二章 気配
結局、エルシャが解放されたのはそれから、さらに三日が経ってのことだった。
宮殿の中にある窓一つない無機質な一室で、ラロウドを始めとする様々な人物から話しを聞かれた。しまいには彼女自身、本物であるか、異常がないかどうか丹念に調べられるはめとなった。
彼女は同じ事を永延と聞かれることにウンザリしていた。何度聞かれても、答えは変わらない。どう聞かれようが言いたいことはすでに言っている。もはや、何も言うべき事は何もないのだ。
そう、彼女にとってのは……
エルシャはずっとこう主張していた。
悲鳴があったから来てみれば全てが終わったあとだったと……だから、なにが起きたのかわからない。わかるはずがない……と、ただそれしか答えなかった。あの人影の事に関しては彼女は一切口にしていなかった。だからこそ、皆不思議がるのだ。あの人喰いをあそこまで無惨な姿にしたのは何者だと?
それが第二の人喰いとなるというのかと、皆不安に思っていた。
だいたいの者はそれだけ聞くと、とさらに踏み込むんで追求することを若干躊躇った。
しかし、ラロウドだけは厳しい目でさらに色々と聞いてきた。
最後に宮殿から出ようとしたとき、またしてもラロウドが立ちはだかった。エルシャはあの光景を思い出したくないとラロウドの追求を振り切った。それでも納得しきれていない彼は、何か思い出したら言うのだぞ、と念を押してから彼女を解放した。
街はひとまず人喰いが倒されたこと、そしてその後の被害が全くなくなったことから戒厳令が解かれた。
いつも通りとまではいかないが、平穏な夜の街が戻ってきていた。
それでも、噂が広がっているのだろう。どこか警戒的でよそよそしい雰囲気が漂っていた。一体、人喰いとは何だったのだろうか、なにが人喰いを倒したのだろうか? と、皆が噂していた。誰一人として、騎士団が人喰いを倒したなどと話しているところを見ない。
なぜだろうか……?
エルシャは帰路の途中であることを思い出した。
おそらくこのまま帰ったとしても、食べる物はほとんどないだろう。野菜はたぶんダメになっているはずだし、卵だってそうだ。あるとすれば、保存食としてたまに出す燻製肉くらいだろうか。明日、朝市に行ってなにか買い足さないといけない。
それと、ここのところずっと家を店として開けていなかった。確か、近くに住むアラナスと言う老婆が近いうちに魔よけを作って欲しいと言っていた気がした。
ぼんやりとそんな日常のことを考えながら歩いていると、いつの間にか家の近くまでもどってきていた。すぐそこの角を曲がれば家が見えてくるはずだ。そして、それは同時に人喰いが死に絶えた場所でもある。
宮殿の術師達が場を清めているはずだが、それでも残滓は残っている可能性が高い。
残滓と言っても、普通の人にはわからないほどの残りカス。その者の強く残った怨念にも似た念が恐らく残る。
簡単なお払い程度では業にも似た念は消えはしない。さらにあれほどの魔物の残滓だ。あの宮殿に籠もっている術師達では到底力不足だろう。
沈痛な面持ちで角を曲がる。
「っ……」
思った通りだった。
普通の視覚では、なにもないただの薄暗い路地に見えているはずだ。しかし、エルシャには黒いガスのようなものが地面から立ち上っているかのように視えている。
思った以上に強く残滓が残っていた。これは家に張ってある魔具の力を少し高めなければならない。ここまでの残滓があると知らず知らずのうちに周囲に感化していってしまう。影響を受ける前に遮断しておきたい。
エルシャは家に入っていった。
実に六日ぶりの家だった。
長いようで短かった。中の様子は特に変わったところはない。
まぁ、こんな家に盗人が入っていてもなにも取る物などないだろうが……
外套を脱ぎ、安っぽい作りのイスに腰掛けた。思ったよりも疲れていたのだろう、安堵でため息が出てきた。
安堵……
この家に帰って安堵する……
その事実をぼんやりと確認して、なにかエルシャには不思議な感じがした。
この家に思い入れなど何もないはずなのに安堵している。なぜだろうか?
思考を巡らそうとするが、なぜかうまくいかない。やはり宮殿にいることは彼女にとって、かなりのストレスとなるらしい。彼女は疲れ切っていた。
「着替えて……寝なきゃ……」
そう言うものの、体は言うことを聞いてくれない。上体が自然に傾ぎ、テーブルに突っ伏する形で投げ出される。
瞼が重い……
彼女はそのまま溶けるようにその意識を深い闇へと沈ませていった。
……
…………
………………?
息づかいが聞こえてくる……
荒い、でもどこか弱々しい息づかい……
これはだれ?
ぼんやりと聞こえてくる息づかいに耳を傾ける。
苦しいのだろうか?
意識を集中させる。
水をかき分けて進むように息づかいの向こう側に同調する。
そうやってみえてきた。
………………
………………
姿がみえる。
それは、もがいている……
一人の青年がもがいている。
胸をかき乱し、己が体内にあるものを掻き出すかのように苦しんでいる………
青年に意識が近付くにつれて意識が黒いなにかに包まれていくのを感じた。
それは青年が発する感情の渦だ。
苦しみ、痛み、飢え、渇き………そして孤独。
それらが混ざり合い、渾沌となってこちらの意識を飲み込もうとしてくる。
それにこれは感じたことがある。
そう、宮殿で読んでいる時に感じたあの気配だ。
「あなたは誰?」
反応がない。
「あなたは誰なの?」
もう一度問うた。
すると、おずおずとだが青年の顔がこちらを向いた。
伸びたいほうだいとなっている髪が顔の半分を隠す。
傷つき、飢えのためか頬は痩けている。
その瞳は深淵とも取れるくらいの闇が渦巻いている。
一目で尋常ではないと分かってしまった。
それでも今更逃げるわけにはいかない。
「誰なの?」
再び問うた。
すると、青年は口をぱくぱくと動かす。
長いことまともに言葉を発していなかったのか……うめきとも取れる声が漏れてくる。
青年自身もそれがもどかしいようで必死に喋ろうとしているのがわかった。
「な……まえ、わか……らな…い。あな……たは、誰……?」
掠れたような声だがちゃんと聞き取れる。
「私はエルシャ。どうして名前がわからないの?」
「わからな……い。おもいだ……せない」
苦しむように青年は言った。
「あなたはどこからやってきたの?」
「わからない……わから……ない」
青年はまるで子供が嫌々するかのように首を振る。
「どうしたっていうの?」
エルシャが優しく聞く。
青年は静かに震える声で答えた。
「こわい……こわ……いんだ」
声が聞こえたとたん、青年の体からなにかが吹き出した。
それはエルシャを取り込むようにまとわりつく。
突然のことに彼女は反応すら出来ない。
「あぁ……!?」
まとわりつくそれは力強く彼女を引き込む。
その時だった。
「いや……だ。こな…い……で、いやだ………いやだいやだいやだ、嫌だ!」
突如なにかを拒むように青年が……「彼」が叫んだ。
その瞬間、エルシャにまとわりついている物が消え去った。
同時に、意識が青年から急速に遠退いていく。
彼女はただ、それを見守ることしかできなかった。
・
気がつけば、昨日の姿そのままに眠っていた。
ゆっくりと机から体を起こす。すると、いつにもまして気怠さが体を支配している。それはまるで重労働でもしてきたかのように疲労感が重くのし掛かっている。
と、いつもより周りを把握する力が衰えているように感じる。
どういう訳か、頭の中に描かれる周囲の情景が希薄だ。なんというか、いつもよりも確証が持てないでいる。
一体どうしたというのだろうか?
いくらず、エルシャは考えないことにした。
ふらつく体で台所にやってくる。手をかざしながら食材を見てみると、やはり野菜はしなびていて、まともに食べれそうな物がなかった。
脇にある瓶から水を汲み口に含む。思いのほかカラカラに乾いていた喉が潤され、多少の清涼感が満たされる。
いつの間にか、いつもと変わらない日常がもどっていた。
家を掃除し、店として開けるといつもよりも多くの客が来てくれた。中にはよく顔を出してくれる人もいて、しばらく休みで彼女の姿が全くみえなかったことを心配してくれていた。
しかし、なぜ心配してくれるのか、彼女にはよく理解できなかった。
あっという間に時間が経ち、気がつけば夕方を回っていた。
そう言えば、ろくに何も口にしていなかったことを思い出した。確か、常連客とも言えるお婆さんがなにかを持ってきて考えても理由が見つからない。
とりあえくれていたのを思い出した。
包みを開けてみるとミートパイが入っていた。
普段あまり肉を食べないエルシャだが、この時はむしゃぶりつくようにパイを食べた。食べ終わった時には少しだが疲労感が抜け、心地よい脱力感が体を支配していた。
静けさが空間を包み込んでいた。
聞こえてくるのは自分の息づかいくらいか?
だからこそ……
そこで思い出す。
あの青年は何だったのだろうか………
しばらくすると……
なにも考えずにエルシャは自然と家を出ていた。
・
そこは王都の南部に位置するダウンタウンにある長屋だった。
もうずいぶんと前から人が入っていないのか、放置され荒れ放題となっている。所々で床すらも抜け落ちていた。そのような状況だからだろう、まともに残っている家具などは全く見当たることはない。
床は埃が降り積もり、真っ白に染められていた。
それでも屋根は完全ではないが形としてあった。もっとも、雨避け程度にはなるというものでしかないが、こうも完全に廃墟だとあるだけでもありがたみが出てくるというものだ。
とはいうものの、彼にとって雨に濡れるというのもどうでもいいことかもしれないが……
ここまで廃墟になると寄ってくる人などまずはいない。入るのに苦労はするし、入ったところで得るものはない。おかげで人との接触は避けれることはできる。
そんな廃墟の中、「彼」はもがき苦しんでいた。
久しく摂取できた純度の高い魔が、それまで抑制されていた体内細胞を活性化させていた。
久しぶりの食事。
しかし、それは彼にとってはあまりにも高級すぎたものだった。
体から溢れ出す力を必死に押さえながら彼はもがいた。
もう何日間このままでいるのだろうか?
最初に比べれば体に走る激痛は治まってきた。
それに比例して、もたげていた欲求もずいぶんとマシになった。
しかし、油断はできない。
それよりも、喰らってしまった。
またしても……自分は喰らってしまったのだ。
いくら抑制していても、やはり限界がある。
凶悪的な飢餓感がいつでも意識を飛ばそうとする。
おかげで彼は絶えず意識を失っているに等しい。
だからこそ、記憶が混濁する。
いっそ、自我がなくなればどんなに楽なことか……
そうすれば、全てから解放される。
気がつけば、月が出ていた。
破れた屋根から月明かりが照らされる。
その美しい光の中で彼はすがるように天を仰いだ。
とりあえず、力を取り込んだことにより、多少意識がはっきりしている。ここまで自分の行動に確証が持てるようになったのはいつぶりだろうか?
それすらも記憶がはっきりとしない。思考することによって、久しく使われていなかった脳細胞が悲鳴を上げる。そんな頭痛ですら、全てを押さえ込むという行為からすれば心地いいものだ。
それよりも、ここはどこで自分はいつのまに街中に入ったのだろうか……
もはや、自分が何処を歩いていて、ここが何処の街なのかすらも皆目見当が付かない。
記憶をたぐり寄せようとしてもなにも沸いてきやしない。もっとも、そんなことをいちいち気にしていたら、もっと早くに気がどうにかなってしまう。
なんとしてでも、一秒でも、一刻も早く人里から離れなければ……
ビクッ、ビクッ、と痙攣する左腕を押さえ込み動かないように力づくで締め上げる。
左腕の付け根がじくじくと痛む。腕は時に膨張し、軟体動物のようにうなり、「彼」の意志など存在しないかのように暴走する。「彼」は無意識のうちにそれを押さえ込んでいた。
移動することもままならない。押さえ込んでいるとはいえ、随分と周りに魔を放出している。このまま行けば、近いうちに見つかるのも仕方のないことだとぼんやりと思う。
そうして堪え忍んでいると制御が効かない左眼がなにかに反応した。
それも「彼」の意志とは関係なくぎょろりと動き出す。
だからこそ、嫌をなしに気が付かされた。
この長屋の中に誰かが入ってきた事。
なにもない廃墟に何らかの目的を持ったものが進入してきた事。
こんなところにいったい何のようだというのだ?
見つかったのだろうか?
いや、早い。
あまりにも早い。
こんなに早く見つかってしまうのか?
いや、それとも最初からマークされていたのか?
しかし、マークされていたのならば、こんなに時間が空くと言うことは考えにくい……
どちらにしろ、どう切り抜けるか……
「彼」は立ち上がろうとした。しかし、力を押さえ込むことで疲弊した体は食事をしたあとだというのに、あまりいうことを聞いてくれない。
絶え間ない激痛の中、ようやく長屋に侵入してきた気配を察知できた。
気配は小さい。しかも反応は一つしかない。単独で調べに来た?
いや、それはないだろう。と言うことは騎士団ではない?
それどころか……子供か?
どちらにせよ、一般人ならばやり過ごすことも可能。「彼」は気取られないように這いずる。
「ぐっ……ぬ……」
左腕を放したことで、また独りでに腕が動き出そうとしていた。
「じゃじゃ馬め……」
気力で動きを押さえつけながら、右腕だけで這う。
と、そこであることに気付いた。
いつの間にか月の光が消え、闇が辺りを支配していた。にもかかわらず、侵入者の動きは変わらない。
なにがおかしいか? それは侵入者がいる方からなにも光が漏れてこないことだ。こんな雑踏とした場所を光なしに、何事もないかのように移動できる人間がいるのか?
………ギシッ……ギシッ……
ギシッ……ギシッ……ギシッ
規則正しい足音が聞こえてくる。
まるで空間を把握しているかのように揺るぎない足取りだ。
物陰に隠れることは出来た。しかし、やり過ごせるか?
向こうは随分と近付いてきているみたいだ。
どうだ……?
……………………………
……………………………
……………………………
静けさだけがその場を支配していた。
「彼」は、ただただ息を殺し時を待った。
その者は近くにいた。
そして動かない。
ジッとしたまま、ずっとその場を動くことがない。
なんだ?
こちらに気付いているのか?
ならばなぜ何もリアクションをとらない。
待ちかまえている?
そんな気配は感じられない。
それどころか敵意すら感じない。
「彼」は困惑した。
いつの時だって、彼に意識的に近付く者は絶対と言っていいほど敵意を持っていた。「彼」はいつだって独りだった。彼もそれを望んでいた。そうして、無為にただ時に身を任せてきた。いや、任せざるをえなかったとも言えるか……
「あの……」
声がした。
若い娘の声だ。
「出てきてもらえないでしょうか?」
声の主は……明らかにこちらのことを分かっている。
そんなことが分かる娘が……ただの一般人であるはずがない。
では?
「彼」は少し考えたあと、ゆっくりと立ち上がった。
それと同時に再び月光が降り注いだ。
そして、その光の中にその娘はたたずんでいた。
腰の辺りまで伸びた白髪とも取れるような銀髪。スレンダーと言うよりは痩せすぎている体つき。さらにこちらを見ているようで何も映っていないガラス玉のような瞳がそこにあった。
まるで、魂の宿っていない人形のようだと「彼」は思ってしまった。どことなく、儚げにみえてしまう印象がそれを後押ししているのかもしれない。
娘を視界に捉えたとたん、また左腕が動こうとする。それを右腕で押さえつけ、「彼」は目を細めた。それと同時に、どこか彼女を恐れる心が「彼」に宿った。その理由が今の彼には思い出せない。何かが……何かの記憶が彼女の姿とダブらせる。
「いいから、立ち去れ。さもなければ……」
彼は凄むように覗かせている右目で睨み付ける。
声を聞くことで、少し彼女の表情に変化があった。
しかし、娘は意にも返さずにそこにいる。
次に殺気をぶつけてみたが反応は全く変わらなかった。
「……どうなっても知らないぞ」
心から出た言葉だった。
「それはあなたの意志でそうするのですか?」
思いもよらない娘の切り返しに「彼」は思わず黙る。
「あの……この前はありがとうございました」
娘はそう言い、彼に対して頭を垂れた。
「……? なにを言っている」
いきなりのことに「彼」はなにも理解できなかった。
そもそも、この娘と会うのは今が初めてだ。それがなぜお礼を言われねばならない。
「あなたですよね? 三日前に人喰いを倒したのは。私はあの時にあなたに助けられました」
三日前? 人喰い?
「ずいぶんと、気配が変わっていたので最初はわかりませんでした」
……もしや、喰らってしまった魔物のことを言っているのか? 考えてみても、それしかあるまい。この街で彼がしてしまったことと言えば、それくらいしかないはずだ。しかし、「彼」にはその時の意識がほとんどない。だから、わからない。ただ、最近なにかに呼ばれるような錯覚があったような気がした。懐かしい声のようだと思った。記憶にあるのはそれだけだった。
「悪いが記憶にないな。用向きがすんだら立ち去れ。死にたくはないだろう」
話す口調が徐序に荒れていく。
息が自然と上がる。
「なにを苦しんでいるのです?」
娘は「彼」の言葉には耳を傾けずに一方的に話す。
「な……に?」
「目の前で苦しんでいる人がいるのなら、ほっておかないのが人間なのでしょう?」
なぜか疑問系……?
「さぁ、どうなんだろうな?」
「……私にもわからない」
素直な感想を述べる娘に「彼」は眉をひそめた。
「本当のことを言うと、私にもなぜあなたを捜したのかわからないの。なぜ、ここにいるのか。なぜこうしているのか」
そこで気付いた。彼女の靴がかなり汚れている。さらに月明かりにうっすらと汗が反射しているのが分かる。おそらく、ずっと街の中を探し回っていたのだろう。
「きっと、普通の人間ならば、あなたの姿を見れば逃げ出してしまうんでしょうね」
娘は表情なく言う。
まさしくその通りだ。普通の人間ならば、「彼」の異形が分かるやいなや逃げだす。いや、異形だけではなく、こんなみすぼらしい姿をしていれば、彼に干渉する者などいやしない。
それが普通だ。
極々当たり前のことだ。
「ひとつ、あなたに言っておくことがあります。この王都にいる騎士や魔術師達は、全力であなたのことを探しています。この三日間、見つからなかったことが不思議なくらい。遅かれ早かれ、近いうちにあなたは見つけられるでしょう」
その言葉に内心「彼」は舌打ちをした。
どうやら、娘が言う魔物を倒したことで街が騒ぎ立てているらしい。こうなれば、それこそこんなところに長居は無用だ。一刻も早く街から逃げねば……しかし……
「彼」はこうして思考していることですら、次第に苦痛になっていた。あれだけでは足りないと飢餓感と渇きが、さらに重くのし掛かる。そして、なにより目の前にいる娘は……とても、とても、とても、とても旨そうに見える。
それは拷問というよりは地獄にいるような心境だ。
だが……
「だから、家にきませんか?」
一瞬の間があった。
「彼」はすぐに反応を返すことが出来ず、しばし硬直したようにそこにいた。
そして、
「なんだと? 今なんて言った!? この俺に対してなんて言ったんだ」
反射的に声が出る。
荒々しく言うと、信じられないと言うように一歩引いた。
「私の家には結界が張ってあります。あなたを隠すことが出来るのは私の家だけです」
「馬鹿な…… お前は自分の命が惜しくないのか!? この俺に殺されないとでも思っているのか」
この言葉にはさすがに怯んだのか、娘は少し黙った。
これで追い払うことが出来ると、「彼」は内心安堵した。
しかし、それは浅はかだったと彼は思い知らされることになった。
「あなたはそんなこと出来ません。それに殺す気ならば、とっくにやっているでしょう?」
「っ!?」
彼は何も言い返せなかった。こうなれば、彼女に当て身でもなんでもくらわせ逃げるか?
そうも思い始めた。
だが、その前に聞かなければならない。
「どうして、そうまでして危険を背負おうとする」
「危険? 背負う?」
娘は何のことか分からないと言ったふうに首をかしげた。
その仕草はどこか幼いように見えた。
無垢……?
「よく分かりませんが、ただ私は……あなたを知りたい。こんなことを思ったのは初めてですが、そう感じられます。なぜなんでしょうね」
自分でも心底不思議そうに娘は言った。
そんな言葉を聞いていると、ますますなにも言えなくなってしまった。
そういえば、いつの間にか飢餓と渇きが薄らいでいるような気がした……
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