉さんよ。いつでも甘えにいらっしゃい」
そう言ってウインクをしてきた瑤香に、春希は愛想笑いを返す。
二人共、自分に対して友好的で安心する春希。それと同時に、自分の中で葛藤が起きる。
ここに向かう途中、薫にある事を言われていた。
「春希のその目――力じゃけど、あんまし知られん方がええぞ」
理由を訊くと、少し難しい顔をして、「いずれの」とはぶらかされた。
何か考えがあっての事だろうと薫の意見を尊重し、実行しているのだが、目の前の二人――仲間に隠しているという事実が春希の胸を締め付ける。
隣をチラッと見る。二人と話している薫は笑顔だった。この事に、特に思うことはないのだろうか。
「そういえば。あと四人の紹介はどうするの?」
あの後、しばらく談笑していると、突然、思い出したかのように瑤香が言った。
「他にもいるの?」
「あぁ。実は、二人は自室におるんよ」
「あっ、だったらその二人のところへ挨拶に……」
「おるにはおるんじゃけど、すまん、それは無理じゃ」
思いがけない薫の言葉に、「えっ」と春希は言葉を漏らす。
「フーちゃんとヒーちゃんはね、ヒッキーちゃんなんだよ~」
「そ、そうなんだ。じゃあ、諦めるか」
「あら、諦め早いわね、春希くん。うふふ、引きが良い男はモテるわよぉ。でも個人的には、グイグイ来てくれる方が……」
「すまんな、春希」
「ううん、仕方ないよ」
薫の言う通りにして、ここは瑤香を無視することにした春希。しかし、どうも瑤香から熱い視線を送られている気がする。逆効果なんじゃないかと少し思った。
今いる三人と話す時間が楽しく、心強く感じていた春希の中に、仲間を増やしたいという願望が生まれている。その二人とも仲良くなろうと考えていた春希にとって、それはとても残念なことだった。
「まあ引きこもり言うても、ノルマのために『花』を探しに外出るけぇ、その時会えるかもしれんがの」
「ホント!?」
「と言っても、あいつら、うちらの目を盗んで外出るけぇのぉ。会えんかもしれんがな」
「な、なんだよそれ……」
「忍者みたいだね~! ニンニン!」
「うふふ、可愛いわよ葵ちゃん。じゃあ私も、ニンニン!」
手を忍術を唱える時のような形にして、忍者の真似をする葵。それを見て続く瑤香。
春希はそんな二人を見る。忍者の真似をする葵を見ていると癒される感覚を得た。瑤香の場合は、胸がドキドキし、心なしか緊張してきた。
表に出ていたのか、春希の反応に気づいた瑤香は、妖艶な笑みを浮かべて顔を春樹に近づける。
「どうかしら、春希くん。私、忍者っぽい?」
「そ、そんなこと聞かれても分かりませんよ」
「そう……やっぱり、忍術使わないと忍者っぽくないかしら。うふ、ねえ春希くん、私の忍術手伝ってくれないかしら」
「に、忍術って……一体何を……」
いっそう顔を近づけ、瑤香は春希の耳元で囁く。
「房中術よ」
「ぼ、房中術!?」
「な、何じゃと!? 瑤香! ええ加減にせえよ! ぼ、房中術とか、破廉恥じゃ!」
「ねえねえ、春希くん、ぼうちゅうじゅつ? ってな~に?」
「そ、それは……あはは」
「うふふ、葵ちゃん、房中術っていうのはね――」
「あああああっ! なに言おうとしとんじゃボケェ!」
薫が吠えて、瑤香の暴走を止めるために飛びかかってから、その騒ぎが収まるまで数十分要したのであった。
なんとか落ち着き、再び席に座った四人。
「いつでも私の部屋に来ていいからね、春希くん」
「まだ懲りんのんか、瑤香! ……部屋? そういえば……」
何かを思い出したのか、薫は席を立ち、難しい顔をしながら食堂の壁にかけてあったホワイトボードを持ってくる。
「うーん、参ったのお……」
「カオちゃん、どうしたの? それ、ここの見取り図だよね~?」
薫がテーブルに置いたホワイトボードを覗き込む。確かに見取り図らしい。ただ、各部屋に人の名前が書いてある。その中にここの三人の名前があることから察するに、誰がどの部屋を使っているが書き込まれているらしい。
「いや、春希にやる部屋がないんじゃ。ほら、空き部屋が一つも――」
「ち、ちょっと待って、薫。俺、ここに住むの?」
「えっ、そうじゃないんか? てか、もしかしてうち言っとらん?」
「聞いてないよ、全然!」
(やっぱり結構適当だよ、薫!)
春希は心の中で叫びながら、見取り図をもう一度確認する。この三人の他に住んでいるという四人の名前も書かれているが、どれも女性の名前っぽい。
「ここに男子は住んでるの?」
「住んでないよ~」
「ほんと嘆かわしいわよねぇ、うふふ」
確認を取ったところ、やはり女性だけらしい。それはまずいのではないのだろうか、そう考えていた春希に、薫は言う。
「のお、春希。春希はうちらに手ぇ出すんか?」
「えっ!? だ、出さないよ!」
「ならそげな事を心配する必要はないよの。よし、春希がここに住むことは決まったの」
そう言ってカカカッと笑う薫に、春希は何も言えなかった。なぜなら、ここで「ここに住まない」と言ったら、薫たちに手を出しかねんと言う事と相違ないからだ。
「それに、行く先もないじゃろ?」
「そ、そうだけどさ……あっ、部屋、部屋はどうするのさ。空き部屋ないんでしょ?」
「私の部屋に来てもいいわよぉ」
「その必要はない。葵、うち、葵の部屋で世話になっていいかのぉ」
「うんっ、もちろんおっけーだよ! やったーっ、カオちゃんと同じ部屋~!」
「あららぁ、それは残念……本当に残念」
両手を上げて喜ぶ葵と、残念がる瑤香。薫は俺を見て笑みを浮かべる。どうやら、自分はここに住むかしかないんだなと悟った春希。
(まあ、歓迎されているようだし、いいか。他の四人は分からないけど)
「改めてよろしくの、春希」
「よろしくねぇ、春希くん」
「七菜荘にようこそ! だよ、春希くん!」
「うん、よろしく」
挨拶をしながら、春希は思った。
(『な』、多くない?)




