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銀のコイン ―陸上戦闘艦「黄龍」起動―  作者: くまかご
十年前……
1/43

前・後

◆ここからお読みいただいた方は、はじめまして、くまかごです。

「十年前」は本編の前日譚で、「札幌攻防戦」時に何があったのかを語っています。

本物語が、皆さんを楽しませる事ができましたら幸いです。

【前】――――――――――――――――


 明け方まで激しく降り続いていた雨も、今は上がっていた。しかし、夜明けのうっそうとした森の湿度は高く、強い「森の匂い」が藤堂の鼻をくすぐった。


「藤堂少尉、コーヒーはいかがですか?」


 まだ、二十歳にも満たない若い兵士が、カップに入ったコーヒーを持って立っていた。


「ありがとう。良い香りだ、もらおうか」


 兵士が差し出すカップを、藤堂は受け取った。両手でカップを包み込むと、雨でずぶぬれになった手袋越しに温もりが感じられた。コーヒーを一口啜って、大きく息を吐く。吐いた息は白くなり、森の中へと消えていった。コーヒーをもう一口啜ると、藤堂は自分が指揮する部隊を眺めた。

 装甲戦闘車程の大きさの機体に、様々な兵装と百二十五ミリ砲をぶら下げ、巨大な二本の脚でそびえ立つ〈重戦機〉が二機。それより小ぶりだが、十分に強力な〈戦機〉が二機。そして、随伴の〈戦闘用ウォーカー〉が五機。これが、戦力のすべて。

 これは、大きな賭けだった。


 ◇


 ――今、北海道の首都である札幌は、九十年前の大戦終結以降、長く晒された事のなかった戦火の真っただ中にあった。北海道の遥か北方に位置する〈真波(しんぱ)〉は、宣戦布告をする事無く侵攻を開始し、瞬く間に北海道を蹂躙した。札幌の防衛は既に第二次防衛線まで破られ、残るのは市街地からわずか十キロの所に構築された、第三次防衛線のみ。今はまだ、なんとか耐えているが、これを破られると〈都市〉そのものを使った最終防衛線だけになってしまう。市街地では、ロケット砲による無差別攻撃で被害も出始めていた。追い詰められた日本皇国陸軍司令部では、札幌を放棄するという案が検討され始めた、という噂もあった。


 しかし、日本皇国陸軍少尉の藤堂には、腑に落ちない事があった。


 〈真波〉は、海を渡り上陸してきた。上陸を確認した地点から札幌まで、陸路で二百キロ近くあるが、〈真波〉はその距離をわずか三日間で侵攻してきた。いくら皇国陸軍の兵力が貧弱とは言え、この侵攻速度は速すぎた。通常なら上陸地点を確保し橋頭保を築き、兵站線――補給路を確保しながら進む。だが、この侵攻速度ではそれはままならない、それどころか不可能なはずだ。

 藤堂はすぐに各地に取り残され潜伏している部隊に連絡をし、情報を集めた。そして、部隊からの報告や避難民の話は、すべて藤堂の推測を裏付けていた。


 ――〈真波〉は、兵站線を確保していなかった。戦争を行う上では、あり得ない話だ。机上の理論でも、鼻で笑われる所かその場から叩き出されるだろう。だから、だれも気付けなかった。

 〈真波〉は宗教国家で、教義では生者の役割は全体に奉仕し国に仕える事だけにあり、その本質は〈死後〉にあった。〈真波〉に奉仕し死を迎える事で、初めて救いが与えられると言う教えだ。今、北海道に攻め込んできている〈真波〉の軍は、その命を使う事で札幌を陥落させようとしているのだった。


 とはいえ、弾薬の補給がなくては戦う事ができない。藤堂は更に情報を集め――そして見つけた。〈真波〉は巣を持たない軍隊蟻のように、すべてを持って移動していた。藤堂の目当てである弾薬は、札幌から五十キロ離れた山間の町に集積されていた。


 ◇


「藤堂少佐、よろしいでしょうか?」


 藤堂は参謀会議に向かう途中の、直属の上官である藤堂少佐を呼び止めた。名前が示す通り、少佐は藤堂の父親で、北海道北西部の領主でもある。制服を上から下まで隙なく着こなし、ボタンから靴まで曇りなく磨き抜かれたその姿は、絵に描いた〈上級士官〉のようだ。それに対して藤堂は、前日から着替えていない糊の取れた作業服で、そのみすぼらしさに少し恥ずかしくなった。


「どうした、藤堂少尉。私は、これから会議に出なければならないのだが」


 藤堂少佐はそんな息子の姿には何も言わず、事務的に答えた。


「その事で、お話があるのですが……。こちらを、ご覧いただきたいのです」


 藤堂は両手で持った、作戦計画書を差し出した。

 藤堂少佐は――息子とは言え、有無を言わさぬ、その無礼な口調に眉をひそめた。しかし、自分の息子は今までただの一度も、軍務において親子の関係を利用したことは無かった。藤堂少佐は思い直すと、息子が差し出す作戦計画書を受け取った。廊下の明るい窓際に移動し、ぱらぱらと紙をめくる。ざっと最後まで目を通すと、もう一度最初から見直した。

 藤堂少佐は小さく息を吐くと、作戦計画書を藤堂に突き返した。


「これは、お前が持っていろ。報告書は回してあるのか?」

「はい、既に提出済みです」

「ここに書いてある情報は、いつの物だ?」

「三時間前です」

「――分かった。ついて来い」


 そう言うと藤堂少佐は踵を返し、会議室へ向かい歩き始めた。藤堂は計画書を小脇に挟むと、父親の背中を追いかけた。

 会議室の前に控える衛兵は、藤堂少佐を認めるとすぐに扉を開けた。衛兵は続いて入ろうとする藤堂を誰何しようとしたが、藤堂少佐が手を振って下がらせた。藤堂少佐は控えの間に入ると、会議室付きの士官を探した。


「やあ、おじさん、兄さん。僕をお探しですか?」


 制服に、真新しい三等少尉の階級章を付けた男が話しかけた。


「尾関少尉、公私の区別はつける様に――私は、お前の上官だぞ」

「はい、失礼しました。藤堂少佐殿」


 尾関は姿勢を正して敬礼をしたが、どこか不真面目な感じがする。尾関は母方のいとこで、藤堂家と同じく軍人の家系だ。藤堂より四つ年下で、互いに一人っ子の二人は、幼い頃から兄弟のように育った。


「……まあ、いい。藤堂少尉から報告書が上がっているはずだが、中の人数分コピーを作っておいてくれ」

「はい、分かりました。おじさん達のお役に立てて、嬉しいですよ」


 尾関はそう言うと、流れるような動作で敬礼をして立ち去った。藤堂は尾関に対する違和感の原因が分かった。不真面目なのではなく、一つ一つの動作が〈キザ〉なのだ。元々〈その気〉はあったが、士官学校に入ってからは、更に酷くなっているようだ。藤堂少佐も同じ思いらしく、首を振りながらその姿を見送った。


「いくぞ」


 藤堂少佐は、一礼をして会議室に入って行った。


「遅れまして、申し訳ございません」


 会議室には既に全員が揃っているようで、大きなテーブルの席はほとんどが埋まっている。藤堂少佐は上座に座る土方大佐にもう一度一礼をした後、他の佐官家の参加者にも頭を下げた。土方大佐は藤堂少佐の後ろで同じように頭を下げる藤堂を認めると、一瞬意外そうな表情を浮かべたが、すぐに元の表情に戻り着席を促した。藤堂はテーブルに座る父親の後ろ、壁際に並べられた椅子に腰をおろした。


「では、早速始めよう」


 土方大佐が全員に告げた。


 ◇


 会議は紛糾する事無く、淡々と進んで行った。既に議論はし尽くされており、この会議は最終報告のための物だからだ。議題の中には、札幌を放棄する計画の報告もあった。藤堂も驚いた事に、その内容は、札幌の放棄を〈するか、しないか〉では無く、すでに〈いつの時点でするか〉という計画だった。


「では、これですべての議題は終わったが、他に何かある者は――」


 土方大佐はそう言いながら、藤堂少佐に視線を向ける。自然と他の参加者たちの視線も、藤堂少佐に集まった。


「よろしいでしょうか?」


 立ち上がり発言を求める藤堂少佐に、土方大佐はうなずいて答えの代わりとした。藤堂も、できるだけ音をたてないように静かに立ち上がった。


「ありがとうございます。では――藤堂一等少尉から、作戦の提案がありました。報告書については、既に提出済みです」


 土方大佐が傍らの士官――尾関少尉に目配せをすると、すぐに報告書が渡された。尾関は続けて、他の参加者にも報告書を配っていった。土方大佐は首から下げた眼鏡を掛け、一枚一枚ゆっくりとめくって行く。最後まで読み終わると、眼鏡をずらし上目使いに藤堂少佐を見た。


「――〈真波〉の補給線がこの情報通りだとして――それで、どうする?」

「はい。よろしければ、藤堂少尉から提案された作戦をご説明いたします」


 土方大佐は壁際に立つ藤堂を見つめ、うなずいた。藤堂少佐もうなずくと、藤堂は一歩前に進み出た。緊張でのどが渇く。藤堂は、小さく咳払いした。土方大佐の後ろに控えた尾関が、片目をつぶってよこした。


「では、作戦をご説明させていただきます――」


 ◇


 藤堂は、要点をできるだけ簡潔に説明した。土方大佐は説明の間中、ずっと腕組みをし、目を閉じて聞いていた。隣に座る中佐が尋ねた。


「この作戦を行うとして、襲撃部隊の戦力はどうするつもりだ。今の我々は防戦に手いっぱいで、余剰の戦力は存在しないぞ」

「そうだ、札幌の防衛を捨てろと言うのか」


 その発言に、他の面々も口々に同意した。


「それを考えるのは、彼ではない。我々の役目です」


 藤堂少佐は発言した中佐に、少し大きな声で答えた。


「いや、そうだが……。しかし……」


 中佐は反論しようとしたが、藤堂少佐の言外の視線に口ごもった。

 土方大佐は座っていた椅子を回し、後ろを振り向いた。そして、背後の壁に掛かる北海道の地図を、じっと見つめた。


「……私の護衛連隊を使え」


 突然の提案に、一同は静まり返った。


「しかし、大佐殿。それでは、我々――大佐殿が……」

「札幌を放棄する時に、私を――いや、自分たちを守れないと言うのだろう? だがな……国を、皇国民を守る事のできない者が守られて、何の意味がある?」

「……はい……」

「我々は、〈負ける〉戦い方しかできなかった。だが――彼は、〈勝てる〉可能性を提示したのだ」


 ――この会議場に座っているのは、すべて佐官の階級章を付けた皇国陸軍の軍人だった。しかし、その中身は本当の意味での軍人ではない。


 九十年前の大戦時、世界は戦火と疫病に蝕まれ、滅亡寸前に陥った。もちろん日本皇国も例外ではなく、当時首都のあった東海道をはじめ、南海道、北海道も壊滅的な状態にあった。だが、唯一、北海道の一師団が疫病を退ける事に成功し、北海道の多くの人を救った。その後も、師団は戦後復興の中心を担い、皇国の立て直しに尽力した。皇国陸軍を中心とした暮らしが続く内、佐官は世襲となり――大佐が最高位の〈佐官家〉として、領地を持つ大昔の貴族のような存在となった。今では、政治は通常の議会制がとられているが、軍事的な事柄はこうして佐官家が取り仕切っていた。


 もちろん彼らも、一般の軍人と同じ教育と経験を経てここにいる。だが、志願をして軍人になった者と世襲で軍人になった者では、立つ位置が――覚悟が違う者もいると言う事だ。彼らを無能とは言わない。そうであれば、この体制が長く続くはずがなかった。しかし、平時に慣れすぎてしまった彼らでは、戦時には――しかも、これほど早く動く事態には、荷が重すぎた。


「……では、重戦機二、戦機二、戦闘用ウォーカーを五機だ――これ以上は、割けない。避難をする〈市民〉を、護衛するために残しておいた連隊だ」


 土方大佐は、〈市民〉という言葉を強調した。中佐はほっとした表情を浮かべたが、土方大佐の皮肉に気付き顔を赤くした。


「ありがとうございます」


 藤堂少佐が一礼をして、礼を言った。藤堂も、同じように一礼をした。


「部隊の指揮は――藤堂一等少尉、君が執りなさい」

「はい、部隊の指揮を、拝命いたします」

「出撃は?」

「すぐにでも、です」

「そうか。志願でも何でも、人選は君に任そう。連隊長には、私から連絡しておく。さあ行くがいい、藤堂少尉」


 藤堂は、姿勢を正して敬礼をした。土方大佐が答礼をすると、回れ右をして振り返らずに会議室を後にした。藤堂少佐は、その後ろ姿を見送った――その顔には、めずらしく笑みが浮かび――そして消えた。


 夕暮が迫る中、藤堂は着替える間も惜しんで、護衛連隊に向った。


 ◇


 藤堂の乗った高機動車が護衛連隊本部に着くと、連隊長が直接出迎えてくれていた。


「小笠原大尉、お久しぶりです」

「うん、少尉」


 藤堂たちは、互いに敬礼をした。小笠原は、以前は父親の部下で、自邸で何度か顔を合わせた事もあった。


「直接、大佐から連絡があって驚いたが――概要は聞いた」


 小笠原は高機動車に乗り込むと、藤堂を連隊奥の格納庫へと案内した。


「実は、人選はもうできている。実際に見てみて、判断してくれ。作戦には、全員が志願してくれたんだが……独り身のやつから選んだ」

「はい……お手数をおかけしました」


 順当な判断だと、藤堂は思った。


「――藤堂少尉。君は、結婚したのではなかったか?」

「はい、一年前に」


 藤堂は、服の上から胸元を叩いた。そこには妻と結婚した時に交換した、〈銀のコイン〉を首からかけている。これは大戦後に始まった、指輪の交換に変わる結婚時の風習だ。


「そうか――おめでとう」

「ありがとうございます」


 藤堂は案内された通路を進み、格納庫脇の広場に高機動車を止めた。


「彼らが、君の部隊だ」


 小笠原と藤堂が高機動車から降りると、きれいに整列をした一団が、号令に合わせて敬礼をした。小笠原は途中で立ち止まり、藤堂を前に立たせた。藤堂は全員の前に立つと、姿勢を正して敬礼をした。藤堂が敬礼を解くと、号令に合わせ全員が敬礼を解いた。

 藤堂は自分の前に並ぶ、夕日に照らされた一人ひとりの顔を眺めた。確かに、若い顔がほとんどだ。中には、成人前の少年のような兵士もいる。だが、どの兵士も士気の高い、決意に満ちた顔をしていた。


「私が、この部隊の指揮を拝命した藤堂だ。これから向かうのは――〈真波〉主力部隊の真後ろ、敵の生命線である弾薬補給部隊だ。ここを叩けば――我々は勝てる。札幌を、北海道を、我々の手で守るのだ。戦いは、熾烈な物になるだろう。だが、私は信じる――こうして志願をしてくれた皆とならば、必ずこの作戦を成し遂げられるだろうと――」


 藤堂が話し終えると共に、自然と兵士たちの間に雄叫びが生まれた。

 最後衛の護衛連隊は、前線で他の兵士たちが戦うのを、ここで見ている事しかできなかった。彼らにはそれが、もどかしかったのだろう。藤堂が手を挙げると、兵士達は静かになった。


「では、準備が出来次第、出撃する」


 兵士達が解散した後、小笠原と、先頭で号令をかけていた最先任曹長が近づいてきた。


「どうだ、少尉。良い部隊だろう」

「はい、本当に。士気も高いですし、申し分ありません。では、彼らをお借りします」


 藤堂の言葉に、小笠原はうなずいた。


「それから、彼はこの部隊の最先任、里崎曹長だ」


 ふっくらとした体形の里崎は、ニッと笑って敬礼をした。


「良いお話しでした。少尉のお言葉で、部隊の士気が更に上がりました」


 里崎曹長は、藤堂よりかなり年上だった。


「ありがとう――出撃は、どれくらいでできますか?」

「三十分以内には、準備が整います。それから、少尉の戦闘服などが、あちらの隊舎に届いております」

「ああ、そうか――」


 そう言えば、藤堂は昨夜から着ていた作業服のままだった。曹長と別れた藤堂は、小笠原と共に隊舎向った。


「そうだ、部隊の編成に、補給用のウォーカーも二機付けておいた――これは、命令違反になるのかな? まあ、いいだろう――少尉がこの作戦を成功させれば、関係が無くなるのだから」


 小笠原は、藤堂の肩に手を置いた。


「若いやつらばかりだが、皆、練度の高い優秀な兵士だ。必ず、役に立つだろう。藤堂少尉、頼んだぞ」


 肩に置いた小笠原の手に、力がこもった。


「はい」


 藤堂はうなずいた。


 ◇


 隊舎で手早くシャワーを浴びると、森林迷彩の戦闘服に着替えた。姿見に自分を映し、確認をする。申し分がないようだが、どうしても父親のように〈一部の隙も無い〉着こなしはできない。藤堂は防弾ベストとヘルメットを小脇に抱えると、小銃を持って廊下に出た。まだ、迎えは来ていないようだ。隊舎受付の脇にある、公衆電話が目に入った。少し考えた後、受付で小銭を両替してもらった。受話器を取り小銭を投入すると、ダイヤルを回す。

 戦時中なので電話は通じないかもと思ったが、受話器からはいつも通りの呼び出し音が流れた。呼び出し音が数回なった後、ガチャリと音がして相手が出た。


(――はい、藤堂少佐邸でございます)


 住み込みで働いてもらっている、お手伝いの女性が出た。


「隆行です――妻はいますか?」

(――はい、ご在宅でございます。少々お待ちください)


 電話の向こうで受話器を置く音が聞こえ、藤堂はそのまましばらく待った。受話器からはざわざわとした、多くの人の気配が伝わってきた。


(――ごめんなさい、隆行さん。少し、手間取っちゃって)

「――どうしたの? ずいぶん騒がしいようだけど」

(――お屋敷を、街から避難してきた人達に開放したの――お父様や隆行さんに連絡が取れなかったから、お母様と相談して勝手に決めちゃったのだけど……)

「ああ、かまわないよ――お疲れ様。屋敷にある物は、何でも好きに使ってくれて良いから、皆に不自由をさせないよう、よろしく頼むよ」

(――はい。お母様と手分けしても、大忙しで――お庭まで人がいっぱいで、まるで私達の結婚式の日みたい――不謹慎かな、こんな時に)


 藤堂はあの日を思い出し、笑みがこぼれた。


(――ところで、どうしたの? こんな時間に電話なんて、めずらしいわね)

「ああ、これから少し、出掛ける事になってね。出発まで時間が空いたから……電話してみた」

(――お出掛け……ですか?)

「……うん」

(――じゃあ――帰りを待っているね。隆行さんなら大丈夫、頑張ってきてくださいね)


 隊舎の扉が開き、里崎曹長が顔をのぞかせた。藤堂は受話器を耳に当てたまま、里崎に手を振った。


「ありがとう。迎えが来たようだ――行ってきます」

(――いってらっしゃい、隆行さん)


 藤堂は受話器を戻すと、小銭をポケットにしまった。


「藤堂少尉、準備が完了しました」


 藤堂はうなずくと、里崎について隊舎を後にした。外は、雨が降り始めていた。


 ◇


 藤堂達の部隊は敵に発見されないように、大戦後に放棄され荒れ果てた道路で移動してきた。道路のアスファルトだった部分には土がたまっているが、まだ道路として判別できるし、あまり大きな植物も生えていない。だが、道路脇の森林化はかなり進んでいた。木造の建物のほとんどは崩れ落ち、時々現れるコンクリートの建物も周りを木々に覆われていた。

 藤堂はコーヒーの最後の一口を飲みこんで、カップを兵士に返した。


「ごちそうさま」


 頭上の枝間で、鳥が飛び立った。その拍子に、木々に残った雨垂れが、藤堂の首に滴り落ちた。藤堂は、声にならない声をあげ上を見ると、その顔に新たな水滴が降り注いだ。


「――まったく」


 タオルで顔を拭き首筋をぬぐうと、首から下げたコインを取り出し胸元もぬぐった。その様子を見ていた兵士は、藤堂のコインに目を止めた。


「ん? これが、気になるのか?」

「はい――あ、いえ、申し訳ございません。ぶしつけに、見つめてしまい」

「構わんよ。で?」

「その――由緒あるコインなのかなと、思いまして」

「いいや、普通のコインだよ。九十年前の皇国銀貨を複製した、ありきたりのコインだ」

「へー、そうなんですか。自分にも、コインをあげたい人がいて、色々と調べているんです。この戦いが終わったら、二人で――」

「おい! ちょっと待て!」


 藤堂は、右手をあげて押しとどめた。


「お前、名前は?」

「はい、山本兵長であります」

「山本……。戦いの前に、遂げたい思いを語るのは不吉だぞ……」

「……あっ! はい」


 山本は「神の上の神様お願いします……」と、小声で〈おまじない〉を唱えた。


「よし、その話は〈今度〉しような。なんでも教えてやるから」

「はい。お願いします」


 山本は、深々と頭を下げた。


「――藤堂少尉、斥候が戻りました」


 頭を下げた山本の後ろから、里崎がひょっこり現れた。


「情報の通り、〈真波〉の補給部隊――弾薬集積所はあの丘の向こうにあります。周囲の護衛も、情報の通りでした」

「了解、ご苦労様です。では、部隊をあの丘の稜線まで移動して、攻撃準備を」


 里崎は部隊の中を走り回り、藤堂の指示を伝えた。藤堂は、山本の肩を叩いた。


「――では、行こうか」


 先程まで上がっていた雨が、また、降り始めた。



【後】――――――――――――――――



 藤堂は丘の上に目立たないようにしゃがみ、双眼鏡で〈真波〉の弾薬集積所を観察した。雨は視界を悪くし、細部まで見る事が出来ないが、概ね報告の通りだった。札幌へ通じる幹線道路脇の広大な果樹園の中に、分厚い土嚢に囲まれた弾薬が見える。そして、その両側に控える重戦機が二機。この、敵の重戦機は、こちらの重戦機よりもひと回り大きかった。他に、重機関銃を設置していると思しき、土嚢を積んだ掩蔽壕もいくつかあった。

 これも報告通りだが、集積された弾薬は、有り得ない形で保管されていた。通常、弾薬類を保管する場合は、事故があった時の誘爆を防ぐため、間隔を開けて細かく分ける。しかし、果樹園の中に設置された集積所は、周りを土嚢で固めてはあるが、大量の弾薬を一ヶ所に集めていた。だからこそ、藤堂はこの作戦を立てたのだが、なにか宗教的な理由でもあるのだろうか、といぶかしんだ。

 だが、理由がどうであれ、やらなければいけない事には変わりがない。藤堂は里崎にうなずいた。


「総員、乗機!」


 里崎が号令をかけた。ここで指揮を執る藤堂と後方を支援する一部を除いて、兵士達は各機に乗車した。藤堂は、無線のマイクに口を近づけた。


「作戦の手筈に変更はない。〈真波〉の補給線は、伸びきっている。ここを叩けば――あの、でっかい山を吹き飛ばせば、我々の勝ちだ! ここにいる全員で、札幌まで見えるでかい花火を打ち上げるぞ!」


 全員の雄叫びが、無線越しに聞こえた。藤堂は手を振って、迫撃砲の脇に控える兵士に合図をした。兵士は一発だけ、砲弾を砲身に放り込んだ。『ポン』という音と共に、砲弾が発射される。集積所をじっと見つめていると、ぱっと煙の花が咲いた。それを見て、藤堂は指示を出した。


「距離よし。角度、左に二度修正。発煙弾、撃ち方、始め!」


 十台の迫撃砲から、次々と発煙弾が発射された。発煙弾は集積所の手前に着弾すると、果樹園の木々の間に大量の煙を撒き散らした。


(――全機、前進! 奴らを、叩きつぶせ!)


 煙幕が広がったのを見て、里崎が号令をかけた。丘の稜線に隠れていた戦機達が一斉に立ち上がると、二本の脚を振り上げ丘の稜線を越え、坂を全速で下り始めた。迫撃砲からは、次々と発煙弾が撃ち出され、部隊が敵陣に近づくまで煙の壁を維持する。


 藤堂は部隊を三つに分けていた。戦機による攻撃隊と、ウォーカーによる工作隊だ。

 敵の重戦機は二機、これをこちらの重戦機と戦機でそれぞれ封じる。この重戦機を撃破する必要はなく、引きつけておくだけで良い。その間に、五機の戦闘用ウォーカーで、中心にある一際大きい弾薬の集積場所を制圧し、爆薬を仕掛ける。そして、全機が安全距離まで撤退後、爆薬を起爆すれば――あれだけの弾薬が、密集して置かれているのだ、すべてが吹き飛ぶだろう。


 ◇


 丘の上で全体を見渡す藤堂は、敵からの反撃が始まった事に気が付いた。だが、濃い煙幕の壁に阻まれ、狙いは定かではない。土嚢の掩蔽に囲われた陣地から放たれる、重機関銃の発射光が見え、少し遅れて銃声が届いた。部隊は重戦機を先頭に、まだ、一団となって進攻している。戦闘――特に接近戦に特化した戦機とウォーカーの装甲は、重機関銃の十二・七ミリ弾では貫くことはできない。部隊は歩みを遅らせる事無く、集積所に近づいて行った。

 二機いる敵戦機の内、左側にいる重戦機が動き始めた。


「左手側の重戦機が動き始めた。部隊、散開! 左手側の重戦機は、拠点防衛型と思われる。二番隊、十分に注意しろ」

(――了解)


 藤堂の指示で、作戦通り部隊が三つに分かれた。三隊が、予定通りの目標に向かう。だが、右側の敵重戦機の動きがまだ無い。藤堂は、双眼鏡をそちらへ向けた。よく見ると、右側の重戦機も動き出しているようだが、動きが鈍い。


(――各個、撃ち方、始め!)


 里崎の号令で、戦機の攻撃が始まった。左右に展開した戦機隊は、移動と砲撃を繰り返しながら前進して行った。左側の戦機隊は交互に砲撃をして、予定通り重戦機を食い止めている。拠点防衛型の重戦機なので、動きは遅いが防御力と攻撃力がかなり高い。だが、牽制だけならば、十分対応できるだろう。

 戦闘ウォーカーも、弾薬集積所を占拠するため、速度を上げ始めた。


(――何だ、あれは! 少尉、右手側の敵重戦機が!)


 藤堂は、急いで双眼鏡を右に向けた。敵重戦機はその巨体を〈四本〉の脚で、持ち上げ始めた。皇国でも〈真波〉でも、戦機の設計思想は同じで〈二本脚〉が基本だ。しかし、今、起動し始めた敵重戦機は四本脚だった。そして、完全に立ち上がったその機体は、通常の重戦機の倍近い高さがあった。四本の脚に支えられた機体の上下には、回転式の砲塔が装備され、前後と左右にも機関砲が見える。それはまるで――〈移動砲台〉のような姿だった。


「各機、注意しろ! 右手側の敵は重戦機ではない――砲台型戦機だ!」


 敵の砲台型戦機の機関砲塔が回転し、中央のウォーカーに向けられた。ウォーカーはそのまま集積所までたどり着こうと、果樹園の木々をすり抜けながら走り続けている。砲台型戦機の機関砲が、一斉に火を噴いた。

 機関砲弾は木々をばらばらに引き裂きながら、先頭のウォーカーを直撃し火花を散らせた。砲台型戦機の機関砲弾が、集団で走るウォーカーをなめる様に通り過ぎる。その一斉射で、最後尾のウォーカーが倒された。


「一番隊、ウォーカー隊が攻撃されている! 一番隊、里崎曹長。援護はどうした!」


 藤堂は、右側の戦機隊を指揮する里崎に尋ねた。


(――だめです! 敵本体が高すぎて、この距離からでは仰角がとれません!)


 戦機の主砲は、自機と同じ高さの相手との戦闘を想定している。自機の二倍もの高さを砲撃するには、両脚を固定し機体ごと上方へ傾けなくてはならない。


「一番隊、脚だ! 左手前の脚に、攻撃を集中しろ!」

(――了解。一番隊各機、左手前の脚に砲撃せよ!)


 重戦機と戦機の主砲がそれぞれ火を噴き、砲台型戦機の脚を攻撃した。そのうちの一発が当たり、火花が飛び散る。だが、砲台型戦機の動きに、変化はない。戦機隊は攻撃を繰り返すが、効果が無いようだった。


(――少尉、砲台型戦機の脚部は、増加装甲で覆われています。一発では、装甲を抜けません!)


 攻撃開始時に、砲台型戦機の動きが鈍かった理由が分かった。戦機は巨大で、戦場では的になりやすい――だから、二本の脚で常に移動をし続ける。この砲台型戦機は、その移動手段を捨て、脚部を重厚な装甲で覆っていた。通常なら、そんな鈍重な戦機は、遠距離からの榴弾砲の集中攻撃で、簡単に撃破できただろう。

 だが、この場においては、無敵だった。


「ウォーカー隊、引き返せ! このままでは、砲台型戦機の餌食だ」


 ここで、部隊を撤退させると、奇襲の有利さが無くなる。再攻撃は――厳しくなるだろう。だが、藤堂は――非情になれなかった。


(――少尉、申し訳ございませんが、命令に従う事ができません。ここで速度を落とすのは、さらに危険です)

「しかし……それでは、お前達が」

(――あの集積所に、爆薬を積んだウォーカーが一機でもたどり着ければ、作戦を遂行できます! 大丈夫です、少尉。移動中の目標には、そうそう当たりませんよ)

「――分かった、頼んだぞ! 里崎曹長。装甲を抜けなくても良い、なんとか援護ができないか? あれだけひょろ長い脚だ、うまく揺する事ができれば――」

(――了解。主砲の一斉射撃で、関節を狙ってみます)


 藤堂は後ろを振り返り、迫撃砲を担当する兵士に尋ねた。


「発煙弾の残りは?」

「あと、二斉射分です」

「よし、右に五度修正で――撃て!」


 兵士達は、次々に砲弾を打ち上げた。発煙弾はウォーカーと砲台型戦機の間に落ち、再度、煙の壁を作った。

 ウォーカー隊は、爆薬を積んだ二機のウォーカーを囲む陣形をとった。砲台型戦機の主砲と機関砲が火を噴き、ウォーカー隊に降り注いだ。だが、戦機隊の一斉射撃が効果を上げ、長い脚の上に乗る本体が揺れるので、狙いが定まらないようだ。機関砲弾が何発か当たり火花を散らすが、それでも彼らは走り続けた。藤堂には、ここから状況を見守り、祈る事しかできない。集積場所まであと少しという所で――ついに砲台型戦機の主砲弾がウォーカーを直撃した。


(――っああ! ああぁー!)


 無線から、声にならない悲鳴が響く。


(――まだだ! まだ、もう一機いる。あと少しだ! 陣形を立て直せ!)


 主砲弾を受けて転倒したウォーカーを置き去りに、残りのウォーカーが陣形を組み直して最後の距離を走る。ウォーカー隊は、陣地の周辺に配置された重機関銃を蹴散らしながら、ついに集積所にたどり着いた。

 藤堂はほっとした。集積所の近くまで入り込めば、砲台型戦機も撃つ事はできない。


(――少尉! 弾薬集積所にたどり着きました! これから付近を制圧し、爆薬を設置します!)

「了解! よくやった! 一番隊、二番隊各戦機、後もう少し踏ん張れ!」


 藤堂は、丘の上から今一度、戦況を確認した。左側の戦機隊は、敵の重戦機を撃破するには至らないが、十分持ちこたえている。右側の戦機隊も、砲台型戦機の主砲の攻撃を避けつつ、脚部への攻撃を続けていた。藤堂は双眼鏡を、砲台型戦機に向けた。


 ――機関砲が、弾薬集積所に狙いを定めていた。


「ウォーカー隊! 退避しろ! 砲台型戦機が――」


 砲台型戦機の機関砲から放たれた砲弾は、ウォーカーを排除しようと集まった〈真波〉の兵士もろとも、辺りをなぎ払っていった。弾薬の周りを防護する土嚢までもがはじけて飛び散り、辺りには土煙りが立ちこめた。砲台型戦機は――〈真波〉は誘爆する恐れがあるにも拘らず、〈弾薬〉を守るために〈弾薬集積所〉を砲撃した――。


 ◇


 藤堂は今起きた出来事が理解できず、茫然自失する他になかった。


(――少尉! 少尉! 何が起きたのですか? ここからでは、よく見えません。少尉、状況を!)


 里崎の声が無線機から響いた。我に返った藤堂は、双眼鏡を目に当て集積所を見つめた。だが、土煙りが立ち込め、状況がつかめない。


「砲台型戦機が、ウォーカー隊を攻撃した! ウォーカー隊、聞こえるか? 状況を報告してくれ!」


 藤堂は祈るような気持ちで、無線に向かって叫んだ。


(――少尉、申し訳ありません。爆薬の設置は、できませんでした――ウォーカーは全機破壊され、我々は弾薬集積所内に立て籠もっています)


 後ろでいくつもの銃声が響く中、ウォーカー隊からの返信があった。


「無事な者は、何人だ?」

(――五人です。内、二人は重傷です)


 藤堂は、もう一度戦況を眺めた。

 集積所の爆破はどうする――藤堂は、必死に考えた。いや、今はウォーカー隊を救出しなければ――左側の戦機隊を見た。敵重戦機は防戦一方で、戦機隊には余力があるように見える。


「二番隊、戦機を一機ウォーカー隊の救援にあたらせてくれ。弾薬集積所内で、孤立している」

(――了解しました)


 藤堂の指示で、左側の戦機隊の一機が集積所に向かい始めた。


「ウォーカー隊――今、戦機を一機救援に向かわせた。戦機の援護で、爆薬の再設置は可能か?」

(――多分、いえ、可能です。爆薬を積んだウォーカーは破壊されましたが、爆薬そのものは無事です。戦機が援護してくれれば、爆薬を回収して設置ができます)

「ウォーカー隊、了解した。一番隊、ウォーカー隊救出の援護の為に――砲台型戦機の本体を、なんとか狙えないか?」

(――はい、敵の攻撃パターンが掴めてきたので、少し考えが――今だ!)


 突然の里崎の号令と共に、一番隊の重戦機の本体が急角度で上を向いた。正規の操作では、ありえない挙動だった。だが、おかげで重戦機の主砲の射線が、砲台型戦機の本体を捉えた。重戦機の主砲が火を噴き、砲弾は砲台型戦機の下部主砲を直撃した。砲台型戦機全体に、動揺が走る。しかし、動きが止まったのも束の間で、砲台型戦機は攻撃を再開した。だが、砲台型戦機の下部主砲からの砲撃は止まっていた。


「一番隊。砲台型戦機の、下部主砲の破壊を確認した。よくやった」

(――ありがとうございます。そう何度もできませんが、タイミングを見て繰り返します)

「了解」


 二番隊の戦機は、砲台型戦機の砲撃を避けつつ集積所に近づいて行った。戦況はなんとか保ってはいるが、思わしくなかった。だが、作戦成功の可能性は、まだ残っている。藤堂は何か打てる手はないかと、戦場を見つめた。


 ◇


(――少尉、二番隊です。敵重戦機が、攻勢に転じました!)


 藤堂は、慌てて左側の戦機隊に双眼鏡を向けた。先程まで防戦一方だった敵重戦機が突然攻勢に転じ、重戦機に突進を始めた。重戦機の砲撃を正面で受け止めながら、狙いを定めて速度を上げる。重戦機は砲撃を止め回避行動に入ったが、今一歩及ばず側面からまともに敵重戦機の衝突を受けた。藤堂がいる丘の上まで届くほどの、激しい衝突音が響く。

 重戦機は両脚を拡げ、衝突を受け止めた。だが、敵重戦機の巨大な質量の衝撃に、機体はよろめき背後を見せてしまった。すかさず敵重戦機の主砲が火を噴き、重戦機に直撃をした。重戦機は、機体を傾げたまま停止した。

 敵重戦機はしばらく二番隊重戦機を警戒し動きがない事を確認した後、ウォーカー隊の援護に向かった戦機を追い、集積所に向かって移動を始めた。


「二番隊重戦機! 状況の報告を! 二番隊戦機、二番隊重戦機が被弾した。敵重戦機がそちらに向かった、注意しろ!」


 藤堂は、マイクに向かって叫んだ。援護に向かった戦機は、敵重戦機に後ろを見せている。このままでは戦機どころか、ウォーカー隊も危険だ。


(――少尉、二番隊重戦機です)


 重戦機からの通信に、藤堂はほっとした。だが、無線から聞こえてくるその声は機長の物ではなく、聞き覚えのある若い声だった。


「二番隊重戦機、状況は?」

(――報告します。先程の砲撃で、破片が跳弾。機長と砲手がやられました――操縦手も――だめです)

「お前は? 大丈夫なのか?」

(――はい、自分は装填手の山本兵長です。自分は――大丈夫です)


 藤堂は思い出した。出撃前に話をした、あの若い兵士だった。


「そうか――重戦機の状態はどうか?」

(――はい、砲弾が抜けたわけではなく、破片が飛び散っただけですので、機体に問題はありません)

「よし。では、まだ動けるのだな?」

(――はい、動けます)

「これから――そちらに行く。今は、そのまま動かないふりをしていろ」

(――了解しました)


 戦況に、一刻の猶予はなかった。ここで敵重戦機を押さえる事ができなければ、作戦は失敗する。藤堂は、伝令用ウォーカーの操縦手を呼んだ。この伝令用ウォーカーは、作戦が終わり次第その成否を札幌に知らせるための物だが、今使えるウォーカーはこれしかなかった。

 藤堂は、操縦手に手短に状況を説明した。


「一緒に、行ってくれるか?」


 操縦手はうなずいた。


 ◇


 藤堂達の乗り込んだウォーカーは丘を一気に越えると、まっしぐらに戦場を駆けた。発煙弾の援護も無く、単機で走る機体はすぐ敵に見つかった。いくつもの銃弾が飛び交い、機体に被弾する甲高い音が聞こえる。ウォーカーは、重戦機に向かって走り続けた。

 最後の距離を駆け抜け重戦機にたどり着くと、藤堂達はウォーカーを乗り捨てた。重戦機の脚部を伝い、機体へとよじ登る。

 機体上部のハッチを開け、先に乗り込もうとした操縦手が、一瞬身体を引きつらせ倒れた。藤堂は後ろから操縦手をハッチに押し込み、中に入った。ハッチを閉じ、操縦手を確かめたが――すでにこと切れていた。


「ああ、そんな――くそう――」


 藤堂は首を振り、機内を眺めた。機内のあちこちに、すでに乾き始め、黒くなった血が飛び散っていた。機長達はそれぞれの座席にベルトで固定されたまま、動かなくなっていた。


「少尉、ご無事ですか?」


 右脇腹を手で押さえた山本兵長が、声をかけた。


「ああ、俺は大丈夫だ。だが、操縦手がやられてしまった――おい山本、大丈夫か?」


 山本が押さえる手の下からは、血がにじんでいる。


「大丈夫です、かすり傷です。少尉、自分は操縦の訓練も受けています。自分が動かします」

「――よし、頼むぞ」


 藤堂達は操縦席と砲手席から遺体をどかすと、機内の片隅に横たえた。藤堂は砲手席に腰を落ち着けると、座席のベルトを締めた。山本も操縦席に座ると、すぐに重戦機を起動させ、敵重戦機を追った。


「こちら藤堂。ウォーカー隊、状況はどうか?」

(――こちらウォーカー隊です。戦機の援護を受け、爆薬を回収しました。設置作業は、まだしばらくかかります)

「了解した。設置次第すぐに、戦機と共に退避しろ。一番隊はどうか?」

(――なんとか動きを押さえていますが――撃破は厳しいです)

「了解、それでいいい。爆薬の設置が完了したら、そのまま後退しろ」


 藤堂は、砲手席から照準器をのぞき込んだ。敵重戦機はこちらを仕留めたと思い、機体の後ろをこちらに晒している。藤堂は足で装填手席のレバーを蹴り込み、徹甲弾を装填した。砲弾はレールを伝い、機体下部の主砲薬室に吸い込まれた。照準器をもう一度のぞき込み、敵重戦車の機体後部を狙う。


「よし、山本。停止しろ!」


 機体が静止するとすぐに藤堂は照準を微調整し、発射スイッチを押しこんだ。衝撃と共に主砲弾が発射され、敵機体後部にまっすぐ突き刺さった。


「このまま、二射目を撃つ」


 藤堂は、手早く徹甲弾を装填し、主砲を発射した。次弾も狙いたがわず敵重戦機の後部を直撃したが、命中時の火花が上がらない。しかし、敵重戦機の動きは止まった。どうやら、後部の放熱用装置の隙間に飛び込んだようだ、と思う間もなく敵機の上部ハッチが吹き飛んだ。ハッチからは火柱が上がり、さらなる爆発が続いた。敵重戦機は、関節から力が抜けたように倒れ込んだ。藤堂と山本は、顔を見合わせた。


「……やりましたよ、少尉!」


 嬉しそうに叫ぶ山本の顔は、異常に汗をかき顔色が悪かった。


「本当に大丈夫か、山本?」

「平気です、少尉! 痛みも少なくなりましたし」


 そう答える、山本の息は荒かった。戦闘で気分が高揚して、痛みを感じなくなってきているのかもしれない。そう考えた藤堂は、操縦を変わろうと山本に声をかけようとした。


(――少尉、ウォーカー隊です。爆薬の設置が完了しました! 敵に解除されないように、すぐに爆破します。後退命令を!)

「そうか、よくやった! お前達も戦機ですぐに後退しろ。全機、聞こえたか? 後退しろ!」


 藤堂は山本を見た。


「山本、もう少しがんばれるか?」

「はい、いけます。二番隊重戦機、後退します」


 藤堂はベルトを外し座席から立ち上がると、機体上部のキューポラから戦場を見渡した。ウォーカー隊を収容した戦機は、集積所を全速で離れ始めた。里崎曹長の一番隊も、援護のため交互に砲撃しながら後退していく。


(――少尉! 敵が集積所内に入って来そうです。待てません、十秒後に爆破します!)

「全機、衝撃に備えろ!」


 藤堂は急いで座席に座ると、ベルトを締めた。


 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、……。爆発はなかった。


 ◇


(――少尉、申し訳ありません。爆破は失敗です――くそっ、なんで、なんで――爆発しないんだ)


 そう報告するウォーカー隊の無線の後ろで、銃声が聞こえた。


「ウォーカー隊――お前は今どこにいるんだ」

(――今、自分達は――弾薬集積所の中にいます)

「なぜ……?」

(――最初の砲撃で、無線起爆装置が破壊されてしまい――手動で起爆するために――残りました)

「何人残ったんだ?」

(――三人です。負傷者は戦機に収容させました)


 どうする――もう一度戦機を差し向けて――集積所の爆破は――どうする。藤堂は、何も――思いつけなかった。


(――少尉……。撃ってください)

「……え……」

(――集積所を、砲撃してください)


 ――藤堂の指揮する襲撃部隊には、もう一度体勢を立て直して攻撃する力は、残っていなかった。それ以前に、弾薬集積所を爆破する手段も、もうなかった――彼らの言う通り、直接、集積所を砲撃する以外は。


「しかし……それでは……」


 藤堂は即断を下せず、逡巡した。


(――少尉、里崎です。皆、長年の自分の部下です。ですから、最後は自分が――)


 里崎の申し出に、藤堂の心は決まった。これは、作戦を立て、ここまで全員を連れてきた、自分の役割だった。


「――いや、違う――お前達は、〈俺〉の部下だ――だから、俺がやる。全機、すぐに安全圏まで後退しろ」


 藤堂は、山本に声をかけた。


「山本、動けるか?」

「はい――いつでも」

「じゃあ、すぐそこに、先ほど俺達が乗り捨てたウォーカーがある。お前はそれを使って、ここから離れるんだ」


 山本は操縦席に座ったまま、首を振った。


「お断りします」


 藤堂の乗る重戦機は、再び集積所に向けて走り始めた。


「……少尉、ぎりぎりまで……近付きます」

「すまんな、山本……。あと少し、頼むぞ」


 里崎の重戦機と二機の戦機も後退せずに、藤堂達を援護するため砲台型戦機を全力で砲撃した。


「里崎曹長! 後退しろと言ったはずだ」

(――少尉、お断りします)

「……なんで、みんな言う事聞かないんだよ……。では、里崎曹長、各機。自分が集積所に近づくまで、援護をお願いします。その後は全機、必ず後退してください……。以上」

(――了解)


 藤堂は『これが終わったら、皆で飲みに――』と言おうとしたが、その言葉を飲み込んだ。


 ◇


 集積所を目指す重戦機は、先ほど撃破した敵重戦機の傍らで突然止まってしまった。集積所は、まだもう少し先だ。


「少尉、すみません……おかしいな、身体に力が……入らなくて……」


 山本はそう言うと、操縦席でがっくりと頭を垂れた。


「いや、ここでいい。十分だ――ありがとう」


 藤堂は榴弾を主砲に装填した。


「戦機隊、援護はもういい、後退しろ。ウォーカー隊――これから集積所を砲撃する」

(――了解です。土嚢の一部に、他よりも薄い所があります。そこを狙ってください)


 集積所の中から、発煙筒が投げ出された。


「了解した。お前達――名前を――聞いていなかったな」

(――自分は内村です。それから、吉田と村川です)

「そうか、内村、吉田、村川――砲撃を開始する。お前達は――最高の部下だ」

(――はい、ありがとうございます。札幌を――皇国を守ってください。以上です)


 藤堂は発煙筒のあげる煙に向けて照準を合わせ、そして撃った。

 砲弾は光の筋を引きながら真っすぐに飛び、土嚢を吹き飛ばした。続けて二発、三発と打ち込む。

 四射目に徹甲弾を装填し、発射ボタンを押しこんだ。徹甲弾は土嚢を突き抜けた。


 ◇


 弾薬集積所の中で、爆発が起こった。

 その爆発が次の爆発を呼び、また次の爆発が起こる。

 そして次々に連鎖し、すべてが吹き飛んだ。


 ◇


 最初の爆発が起きた時、藤堂の乗る重戦機が動き出した。地面に横たわる敵重戦機の後ろで両脚をたたみ、機体を地面に接地させて耐衝撃の姿勢を取った。


「山本、お前――」


 大きな衝撃が重戦機を襲い、機体を揺さぶった。轟音が何度も響きわたると共に、無数の破片が機体に降り注ぐ音が聞こえる。藤堂は照準器に目を当て外を見たが、何も見えなかった。敵重戦機の陰に入ったおかげで、機体は何とか爆発に耐えたようだ。

 藤堂は座席のベルトを外すと、医療キットを手に取り操縦席に向かった。


「おい、山本! やったぞ、俺達はやったんだ!」


 山本に声をかけるが、まったく反応がなかった。ヘルメットを取ると傍らに膝をつき、山本の脈を探る。藤堂は、自分の膝が濡れている事に気付いた。おびただしい血液が、座席から滴り落ちている。あわててベルトを外すと、山本を座席から引きずり出した。ヘルメットを外し機内の床に横たえ、心臓マッサージを繰り返す。


「おい……だめだよ……おい……」


 ぐっ、ぐっ、ぐっ、と胸を押し続ける藤堂は、山本の満足げで穏やかな表情に気が付いた。真っすぐに、前を見て――笑っているようにも見える。


「……ああっ……」


 山本を膝の上に抱きかかえ、そっとまぶたを閉じさせた。


「……こんな所で満足しちゃ、だめじゃないか……なあ……」


 ◇


「――少尉――少尉! ご無事ですか? 少尉!」


 里崎が、重戦機のハッチを開けて呼びかけた。藤堂は突然射したまぶしい光に、目を細めた。


「ああ、よかった――少尉?」


 機内には山本や操縦手、五人の遺体が並べられていた。藤堂は機内の壁にもたれかかり、足を投げ出して座っていた。


「みんな、死んでしまった」


 里崎は機内に降りると、藤堂の前にひざまずいた。


「少尉……」


 藤堂は、里崎を見た。


「みんな、死んでしまった……。俺が連れてきて、俺が死なせてしまった」

「……少尉、実戦は……そうですね、少尉も自分も、全員が初めての実戦でしたね。でも、自分達は生きています。敵と戦って、勝ったんです。少尉のおかげで、勝って……そして、生き延びたんです」

「勝って……生き延びた」

「そうです。〈真波〉の集積所は、すべて吹き飛びました――跡形もありません。砲台型戦機も、爆発の衝撃でそのまま倒れました。あれだけひょろ長い機体が真横に倒れたので、本体は完全に破壊されました」

「そうか……よかった」


 藤堂は眼を閉じ、噛みしめるように言った。


「――先ほど、丘の上の見張りから連絡がありました。敵の増援部隊が、こちらに向かっているそうです。ねえ、少尉……行きましょう。まだ、すべては終わっていません。自分達にできる事を、やりましょう」


 里崎は、藤堂の肩に手をかけた。


「自分達に……できる事……」


 藤堂は里崎の顔を見て、うなずいた。

 先ほどまで戦場だった果樹園には、まだ硝煙の香りが漂っていた。雨はいつの間にか上がり、昼の太陽が辺りを強く照らしていた。


 ◇


 藤堂達は廃棄された道路を辿り山中に隠れ、〈真波〉の増援部隊をやり過ごした。敵はかなりの大部隊で、あのまま残っていたら全滅は免れなかっただろう。

 その後の藤堂達の行動に、小笠原大尉の付けてくれた補給ウォーカーは大変役立った。部隊はそのまま山中に隠れ、前線へと物資を送る〈真波〉の数少ない補給部隊を叩いて行った。

 三日目には援軍が合流し、戦いが楽になった。

 援軍の指揮官が語る所によると、藤堂達が弾薬集積所の爆破に成功してから、〈真波〉の攻勢は目に見えて力を失った。すでに包囲網は崩壊し、皇国陸軍は戦線を押し返しつつあるようだった。だが、いやな話も聞いた。〈真波〉は生者にこだわらない。〈真波〉の侵攻時、子供から大人までが犠牲になった村もあったと言う。

 六日目には、交代の部隊がやって来た。

 この時には戦況は完全に逆転しており、交代の部隊は、〈真波〉の〈掃討〉が任務だった。

 藤堂達の部隊には、帰還の命令が下された。


 ◇


「総員、乗機!」


 里崎が号令をかけた。疲れ切り、ぼろぼろになり、それでも誇らしげな藤堂の〈襲撃部隊〉は、砲弾の跡があちこちに残る戦機に乗機した。藤堂と里崎は、全員が乗機するのを最後まで見届けた。


「お疲れ様でした。藤堂少尉」


 里崎は藤堂に向き直ると、敬礼をした。


「こちらこそ、ありがとうございました。里崎曹長」


 藤堂も上官が下士官にする軽い敬礼ではなく、姿勢を正した敬礼をした。


「――短い間でしたが、藤堂少尉の部隊に入れて良かったです」


 里崎は、その丸い顔をほころばせ、ニッと笑った。


「いえ、そんな……自分は……」

「少尉……あなたは、立派な指揮官です。少尉と我々……そして先に逝った彼らは、立派に成し遂げたのです。少尉は最善を尽くしました。胸を張ってください――それが、彼らへの手向けになります」

「ありがとう、そうします。彼らのために」


 藤堂は――少し笑った。里崎も笑みを返すと、右手を差し出した。藤堂は、その差し出された右手をしっかりと握った。


「では少尉。帰りましょう、札幌へ」


 ◇


 そして、藤堂は帰還する。

 父と母、そして愛する妻のいない街へと。

 そして、藤堂は慟哭する。



 そして、藤堂は英雄になった。



◆十年後の本編、第1章へ続きます。

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