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第十八話『フラッシュバック』by無駄に哀愁のある背中

「七海! この際だから正直に言うよ」

 八木は左手を前に構えながら言った。その構えはボクシングスタイルで、八木が高校時代からやっているという趣味だ。

「なんだよ、八木!」

 僕はへっぴり腰ながらもその構えをミラーするように構えた。

「俺はお前を親友だって思ってる」

「それは僕だってそうだ」

「でもな……」

 八木はためらった様子だった。

「なんだよ?」

「俺はお前が大嫌いだ。いっつも自分の運命を自分自身で作ってきた」

「はぁ、なんだよ、それ? お前だって!」

「俺なんて、かごの中の鳥だ。どこに行くにも親父の顔を立てないといけない。誰だって俺の後ろにある親父の影に怯えている。俺には自分の人生は決められない。なのに、なんでお前は……そうも自分でいられるんだ!」

 激昂した八木は僕に殴りかかってきた。避けようにも先ほどの一発で足がすくんでいた僕には躱せず、拳は僕の顔にモロに入った。右頬がひどく痛む、殴打された痛みに加え、雨が染みる。足はガクガクと震え、動けない。八木はそんな僕の横にやってきて、しゃがんだ。八木の黒い髪から雫が僕の服にかかる。

「俺はお前が妬ましい。俺のほうが立場は上のはずなのにいっつも俺より上にいる。どんなに俺がお前よりいい成績を取り、お前が留年ギリギリの成績を取った時だって、『僕には行きたい学校学部があるそこに受かればいいんだ』という。部活選びだってそうだ。俺が親に言いなりで『馬術部』に入った横でお前は『入りたい部活はないから自分で作る』と言った。お前はなぜそうも俺のやりたいことをやってしまうんだ。それにつけて、俺を特別扱いしない! なんでなんだ!」

 八木の頬から垂れた雫は雨の雫なのか、彼の涙なのか、それは僕にはわからなかった。夜遅く雨雲が拍車をかける暗さでも八木が悲しい顔をしているのはわかった。


「おっと、八木君の車が来たらしい。開けてあげなさい」

「はい、旦那様!」

 私がそういうと、使用人は入口に行って、入口の門を開けに向かった。私はあの八木グループの御曹司に会えるということで、自分のネクタイをもう一度締め直した。そして、ふと美葵の方を見た。美葵は下を俯き、その表所はうつろだった。先ほど、部屋から呼び出した時の笑顔とは異なり、一瞬だがやつれているようにも見えた。その瞬間頭になにかがよぎった。


『シェヘラ。来年になったら、お前は国王の后になるんだ!』

『……』

『よかった、よかった。父さんは本当にうれしいぞ』

『…………』

『結婚できる。これで、やっと、幸せに――』

『…………ト、サマ……』

『シェヘラ。答えてくれ、教えてくれ……』

『……ケ……』


 あのくだらない悪夢の一節だった。でも、そのうつろに満ちた娘の表情はあの日の妻にも似ているような気がした。宮野家の環境に合わず、ぐったりとしているようで、私に

『ごめんなさい、もうあなたを支えることはできないみたい』

 と呟いたあの妻に……別れを切り出された瞬間のその表情に……。

 頭が痛くなった。私は妻同様に娘を失ってしまうのではと考えてしまった。グルグルと失うことへの恐怖が回る。そんな中で私の中の美しい思い出が駆け巡る。


 私は仕事が終わったあと、家に直行した。宮野家では代々産婆さんにお産を手伝ってもらうことになっていた。オギャーオギャー泣く声がする扉を開けると、静江は白いタオルを抱え、そのタオルにはたまのような赤子が一人で泣いていた。

『ちょっと、バタバタしないでよ、泣いちゃうでしょ?」

『ごめん、静江……』

『ねぇねぇ、あなた?』

『うん?』

『私ね、この子の名前は決めていたの。男の子なら陽介。太陽のように元気に立派になって欲しいもの! でね、女の子なら……“美葵” 葵の花の様に身も心も美しい子になって欲しいの』

 静江は泣く私たちの子に微笑みながら言った。


 久しぶりの休暇だった。私は静江と美葵を連れて、自然公園に来ていた。

『まま! このお花綺麗!』

『これはね、これは葵ってお花よ』

『ふーん、青くないのにアオイって変! ぱぱもそう思わない?』

『変かもね』

『あなたったら!』

『でもね、美葵。変かもしれないけど、この花には独自の美しさがある。僕と静江は例え変だと言われても、独自に美しく咲くこの葵の花のようになって欲しくて、君を美葵って名前にしたんだ』

『そうよ』

『ぱぱ、まま! 私、このお花みたいな子になる!』

 葵が咲き乱れる自然公園の一角の花畑の中、私の右手と静江の左手を握る美葵は無邪気に言った。


 ガタッ! と扉が突然開いた。

「旦那様! お嬢様! 入口で八木様と誰かが喧嘩しております!」

 使用人は客間に急いで戻ってくると、八木君を待つ私と美葵に言った。それと同時、私は過去の美しい思い出から現実に引き戻された。

「ったく、最近のチンピラは困るな。今すぐ警察を呼べ! 八木君が怪我をしたらどうするんだ!」

「まって、お父さん! 私、見に行ってくる!」

 美葵の表情は突然、満たされたような表情になった。

「ちょっと待ちなさい」

 美葵は長いドレスの裾を持ちながら、入口に向かって走り出した。私はそれを追った。美葵の後ろ姿はどことなく、あの自然公園で私の手と静江の手をギュッと握った無邪気な少女が重なった。



「お嬢様! 外は雨が降っています、傘を! お嬢様」

 使用人は私に傘を差し出したが、そんなのはどうでもいい。私は入口に向かった。すると、家の門は開いていて、そこから黒い車が見えた。それは先ほど窓から見えた黒い車だ。車と扉の端の間から、一人の青年が倒れていることが分かる。

「慶!」

 私は雨が降る外に飛び出そうとした。すると、腕をグッと掴まれた。

「お父さん!」

 お父さんは怪訝な顔で、そっと首を横に振ると、使用人を呼んで言った。

「またあの青年だ、ストーカーがいると警察に電話しろ」

「待って、お父さん!」

「もう待てまい! あの青年がいるのだぞ、お前の幸せを阻害する酷いやつだぞ。それにまだお前に突っかかろうとは厄介なストーカーだ!」

「お父さん! そんなんじゃないよ!」

「黙れ、警察は呼ぶ」

「待っててば!」

「そのお電話、少しお待ちになってもらえないでしょうか?」

 玄関から入口の間にある庭に、黒い傘をさして、黒いスーツを着た老人がいた。その老人がそう言ったようだ。私もお父様も興奮していてさっきまで気付かなかったようだ。

「宮野様、お久しぶりでございます。私めは八木亨様にお使えさせていただいている池坊と申します」

「あ、池坊さんでしたか。なぜに電話を止めるようにと? あの青年は亨君にもうちの娘にも邪魔な存在ではないでしょうか?」

 その老人の男性は傘をたたみ、お父様の横にやってきた。

「喧嘩の形勢は亨様が優勢なのは、火を見るより明らか。また、亨様はボクシングを嗜んでいます上、この先負けることもありますまい。逆にここで警察を呼ぶのは、このあとの美葵お嬢様とのご歓談をまさに邪魔をするのではと思いまして。いやはや、私めのような一介の使用人が口を挟んではいけないとは思うのですが、ご無礼を承知で言わせていただきました」

 その老人の物腰柔らかい優しい口調で、お父様は落ち着いたようで、電話をやめたようだった。

「なあ、美葵、八木君はどうやらスポーツのセンスもあるようだよ」

 と言ってきた。私は何にも言うことができなかった。

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