6.恋するチョモランマ
――週末の午後、ニヤニヤしながら近づいて来る中学生が一人。
「とーちゃんとーちゃん、なろうの活動報告読んだよ!
『旅するランチョンマット』のタイトル、『恋するチョモランマ』って誤読してる人がいたんやって?
ぷぷっ まぁ気持ちもわからんでもないわなー」
げげっ 割烹まで読んでんのかよ!
身内になろう読者がいるという事は、すなわち自分が書いたものも読まれるという事でもあるのでどうにもムズ痒くて気恥ずかしいものだ。別に隠さなきゃならないようなマズいものを書いている訳ではないのだが……。
「ここはやっぱ期待(あるのかそんなの?)に応えて、『恋するチョモランマ』を書いとかなあかんのとちゃう?」
えええぇぇぇ!?マジですかぃ!……うーん。
でもまぁ、過去にチベット風な異世界をテーマにした短編を書いている事もあって元々チベット方面にはちょっと興味があったし、出来れば近いうちにチベット料理にも挑戦してみたいとは思っていたので、よしとするか。
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「チャラララ~♪ エベレスト山。
エベレスト(英語)またはチョモランマ(チベット語)、(ネパール語ではサガルマータ)は標高8848メートル、ネパールと中国の国境に位置するヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山です。
1920年代からの長きにわたる挑戦の末、1953年に英国隊のエドモンド・ヒラリーとシェルパ(現地ガイド)のテンジン・ノルゲイによって初登頂がなされました。現在でも世界中から多くの登山者が集いチャレンジしています。」
ヒマラヤ山脈にはたくさんの少数民族が点在している。その中でも一番有名な部族がチベット系にルーツを持つシェルパ族だろう。(現在は大部分がネパール国籍)
彼らは500年以上前から高度4000メートル以上の高地で放牧や他民族との交易で生活して来た。おかげで遺伝子レベルで高度順応していて高山病に罹りにくく、また非常に社交的で頭も切れる為、ヒマラヤ登山者のガイド兼ポーターとして一躍有名になった民族だ。現在では「シェルパ」という言葉自体が一人歩きしていて、実際には部族では無くても、ガイド役を務める者やポーターなどの事も「シェルパ」と呼ぶようにもなっている。
さて、『恋するチョモランマ』というからには、チョモランマの麓に暮らす彼ら少数民族の恋愛事情を調べてみない訳にはいかない。
実はこの地域、世界的にも珍しい一妻多夫制が残っている場所であるらしい。
一妻多夫ではなく、一夫多妻制の方ならば割と聞いた事があると思う。
かつての日本の大奥などがそうであったように確実に子供を作って跡取りを残そうという目的であったり、イスラムのように戦乱等で寡婦になった女性の経済的扶助手段の為に始まった制度だ。
つまり経済的に余裕のある男が複数の女性を妻帯するという訳だ。(経済力が無くても権力や腕力にモノを言わせてるケースもあるが)
では逆に一妻多夫制の方はどうなのかというと、別に「女性の方が権力を握っている一族だから」などといった理由ではない。
土地柄的に貧しいところに多い因習なのだ。
例えば、仮に3人の息子達がいるシェルパ族の家庭があったとする。
両親が亡くなり遺産を分配する事になった。だが、シェルパ族一世帯あたりの平均的なヤク(水牛の仲間)の所有数は4~5頭。自然環境があまりに過酷な為、頭数を殖やしたとしても飼育する事が出来ないので、必要数以上の仔ヤクは一度だけ腹一杯の乳を飲ませた後、わざと餓死させてしまう。
このような状態でもし財産を分配していたとすれば、たちまち家族みんなが共倒れして生活が出来なくなってしまうだろう。
だから最初から財産を分けない。家も家族も増やさない事で財産を守るという考え方だ。
長男が嫁を取って家を引き継ぐ。次男、三男は居候状態で嫁はとれない。
その代わり長男の嫁を共有させてもらう。
多い家だと、五人兄弟で1人の嫁を共有なんてケースもあるらしい。
下世話な話になるのだが、それって嫁が身体的に大変なんでは!?などと想像してしまった。だが、意外にそうでもないらしい。
この地方の男達は放牧や交易の為に何ヶ月も家を空けるという事がザラなので、夫婦であっても年に数回程度しか顔を合わせないというような場合もあるのだそうだ。
女性は男性と平等な社会的地位を享受していて、未婚の青年間では男女交際や性的関係も自由で、夜這いなども多い。一緒に暮らしている間に考え方や性格の不一致が生じた場合は、妻は夫の正式な同意を得るか、他の男のところに行き一緒に暮らすかすることによって、自由に離婚することができる。
結婚と言っても山岳地帯の事なので、正式な戸籍が無いケースも多く制限も随分と緩やからしい。
また逆に女ばかりの姉妹だった場合も、同じように1人だけ婿をとるのだそうだ。それでも結婚出来ずにあぶれてしまった場合、僧院に入って出家する道を選ぶ事も多いらしい。
うーん?『恋のチョモランマ』のはずが、あまりに色気の無い話になってしまった。
せめて山岳民族に伝わるロマンチックな恋物語でも残っていないかと色々調べてはみたのだが、どうにも自然環境が厳しすぎるせいなのか、神話や自然、動物、人の生死に関わるようなものぐらいしか見つける事が出来なかった。性に大らか過ぎて悲恋が起こりにくいという事もあるのだろうか?
チベット全体で見てみれば、川を挟んで対立している部族の男女が恋に落ちるロミオとジュリエット的な話などもあるにはあるのだが……。
ところで今回チベット民話を調べていると、偶然面白い話を見つけた。
なんと「ちびくろサンボ」のルーツはシェルパ族にあるのでは無いか?という説だ。
「ちびくろサンボ」は当時植民地だったインドに住んでいたスコットランド人女性ヘレン・バナーマンが子供たちの為に創作した絵本だ。
インドにもチベットからシェルパ族がたくさん移り住んでいて、彼らの間ではサンボという名前は割とよくある名前らしい。ちなみにシェルパ語では、サンボ=優秀な、マンボ=たくさんの、ジャンボ=大世界という意味になる。
そして、ラストで虎がバターになるあのシーン。
アレも原作ではバターではなく、チベットのバター茶などに使われている「ギー」(ヤクのバター)だと注釈が入っているらしい。
言われてみれば、チベットには「バレ」という名のホットケーキみたいな形をしたパンケーキもあるし、チベット系のシェルパ族からヒントを得て描かれた話なのかも知れないなという気がしてくる。
何となく「ちびくろ」という言葉が持つ言葉のイメージからアフリカ系の黒人をイメージしてしまいがちだが、よくよく考えてみればアフリカには虎はいないのだから、舞台はやはりアジアなのだろう。
19世紀のスコットランドからやって来た女性の目から見れば、雪焼けした山岳民族も黒人に変わりないという事だったのかも知れない。
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さて、そろそろ料理の方に移りたいと思う。放牧で暮らしている民族が暮らす土地柄なので、この辺りの人々には国境という意識が低く、インド、ネパール、チベット辺りでは料理にも共通点が多い。
1品目はチベットの蒸し餃子「モモゥ」。
ネパールでも広く食べられている為、ネパール料理だと思っている人も多いのだが、これもチベットから移り住んで来たシェルパ族が伝えた料理なのだそうだ。
ウズベキスタンの時に作ったマントゥともよく似ているが、あちらよりさらに香辛料がたくさん入っている辺りインドにも近い土地柄なのだなと感じられる。
中国の餃子とは違って基本的にヤクの肉を使うのだが、日本では手に入らないので牛ひき肉で代用してみた。
みじん切りした玉ねぎに、にんにくやしょうが、ガラムマサラ、クミンにコリアンダー、ターメリックと大量のスパイスを入れて捏ね上げる。と言っても辛さの元になるチリパウダーは極少量しか入れないので食べても別に辛くは無い。
皮にスプーンですくって種を載せ、小龍包のように巾着状に包んでいくのだが、これがもうとんでもなく面倒臭い。
どうやらコレは現地でも特別な料理で、祝い事などの特別な時に大勢で集まってワイワイと作るようなものだったらしい。……どおりで。
途中であまりにも辛くなって来たので、ネットで調べたらもっと簡単な包み方があったので紹介しておく。対角線上の4点をつまんで中心部でくっつけるだけ。四葉のクローバーのようになってなかなか見た目も可愛らしいので子供受けもいいようだ。
で、このモモゥを蒸し上げるのだが、蒸し器の蓋を取るまでも無く、しゅんしゅんと上がる蒸気と共にふんわりと部屋中にスパイスの香りが広がり、胃袋がぎゅっと刺激される。この辺は中国の餃子には無い感覚だ。
仕上げにトマトと玉ねぎ、ヨーグルトで作ったアチャールと呼ばれるソースを掛けて食べるのだが、コレがまたさっぱりとしていて美味しかった。このソースだけ残して置いてトーストなどに塗って食べてもハマりそうだ。
お次は「シャムデ」と言われるチベットカレー。
これはちょっとびっくりするくらい肉じゃがによく似ている。じゃがいもがゴロゴロしていてカレー風味の肉じゃがをご飯に載せて紅しょうがを添えて食べているような感覚だ。
チベットのカレーは元々インドから逃れて来たイスラム教徒がネパール経由で伝えたものなのだそうで、中国の影響を受けてチベットで独特の味付けに変化している。醤油やごま油を使う事もあるという。
同じくチベットのチキンカレーの「チャシャシャムデ」。
これもモモゥと同じくたっぷりスパイスを使っているのだが、チリパウダーが控えめなのでそれほど辛くはない。作り方としては、インドカレーなどとあまり大差がないのだが、チベット料理は全体的に辛さ控えめになっていて日本人にも馴染みやすい味のようだ。
※画像右下がチャシャシャムデ。
この写真を撮った時は、他にグリーンカレーとキーマカレーを作っていたのでナンを添えているのだが、本来チベットのカレーは白いご飯に掛けて食べるのが一般的。
そして食後に「シェルパティー」。
チベットで一般的な飲み物と言えばバター茶が有名なのだが、やっぱりチョモランマと言えばコレ。
シェルパたちが身体を温め、疲れを癒し、山で不足しがちなビタミンを補給する為に好んで飲んでたというお茶。
エベレストに挑戦する登山家達は、ガイドのシェルパに必ずこの飲み物を薦められるのだという。
紅茶に赤ワインと山ぶどうの実を入れたもので、極寒の地でも体が温まり高山病予防の効果もあるのだとか。
山ぶどうは手に入らないので、レーズンで代用して作ってみた。隠し味にクローブを入れるのもいいようだ。
柔らかいフルーティーな香りがしてとても美味しい。
確かに身体がぽかぽかと暖まって来るような気がした。
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「……ねぇ?とーちゃん
コレのどこが『恋するチョモランマ』なん? 恋愛要素全く無いよ?」
「うっ」
ホントすみません。やっぱり無理でした。
(注:現在のシェルパ族はネパール文化の影響を受けて一般的な一夫一妻になっている。が、チベット側の山岳民族にはまだまだ一妻多夫が残っているのだそうだ。)
レシピ詳細
●モモゥ・チベットの蒸し餃子
材料 ( 30個分 )
餃子の皮(大判) 30枚
■ モモゥの具
合いびき肉 250g
玉ねぎ(みじん切り) 1/2個
あさつき(小口切り) 1/3束
おろしにんにく 大さじ1
おろししょうが 大さじ1
クミンパウダー 小さじ1
コリアンダー 小さじ1
ガラムマサラ 小さじ1
ターメリック 小さじ1
チリパウダー 小さじ1/4
塩こしょう 少々
サラダ油 大さじ1
■ アツァール(たれ)
カットトマト缶 2/3缶
玉ねぎ(みじん切り) 1/2個
ヨーグルト 100g
おろしにんにく 小さじ1
おろししょうが 小さじ1
ターメリック 小さじ1
チリパウダー 少々
トマトケチャップ 大さじ1
1.ボウルにモモゥの具の材料をすべて入れ、よく混ぜ合わせる。
2.スプーンで具をすくい、餃子の皮の中央に乗せる。
3.具がはみ出さないように中心に向かってひだをつくりながら包み、最後に頂点をひねる。
4.蒸気のあがった蒸し器で10分程蒸します。
5.蒸している間にたれを作ります。
トマト缶、玉ねぎ、ヨーグルトを一緒にミキサーにかけます。
6.小鍋にサラダ油を熱し、おろしにんにくとおろししょうがを炒めます。
7.香りがたったらチリパウダー以外の全ての材料を入れて弱火で約10分煮て少し水気を飛ばし、最後にチリパウダーを加えます。
8.蒸しあがったモモゥに7を添えて盛り付けたら完成。
●シャムデ・チベットカレー
材料 ( 4~5人分 )
牛肉(薄切り) 300g
玉ねぎ(スライス) 2個
じゃがいも 6個
おろししょうが 小さじ2
おろしにんにく 小さじ2
ターメリック 大さじ1
固形コンソメ 2個
ごま油 大さじ2
塩こしょう 適量
紅しょうが 適量
1.鍋にごま油を熱し、おろしにんにくとしょうがを炒める。
2.玉ねぎを加え、きつね色まで炒め、ターメリック、牛肉、じゃがいもを加えて炒め合わせる。
3.コンソメと水800mlを加え、煮立たせてから蓋をして弱火で20分程煮て塩こしょうで味を調える。
4.白ご飯と一緒に盛り付け、紅しょうがを添える。
●チャシャシャムデ・チベットのチキンカレー
材料 ( 4~5人分 )
鶏肉(もも肉) 2枚
鶏レバー 100g
玉ねぎ(みじん切り) 1個
おろしにんにく 小さじ1
おろししょうが 小さじ1
カットトマト缶 1缶
カレー粉 小さじ2
クミン 小さじ2
カルダモン 小さじ1
クローブ 小さじ1
カルダモン 小さじ1
シナモン 小さじ1
コリアンダー 小さじ3
ナツメグ 小さじ1/4
チリパウダー 少々
コンソメ顆粒 小さじ2
塩こしょう 少々
サラダ油 適量
1.鶏肉とレバーは一口大に切って、塩とカレー粉を揉み込んで半日ほど漬けて込んでおく。
2.鍋にサラダ油を熱し、玉ねぎをきつね色になるまで炒め、おろしにんにくとおろししょうがを加えてさらにさっと炒める。
3.1の鶏肉とレバーを加え、焼き色が付くまで炒める。
4.トマト缶とスパイス類を加え、煮立てる。
5.コンソメと水200mlを加え、弱火で30分ほど煮込み、塩こしょう、チリパウダーで味を調える。
●ぽかぽか温まる山岳民族のシェルパティー
材料 ( 1杯分 )
紅茶葉 3g
熱湯 150ml+ポット温め分
レーズン 大さじ1/2
赤ワイン 小さじ2
砂糖 お好みで
※できれば茶葉はヒマラヤ紅茶かネパール紅茶、ダージリンで。砂糖は入れた方が本場の味に近くなるはず。
1.スーパーで市販されているレーズンは大抵オイルコーティングされているので、あらかじめぬるま湯で洗ってオイルを取り除いておく
2.一旦熱湯をカップとポットに注ぎ、温める。
3.ポットにレーズンと茶葉を入れ、沸騰したての熱湯を注ぎ、2~3分蒸らし、カップに注ぎ入れる。
4.赤ワインと砂糖を入れてどうぞ。