プロローグ アーベの業火
それは遠い遠い過去の話。
広い広い平原に一つの国があった。
そこは大きな国だったと言う。
水は豊かで食料にも恵まれたよい国だった。
さらに隣国との戦争に勝ち、領土を広げ、国は大いに栄えていた。
そんな時、一匹の魔物が国の領土内に現れた。
魔物は稀に見る強力さで各村々を襲い人を喰ろうていた。
魔物は喰えば喰うほど力を吸収し、やがて地方を固める騎士では全く歯が立たなくなっていった。
そうして、ようやく王宮は重い腰を上げ国の主戦力である正規騎士団の一部隊を魔物討伐へと任命した。
その中にまだ若い一人の青年がいた。
まだ着任したばかりの新米の騎士だった。
同時に青年は念願叶って婚礼を終えたばかりだった。
婚礼の相手は下町に住むごく普通の娘だが、気だてがよく頭がよく回る娘だったという。周りからは過ぎた嫁だとはやし立てられ、からかわれた。最初は見向きもされなかったが、根気よく口説き続けた結果がついに実ったのだった。
あこがれていた騎士の身分と美しい妻をほぼ同時に手に入れた彼の意気込みは天にも昇るようだったと言う。
その勢いで魔物など、簡単に討伐して意気揚々と凱旋し、二人の間にさらに大きな華でも咲かそう。
そう周りには語っていたらしい。
騎士団の仲間も、そんな幸せ一杯となっている青年に最高の華を持たせてやろうと士気は高かった。
しかし、いざ討伐となると魔物は騎士団が思っていたよりもはるかに強力だった。
騎士団は、自分たちに倒せない者などなにもないと高をくくり、彼らは地方騎士の忠告を聞いていなかったのだ。
たかが魔物の一体と侮り、特に対策も準備もしていなかった彼らにその怪物を押さえるだけの力はなかった。
悲劇が起こる。
気付いた時には全てが手遅れだった。
逃げることも出来ず、徹底抗戦を続けていく内に戦力の半分を失ってしまった。
しかし、その甲斐あって魔物を徐々に弱らせることには成功していた。
そして、ゆっくりとだがなんとか魔物を崖側に追いつめることが出来た。
あと少し……
あと少しで、全てが終わる。
全員の緊張が最高点となっていた。
生き残りを賭けた戦闘は苛烈を極めた。
その中で青年は深手の重傷を負ってしまう。
魔物の注意が青年に向けられた。
大量の血を失い意識が朦朧としていた青年は、それでも死んでたまるかと剣を振り上げた。
しかし、そんな渾身の一撃もまるであざ笑うかのごとく魔物はかわしてしまう。
目の前に迫るもの、そして絶望。
だが、予期したものがやってくることはなかった。
なぜなら、彼らがいた地面が何の前触れもなく崩れたからだった。
青年も魔物も全く予想だにしていなかった事。
反応が遅れ、二人は共に闇底へと吸い込まれていくよりほかなかった。
最後に……最後に一瞬だけ青年が見たのは落ちていく魔物を見て歓声を上げる仲間と崖を崩した術師の会心の笑みだった。
青年を助けられないと判断した仲間達は彼を囮代わりにして崖を崩したのだ。
これ以上、犠牲は出せないと言う苦肉の策だったらしい。
王都に帰還した騎士団の報告は青年の家で待つ新妻にまで伝わった。
しかし、それは事実とはかなり異なる内容で報告され、青年の本当の死に様は伝わることはなかった。
ただ、青年は化け物に切り裂かれ喰われた。
そう偽られ彼女に伝えられた。
彼女は泣き崩れ、失意のどん底へ突き落とされることとなった。
騎士団の仲間はそんな彼女を励まそうと近づき始める。
彼女は青年を殺したのが誰かも知らされずに徐々に心を開いていった。
そうして、一週間が経った。
重傷者以外の傷も大体癒えだし、今回の討伐に対する祝いとして騎士団の宿舎でパーティーが催された。
その席の中に青年の妻も同席していた。
パーティは和やかに、時に盛大に進められた。
そして、それがやってきた。
急に扉が静かに開かれた。
それに気付いた一人の騎士が振り返る。
その瞬間悲鳴にも似た声が会場に響き渡った。
振り返り見てみれば、衣服もボロボロにまるで雑巾のような格好をした青年がそこに立っていた。
服はべったりと黒ずみ、髪は乱れて左眼を覆い隠している。
討伐出発前まで精悍だった顔つきには表情がなく虚ろだったという。
それはもはや生きる者の顔ではなかったという。
誰もが言葉をなくし青年を見た。
その中の一人がたまらずに口走ってしまった。
おまえは化け物と一緒に谷底へおちて死んだはずだ……と。
妻は虚をつかれたようにそれに反応した。
口走った騎士はそんな事には気がつかない。
生きているはずのないものがいる理不尽さに騎士はパニックに陥った。
そして、そのまま青年に殴りかかっていった。
青年は無抵抗のまま騎士に殴り飛ばされ壁へ吹き飛んだ。
騎士はそのまま馬乗りになり襲いかかっていく。
その喧噪で、ようやく他の騎士達がそいつを止めようと殺到しだした。
その中にはもちろん青年の妻もいた。
しかし次の瞬間、彼女の見た光景は紅い壁だった。
突如紅い柱が立ったかと思うとそれは近寄っていった騎士達を飲み込んだ。
真っ白だった部屋は天井までも紅く、紅く染め上げられていった。
少し離れた所で全てを見ていた妻はただただ恐れおののいた。
壊れた人形のように首を横に振り、這いずりながら部屋の隅に逃げる。
そんな彼女の目の前に青年の姿をしたものは立った。
しかし、彼女の瞳にいつも見ていた愛おしい彼の姿は映らない。
変わりに映ったのは青年の姿をした非情な魔物だけだった。
悲鳴を上げる彼女を絶望のまなざしで彼は見下ろした。
一体自分はなんのために戻ったのだろうか?
もう、なにもわからなかった……
そこからの記憶はしばらくなかったと言う。
気がつけば、引き裂かれた妻だったであろうものが腕の中にあった。
彼は咆吼した。
その叫びは広い王都全体を飲み込んだと言う。
この数時間後、栄華を誇った王都アーベは炎に飲まれ国は瞬く間に滅びていった。




