天空と夜明け その1
始業式の体育館はほどよく暖かく、昼寝には最適だ。
途切れ途切れになる意識をなんとか保とうと、軽く頭を振ってみたり、頬を叩いてみたりしたが効果は薄い。まどろみの中で聞く校長の話はなかなか気持ちがいいものだ。そのまま睡魔に負けてもいいだろうか。夢の中へ向かってもいいだろうか――そう思った次の瞬間、「起立!」という声が体育館に響き渡った。途端に目が覚めて、はっと立ち上がる。周りのみんなとは一拍遅れてしまった。
「高橋、お前寝てたろ」
気をつけ、礼! ありがとうございましたー。
3つのテンプレートな掛け声に紛れて近くにいた友達が茶化す。確かに寝ていたが、いざそれを指摘されるとなんだか恥ずかしかった。
「うるさい、お前こそ溜息ばっかりつきやがって」
着席。諸連絡です。
負けじと言い返すと相手は面白くないという顔をしてから、前を向いてしまった。こちらも溜息をつきたい気分になったが、ぐっと飲み干して相手を睨んだ。諸連絡は、ひどくどうでもいいことだった気がする。
新しい教室の窓からは、桜の木がよく見えた。どうせ春季限定だというのに女子達は大喜びだ。男子も新しいクラスメイト相手に自己紹介合戦に忙しいらしい。
話しかけられたら返す、という付かず離れずなスタンスをとっている俺は机に座ったままだ。時々携帯を確認してみたり、話しかけてきた男子の対応をしたり。新しく見る顔もいるが、去年と同じ顔もちらほら見える。過ごしにくいクラスではなさそうだなと、内心笑った。
本日何度目かの携帯の確認。すると、突然携帯が震えた。メールがきたらしい。差出人は何故か父だ。頭に疑問符を浮かべながらメールを開く。
『伝説の剣、エクスカリバーがお前の学校の近くにあることが判明した』
その短い一文を、俺は何度も何度も読み返した。
心の中で、嘘だろと繰り返し呟きながら。
茫然とする俺と喧騒。その隙間に入り込む、ドアが開く音。新しい担任がやってきたらしい。クラスメイトたちもすごすごと席につきはじめた。僕も慌てて携帯を鞄にしまう。
「ホームルームを始めます」
凛とした、若い女性教師らしい声だとぼんやり考えた。
この世界には、勇者がいる。
勇者村と呼ばれる村から、数年に一度選ばれる人物のことだ。
勇者の目的は伝説の剣、エクスカリバーを見つけ出し、勇者村に封印すること。これに成功した勇者は未だに初代勇者のみらしい。
…俺、高橋・A・トウヤは、エクスカリバーを追い求める勇者である。
ジョブは「剣士」だが、肩書きは勇者。まったく面倒な役回りを任されてしまったと自分の運命を心底恨んだ。だからこそ、早くエクスカリバーを見つけ出し、勇者村に封印しなくてはならない。
しかし、俺が入学した当初学校の周りはくまなく探したというのに、何故今になってエクスカリバーが見つかるんだ? 疑問は募るばかりだ。でも、うだうだと考え込んでいても仕方がない。
その日、学校はホームルームと掃除だけで終わった。あくまで始業式がメインらしい。
クラスメイトたちはまだ春休み気分が抜けないのか、この後元気に遊びにいくだのなんだの。走って教室を飛び出した者もいた。俺は彼らとは一生分かり合えないだろうなと内心考え込んだ。これから1年、どんな付き合い方をすればいいだろうか。これも悩みの種になりそうだ。少し痛む頭を押さえながら教室を出る。
「ねぇねぇ」
背後から突然響いた女子の声。俺はクールで冷静な男前だから自慢じゃないが中学の時からモテたので、俺のオーラにやられた女子がまた一人――振り向くと、小柄な少女が一人。
彼女は確か、古谷かのこといったか。1年の時は隣のクラスで、時々みかけていた気がする。何故こんなに印象に残っているのだろうか。
…あぁそうか。彼女はこんな小柄な体で、格闘技の女子日本チャンピオンなのだ。何度も表彰されている姿を見た。それと同時に、特徴的な名前が印象に残っていた。
「高橋くんだよね? ちょっと聞きたいことあるの!」
彼女はにこにこと笑いながら可愛らしい声で言う。格闘技のチャンピオンが俺に何の用なのか―――やはり本当に俺のオーラにやられたか。
「あのさ、高橋くんの名前の、『高橋・A・トウヤ』の『A』ってなにかな?」
残念ながら俺の予想は外れだった。
新学期になる度にかならず2人以上には聞かれるこのミドルネームの謎。2年になってからの第一号がまさか古谷かのこだとは思わなかった。
「あぁ、これは…親が外人でさ…」
いつもこの嘘で切り抜けている。苦労しています的な顔を付ければ皆絶対に疑わない。
本当は勇者になった時点で受け継ぐことになっているものだが、一般人にそんなことを言えるわけがない。言ってしまったら次は勇者がどうとか、そんな質問を迫られ長い長い説明をしなければならない。面倒だ。
「へぇ! 高橋くんハーフさんだったんだぁ!」
彼女は嬉しそうに両手を胸の前で合わせ、感心したというようなポーズ。古谷かのこは格闘技の才能と引き換えに少し頭が弱いのかもしれない…と言ってしまったら失礼か。女の子は少しおばかなほうが可愛い。そう自分を納得させる。
「あっ、引きとめてごめんね! じゃあまたね、高橋くん!」
腕をぶんぶんと振った後、背を向けて走り去ってしまった。
俺の予想は実は当たっていて、彼女はやはり俺に好意を抱いているのではないか――いや、でも彼女は今日本で一番強い女子高校生だ。すなわち、ゴリラにもっとも近い女子高生…いや、ゴリラといえばゲームセンターにいるアレ……もうこの話はやめておこう。それよりも、エクスカリバーだ。
かのこがいなくなった廊下に背を向け、昇降口へ向かって歩きだした。
エクスカリバーは学校の裏にある河原ですぐに見つかった。
それも、いくらなんでも無防備すぎないか、というほどに無防備に、放置されていると言ってもいいような状態で。誰かが捨てていってしまったのだろうか。
もしかしたら罠の可能性もある。誰の罠かは知らない。だが念のため警戒して、鞄からペンを一本取り出し、右手に握る。
スキル「変換」。右手に持ったものを剣に、左手に持ったものを盾に変える力。
俺が生まれた時から持っている固有スキルだ。このスキルがあるが故に、勇者に選ばれてしまった。まったく面倒なスキルだ。俺の父みたいに「3分をきっちり正確に測れる」みたいなものだったらどんなに楽だっただろう。
「…でももうそんな面倒事とはおさらばだ」
ペン(今は剣だが)を構え、ゆっくりとエクスカリバーに近づく。
多分、アドレナリンだか何か出ていたのだろう。ぶっちゃけ興奮していた。だから、背後に近付く気配に気付くのが遅れ―――
「しまった……!!」
呟いて、振りむいた時にはもう遅かった。かろうじて直撃は避けたものの、その攻撃は右腕をかすめ、衝撃で剣を離してしまった。今は丸腰状態だ。
目の前には醜いモンスターが一体。エクスカリバーの周りには二体。鋭い爪を持った、オオカミのような姿をしている。
俺のジョブは「剣士」…剣が無い状態では戦うこともできない。こういう時にジョブチェンジを要求できる仲間がいればどんなによかったことか。
あれこれ考えているうちに、目の前にいたモンスターがこちらに鋭い爪を向けていることに気付いた。絶体絶命。チート主人公という役割を与えられたはずなのに第一話から早速死亡フラグ。これはどうなんだ。
しかし突然、俺に躍りかからんとしていたモンスターの体が吹っ飛んだ。そして、目の前に降り立ったのは、うちの学校の制服のスカート。ふわりと風に揺れ、黒いスパッツが見える。なんだスパッツ履いてるのか。いや別にパンツが見たかった訳じゃないぞ。
「高橋くん! 大丈夫?!」
逆光の中で凛々しい表情を見せる少女は、あの古谷かのこだった。