4.家族の借金
その年の麦は、穂の先が茶色く縮れたまま実らなかった。
秋の刈り入れが終わった夜、父のトマスが台所の卓で長いこと指を折っていたのを、俺は覚えている。数えても数えても足りない、という顔だった。母のマレンは何も言わずに、繕い物の手を動かし続けていた。
冬を越すために、父は隣村の金貸しから銀貨を借りた。ボルグという男だ。太った体を揺すって歩き、いつも笑っている。笑いながら人の家の戸を叩く。
そして春先、麦を売った金を握って、父は返済に向かった。
戻ってきた父の手には、まだ金が残っていた。
「足りん、と言われた」
父はそう言って、卓に借用書を置いた。俺は、それを覗き込んだ。
六歳の子供が金貸しの書類を読むのを、父は止めなかった。この一年で村の揉め事にいくつか口を挟んだ俺のことを、父は「還り子だから」と納得したのか、それとも諦めたのか。どちらでもよかった。俺は文字を追った。
——借りたる銀貨四十枚、来春までに返すべし。利息は月に銀貨二枚とする。
前世で、俺はこの種の紙を何千枚と読んだ。読み方はひとつだ。書いてあることと、書いていないことを、分ける。
「父さん。ボルグさんは、いくら請求してきたの」
「七十八枚だ」
俺は指を折った。四十枚に、月二枚が五か月ぶんで十枚。合わせて五十枚。七十八には、遠く届かない。
「利息を元本に足して、その合計にまた利息をかけてる。毎月」
「難しいことは分からん」
父は疲れた声で言った。母が、繕い物の手を止めた。
翌朝、ボルグが来た。戸口に立って、笑っていた。
「トマスさん、話は簡単だ。金ってのはな、借りたら増えるんだよ。世の中そういうもんだ」
「その『そういうもん』は、この紙のどこに書いてありますか」
俺が言うと、ボルグは初めて俺を見た。それから、鼻で笑った。
「坊主。大人の話だ」
「利息は月に銀貨二枚、と書いてあります」
俺は借用書を指でなぞった。
「二枚。枚数です。割合じゃない。四十枚の何割、とは一言も書いていない。だから元本がいくらになろうと、ひと月に増えるのは二枚だけです。五か月で十枚。父が持っていった五十枚で、この紙は終わっています」
ボルグの笑いが、少しだけ薄くなった。だが、すぐに持ち直した。
「そういう決まりなんだよ。俺の商売のやり方だ」
「決まり、ですか」
俺は、母のほうを見た。母は昨夜のうちに、俺に頼まれて隣家を回ってくれていた。マレンが差し出したのは、もう一枚の借用書だ。二年前、水車小屋のガレンさんがボルグから借りたときのもの。
俺はそれを、卓の上に並べた。
「同じ文言です。『利息は月に銀貨二枚』。そしてガレンさんは、元本と、月二枚ぶんだけを払って、この借用書を返してもらっている。裏に、あなたの受け取りの署名がある」
ボルグの太い指が、卓の上で止まった。
「……あの家とは、事情が違う」
その一言を、俺は待っていた。
「今、事情によって計算を変えると仰いましたね」
俺は、ボルグの目を見た。子供の背丈では、見上げる形になる。それでも構わなかった。
「事情で変わるのなら、この紙に書かれた文言は、あなたにとって何なんですか。好きなときに好きなだけ請求するための、ただの飾りですか。それとも、あなたが自分で書いて、自分で署名した、守るべき約束ですか」
「……」
「どちらか選んでください。前者だと仰るなら、俺は次の寄合で、この二枚を並べて同じ質問をします。あなたから借りている家は、この村に四軒あるそうですね」
ボルグは、しばらく黙っていた。それから、笑いも怒りもない、ただ疲れきった顔になった。
「……五十枚だ。それでいい」
父が金を数えて渡すのを、俺は横で見ていた。ボルグは受け取りを書き、借用書をこちらに寄越して、出ていった。戸が閉まる音がして、家の中が急に静かになった。
父が、俺の頭に手を置いた。大きくて、ひび割れた手だった。
「……情けねえな」
「父さん」
「六つの子に守られる親が、どこにいる」
俺は、何と言えばいいのか分からなかった。前世で、俺は何百人もの依頼人に「大丈夫です」と言ってきた。その言葉が今、口の中で嘘みたいに軽く感じられた。
代わりに、俺は借用書を父の前に押しやった。
「これ、燃やさないでとっておいて」
「なんでだ」
「同じ手口の人が、また来るかもしれない。そのとき、これが証拠になる」
父は紙を見て、それから俺を見て、少しだけ笑った。泣いているような笑い方だった。
母が竈に火を入れた。その晩は、麦を売った金の残りで買った塩漬け肉が卓に出た。父はそれを、ずいぶん長い時間をかけて食べていた。




