第九話「浴場にて」
夕食が終わると、みんな各自部屋に戻っていた。ただ、麻奈は一旦部屋に行った後、風呂に行った。夕食中に、春希は七菜荘の住人の風呂に入る順番を聞き、それによると、葵が最後らしく、その後に春希は入ることになった。
「やっぱり、風呂も使えるのか」
春希は部屋の中でそう呟きながら、今日知った事を頭の中で整理する。
この世界では、現世の人の欲望が、ディザイアフラワーという花の形となって現れ、それを嗅ぐことによって、その欲望を代わりに実現させて解消することができる。その願いは、欲望の主が思うものに忠実で、様々な法則を無視して、その願いを形にする。例えば、浄水施設などがないにも関わらず、一日に一定の量の水が生成され、それが供給されているため、入浴など水を使うこともできる
。
この世界にはルールが五つあり、その中でも特に気にしなくてはいけないことは、ディザイアフラワーの使用は一人一日五回がノルマ。それ以上もそれ以下も許されず、破った者にはペナルティがある。
この世界には、七菜荘の住人しかいないかもしれない。これはまだ確定ではないが、もし本当にそうであるのであれば、春希はひどく勘違いをしていた。いや、春希だけではない。薫は確実に勘違いしている。その勘違いとは、この世界に既存する建物や不老といった体は、過去に誰かがその欲望を実現させたことだ。もしも他に誰もいないのであれば、誰がその欲望を実現させたというのだ。
ただ、その欲望を実現させた者が、なんらかの理由で既にこの世界から脱しているのであれば話は別なのだが。
「……ふぅ」
両腕を上に伸ばして、息抜きを入れる。この世界について、考えることが多すぎるため、春希は自分が思ったより疲れを感じている。
そこに、「入るよ~」と一言入れて葵が襖を開けて現れる。風呂上りなのだろう、髪の毛が濡れていて、普段は感じない色気があり、春希は少しドキッとする。
「ハルくん、お風呂どうぞ~」
「結構早かったね。もっとかかると思ってたよ」
「葵、結構短いからね~。あとはハルくん一人だから、ごゆっくりね~」
「ありがとう」
春希は机の上に置いてあったディザイアフラワーを一本持って、浴場へ向かった。
一階にある七菜荘の浴場は、決して広くはないが、春希にはとても大きく感じた。洗濯機のある脱衣場で服を脱いで、浴場に入る。二つある内の奥のバスチェアに座り、シャワーヘッドを手に持つ。ハンドルを回してお湯を出し、頭を濡らしてお湯を止める。そして、持ってきたディザイアフラワーを嗅いだ。すると、シャンプーやボディタオルといった風呂用品が入った風呂桶が現れる。夕食を探している時に、見つけておいたのだ。
「あらぁ、私たちのを使っても良かったのに」
「いやー、流石に気が引けるなって……えぇっ!?」
驚く春希の視線の先には、浴場の入口に立っている瑤香がいた。裸にバスタオルを巻いているという格好だ。
「よ、瑤香さん、先に入ったんじゃ……!」
「いいえ、私はまだ入ってないわよぉ。ちょっとすることがあって、葵ちゃんに先に入ってもらったのだけど……ふふっ、葵ちゃんったら忘れちゃってたのね。可愛いわ」
「えぇ……と、とりあえず、今は俺が入っているので、いや、俺が出ます」
「あら、もうシャワーを浴びてるじゃない。いいわよ、出なくて。そして、私も出ないわ。せっかくお仲間になったのだから、裸の付き合いをしましょうよ、春希くん」
「それは同性同士で言うんです!」
春希は声を荒げて言うが、瑤香はお構いなしにそのまま入ってくる。春希の隣のバスチェアに座り、正面にあるシャワーヘッドを取って、ハンドルを出す前に体に巻いていたバスタオルを外し始める。春希は焦って瑤香のいる反対側の横を向く。
「あら、見てもいいのよ」
「い、いや、流石にそれは……」
そっぽを向いたままでで答える春希に、瑤香は「ふぅん」と投げ返し、ハンドルを回してシャワーを浴びる。
「春希くん、例のクイズの答えが分かったのよね。薫ちゃんに聞いたわ。つまり、春希くんは私たちの秘密も知ってるってことよね」
「秘密って、七つの大罪のテーマのことですか」
「……あら、それだけ? やっぱり、詳しくは教えてもらってないのね」
詳しくってどういうことですか、と春希は訊こうと瑤香の方を向きそうになって、首の動きを止める。しかし、瑤香は答えた。
「別に私たちが好き好んでテーマを語っているわけじゃないのよ。この世界に来たとき、レガナンに言われたのよねぇ。『君は色欲だナン』ってね」
レガナンの微妙な口真似をしながら、瑤香は話す。
「最初は失礼しちゃうわって思ったわ。でも、それは私にピッタリだったのよ。――私の両親はね、とても堅い人だったの。別にお金持ちでもない、ただの平凡な一般家庭の親なのに、参っちゃうわよねぇ。だから、私は元の世界で恋愛を禁止されていたの。どんなに好きな人ができようとも、両親が何らかの手を下して妨げるのよ。ホント、残念な人生だったわ」
ハンドルを閉めて、シャワーを止める。瑤香の声がはっきりと聞こえるようになった。
「その反動かしら。私は、人一倍愛に飢えちゃってね……愛を確かめ合いたいの、たくさんの人と、たくさん。……だから、色欲」
瑤香はシャワーヘッドを置いて、春希の肩に手を置く。春希はその手を払いのけることはせず、ただ体を硬直させる。
「ねぇ、春希くん……私の、私の愛を、満たして……?」
「ダメです、瑤香さん」
「……ふふっ、やっぱりね」
瑤香は笑い、春希の肩から手を離す。
「やっぱりって……」
「私たちには七つの大罪のテーマと重なるような欲望がある。でも、春希くん、あなたにはないのよ。レガナンも言っていたそうね、あなたには強い欲望がないって」
「そ、そんなことは――」
「ないのよね、本当は」
「えっ?」
瑤香はシャンプーを手の平に出して、両手を擦り合わせ、それを頭に持って行き、頭を洗い始める。
「そう、春希くんは一見無欲、だけど本当は他人の幸せを強く願っている。それも、立派な欲望よね。私が良いって言ってるのに、裸を見ないのは、私が後に傷つかないようにでしょ?」
その問いに、春希は答えない。相変わらずそっぽを向いたままだ。
「頭の隅では分かっているのよ、今の私はおかしいって。いいえ、私だけじゃない。薫ちゃんも、葵ちゃんも、麻奈ちゃんも、京菜ちゃんも、響ちゃんも、楓ちゃんも、みんなおかしいの。……ねぇ、春希くん。あなたの欲望にそぐう、お願いがあるの」
「お願い……?」
瑤香はハンドルを回して、頭の上にある泡を全て流し、濡れた長い髪を後ろに流して言う。
「私たちを、助けて欲しいの」
その時の瑤香の声が、一番、浴場で響いたと春希は思った。




