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ディザイア・エージェント  作者: 土車 甫
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第十六話「忙しい朝」

 いつものんびりとした朝の七菜荘だが、今朝だけは違った。皆、いつもより早起きして身だしなみを整えたりしている。


 今日は、七菜荘の住人全員で海へ行くことになっているのだ。春希が、持って帰った水着を皆に渡したところ、それじゃあ行くかという話になったのだ。


 外出していた春希は一本のディザイアフラワーを持ってドタバタしている七菜荘に帰り、瑤香を見つけて尋ねる。


「瑤香さん。頼まれていたやつ見つけてきたんですけど、七菜荘の前に出しとけばいいですかね」

「えぇ、そうしてくれるかしら。ありがとね」


 顔に日焼け止めを塗りながら瑤香は答える。「わかりました」と言って春希は再び外に出て、持っていたディザイアフラワーを嗅いだ。すると、目の前に新品の大型車が現れた。車に興味はない春希だが、そのフォルムには少し息を呑んだ。


「わぁ、かっこいい車だね~」


 仕度が終わった葵が七菜荘から出てきて、そんな感想を述べる。手にはバスケットを持っている。


「これ、ヨーコちゃんが運転するんだよね」


 その通り、この車を運転するのは瑤香だ。どうやって海に行こうかと話し合っていたら、「私が車を運転するわ」と名乗り出たのだ。それで春希は、瑤香に車が出てくるディザイアフラワーを探していたのだ。


「うん。でもたしか、瑤香さんって元の世界にいた頃は十七歳だったんだよね? 車の免許取れてないよね」

「あっ、ほんとだ~。え~、どうなんだろ~」


 あまり深刻に受け止めていない葵に対し、春希は嫌な予感がしていた。


 それから十数分後、七菜荘の住人全員が車の前に集まった。響は薫に頼まれた春希がおんぶして連れてきた。


 一同は車に乗り込み、楽しみだったのか海に着いたら何をしようかという話で車内が盛り上がる。そんな中、一人だけ静かにハンドルを握っている少女がいた。一つ深呼吸をして目をカッと開かせる。


「みんな、ちゃんとシートベルトを閉めるのよ」

「えぇ……めんどくさいです」

「シートベルトってキツイから嫌だー」

「いいから」

「俺がするよ」

「春希、あたしにもするのだ」

「わたしにもしてよ、お兄さん」

「いや、隣ならまだしも前の席は難しいから、楓は自分でお願い」

「むぅ……わかったよ」


 運転手の指示に従って皆がシートベルトを閉めた瞬間、乗っている車が轟音を鳴らす。


「それじゃあ、行くわよ!」


「ま、待て瑤香! もしかして……皆、しっかり掴まっとけ!」


 助手席に座っていた薫が後ろに向かってそう叫んだ瞬間、一同を乗せた大型車は急発進した。









「んん~、はぁ、気持ちよかったわぁ」


 車から降りて体を伸ばす瑤香。目の前には綺麗な海が一面に広がっている。そう、海に到着したのだ。しかし、瑤香以外に誰も車から降りてこようとしない。いや、降りられないのだ。


 瑤香の運転技術は凄かった。元の世界では出せないようなスピードでぶっ飛ばし、ブレーキをほとんどかけずにその勢いのまま角を曲がってみせたりと、まるでレーサーさながらの運転だった。


 そのため、車内は激しく揺れて、瑤香以外の皆は途中から意識を失ってしまっていたのだ。


「んっ……こ、ここは……おぉ、着いたんか」


 目を覚ました薫は、フロントガラス越しに見える海に「おおっ」と感嘆の声を漏らし、後ろを見て「おぉ……」と声を漏らす。


 外の空気を吸おうと車から降りると、薫に気づいた瑤香が「あら、薫ちゃん。大丈夫だった?」と尋ねる。薫は顔を歪めて「んなわけ無いじゃろ。なしてあげな運転するんよ」と言い放つ。


「ん~、実はね、私、ゲームセンターにあるレースゲームが大好きなの。ストレス発散のために始めたんだけど、もうドハマりしちゃってねぇ。横でプレイしている男性を抜いた時の快感、たまらないわぁ」


「……はぁ。どうか元の世界ではましな運転せーよ」

「分かってるわよぉ」


 頬を膨らます瑤香を見て、薫はまたため息をつく。


 そうこうしていると、車の後ろの扉が開き、顔色の悪い六人がゆっくりと降りてきた。さながらゾンビのようだ。


「な、なんなのよアンタの運転は……気絶するかと思ったじゃない」

「あら、さっきまで気絶していたんじゃないのぉ?」

「してないわよ!」


 明らかに気絶していたのだが、頑なに認めようとしない麻奈にニヤニヤした表情で応対する瑤香。


「ひさしぶりに遠出してみたらこんなひどい目に……やっぱり外出するべきじゃないです……」


 その場に座り込みながら言う響に、春希も腰を下ろして「まあまあ」と宥める。


「ほら、海はもう目の前だよ。ここまで来たんだから楽しもうよ」

「むりです。わたしの体力はすべて失われました」

「そんなこと言わないで、ほら、浜辺までおぶってあげるから」

「……ふむ、しかたないです」


 春希におぶられる響は、どこか居心地の良さそうな表情を見せる。そんな響を見て、ブーイングをする者が二人。


「おい、響。そこはあたしの場所だ。早く降りろ」

「違うよ、そこはわたしの。お兄さんに関するものは全部わたしのなんだから」

「……いやです。それに、これは春希がこうしろと言ったのです」


 すると今度は、二人の鋭い視線は春希に注がれる。春希はその視線から目を逸らしながら苦笑する。


「あとが楽しみだな、春希」

「またあとで、お兄さん」


 二人はそう言うと、海水浴場のため設置されてある更衣室へ向かって足を向ける。少し申し訳なさそうな顔をした薫も「春希、頑張っての」と一言入れて二人の後を追う。瑤香と麻奈も更衣室へ向かう。


「……はぁ。何をされるんだろ」

「しらないです」


 春希は響をおんぶしたまま、キラキラと輝く海に向かって歩き始めた。










 浜辺に着いた春希は、さらさらの砂である浜辺に不思議にも根強く咲いているディザイアフラワーの中から二本摘み取り、嗅ぎ、シートとビーチパラソルを出した。


「やっぱり夏の海辺にもなると、それに合ったものが出てくる花が咲いているね」

「わたしにはよく分かんないです」

「ははっ、そうだった」


 地面に降ろされた響は、既に水着を着た状態で、パラソルが作った影の中で座っている。実は七菜荘を出る時点で、服の中に着ていたのだ。響の周りに落ちてある脱ぎ散らかされた服を回収しながら、春希は尋ねる。


「そういえば、響は泳げるの?」

「です。まあ、めんどうなので泳ぎませんが」

「そ、そっか。でも、折角だし海には入ろうよ。浮いてるだけでも気持ちいいんじゃないかな。……おっ、あったあった」


 春希が近くにあった一本のディザイアフラワーを摘み取って嗅ぐと、既に空気が入ってパンパンの浮き輪が一つ現れた。その輪っかを座っている響の体に潜らせる。響はそれに対して一見何も反応を示さないように見えたが、浮き輪を両手で掴んでその状態のままでいる。それを見逃さなかった春希は微笑む。


「なに笑ってるんです」

「ううん、なんでも。あっ、みんな来たみたいだよ」


 更衣室で着替え終えた他の面子が揃って現れる。先頭に葵が手を振りながら現れ、他はその後ろで横に並んでいる。


 水着を渡したのは春希だが、まとめて全て渡しただけなので、どれを着るかは各々が決めたのだ。つまり、誰がどの水着を選んで着たのかも、この時が初めてのお披露目なのだ。


「ねえねえ、春希くんっ。どうかな?」


 春希の前まで来たところで立ち止まった葵は、くるりと一回ターンをしてみせる。フリルがついたピンク色の水着は、あどけなさが残っている葵にマッチしていた。


「うん、とても似合ってるよ」

「やった~。えへへ、この水着、一目惚れだったんだよね~。春希くんっ、持ってきてくれてありがとね!」

「うん」


 といっても楓が捨てたやつなんだけどね、という言葉を呑み込んでそれだけ返す。


「春希。次はあたしを見ろ」

「ううん、次はわたし。お兄さん。お兄さんが見たかった、わたしの水着姿ですよ」


 グイッと春希の前に出てきた京菜と楓の二人は、春希に見せつけんとばかりに体を反らす。


 楓は春希の見立て通り、白いワンピースがとても似合っていた。露出しているところは少ないが、夏の浜辺がとても似合っている姿だ。


 京菜はタンクトップとビキニの水着を選んだらしい。これもまた露出しているところは少ないが、これぐらいの歳ならこのぐらいがピッタリだろうと春希は頷く。


「うん、二人共とても似合ってるよ」

「え、えへへ……こほん。春希、どっちの方が好きだ?」

「はっきり言ってね、お兄さん」

「えっ、そ、それは……二人共はダメ?」

「ダメ」


 声を揃えて言い切る二人を前に、春希は苦笑を浮かべて頭を掻く。助けを求めようと、パレオ型の水着を見事なまでに着こなしている瑤香に視線を送ったが、春希の視線に気づいた瑤香はニコッと笑ってウインクを一つ返す。春希の苦笑に苦味が増す。


 じっと春希の顔を見て答えを待ち続ける二人。春希は観念して、当たり障りのない言い訳と一緒に答える。


「そうだね、本当に僅差で、強いて言うなれば、楓かな。ほら、俺が決めたやつを着てくれているしさ」


「や、やったぁ。……あぁ、わたし、お兄さんに選ばれちゃったぁ……」


 恍惚とした表情で喜ぶ楓の隣で、京菜は肩をガクッと落とす。


「わたし、選ばれなかった……? 春希に、選ばれなかったの……? ……嫌だよぉ」


 肩を震わせ始める京菜に春希は一瞬驚いたが、すぐに取るべき行動をとる。


「で、でも、京菜も十分可愛いぞ。ほら、さっきも言ったけど本当に僅差なんだって。ただ、楓のは俺が選んだやつだから情があったというか……」


「……だったら、約束してよ。今度、あたしと一緒に出かけて、あたしに着て欲しい服を選んでよ。そして、その服が出てくるお花を一緒に探そ?」


「うん。もちろんいいよ」


 春希はそう答えて、京菜の頭を撫でる。すると、京菜は涙を拭うような素振りを見せて、落としていた顔を上げ、いつもの少し憎たらしい表情を見せる。


「約束だからな! 絶対に破るんじゃないぞ、春希!」


「ああ、分かってるさ」


 笑顔を見せる京菜を見て安堵する春希。しかし、背後から黒いオーラを感じて汗がひとつ頬を伝って垂れる。


「あれ……おかしいなぁ……選ばれたのはわたしだよね……でも、今、良い感じになってたのは京菜ちゃん……あれ?」


 瞳から光を失った楓は、さらさらとした砂だけが広がっている足元を見つめながらぶつぶつとつぶやき始める。はぁ、と今まで春希たちのやり取りを見ていた麻奈はため息をついてその場を離れてパラソルが立てられている方を向かう。それに続いて「ごめんねぇ」と一言いれて瑤香も離れていく。


「……がんばりいよ、春希」

「え、どういうこと?」


 薫は申し訳なさそうな顔をして、遠くを見ながら顔をニヤつかせている心ここに在らずの京菜の手を掴み引っ張って離れていく。


 みんな一体どうして急に、と思ったその瞬間、楓に両肩を掴まれた春希は光を失ったその目で顔を覗かれる。その目を見続けていると意識が飛んで行きそうになるので目を逸らすと、両手を掴む力が強くなった。


「どうしてわたしをみないの?」


 可愛らしい姿の楓からは想像つかない、しかしその目だけを見るとどこか納得できそうな

低い声でそんな質問をされた春希は理解した。どうして薫たちが逃げるようにこの場を離れていったのかを。


「ねえ、答えてよ。ねえ」


 両肩に走る痛みを感じながら、春希は今から起こる事態を悟った。

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