第三章 人間不信
第三章 人間不信
私、「天音凛」は人間を信用していなかった。
いわゆる『人間不信』だ。
しかし私の場合、社会生活が行えないほど重度のものではない。よくある人間関係が原因で生じる軽度のものである。
なぜ私がこうなってしまったのかを聞いてくれますか?
♦
二千十四年二月五日。
「ろくに働きもせずに酒ばっかり飲んで! 少しは家族のために働いてよ!」
「うるせぇな……!」
父親が、母親に向けてビールの缶を投げつける。
私は扉の隙間から見ていた。
こんな光景は日常茶飯事で、酷い時には、父親が母親に暴力をふるうこともある。
私は常々考えていた。昔は、円満な家庭を築いていたのにいつからこんなにも零落してしまったのだろう。
「私のことなんかどうでもいいのよね。自分たちのことばっか」
私は溜息をついた。
それから、自分を騙すように寝て、なにも見てないふりをする。
そのせいか、夜はいつも嫌な夢を見るのだ。内容は思い出せないけれど、そのせいで寝覚めはいつも超最悪。
学校だけが、唯一気を抜ける場所……とは言えそうもない。嫌いでもないが、かといって好きでもない。
「リンー昨日のテレビ見たぁ?あれ超ウケるよね!」
「うん、それでさー……」
これはいわゆる、「中立」だ。クラスで目立ちすぎないようにし、されど影が薄くならないようにする。これは非常に難しい。
一回でも、「○○って生意気」など言われた日には、人生の終りを意味する。
そんなおおげさな~と思うだろうが、集団生活において一人から嫌われれば、それは伝染病のごとく周りも引込んでいく。
「一人くらい」なんて自殺行為に等しい。
だから、私は不良、男子、おとなしい子、学級委員などなど幅広い相手とコミュニケーションを取るようにしているのだ。一人に固執しすぎないように万遍なく。
いつも仮面を被っているような気持になるが、仕方ない。安全に生き抜くためには少しくらい我慢せねばならない。
帰り道、背後から私を呼ぶ声がした。
「リンちゃーん!」
「さおりん!」
「今日、部活ないからさ、一緒に帰ろっ」
彼女は古枝沙織、私が唯一心の底から親友と呼べる人物だ。クラスは違えど、保育園からの仲である。
「うんっ!」
私はさおりんに抱きついた。
「うむうむ。可愛いやつじゃのう~このこの」
さおりんは頬っぺたをつんつんしてきた。
「もうっ。やめてよ~」
「まさか百合展開……はっなんでもない!」
「え? 花がどうしたのよ?」
「な、な、な、なんでもない!」
「そう?」
たまに、さおりんはよくわからい時があるけど、一緒にいると心が安らぐのだ。
「あ、私はここで。また明日ね!」
「うん、バイバイ」
家に着くと、両親はまた口論していた。私はそれに気づかぬふりをして自分の部屋へ行く。
どんな愚かな親でも、私は両親を信じている。
どんなに、暴力をふるわれようが、罵声を浴びようが。信じることはやめてはいけないと思った。
だって世界でたった一つの『家族』なんだから。
それから数日経ち、私が中学校から帰宅すると、父親の浮気現場に遭遇してしまった。その場をすぐに去ろうとすると、父親は私の肩を掴みながらこう言った。
「母さんには言うなよ。もしちくったら……」
頬を拳打された。
「この程度じゃすまないぞ」
「……はい」
それから、私黙っては家を飛び出して公園に向かい、ベンチに腰掛けた。
「もうやだ……」
私は精神的にもう限界だった。
もう信じれなくなるかもしれない、なんて思ってしまうのだ。そんな自分がたまらなく怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い怖い。
「誰か助けてよ……」
私は必死で心の中で叫び続けた。
♦
家に帰ると、母親が首を吊り自殺していた。おそらく浮気が発覚したのだろう。すぐそばに、親の死体が転がっていた。この状況から判断するに、母が父親を殺しそのあと自分もって感じか。
「……」
なんでこんなに冷静なのだ私は。
私は涙ぐみながら笑った。
昔みたいに仲の良い家族に戻れるって信じてた。
それくらい叶えてくれたっていいじゃないか。
もうなにも信じたくない。信じれない。
この世界を。
人間を――――
この瞬間誓った。
間もなくして、私は母方の祖母に預けられた。他に親類はいない。
おばあちゃんは私を快く受け入れてくれたが、私はそんなことどうでもよかった。
一週間学校を休んだため、教室に入りにくい。
「うーん……」
そうこうしていると、いつも話している友達の一人が話しかけてきた。
「聞いたよ? 大変だったね。まぁ頑張って!」
「うん。ありがと」
彼女のおかげで一緒に教室の中へ入ることができた。
それからの展開は、容易に想像できた。
皆からの、励ましの声。
本当にくだらない偽善的な行為。
私の苦衷になんて誰も気づかない。気づこうともしない。
私が絶望していたその時あることを思い出した。
「あっ……」
そうだ、さおりんだ。さおりんなら、もっとこう素晴らしい言葉を掛けてくれるに違いない。そうに決まっている。
私は、下駄箱でさおりんを待っていると、彼女は走って私に抱きついた。
「大変だったね! でも大丈夫。私がいる。私があなたを守るから!」
「……は?」
なんだこれは。これは夢か? なんにも変らないじゃないか。人を感動させるような言葉を巧妙に使っているだけだ。
私は彼女に過度な期待をしていた。
幻滅した。失望もした。落胆もした。
私は彼女を過大評価し、それに縋ることで自己を守る術を見つけようとしていんだろう。
言わなければならない。彼女に―――
「さおりん」
「ん?」
「さようなら。こんな身勝手な人間でごめんなさい。勝手に期待して、絶望してごめんなさい。さようなら、さようなら」
「え? どういう事――――」
私はその場を逃げ出した。息ができなかったから。胸が苦しかったから。
こうして、私は親友を失った。
♦
半年も経たないうちに祖母は亡くなってしまい、天涯孤独の身になってしまった。
私は、おばあちゃんの家に勝手に住み着くのも悪いと思ったので近くにある野山に登り、野宿をして暮らした。
食糧は、近くの民家から略奪したりして何とか凌いだ。
ある日、外が騒がしいので目を覚ました。
「そっちから、作ろう」
男たちの声が聞こえた。どうやら、何かを建設するようだ。
また居場所を失うはめになった。
「ふふふ……」
私は思わず自嘲の笑いを漏らす。
私はもう知っていたのだ。
この世界は自分から何もかも奪い去ってしまう。
壊してしまう。
孤独にしてしまう。
「私は幸せにはなれないもの」
それから、山を下り繁華街をぶらついていると、高校生くらいの男と肩がぶつかった。
男が言う。
「あ、大丈夫か?」
「うん。平気」
私はそう言うと、また、街中を彷徨した。
♦
真介が、母親や姉にユウトのことを説明したら、素直に認めてくれた。
「お邪魔します。僕は、ユウトっていいます。よ、宜しくお願いします!」
「そんな畏まらなくてもいいんだよ。ゆっくりしていってね」
真介の母親がそういうと、ユウトは微笑んだ。
真介が言う。
「ユウトの部屋どうすんだ?」
真介は思った。
この家に部屋は余っていない。真介の部屋にユウトを入れて、『あんたが床。で、ユウト君はベッドね』などと言ってきそうだ。
「私の部屋に来る~? ユウトく……」
が、姉を遮りユウトが言う。
「いや、こんな美しい女性の部屋には入れません……」
ユウトは照れながら言った。
「美人なんてどこにいんの?」
真介は思わず見回す。
まず、美人と呼ばれる第一の条件として、女性であることが挙げられる。
この場にいる女性は約二人。
母親と姉さんだ。
まず、母親を検証してみよう。母親は俺に結構似ていて、近所でも俺達親子はよく似ていると有名なくらいだ。
しかし、よく考えてみろ。この俺に似ている人間なんだ。
その上、もう母親は四十代後半で、小ジワもだいぶ多い。以上の事柄から、美人とはかけ離れた存在であると断定できる。
次に、姉さんだ。姉さんは、割と父親似ではあるものの、残念なことに俺の父親はそんなにカッコいいわけでもなく、どこにでもいる普通の中年男性だ。
俺より三つ上の大学生で、若くてキメのあるしろい肌をしている。
その上、今はまだ帰ってきたばかりで、まだ化粧も落としていないから見ようによっては美人に見えるかもしれない。
けれど、ちょっと待て。
目とか鼻とか各パーツごとに取り出して見てみると、そんなに美しいパーツを持ち合わせているわけでもなく、ただ単にそのパーツごとの組み合わせがいいだけなのだ。
以上の事柄より、姉さんも美人でない。
よって、この場には美人はいない。
ユウトは、誰を指して美人と言ったのかは闇に葬られたのだった……。
こんなことを真介は一心不乱に考えていた。
真介は、はっと我に返り、この場で一番美人に近いと推測される女性、姉の方を向くと、悪意が大絶賛される笑みでこちらを眺めていた。
指をポキポキと鳴らしながら。
ん? 何か姉さんに言ってはまずいことでも言ったのかな? 彼がそう疑問に思っている隙に、姉からボディーブローを喰らった。運悪く、それは鳩尾へ一直線に来てしまった。
「ぐはっ……」
打ち所が悪かったのか、真介は悶絶している。
「もう、美人だなんて~」
「まぁ、真介の部屋でいいよね! あんた床ね、真介」
真介が思い描いていた通りになった。
真介が猛烈な痛み、吐き気で項垂れているのにも構いもせずにユウトは言う。
「よろしくね、真介!」
真介は今できる最大限の笑顔で返した。
その後、ユウトと飯を食って、風呂に入った後、午後一一時ごろ、真介達は眠った。
ニートにとってはとても早い眠りだが、ユウトがいつもその時間に寝ているそうなので、仕方なく真介はユウトに合わせることにした。
二千十四年八月十二日午前八時。
真介は目が覚めた。だが、まだ眠い。二度寝するか……と思ったが、耳元で誰かが騒いでいる。ユウトだ。
「朝だよ、真介!」
「何言ってんだよ……」
ニートの朝は昼頃なのだ。
「起きてよー!」
ユウトが真介の耳元で叫ぶ。
「うっせえな……。わかったから騒ぐな……」
真介は渋々起きて、朝食を済ませ、真介達は街に例の四人を探しに行った
「ユウトはパラレルワールドから来たんだよな? なら、この世界にもユウトはいるはずだし……もしかしたら会えるかもな」
「そうだね……でも、ドッペルゲンガーみたいで怖いよ」
パラレルワールドは、ユウトの話によると、あの女の子とユウト以外の人類は死んでしまったらしい。
つまり、あっちの俺介も死んだことになる。
可哀想に。ニートのまま死んだんだろうか。そもそも、ニートかどうかすらわからないけど。そんなことを真介は思っていた時、真介は少女に肩をぶつけた。
「わりいな。大丈夫か?」
「平気」
そう言うと少女は、何事も無かったかのようにまた雑踏に紛れていく。
「真介、今の……!」
「ん?」
「あのメールで送られてきたうちの一人だよ! 追いかけなくちゃ!」
「よく覚えてんな……」
真介達はあの少女を探しに走り出した。
♦
何故か、ぶつかった男が私を追いかけてくる。
「はぁ……はぁ……追いついた……」
息を荒くしながら私の方を見てさっきの男はそう言った。
「何か用?」
「単刀直入に言わせてもらう。俺たちの仲間になってくれ! 信用してくれないか? って我ながら初対面の奴にこれはないよな……」
この男は何を言っているのだろうか。
よく見ると、私と同い年くらいの少年もいる。
「いきなり現れて仲間になってくれ? ふざけないでよ。全く理解できない」
男は少年と何か相談している。
「ただでとは言わない。何か手伝うよ。何か協力できることはある?」
少年が言った。
何を企んでいるんだ。第一、こんな人生を歩んできた私に、人を信用できるわけがないんだ。
「あっそ。困ってることならあるけど」
「なになに? 手伝うよ!」
「あんたたちが私に絡んでくること」
「……」
そう言った後、私は彼らを無視して歩いていった。
どうせ私を欺いて、自分たちの都合の良いように利用する気だ。そうに違いない。
「あぶねえぞ!」
さっきの男の声が響いた。
なんでそんな大声を……。
しかし、私はその理由をすぐさま理解した。
赤信号に気づかず、私は横断歩道を渡ってしまっていたのだ。
気付いたときにはもう時既に遅し。
トラックが目の前に来ていた。
私は、死ぬんだろうか。でも、それでも別に構わなかった。こんな世界に未練などない。こんな、信用できる人間が存在しない世界なんて、もういなくたって構わないもの。
でも最後に一度だけ……。
――――また信頼できる人に会いたかった
……あれ? なぜ私はまだ生きているの…?
とっくにさっき来たトラックにはねられていてもおかしくはない。
「危なかった……。ちっ……。いってぇ……」
あの男が、血だらけになりながら倒れていた。
私庇ったのだ。
「なんで……」
私は、わからなかった。
私は唖然とした。
ついさっき会ったばかりの、見ず知らずの人を助ける理由なんてないに決まってるのに。
なんで。なんで。なんで。なんで……。
男は微笑みながら言う。
「言ったろ? 仲間にするって……。これで少しは信用してくれたか? 痛っ……」
が、私は彼の言葉を遮り言う。
「馬鹿じゃないの! あんた死ぬとこだったんだよ?」
「死なねえよ。俺は世界を救うからな!」
男は、そう言った。
馬鹿だ。
本当に馬鹿だ。
トラックから私を庇って、傷だらけになって、ふらふらになって。
本当に死んでしまったかもしれないのに。
だが、私は思ったのだ。
――――少し、ほんの少しだけなら、人を信用してみるのもいいかもしれない
「さっきの話、乗ってあげる」
「へ?」
「仲間になってあげるって言ってんのよ。この変態!」
私は抱腹絶倒する。
「やったね、真介!」
少年が笑顔で喜んでいる。
「変態じゃねえよ! まぁとりあえずよろしくな。俺は真介」
「私は天音凛。リンでいいわ」
私は笑顔でそう言った。
笑ったのは、何年振りだろうか。
いや、こんなに屈託無く笑ったことはないかもしれない。
いきなりは無理だけど、こいつとなら――――
こうして、私の人間不信は少し治った……かもしれない。