第十五話「嫉妬編・依存」
結局何も買わずにショッピングモールを出た二人は、建物があまり無い開けた場所に移動した。ディザイアフラワーが一面に咲いており、まるでお花畑だ。
楓はディザイアフラワーのもとに駆けて行って、一本摘み取って春希に見せる。
「お兄さん、このお花は何ですか?」
春希は楓の意図を理解して、楓が手に持つディザイアフラワーの上に浮かんでいる文字を読み上げる。
「それは【休みが欲しい】だね」
「じゃあ、違うねぇ。これはポイだね」
そう言って楓はそのディザイアフラワーを投げ捨て、次の一本を摘み取ってさっきと同様に春希に見せる。
「あっ【水着が欲しい】だって」
「これだよ! では早速」
おもむろに楓はそのディザイアフラワーを自身の鼻に近づけて嗅いだ。すると、ビキニ型の水着が現れた。それを見て、楓はむすっとする。
「これじゃダメ……お兄さんは喜んでくれないの……いらないっ!」
叩きつけるように水着を投げ捨て、少し離れた場所でまたディザイアフラワーを摘み取ろうとする。春希は少し困り顔で、その水着を拾い上げる。
「これは?」
「それも【水着が欲しい】だね」
「次こそ……違うっ! じゃあこれ」
「それもだよ」
「来てっ……違うぅ! なんで!? ……そうか、欲望の主もわたしとお兄さんの仲を邪魔させようと……許せない……」
「つ、次こそ出るよ! さあ、続けよ!」
しかし、春希の願いは虚しく、その後も楓の望むワンピース型の水着は出てこず、楓の怒りはますますこみ上がっていくばかりだった。遂には、楓は一日の限度である五回を満たしてしまった。
「あは、あはは……おかしいよね、これ……もしかして、運命? これがわたしとお兄さんの運命だって言うの? ――そんなの、絶対に認めないっ! わたしは、わたしはっ!」
半狂乱状態となった楓は、自分の周りにあるディザイアフラワーを根こそぎ摘み取って、一気にそれらを嗅ぐ。すると、浮き輪や空気入れ、最新ゲーム、パソコンなどといった様々なものが楓の周りに現れた。
「ふ、楓! 大丈夫?」
様々のものに囲まれた状態で立ち尽くす楓に声をかける。すると、楓はゆらりと動き、あるものを拾い上げる。
「あは、あははっ! やった、やったよお兄さん!」
それは楓が望んでいたワンピース型の水着だった。運良く、春希がさっきショッピングモールで決めた白色でもある。
「うん、やったね。でも、大丈夫? 体に異変とか……」
その質問に、楓は顔を弛緩させる。
「え、えへへ、お兄さんがわたしの心配をしてくれてる……えへへへっ」
「その様子だと、大丈夫そうだね」
春希は胸を撫で下ろして安堵する。何を心配していたのかというと、この世界のルールである「ディザイアフラワーの使用は一人一日五回まで」を楓が大きく破ったことからペナルティである。しかし、楓はそのようなペナルティを受けた感じがない。もしかすると、ペナルティというのはレガナンのハッタリだったのだろうかと春希は考える。
「あっ、他にも水着があるね」
さっき楓が大量に発生させた物の中にワンピース型以外の物もいくつかあるのに気づいた春希は、それらを拾い上げる。
「お兄さん? さっきから、どうして目的以外の水着も集めてるの? も、もしかして、わたしに色んな水着を着せたいとか……? も、もうっ、早く言ってくださいよ。お兄さんのためならわたし……」
「いや、これらは薫たちにどうかなって思ってさ」
「は?」
突然声が低くなった楓に驚いた春希の懐に、楓は詰め寄って問う。
「これはわたしとお兄さんとデートなんだよ。それなのにどうして他の女の事を考えてるの? お姉さんはギリギリ許せるけど……。それに何? わたしがお兄さんのために発生させたものを渡すっていうの? ねえ、それっておかしくない? ねえ!」
「でも、これらはいらないんでしょ?」
「そ、それはそうだけど、でも、でもっ!」
「俺はね、この世界は助け合いで支えあっているんだと思うんだ」
「助け合い……?」
詰め寄ってくる力が抜けていき、楓は一歩下がって春希の目を見る。春希も見つめ返して、続ける。
「これらの水着を楓が使わないのなら、薫たちに渡して使って貰う方が良いでしょ?」
「……で、でも……」
その後の言葉が出てこないか、黙りこくった楓の頭を撫でる。
「どうも、楓は自分と特定の相手しか見えなくなってるね。もしかして、何かあったのかな。よければ、俺に話してくれないかな」
少し間を置いて、楓の頭を撫でる春希の手が下がる。楓が首を縦に振ったのだ。春希は微笑み、辺りを見渡して、【休憩する椅子が欲しい】という文字を上に浮かばせたディザイアフラワーを見つけて、それを摘み取って嗅ぎ、ベンチを発生させた。それに二人は座る。そこから、楓が話すまで春希は黙って楓の頭を撫で続けた。数分後、遂に楓の口が開く。
「……わたしのお父さんは、わたしにとっても厳しかったの。でも、お母さんは優しくて……わたしがお父さんに怒られていたら、いつもお母さんが庇ってくれたの。
お父さんはお母さんに手を出さないから、お母さんが出てきたらすぐに収まってたんだぁ。……でも、わたしが小学六年生の時に、お母さんが交通事故で死んじゃって……。
怖いお父さんだけとなんて、耐えられないと思った。でも、お父さんは変わったの。わたしにとても優しくなったの。本で指を切っただけで、血相変えて心配してくれて……とても嬉しかった。
だから、わたし、お父さんのことがどんどん好きになって……お父さんも、わたしのことが好きになってくれたんだと思った。
でも、違ったの。
小学校を卒業して、春休みに中学校の制服が届いたの。わたし、嬉しくて、試着してみたの。喜ぶかと思って、お父さんに見せたんだぁ。……そしたら、お父さん言ったの。『母さんみたいだ』って。
その時、わたし気づいたの。あぁ、この人はわたしをお母さんの代わりにしか見ていないんだって。そしたら、頭の中が真っ白になって、気がついたらカッターナイフを手に持って、お父さんを睨んで、真っ白だったわたしの頭の中にひとつ言葉が浮かんだの。
『殺してやる』って。
そのまま、わたしはお父さんを刺すつもりだったんだけど、レガナンの声が聞こえて、それに返事したらこの世界に……」
楓は、自身の頭の上に話の間置かれたままだった春希の手を触って、「動かして」と言う。春希は無言でそれに応えた。
「……んっ、気持ちいい。でね、わたし、思ったの。わたしってどうして存在しているのかなって。お母さんには迷惑をかけて、お父さんには結局お母さんの代わりとしか見られてなくて……。だからさ、わたし、考えたの。わたしが存在するために、わたしの傍に立つ人を作ろうって」
「それが、俺や薫ってこと?」
「うん」
屈託のない、純粋な笑顔で楓は返す。
「だからね、わたしが存在するために、その人以外は邪魔なんだよね。排除して排除して排除していくの。そしたら、わたしは確かに存在して――」
「無理だよ、それじゃあ」
「え?」
春希の発言に、楓は本当に驚いた顔をする。それを見て、春希は少し傷つく。楓の頭の上から手を引く。
「どうして? どうしてお兄さんはそう思うの?」
「だって、楓がそんなことしてたら、俺は、俺と薫は、楓から離れていくから」
「嫌だっ!」
楓の顔が青ざめていく。しかし、口調ははっきりとしている。
「どうして? どうして!? 嫌だ、嫌だよ! わたしから……離れないんで……」
「でも、俺や薫だけじゃ楓を支えきれないんだ。さっき言ったよね。世界は助け合いで支え合っているって。俺が楓を支えたとして、誰が俺を支えるのかな」
「それは……わ、わたしが」
「ダメなんだ。共依存といった形は、いずれ絶対に崩壊する。そう、楓と楓のお父さんみたいに」
「そ、そんなぁ……」
楓は項垂れる。顔から生気を感じさせないほど、絶望している。
「だから、俺の周りを排除しようとか、そういうのは考えないで欲しいんだ。俺は、その人たちに支えられて生きているんだから」
「で、でも! そしたらお兄さんは、わたしをいつか見捨て……」
「見捨てない、絶対に見捨てないから。俺が楓をずっと支えてあげるから」
「……本当?」
心配そうな表情、だが一縷の希望を捉えたその目を見て、春希は答える。
「俺は楓の欲望を包むオブラートになるよ」
すると楓はクスッと笑い、「うんっ」と飛びきりの笑顔を見せた。




