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◆「聞き手」のリズムを壊さないため、かえでは話をする時に「息継ぎ」を入れます。
「――大滝設備研究所とは新型装備の組み立て、試験のために、日本山脈下に造られた極秘の施設です。秘匿性を高めるため、少数の人員と私達とで運用されていました。今から百一年と八十三日前、日本皇国は複数の国家、集団と戦争状態に突入。大滝設備研究所は、戦時下も新型装備の組み立て、試験を継続しました。百一年と二十八日前、すべての外部との通信が途絶。研究所司令官は、外部との接触を試みました。百一年と十五日前から、研究所内の人員が相次いで病死。百一年と五日前、司令官は大滝設備研究所の封鎖を宣言。司令官は、建設中の防衛システムの完成と研究所の存続を厳命しました。そして、研究所維持の為の最小限の動力を残し、他のすべてを凍結しました――」
ここで一旦、かえでは言葉を止めた。
かえでの説明はなめらかで聞き取りやすく、かなり簡略化されていた。それでも、突然の情報量に藤堂はたじろいだ。だが大筋において、藤堂が知る百年前の出来事と符合している。藤堂はうなずくと先を促した。
「――百年と三百六十三日前、最後の人員が死亡――そして三百二十日前、保守システムに許可された範囲でのメンテナンスだけでは、研究所設備の維持が限界になりました。各管理システムと、メインシステムで協議、検討を繰り返した結果、佐官以上の将校による〈命令〉が必要と判断しました――」
とうとうと語るかえでに、雪華は理解が追い付かず、お手上げ状態のようだ。
「――三十六日前、外部との接触を図るため、山脈貫通トンネルのアクセス端末を解放。周辺での情報収集のため、メインシステムはかえで型端末一体をスタンドアローンモードで派遣しました」
「……ああ、あの〈影〉の件はこれで片付いたぞ、雪さん」
腕組みをして聞いていた藤堂は、大きくうなずいた。雪華もしばらく考えた後、はたと手を打った。
「みんなが見た〈影〉は、かえでさんが大滝村を調べていたからなんですね」
雪華の問いに、かえではうなずいた。
「はい。戦時中のため、大滝装備研究所の存在が知られる事は避けたかったのですが、それよりも研究所の存続が最も重要と判断されました」
「――『戦時中』って、戦争は百年前に終わったんじゃないですか?」
雪華が、不思議そうに尋ねた。
「いいえ。戦争は、継続中です」
「そうか、大滝装備研究所は外部から孤立し、封鎖されていたので戦争が終わった事を知らずにいたんだな。あの戦争は、一年と経たずに終わったんだよ……。戦う人間自身が、いなくなってしまったからね」
「――情報が不足しています。新たな入力を、お願いできますか?」
「入力? ああ、研究所が封鎖された頃の〈歴史〉を、話せばいいのかな?」
「はい。お願いします」
藤堂はうなずくと、水筒の口を開け、水を一口飲んだ。
「まず、電子的な媒体に記録された情報や知識は、あの戦争でほとんどが失われてしまった。今ある物は、人の記憶やわずかに残っていた媒体の情報から再構築してきたものだ」
ウォーカーを手で指し示して、藤堂はかえでを見た。かえではうなずいて、藤堂が先程した、話の先を促すような仕草をした。
「百年前、世界の情勢は混迷を極めていた。ヨーロッパ、アフリカ、アジア、地続きの各連合は、それぞれ主張が異なるため小競り合いが続き、連合の中でさえ民族、宗教、思想の違いから、紛争が絶えなかった。それでも世界は、ぎりぎりでその姿を保っていたのだが、AC機関の登場がそのバランスを崩してしまった――」
藤堂は言葉を切り、もう一口水を飲むと水筒を振った。
「――どこにでもある〈水〉を使用して駆動するAC機関は、人々の暮らしを豊かにする素晴らしい発明になるはずだった。だが反面、それまでの化石燃料を輸出する事で利益を得ていた者達にとっては、倦むべき発明になってしまった――」
どこにでもある話――ある人にとっての良い話は、誰かにとっての悪い話――ただ、それが世界規模になると、よくある話で済むはずがなかった。
「――世界のバランスは、いきなり崩れたわけではなかった。少しずつ――本当に少しずつ――誰にも気付かれず崩れていった世界は、いつの間にか崩壊していた。戦争の始まりは、いつなのかわからない――連合、国家、集団が、それぞれの思惑で、それぞれの〈敵〉に向けて絶望的な力を行使した。その力とは、目に見える武力であったり、電子的なものであったりしたが、いちばん最悪だったのは……〈生物兵器〉だった」
「はい。人工のウイルスですね。大滝装備研究所でも、それにより全員が死亡しました」
「……やはり、そうか……研究所の司令官は、山脈のこちら側にウイルスを広めないために、研究所を封鎖したんだな」
藤堂は、深いため息をついた。
「ウイルスをどの陣営が使ったかは分からないが、疲弊した世界にとどめを刺すには、十分すぎる厄災だった。どれだけの人が犠牲になったのか、はっきりした数字は分からないが……すべてが無くなってしまった。そして、戦争は終わった」
「そうですか。ですが日本皇国は、今でも存続しているように見えますが」
かえでは、藤堂の着ている皇国陸軍標準の作業服を見て言った。
「ああ、そうだ。沢山の……沢山の人が亡くなった。それでも日本皇国は、ぎりぎりの所で生き残った」
襟の階級章に触れながら、藤堂はうなずいた。
「だが、それも……」
藤堂は、言葉を切った。
操縦席の雪華が、眠そうに眼をこすっている。
「かえで――とりあえず、これぐらいでいいかな?」
「はい。結構です」
「そうか――雪さん、すまなかったね。そろそろ、操縦を代わろう」
「――えっ。まだ、大丈夫です」
藤堂は、腕時計を見た。
「まだ、先は長い。交替しながら行こう」
藤堂が口角を上げて笑いかけると、雪華も恥ずかしげに笑みを返した。
「じゃあ、お願いします」
「よし。宝田、休憩だ」
藤堂は、無線で宝田に呼びかけた。
(――了解)
二機のウォーカーは、岩陰に入ると着座の姿勢になって停止した。
◇
「うーん」
後部席から飛び降りると、藤堂は両腕を上にあげ大きく伸びをした。
この辺りの地形は大滝村に比べて平坦だが、大小の丘が連なり遠くまでは見渡す事ができない。日の光に焼かれた大地を渡って、日陰にも熱風が吹きつけている。
宝田と裕司はウォーカーから降り、汗を拭きながら藤堂達の所に歩いて来た。宝田は、肩から小銃を掛けていた。
裕司はかえでを見るなり、ぽかんと口を開けた。無線で会話を聞いていたが、ここまで人間らしいとは思わなかったのだろう。
裕司の視線に気づいたかえでが、ほほ笑みかけた。裕司はもごもごと挨拶らしい返事を返し、顔を赤くした。
「かえで、宝田軍曹と八丈湖から来た裕司君だ」
二人を指し示して、藤堂が紹介した。
「かえで型十六です。かえでとお呼びください」
機械であることを感じさせない、自然な仕草で二人にお辞儀をした。
宝田は帽子のつばに手をやり、軽く頭を下げた。
「矢上裕司です」
裕司は顔を赤くしたまま、お辞儀を返した。
「人にしか、見えませんね」
宝田が、淡々と感想を言った。藤堂も、同意してうなずいた。
「本当に、びっくりしました。突然、ウォーカーに飛び乗ってきたから」
雪華は手を後ろに組み、かえでの隣に立ち横顔を覗き込んだ。
「触っても――いいですか?」
かえでがうなずくと、おずおずと頬に触れた。
「ふふっ、ぷにぷに……あったかい!」
雪華は、驚いて声をあげた。
「皆さん、かえでさんは温かいです!」
とても大切な発見をしたように振り向いて報告すると、今度は手を取りじっくりと観察している。
「――でも、ずっと隠れていたのに、どうして私達の所に?」
雪華は、かえでの手をはなすと、小首をかしげて尋ねた。
「はい。大滝装備研究所の目的は、情報の収集と佐官以上の将校との接触でした。少佐がいらした事で、両方の条件が整いました。すぐにでも研究所にお越しいただきたいのですが、優先順位は民間人の救出が先だと判断しました――」
かえでは、裕司に視線を向けた。
「――ですので、みさきさん達の救出の、お手伝いをさせていただきます」
「ありがとうございます。お願いします」
裕司は先程とは違い、真面目な顔でお辞儀をした。
「かえでは、具体的にどんな事ができるんだい?」
藤堂が尋ねた。
「はい。先程も言いましたが、直接的な戦闘行為はできません。ですが、こんな事ができます」
そう言うと、かえでは少し助走をつけて大きな岩に飛び乗った。そのまま遠くを見つめた。
「――見つけました。陸上船と思われる、大型AC機関の駆動音がします。概ね、予想通りの進路を航行中です」
かえでが、真っすぐに指をさした。
藤堂達はかえでが指し示す方角に目を凝らすが、何も見えなかった。宝田がウォーカーに上り、中から取り出した双眼鏡を覗き込んだ。
「どうだ?」
藤堂の問いに宝田は首を振り、もう一度双眼鏡を目に当てた。
「――いえ、見えます! 微かに……本当に微かですが、土煙らしいものが」
藤堂は裕司の肩に手を置き、陸上船の方角を見つめた。
「よし、捉まえたぞ……」
裕司は肩を震わせ、無言でうなずいた。