3-2
◆八丈湖市は、大戦時に爆撃で穴だらけになりました。裕司が開墾していたのも、そんな爆撃跡地です。あと、皇国でも16歳で、小型特殊免許を取ることができます。
「朝だよ! 起きて!」
毛布を頭までかぶって、ベッドの上で丸まる裕司の体に重みがかかった。重みは二つ、三つと増えていき、「起きて! 起きて!」の大合唱が始まった。
裕司は体にかかる重みを、勢いよく跳ねのけた。
「うおー!」
手近にいた耕太の体を捕まえると、脇の下を荒っぽくくすぐった。
耕太は身をよじり裕司の手からすり抜けると、嬌声を上げながら他の子供達と部屋から出て行った。
裕司は、大きなあくびをしながら目をこする。枕元から目覚まし時計を右手で取ると、時計の上で左手を構えた。
(ジリリ――)
目覚ましが鳴る瞬間に、すかさず左手で叩き目覚ましを止めた。裕司は目覚まし時計をじっと見つめながら、毎朝こうなのにこの時計は必要なのかと考えた。
「……さてと」
ベッドから立ち上がるとのそのそと部屋着を脱ぎ、学校の制服に着替える。部屋を出て階段を降りると、朝食を食べに食堂に入った。
他の大人や子供達はもう食べ終わっていて、裕司が最後のようだ。食堂のつけっぱなしのラジオは、本土のニュースを告げていた。テーブルの上に用意してある朝食を手早く食べ終え食器を片づけると、歯を磨きに洗面所に向かった。
洗面所では、子供達が押し合いへし合いしながら歯を磨いていた。子供達の頭越しに歯ブラシを取ると、一歩下がって歯を磨く。
「はい、これ」
両手で水をすくい顔を洗うと、みさきがブラシとリボンの付いた髪ゴムを差し出した。
「今日は、どうするの?」
「うーん……二本しっぽにして」
裕司はブラシでみさきの髪をとかすと、二つに分けて手早く髪ゴムでとめた。隣では、知世が加奈子の髪を三つ編みに束ねていた。
「ありがとう!」
みさきと加奈子は髪を結い終わると、先に出て行った耕太を追いかけて、ぱたぱたと走って行った。
知世は鏡を見ながら、自分の髪を手早く結い始めた。裕司も隣に立って、ブラシで髪をぴっちりとした七三分けにしてみた。
「へーんなの!」
笑いながら知世が背延びをして手を伸ばし、裕司の髪をくしゃくしゃにした。裕司も笑いながら手ぐしで髪をなでつけると、洗面所を出た。
◇
学校のカバンを持ち母屋を出ると、納屋からリヤカーを引っ張りだし、昨日とは違うトラクターに取り付けた。母屋の玄関口にある水道から水を汲みトラクターに補給すると、運転席に乗り込んだ。
子供達も玄関から走り出てきて、リヤカーに乗り込んできた。それぞれの母親達も、朝の仕事の手を止めて見送りに出てきた。
「いってきまーす!」
手を振る子供達に、母親達も手を振り返す。裕司はアクセルを軽く踏み、スピードを上げた。トラクターは見渡す限り続く小麦畑の中を、のんびりと走って行く。
八丈湖は東西に長いひょうたんのような形で、それぞれ南北にある窪みに街があり、そこを中心に農場が広がっている。湖の南側、南町は市役所や陸軍の施設もあり、人口も多く八丈湖市の中心地だ。裕司達の暮らす農場は湖の北側にあり、南に比べて人口も少ない。これからトラクターで一時間かけて通う学校は、南町のように年齢毎に分かれておらず、一つの校舎で下から上までの年齢の子供達が学んでいる。
農場の中の道から、北町へ向かう広く真っすぐな道路に出ると、裕司はトラクターのスピードを少し上げた。後ろの子供達は、狭いリヤカーの中でもできる事を、次々と考え出しては遊んでいる。
対向車線を、裕司達と同じようにリヤカーに人や荷物を積んだ、トラクターがやってきた。すれ違いざま、頭を下げて挨拶をした。子供達が大きく手を振ると、向こうも手を振って返してくれた。
裕司が十六歳になってウォーカーとトラクターの免許を取ったとき、試験では『トラクターに牽引するリヤカーには、人を乗せてはいけない』と解答した。だが、八丈での移動手段はトラクターにリヤカーが一般的で、乗用車はほとんど見かけない。
北町のはずれに近づくと、学校に向かう『トラクターとリヤカー』が増えてきた。制服姿の女子学生が、年下の子供を乗せてトラクターを運転する姿は、八丈以外では奇異に映るのだろうかと裕司は考えた。
学校脇の空き地にトラクターを停めると、みんなで手をつなぎ校舎に向かった。裕司達の通う学校は、大戦中にAC機関が使えなくなり放棄された陸上巡視船を流用して、校舎として使っている。
玄関で他の子供達と別れ、高等科の自分の教室に向かった。
「おはよう、裕司」
窓際の席に座ると、後ろの席のクラスメイトが話しかけてきた。
「うん、おはよう洋平」
「……裕司さん、宿題はやってきましたか?」
「……やってきましたが、それが?」
会話の方向は見えていたが、裕司は一応聞いてみた。
「頼む、写させて!」
思った通りだったが、両手を合わせて懇願された。裕司はだまってカバンを開けると、宿題のノートを取り出した。
「今度、お前の店に行くから、うちの人数分のアイスな」
ノートを洋平の目の前に突き出しながら、裕司は条件を付けた。
「えーと、お前んちは――五人か」
洋平は指を折りながら数えると、裕司からノートを受け取った。
「俺が店番している時に、来てくれよ?」
早速ノートを広げると、洋平は宿題を写し始めた。洋平の家は北町に三軒しかない商店を営んでおり、日用品の他に子供向けの駄菓子も扱っている。
「いやー、昨日はすごく忙しくて、一日中配達を手伝わされてさー」
ノートを写し終わった洋平は、裕司が聞いてもいないのに言い訳を始めた。
「ふーん」
始業のチャイムが鳴ると、裕司達はぞろぞろと校舎の隣に建つ講堂へ向かった。今日は月曜日なので、全生徒が集まる朝礼があるからだ。
「いや本当、細かい注文が多くて大変だったよ」
「商売繁盛で、いいじゃないか」
裕司は、歩きながら返事をした。
「俺の小遣いが、増えればね。それより今日のラジオでさあ……」
その後は、他のクラスメイトも交え、他愛のない話をしながら講堂へ入って行った。
◇
学年ごとに分かれて生徒達が整列すると、校長が講堂の壇上で話を始めた。
長く続く話に退屈したのか、後ろに並ぶ洋平が、教師に見えないタイミングで裕司の背中をつつく。裕司は無視していたが、しつこいので右足を後ろに振り上げ、洋平のすねを蹴ってやった。
「ぐぅ」
洋平の抑えた悲鳴が上がり、周りにくすくす笑いが広がった。
何事かと、教師がこちらを見たその時――遠くから低く鈍い音が響き、高い所に取り付けられた講堂の窓がカタカタと震えた。
校長は話を止め、生徒達も顔を見合わせた。講堂の出入口近くにいた教師が、外を見ようと扉に近づくと、突然入ってきた男達に突き飛ばされた。
呆気にとられて倒れこむ教師を尻目に、男達は講堂内に散らばった。最後に黒い軍服のような服を着た男が入ってくると、出入口の脇に控えていた男が扉を閉め、鍵を掛けた。黒服の男は、真っすぐ壇上に向かった。
「なんですか? あなた達は……」
突然の出来事に動けずにいた教師達も我に返り、男達を制止しようと立ちふさがった。先頭の男が肩にかけていた〈小銃〉を持ち替え、銃床で教師を殴り倒した。他の男達もそれを合図に、小銃を構えた。
裕司は今見ているものを理解するのに、しばらく時間がかかった。
(彼らは〈銃〉を持っている!)
八丈湖は人口の少ない穏やかな街で、警察や皇国陸軍基地はあるが、銃が使われた所は見た事もなかった。
生徒達は悲鳴をあげて逃げようとしたが、周りで男達が銃を構えているので動けない。男達の無言の威圧で、生徒達は講堂の真ん中に集められて行った。
裕司は周りを見回して、みさきや知世達を探した。
「裕ちゃん!」
知世達がしがみついてきた。裕司は、みさきと加奈子を抱きかかえる。耕太は知世の手を、両手でしっかりと握っていた。
初等科の少女が一人、状況が分からず、ただ教師が殴り倒された事に驚いて泣き叫んでいた。
「静かにしろ!」
近くにいた男が、小銃の先でこづいた。
「やめろ! 子供に銃を向けるな!」
教師の一人が、掴みかかろうとした。
壇上へ向かっていた黒服の男が振り返ると、腰のホルスターから拳銃を引き抜き――ためらわず撃った。
講堂に、乾いた『パン』という音が響き、教師は崩れ落ちた。
黒服の男は拳銃をしまうと、何事もなかったかのように再び壇上へと歩き出した。
撃たれた教師はぴくりとも動かず、体の下には大きな血だまりができて行った。
少女は目を丸くして、倒れた教師を見つめ続けている。生徒の輪の中から少年が走り出ると、素早く少女を抱き抱え輪に戻った。
「あいつ、撃った! 撃ちやがった! 先生を……」
少女を抱きしめたまま、洋平はつぶやいた。
他の生徒を搔き分け、真っ青な顔をした姉と思わしき中等科の生徒が来た。少女を無言で抱きしめると、少女も姉の胸に顔をうずめた。
講堂のほぼ中央に集められた生徒とは別に、教師達は講堂の隅に集められ小銃を向けられていた。
壇上に立った黒服の男は、少し頭をかしげながら周りを見回すと、にっこりと笑った。
緩くウェーブのかかった黒髪と、品のよさそうな物腰。こんな顔で笑いかけられたら、思わず笑い返してしまうような、人好きのする顔立ち。
だが、裕司達はだれも笑わなかった。
男はまた少し頭をかしげると、マイクに向かい静かな声で話し始めた。
「私はワタナベと言います――今日は皆さんに、素晴らしいお知らせがあって来ました」
ワタナベは、少し間を開けた。
「――本日、私達は三土月健司大統領を国家元首とした、日本共和国の建国を宣言しました」
◆裕司君、小型特殊自動車でリヤカーを牽引してもいいけど、人を乗せてはいけませんよ。