1.還り子
物心ついた時から、俺、カイン・ヴォルティスは、まるで違う世界に生まれたような感覚を抱いていた。五歳の誕生日を迎えた頃から、俺の頭の中には、日本で弁護士として生きてきた記憶が鮮明に残っていた。契約書の条文、論理的な思考、相手の心理を読み解く技術。それらは、このヴェルダ大陸の田舎の風景とはあまりにもかけ離れた、異質な知識だった。
村人たちは、俺の物腰の柔らかさや、時折見せる大人びた物言いを見て、ただの「還り子」だと迷信的に納得していた。生まれつき賢い、あるいは何か特別な血筋が流れているのだろう、と。だが、その「還り子」という言葉の裏に隠された、俺の持つ前世の知識と経験は、彼らにとっては理解の範疇を超えていた。俺自身も、その異質さを自覚していた。
「カイン、また難しい顔をしているぞ」
母が心配そうに声をかけてくる。俺は、その声に少しだけ戸惑いながらも、いつものように穏やかに微笑んだ。
「大丈夫だよ、お母さん。ただ、少し考え事をしていただけさ」
俺は、前世の弁護士がクライアントの複雑な問題を整理するように、目の前の状況を冷静に分析していた。この村の生活も、ある種の契約や利害関係で成り立っている。誰かの土地の境界線、誰かの借金の取り立て、それらは全て、複雑な交渉と論理で解決できる問題なのだ。
そんなある日、村の片隅で、隣人同士の土地の境界を巡る言い争いが勃発した。一方は、古くからの慣習を盾に主張し、もう一方は、新しい測量に基づいた権利を主張していた。口論は白熱し、村人たちの間で緊張が走る。感情論が先行し、誰もが納得できないまま、争いはエスカレートしていく。
俺は、その喧騒の中にいた。子供らしく、ただ傍観しているつもりだったが、前世の記憶が警鐘を鳴らした。これは、感情論で処理すべき問題ではない。これは、契約の解釈、証拠の提示、そして双方の利害関係の整理が必要な、典型的な紛争だ。
「ちょっと、落ち着いてください」
俺は、静かにその場に割って入った。幼い体躯からは想像もつかないほど、俺の声には有無を言わせぬ響きがあった。村人たちは一瞬、俺の存在に目を留めた。その視線は警戒心と、わずかな期待が混ざっていた。
「カイン、お前も口を出すのか?」
どちらの側も、俺の存在を訝しんだ。だが、俺は彼らの視線に怯むことなく、冷静に状況を整理し始めた。
「お二人とも、感情的になりすぎです。まずは、それぞれの主張の根拠を明確にしましょう」
俺は、まるで法廷で証人を尋問するように、それぞれの主張の根拠を丁寧に聞き出した。相手の言葉の裏にある意図、隠された利害関係。前世で培った尋問術が、無意識のうちに発動する。相手が言葉を濁したり、矛盾した主張をしたりするたびに、俺は的確な質問を投げかけ、その矛盾を明確に浮き彫りにした。
「Aさんの主張は、この古い境界石に基づいていますね。しかし、Bさんの主張は、この数年間の耕作記録に基づいています。どちらがより正当な根拠を持っているか、客観的に見てみましょう」
俺の言葉は、感情を排した純粋な論理だった。村人たちは、俺の言葉の鋭さに驚いていた。まるで、熟練の裁判官が法廷で論理を展開しているかのようだ。
俺は、双方の主張の矛盾点を一つ一つ指摘し、それぞれの主張が持つ弱点を明確にした。そして、最終的に、双方の主張を統合し、最も公平で、かつ法的に成立する解決策を提示した。それは、どちらか一方の主張を完全に押し通すのではなく、双方の要求を部分的に満たす、妥協点を見出す、まさに交渉の妙技だった。
数十分の議論の後、両者は俺の提示した解決策を受け入れざるを得なかった。感情的な対立は収まり、土地の境界線は明確に引かれた。村人たちは、驚きと安堵の表情を浮かべた。
「カイン、お前は一体何者なんだ?」
誰かがそう呟いたが、俺はただ静かに微笑んだ。
「ただの、少し考え方が違うだけだよ」
その日の出来事は、村の片隅で小さな奇跡のように受け止められた。その後の数日間、村人たちの間では、俺に対する好奇の視線が強くなった。彼らは俺の言葉の的確さと、感情に流されない冷静さに、何か特別なものを見出したようだった。
この一件で、俺の存在は村の外へと漏れ始めた。
数日後、旅の商人が村を訪れた。彼は、村の評判を聞きつけ、俺の存在を知ったらしい。彼は、俺の持つ「何か」に興味を示し、簡単な契約の相談を持ちかけてきた。
「若者よ、君の言うことは妙に的確だ。もし、商売の契約について何か悩んでいるなら、私に相談してみなさい」
商人はそう言って、俺に簡単な契約の相談を持ちかけた。俺は、前世の知識を駆使し、商取引におけるリスクと利益のバランスについて、的確なアドバイスをした。商人は驚きを隠せない様子だったが、俺の解決能力に感銘を受け、その場を後にする際、「この子はいずれ大きな街で重宝されるだろう」と、そう呟いた。
俺は、その言葉をただ受け止めた。この小さな出来事が、俺がこれから歩む道を示していることを、まだ知る由もなかった。ただ、俺は前世の知識を使い、この世界で生きていく。それが、俺の新たな「仕事」になるのだと、漠然と感じ始めていた。




