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◆はじめまして、くまかごと申します。 「自分の思い描いた物語」が、皆さんにとって楽しめる物になれば幸いです。 どうぞ、よろしくお願いいたします。
※スマホ・パソコン用に、改行の調整や話数の分割をさせていただきました。
日本皇国陸軍少佐であり、北海道北西部および大滝村領主でもある藤堂には、今の境遇に一片の不満もない。
二メートル四方の小部屋に、作り付けの机とベッド。この船室は〈少佐〉と〈領主〉という称号の役得で、艇長が個室を明け渡してくれたものだった。ここまでの行程は長くかかったが順調で、目的地の大滝村まではあと少しを残すだけ――大滝村を訪れるのは二度目で、今回は調査と記念式典の参加が目的だ。
藤堂は、大滝村での式典スピーチ用に下書きをしていた紙から顔をあげると、肩をほぐそうと首をまわす。とたんに椅子の背もたれのすぐ後ろまで積み上げられた、ダンボール箱で頭をさえぎられた。
特に身長が高いわけでも太っているわけでもなく、中肉中背の藤堂でもこの空間には圧迫感しか感じない。仏頂面で辺りを見回すが、見えるのは船室中に隙間なく積み上げられた段ボール箱だけだ。箱に印刷された、にっこり笑ったかわいい魚のイラストも、出航してから十日間も見続けていると憎らしくなってくる。イラストを少し睨みつけた後、右手に持った鉛筆で魚の口元にひげを書き込むと、藤堂は溜息をつきながら立ち上がった。
段ボール箱の隙間を通り、ドア・ハッチを開けて通路に出る。通路にはさすがに何も置かれてはいないが、船員室や食堂には隙間さえあれば様々に梱包された大滝村への荷物が詰め込まれていた。
そのまま船首まで通路を進み、突き当りのドア・ハッチを開けた。とたんに涼しい風が吹き込んできた。太陽はとうに沈み、あれほど厳しかった昼間の熱気も今は消え、肌寒ささえ感じる。藤堂は身震いをすると、船内では捲くっていた戦闘作業服の袖を伸ばしながら前甲板に出た。
荒野を照らす満月は、一万メートル級の山々が連なる日本山脈の稜線にかかり、複雑な山の輪郭を浮かび上がらせる。
全長三十メートルに満たない陸上巡視艇の探照灯が、強い光で前方を照らし出した。地面から五メートル程の高度を保ちながら、巡視艇はAC機関の低い作動音を響かせゆっくりと進んで行く。周りに広がるのは、乾ききった土と岩。生き物の気配をまったく感じさせる事のない、殺風景な土地だけだった。
巡視艇の右手に見渡す限り続く日本山脈の幅は、百キロメートル以上に渡る。山脈は陸地を南北に貫き、藤堂達が暮らす自然豊かな西側と、十日を掛けてはるばるやってきた、雨のまったく降らない東側の広大な荒地とに分けていた。
藤堂は前甲板に設置され、覆いをかけられた重機関銃にもたれかかると、腕組みをして周りを見渡した。夜空には雲ひとつなく、満天の星。
昔、妻だった女性に教えてもらった、なじみの星座を探して空を見上げる。一つ、二つと見つけていくうちに、夜風に当たった身体が冷えてきた。
「――藤堂少佐。こちらにおいででしたか」
ドア・ハッチから出てきた若い男が、規定通りのきっちりとした敬礼をしながら呼びかけた。藤堂は、振り返りながら答えた。
「宝田軍曹。俺が船室かブリッジにいない時は、ここぐらいしかいる所はないだろう」
うんざりした表情で答礼する藤堂の言葉に、宝田もうなずいた。
「そうですね。船内には大滝村への輸送物資が山積みですし、航行中の自分達には特に仕事もありませんし……」
うーんと、伸びをしながら藤堂は言った。
「そんな旅も、もう終わりだ――明日には、大滝村に着く。手足をのばしてゆっくり眠りたいし、風呂にも入りたい」
「その事ですが、少佐――」
真面目な顔で、宝田が話し始めた。
「――艇長より通達がありました。本日の行程は、追い風の助けもあり予定より速く進む事ができたそうです。それにより、今現在の位置は、大滝村から一時間の距離にあり――通常なら停泊する時間ですが――このまま進み、本日中に目的地に到着するそうです」
宝田の思わぬ報告に、藤堂はブリッジを振り返った。中にいる艇長は、にっこりと笑いながら敬礼した。
「この十日間の中で、最高の出来事だ」
藤堂も、にっこり笑って答礼した。
◇
「二人とも、ここにいたのか」
藤堂と同じ年頃の男が、先程の宝田と同じ言葉を発しながら前甲板に出てきた。
「千原中尉」
藤堂の隣で休めの姿勢で立っていた宝田が、姿勢を正して敬礼をする。
千原は軽く答礼すると藤堂の隣に立ち、伸びを一つした。
「艇長からの通達は、聞いたようだね」
「ええ、千原中尉。ようやく着きますね」
千原は藤堂の二つ年上で、士官学校時代の先輩だ。その時からの長い付き合いで、階級も地位も藤堂が上だが、気兼ねなく付き合える数少ない友人だった。
「――藤堂領主、久しぶりに領地大滝村に御帰還だね」
千原が、少しからかう口調で問いかけた。
「ええ、十二年ぶりです……」
〈領主〉とは言っても〈少佐〉と一緒に世襲で継いだ称号で、どちらかといえば名誉職に近い物だった。実際、領地の行政は通常の議会制をとっており、藤堂の一存で決められる事はほとんどない。
「少佐は昔、大滝村に赴任されていたと聞きましたが」
宝田が、二人の隣で相変わらず姿勢正しく立ちながら聞いた。
「ああ、一年間――少尉としての、守備隊勤務だった――」
〈昔〉――十二年前と言えば、確かに一昔前の話だ――その言葉の響きに、藤堂は少し感傷的になりながら答えた。
「――士官学校を出て最初に配属されたのが、大滝村守備隊だ――まあ、なかなか訪れる事のできない領地を、しっかり知っておけという父親の意向もあったと思うが――右も左もわからない新米少尉に皆、良くしてくれた」
当時の事を懐かしく思いながら、藤堂は少しほほ笑む。
「そういえば、その時の大滝村までの行程は員数外だったので、荷物だらけの船内に居場所がなく、箱の上にマットを敷いて寝ていたな。それを思えば、今の扱いに不満を言えないが……」
今回、員数外の宝田は、食堂にあるテーブルの下にマットを敷いて寝ていた。中尉の千原は、士官室になんとか寝場所を確保していた。
「十二年前と言うと……札幌攻防戦の前ですか……」
宝田の唐突な言葉に、藤堂は少し面食らう――確かにあの時、あの場所に暮らしていた人達が昔を思うとき――常に、十年前に起きた〈札幌攻防戦〉に行き着く。
「……軍曹は確か、襟裳だったね」
千原がつぶやいた。
「はい……海沿いの、小さな集落で暮らしていました……生き残ったのは、自分だけです」
「そうか……あの戦いでは、皆が多くの物を失った……」
藤堂は宝田を見つめると、少し視線を外して答えた。
その言葉に千原は深い悲しみを感じ取り、ちらりと藤堂を見る。〈札幌攻防戦〉で藤堂が何を失ったかを知る千原は、十年たった今でも癒える事のない悲しみに同情した。
「――しかし、こんな見渡す限りの荒野なのに、大滝村には水が豊富にあるというのは不思議だね。確か〈雨〉が降る、と聞いた事があるけど、実際に見るのが楽しみだよ」
話題を変えようとしてか、探照灯が照らす辺りの荒地を見回しながら、千原が訊いた。
藤堂は千原の気遣いに、心の中で感謝した。ただ、千原は職業柄か知識欲の塊のような人間なので、純粋に好奇心から聞いただけかもしれなかった。
「ああ、中尉は山脈のこちら側は初めてでしたね。大滝村では、定期的に〈雨〉が降るんですよ。向こうに着いたら、見学しましょう――見ものですよ。もちろん、軍曹も一緒にな」
にやりと笑みを浮かべて藤堂が答えると、宝田は神妙に一礼し「お願いします」と答えた。
藤堂の事を良く知る千原は、その笑みに何かを感じたようだが、そのまま話を続けた。
「その豊富な水のおかげで、荒地開発のための農業研究施設や実験農場が、大戦の前に作られたのだったね。そして、それが大滝村の元となった」
「大滝村は大戦の影響を受けず、百年間続いているのですか?」
少し驚いたように、宝田が聞く。
「そうだ。百年前の大戦時に世界中にばらまかれ、人類を滅亡寸前まで追い詰めた人工ウイルスもここまでは来なかったし――農場や研究施設しかない、戦略的にはほとんど価値のない場所だったからな」
うなずきながら藤堂は答えた。
「にもかかわらず、大戦時に封鎖された山脈貫通トンネルで、佐官以上の将校の認証を求める陸軍のアクセス端末が見つかった……」
藤堂が、続く言葉を求めて千原を見る。
「大戦時にほとんどの情報が失われてしまっているから、大滝村に忘れ去られた軍の施設があったとしても、おかしくはないね。ただ、大滝村の人々にも知られていない施設となると、かなり秘匿性の高い〈何か〉があるのだろうと思うが……」
今回の調査任務の責任者である、千原が会話を締めくくった。
大滝村――大戦前の研究施設――と山脈西側の本土とは、日本山脈の下を通る〈山脈貫通トンネル〉で結ばれていた。しかし、そのトンネルは百年前の大戦時に封鎖されてしまい、大滝村は長く孤立状態にあった。
その後、山脈を縫うように陸上船で進むルートが、五十年前に開拓された。それにより大滝村は本土に復帰し、藤堂家の所領に編入されていた。今では、陸軍の支援で年四回の定期便が運行されている。
元々藤堂は、大滝村の本土復帰五十周記念式典に出席するため、次回の定期便で大滝村に訪問する予定だった。アクセス端末発見の報告を受け、急遽〈少佐〉である藤堂を中心とした調査団が派遣されたのだった。
二人の話を聞いていた宝田は、巡視艇の進む方向――大滝村に向けた。しばらく見つめた後、藤堂に振り返り聞いた。
「藤堂少佐……その〈何か〉とは、この世界のバランスを変えてしまうような物なのでしょうか?」
確かに、今はほとんど失われ、現代の人々で再構築中の大戦前の技術や情報が手に入れば大発見だ。
首を振りながら、藤堂が答える。
「どうだろうな……何が見つかるとしても、それをどうやって使うか、という事じゃないかな。だから責任ある物として、最善の選択をしなければならない……世界のバランスが変わるとしても、より良い方向へと傾くように」
胸元をぎゅっと握りしめると、藤堂は大滝村の方角を見つめた。
◆最後までお読みいただき、ありがとうございます。