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◆八丈湖市での仕事は、当然農業が主体です。建築業や製造業も需要はありますが、あまり多くありません。サービス業も景気の向上で増えつつありますが、まだまだこれからの商売です。
教師や、年上の生徒達がざわめく。三土月とは、この前の市長選挙で落選した候補だ。
「昨今の日本皇国は、百年前の大戦とそれに続く苦難の時代を忘れ、中央のみの繁栄に勤しんでおります。未だに佐官家という軍事特権階級が領主と称してこの国を支配し、我々の住まう八丈や地方を蔑ろにしています」
話し始めた時と口調を変えず、ワタナベと名乗る男は淡々と話し続けた。
「この状況を憂慮した三土月閣下は、地方から正しくこの国を変えようと腐心してまいりましたが、その尽力も悪辣たる中央の不正により無残にも踏みにじられました――ですから、私達は――」
小銃をかまえる男達を見回した。
「――三土月閣下の意志に賛同し、この国を、そして皆さんを解放しようと立ち上がりました。それが我々であり、日本共和国なのです」
ワタナベは、血だまりの中に倒れる教師を見降ろした。
「残念ながら中央の邪な教えに穢され、我々の理想を受け入れられない哀れな人々もいます。ですが、安心してください。これから皆さんは、共和国の国民として――」
それまで静かに話していたワタナベは、両手を上げると天を仰いだ。
「――大いなる意志のもと、正しく教え導かれるでしょう!」
突然の大きな声に、生徒達が緊張する。場の雰囲気に気付いたのか、ワタナベは再び笑みを浮かべ、静かな口調で続けた。
「子供達は、共和国の大切な宝です。今日から皆さんは我々の保護の元、ここで生活していただきます」
ワタナベが男達にうなずきかけると、教師達は講堂の外へと連れ出されて行った。倒れた教師も、両脚をもたれ床を引きずられて行った。
講堂の扉が閉まりしばらくすると、いくつもの銃声が響き、それはしばらく続いた。
遠くからの、小さな銃声も聞こえる……裕司はこの出来事が、ここだけで起こっている物ではない事を悟った。
◇
――共和国は八丈湖市の要所を、正確に攻撃した。南町の市役所、警察や通信施設、そして陸軍基地――とはいっても二十名ほどが駐屯する小規模なものだったが――すべてを占拠するのではなく爆破した。共和国に協力する人数は定かではないが、南町を管理下に置くには十分ではないのだろう。
かわりに共和国は、北町を襲った。八丈湖の東西にある南町に通じる道路は封鎖され、北町の役場やラジオ局、学校が占拠された。
共和国は八丈湖市を支配するために、一番簡単で効率的な方法を使った。子供達の〈命〉という、くびきをかける事で……。
◇
中等科と高等科の生徒が、講堂の出入り口に並ばされる。列の真ん中あたりに並ぶ裕司は、足もとにちらりと視線を走らせた。床には教師が引きずられた跡が、まだ黒い線となって残っていた。
「出て行った数と帰ってきた数が合わなかったら、全員に罰を与えるからな」
生徒の列を行き来しながら、小銃を構えた男が念を押すように言った。
「……子供は、宝じゃなかったのかよ」
裕司の後ろに並んだ洋平が、小さな声でつぶやいた。
「いってらっしゃーい。頑張ってねー」
初等科の生徒達が、手を振っている。裕司達は、小さく手を振って応えた。
あれから、五日が経った。裕司達は他の生徒達と講堂で寝起きをしながら、校舎を改造する作業をさせられていた。
扉が開くと、列の前後を小銃を持った〈共和国兵士〉に挟まれて校舎に向かった。校舎からはあらかた机や椅子などが運びだされ、推進機の取り付け作業が始まっていた。
共和国は、この校舎だった年代物の陸上船を、動くようにするつもりらしい。
裕司は作業をするため、割り当てられたウォーカーの操縦席に乗り込んだ。着座の姿勢からウォーカーを立ち上がらせると、少し遠く――学校周りに張られた黄色と黒のロープ――が見えた。たった一本のロープで区切られた、内と外。
共和国の独立宣言は、占拠された北町のラジオ局から一日中繰り返し放送された。その放送では、学校で生徒達を保護している事も伝え、〈穢れ〉から遠ざけるために近づく事を禁止した。
子供達が拉致されたと知った親達は、すぐに学校に駆け付けた。しかし、既に張り巡らされたロープを越えて学校に入ろうとした物は、警告なしで銃弾を浴びせられた。
見せしめのためだろうか、撃ち殺された〈誰かの親〉は、ロープに倒れかかりそのまま放置されていた。
「くそっ……」
裕司は、校舎脇までウォーカーを進めた。ついこの間まで通っていた校舎は、半分ほど推進機が取り付けられすっかり陸上船らしくなっていた。
「おい、お前! 早く作業を始めろ!」
突然のどなり声に下を見ると、細い竹の棒を振り回しながら男が近付いて来た。
「俺が見ていないと、お前らはすぐにさぼりやがる」
共和国兵士は裕司達を常に威圧的に扱ったが、その中でもこの河上という男は異常さは際立っていた。
生徒達に不手際が有ろうが無かろうが、何かと難癖を付けてきた。その度〈指導〉と称して、竹の棒で打った。細くて軽い竹の棒だがその分しなやかで、服の上から打たれても蚯蚓腫れになるぐらい痛い。
裕司は返事をせずにウォーカーの前腕を操作して、資材を持ち上げた。
「おい、聞いているのか!」
河上は小走りでウォーカーの前に立つと、操縦席の裕司に竹の棒を向けた。
「指導してやるから、今すぐ降りて来い!」
「……はい」
小さくため息をつくと、資材を置き直すためにウォーカーを前かがみにした。その時、決してわざとではないのだが、ウォーカーのバランスが崩れた。転倒を防ごうと、裕司は左脚を大きく踏み出した。
その左脚は、河上がしつこく突き出していた竹の棒を、真上から踏み潰した。
その様子を見ていた生徒達が、歓声を上げた。近くにいた洋平も指をぱちんと鳴らし、「惜しい」とつぶやいた。
あんぐりと口を開けていた河上の顔が、みるみる赤く染まって行く。
「――き、貴様、き、き、貴様!」
ぶるぶると震えながら裕司を指差した後、思い出したように背中に掛けていた小銃に手を伸ばした。周りで笑っていた生徒達が、凍りつく。
「河上さん、大変だ!」
大きな声と共に、がらがらと鉄のパイプが崩れる音が響いた。
「河上さん! お願いします! 早く、早く、来てください!」
作業の足場用として積み上げていた鉄パイプが崩れ、広く散らばり土煙が上がった。河上は、裕司と崩れた鉄パイプを交互に見比べ逡巡している。
周りの生徒達も、口々に河上を呼び始めた。
「まったく、お前らは俺がいないと何もできないのか」
河上はくるりと振り返ると、胸をそらし腕を大きく振って歩き去って行った。
裕司は息を吐き、操縦席に沈みこんだ。
ふと視線を前に向けると、ウォーカーの前に立った洋平が、両腕を組みにやりと笑った。
裕司も、にやりと笑った。
だがこの後、裕司は間違いなく河上から罰を受けるだろう。それを考えると、気が重かった。
しかし幸運な事に、それ以来、河上を見かける事はなかった。他の幾人かと一緒に、移動になったようだ。これには皆、胸をなでおろした。もう、あの不愉快な〈棒〉を見る事はないだろうから。