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◆第3章は八丈の少年、裕司の物語です。
裕司はなんでもできる無敵の主人公ではありませんが、彼なりに悩み、考え、今できる事をがんばります。
八丈の雰囲気は、アメリカのオハマ周辺の穀倉地帯をご想像ください。
「おーい裕司、そろそろ昼飯にしよう」
裕司はウォーカーを停止させると、声の聞こえた方を見降ろした。先程、ウォーカーを使って地面から掘り出した大きな岩の横に、父親のトラクターが止まっている。
ウォーカーを着座の姿勢にすると操縦席から飛び降り、タオルで汗をぬぐいながら父親の方へ歩み寄った。
「裕司にウォーカーを任せてから、開墾が捗るなあ」
父親はトラクターの運転席で立ち上がると、この春から裕司が開墾してきた農場の新しい土地を眺めた。大きな岩は取り除かれ、一か所に集められている。
「だったら休みの日だけじゃなくて、高校に行かずに一日中働けばもっと捗るのに」
「裕司は学校、行きたくないのか?」
「……うーん……」
父親のトラクターに乗り込むと、裕司は考えた。
学校は……楽しい。授業は別として、クラスの連中とたわいのない話をしたり、遊んだりするのは楽しい。
農作業は……つらい事もあるけど楽しい。ただ、農作業がというよりか、ウォーカーを操縦する事が楽しい。つまり『ウォーカーが楽しい』という事だ。
トラクターはゴトゴトと、小麦畑の中を走り続けた。
「わからない」
唐突な裕司の返事に一瞬戸惑ったが、父親は笑って答えた。
「じゃあ、わかるまでは学校にいっときな」
裕司は、こくんとうなずいた。
◇
「お兄ちゃん!」
農場の真ん中にある母屋に着くと、妹のみさきが駆け寄ってきた。裕司の手を握ると、ぐいぐいと引っ張った。
「今日のお昼ご飯は、みさきの大好物です……さて、なんでしょう?」
大好物は? と聞いている時点で答えをいっているのも同然だが、裕司は一生懸命考える振りをした。
「えーと――ハンバーグかな?」
「ハンバーグ! みさき大好き! おいしいよね。でも違いまーす」
「ピーマンのたっぷり入った、野菜炒めだろう?」
反対側の手を握った父親が、意地悪っぽく答えた。
「えー、違うよー。みさき、ピーマン嫌い……苦いもん」
「お父さんの作るピーマンは、美味しんだけどなあ。栄養もたっぷりだし……」
「だめです。ピーマンは、子供用ではありませーん。大人だけで食べてください」
裕司はなるほど、と感心した。確かに子供の頃は、ピーマンのあの苦さが苦手だったが、今ではそれが美味しく感じるようになった。
「正解はねえ……」
「カレーライス!」
手をつないだ三人が、同時に答えた。
母屋の煙突からは煙が立ち上り、辺りにはカレーの食欲をそそる匂いが漂っていた。
「おっ、今日はカレーか」
裕司達の後ろから、作業を終えた二人の男がやってきた。
この農場は、裕司の父親が中心となって始めた共同農場で、三家族が協力して営んでいる。皇国では最近、人口が急速に増えつつあり、作物は作れば作っただけ売れる。裕司の開墾した新しい土地には、さらに小麦を植えるつもりだと父親が言っていた。
外の水場で顔と手を洗い母屋の玄関を上がると、すぐわきにある食堂に入った。三家族が同時に食事できる大きなテーブルでは、ほかの子供達が先に食事を始めていた。
「いただきます」
裕司は自分の席に座ると、用意された昼食を食べ始めた。
「――そういえば、市長選挙の話は聞いたか?」
大人達が席に着き食事を始めると、裕司の父親が切り出した。
「ああ、あのよそもの達が作った〈新党〉のか。八丈湖市を、皇国から独立させるとか言っていた――でも、落選したんだろう?」
「ところが、あの選挙には不正があったといって、騒ぎ出しているらしい」
「不正って、そんな訳ないだろう――そもそも皇国から独立して、何の徳があるんだ?」
「穀物とかの価格をこっちで設定して、出荷量も調整して今より単価を上げるとか言っていたな。本土と対等な関係を――みたいなお決まりのフレーズだ」
「ばかばかしい。今だって組合が、値崩れで八丈や本土の生産者に影響が出ないように、きちんと調整しているじゃないか」
「問題は、そのたわごとに賛同しているやつらが、かなりの数いるって事だ」
「ああ、八丈の景気がいいからって、本土から流れてきたやつらか……」
「俺もそうだったけど、本土では農家の四男坊には肩身が狭い。でも八丈だったら、汗水たらして働けば、働いただけ土地が手に入る」
父親は、にぎやかに食事をする子供達を眺めた。
「――うん、そうだ。ここだったら、働けば何でも手に入る」
「それなのにあいつらは、力仕事がいやだのなんだの言って働かない。あの半端野郎どもは……」
コンッと甲高い音がして、裕司の母親におたまで頭を叩かれた。
「下品な言葉は使わないで。今は食事中でしょ、楽しくないおしゃべりは禁止です」
男達は顔を見合わせ、バツが悪そうにうなずいた。
父親達の話を聞いていた裕司も、最近の八丈は雰囲気がおかしいと感じていた。
裕司や子供達の通っている学校は八丈の町はずれにあるのだが、〈働かない人達〉を見かける事はあまりなかった。ところがここ最近、町中でたむろしていた〈働かない人達〉が、選挙活動と称してぶらぶらと歩き回るようになっていた。選挙が終わった後も二、三人の大人がつるんで、昼間からひたすら歩いている姿は滑稽ですらあり、学校の皆はそれを〈巡回警備員〉と揶揄していたが、裕司は少し気味が悪かった。
◇
「さて、三時までは休憩だ――」
父親が裕司に声をかけるやいなや、子供達が裕司に飛びついてきた。
「お兄ちゃん、遊んでー!」
「プールにつれてって!」
三家族の子供達の中では、十六歳の裕司だけ年が離れている。次に年上なのが十歳の知世、裕司の妹みさきは八歳。七歳の加奈子と知世の弟、耕太の四人は年上のお兄ちゃん――裕司にとても懐いていた。
裕司は朝早くからの作業で疲れていたが、両手両足に子供達にしがみつかれ、じっと見つめられては無下に断る事もできない。汗もかいていたし、一緒に水浴びをして水辺でごろごろしているのもいいだろうと考えた。
「――よし、じゃあ準備をしておいで」
裕司の一言で、子供達はきゃあきゃあ騒ぎながら、水着に着替えに駈け出した。
「裕ちゃん、いつも悪いわねえ」
臨月間近の、大きなお腹を抱えた加奈子の母親は礼を言った。
「いいよ。他にする事もないし」
裕司は何となく、加奈子の母親の大きくなったお腹に目をとめた。つい数か月前まではすっきりしていたのに、いつの間にか大きくなっている――不思議だ。
「なあに、裕ちゃん? 触ってみる?」
「ううん。いい」
なぜか顔が赤くなった裕司は、首を振ると階上の自分の部屋に駆け上がった。
裕司は自分の部屋で手早く水着に着替えると、玄関脇に吊るしてある大きな麦わら帽子をかぶり母屋の外に出た。母屋の隣の納屋からリヤカーを引っ張ってくると、先程父親と乗ってきたトラクターに取り付けた。
母屋の前で待っていた子供達は、次々にリヤカーに乗り込んだ。
「――みんなちゃんと座ったかい? じゃあ、出発!」
トラクターのギアを前進に入れアクセルを踏むと、ガクンと揺れて進み始めた。ひとかたまりになって荷台に座っている子供達は、それだけでケラケラと笑いだした。
母屋から少し離れた所にある、農場用のため池の脇に父親達が作ったプールに着くと、子供達は声を上げながら飛び込んで行った。裕司も上着を脱ぐと、勢いをつけて子供達の真ん中に飛び込んだ。大きな水しぶきが上がり、子供達に降りかかる。それをきっかけに、皆が手を大きく振り回し水の掛け合いが始まった。
裕司はひとしきり子供達と遊ぶと一人プールから上がり、トラクターの作る日陰にしゃがみこんだ。さっぱりとした気分で体を拭き、上着をはおる。
子供達は真昼の日差しをものともせず、ため池からプールに紛れ込んだ魚を追いかけまわしているようだ。トラクターの大きなタイヤにもたれ、子供達をぼんやり眺めていると瞼が重たくなってきた。
◇
「裕ちゃん、船だよ!」
知世の大きな声に、うたたねから目覚めた。
子供達がトラクターやリヤカーに登り、遠くを見つめている。裕司も目をしょぼしょぼとさせながら立ち上がると、子供達が一心に見つめている方角に目をこらした。
熱気で揺らぐ大気の向こうに、かすかな砂埃を後方に巻き上げ進む陸上船が見えた。かなり遠くを進んでいるので、よくわからないが結構大きな陸上船のようだ。
「僕、船乗りになりたい」
トラクターの上から、裕司の背中に飛び移りながら耕太が言った。
「あの船に乗りたいの?」
「違う、水の上の船! 八丈湖じゃない、海の船!」
「海って、山の向こうの?」
「そう、お塩がいっぱいでしょっぱいの。おっきな船に乗るんだよ」
「そうかあ、耕太は海の船に乗りたいんだね」
耕太が裕司の背中にしがみついているのを見た他の子供も、裕司にしがみつき始めた。
「私も船に乗る!」
みさきや加奈子は遠慮せずに、ぐいぐいと裕司によじ登った。
「――私は、学校の先生になる」
知世は裕司と手をつなぐと、少し照れながら言った。知世やみさきが学校に通うようになる前は、裕司が年下の子供達に簡単な読み書きを教えていたが、今はその役を知世がしていた。知世も人にものを教えるのが思いのほか楽しいらしく、耕太と加奈子に辛抱強く読み書きを教えていた。
「そっか、知世ならきっといい先生になるよ」
子供達をぶら下げたまま、リヤカーに向かいながら裕司は答えた。
「そろそろ、帰ろうか」
裕司は、トラクターを家に向けてハンドルをとった。
◇
ふうっと息を一つ吐くと、裕司は教科書とノートを閉じた。そのまま学校のカバンにしまい、机のライトを消す。
ベッドに横になると、窓から涼しい風が入ってきた。外に見える夜空には、いつも通り満天の星空が瞬いている。船乗り、先生……自分は、何になりたいのだろう。
父親の仕事が嫌いなわけではない、だから漠然とこのまま農場を手伝う事になるのだろうと思っていた。父親はやりたい事ができたら、それをやればいいといっていたが、〈八丈〉という世界しか知らない裕司には、他に何ができるのか分からない。
(――ゆっくり考えよう)
裕司は、毛布をかぶると目を閉じた。