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6.壊れる

 大介は浮かれていた。昼間から1日ゆっくりカノジョと過ごせるなんて滅多にない。場所が遊園地なのは少々自分には若すぎるが、カノジョの希望だ。普段は時間を作り出しても僅かな逢瀬しかできない。カノジョをベンチにエスコートしてポップコーンを手渡す。明るい太陽に目を細めると、カノジョが大介の顔を覗き込んできた。


「今日は大丈夫だったんですかぁ」

「うーん? 日帰り出張っていってあるからね」

「良かったぁ」


 絡めてきた手を優しくなでる。若い子特有の素直さに、枯れかけた心の泉が満たされる心地になる。


「今日は夜までずっといられるから」


 ぴったりと身体を寄せてきたカノジョの肩に手をまわし、このあとの段取りに忙しなく頭を働かせた。


◇◇◇


「日帰り出張だなんてやっぱり嘘じゃない」


 美月は植え込みの陰から大介の様子を伺う。ジェットコースターの歓声が邪魔をして2人の声は全く聞こえないが、全然上司と部下の距離ではない。例えジェットコースターで気分が悪くなったとしても、部下の肩に手を回したりしないだろう。いや、「出張」ならそもそもジェットコースターなんか乗らないか。

 ぐるぐるとする思考に美月は自分が動揺していることを意識する。不倫の現場を押さえようと意気込んで来たものの、実際に目の当たりにするとこんなに心許ない気分になるとは。

 

「あ、また……」


 大介が女にポップコーンを食べさせてもらっている。鼻の下、1メートルくらい伸びてるんじゃないかって顔して。今すぐ鏡を見せてやりたいわ。

 

 ———バキッ。


 美月が握りしめていた小枝が勢い余って折れてしまった。 

 反動で膝を突きそうになったところで後ろから声をかけられる。


「お姉さん、大丈夫ー?」


 後ろから支えてくれたのは女子高生の二人組だった。


◇◇◇


「具合悪いの? 医務室まで行こーか?」

「うちら時間あるから大丈夫だよ?」


 千夏と絢音はトイレから戻る途中で、不自然に屈んでいるお姉さんに気づいて声をかけた。千夏は保健委員なのでよく付き添いをしている。校外遠足中とはいえ学校と同じように声をかける千夏に、絢音は仕方ないなぁという顔で付き合ってくれた。


「ありがとうございます。具合悪くは——。あー……、いえ……、ある意味とても具合が悪いです」


 まだ震える手で枝を握ったままのお姉さんが、固い顔で少し先のベンチを見ている。そこにはお姉さんと同世代くらいの男の人と、もう少し若い雰囲気の女の人が仲良く座っていた。


「え? なになに? 修羅場?」


 ベンチとお姉さんを見比べた絢音が失礼な発言をする。テンションが爆上がりしているのが丸わかりだ。千夏も鼓動が早くなるのを感じたが、慌てて口を挟んだ。


「ちょっと、絢音——」

「ふふ、気にしないで。そうね、修羅場ね。私、修羅場を起こしに来たのに動けなくなっていたわ」


 お姉さんの頬に赤みが戻ってきてほっとする。しっかりと立ち上がったお姉さんからは、先ほどまでの迷子のような顔は消えていた。それから少し事情を話してくれた。夫さんには数ヶ月前から浮気の疑いがあって、お姉さんは相手の顔を見てやろうと今日始めて現場に居合わせたらしい。


「ねぇ、どうやって修羅場起こすの?」

「直接乗り込んで行こうと思っているんだけど」

「えー、それだと誤魔化されるよ!」

「いや、遊園地にいるだけでギルティっしょ」


 絢音の言うとおり、ここにいることが浮気の証拠になりそうだけど、もっと確実な方法がないだろうか。


「そうだ! 絢音、私たちで証拠写真撮りに行こうよ!」

「あー、記念写真のふりをして? いいね!」


 盛り上がる千夏たちをお姉さんが慌てて止める。


「そんな。迷惑かけられないわ。危ないからダメよ」


「迷惑じゃないって! 私、保健委員だから。具合悪い人のお手伝いしないと」

「そー、そー。うちらがたまたま近くで写真撮るだけだって。あとはお姉さんに渡して任せるからさ」


 千夏は先ほどの絢音と同じくらいテンションが上がっているのを感じた。絢音と一緒にお姉さんを言いくるめて走り出す。


「そこで待っててね!」


◇◇◇


 ——行ってしまった。美月は両手をギュッと握り込んでベンチの方を見遣る。大人の事情に見ず知らずの子供を巻き込むなんて。気が弱っていたとはいえ何てことを。大介は激高するタイプではないが見咎められてトラブルになったら大変だ。美月はいつでも飛び出せるように様子を伺う。


 何もないところで女子高生たちがポーズをとり始めた。息を潜めて見守っていると、大介の目線が一瞬、女子高生たちの方を向いた。美月の身体が前のめりになる。

 しかし大介たちが見ていたのはその先の観覧車のようだった。また楽しげにイチャつき出してほっとする。距離は充分離れているので女子高生たちが見つかることはないと信じたい。


 気の遠くなるような時間に感じたが実際は数分だったのだろう。上気した顔の女子高生たちが戻ってきた。


「お姉さん、証拠! これで絶対、大丈夫だから!」

「うちら、ここで待ってるから。あいつらが移動する前にやっつけてきちゃって!」


 口々に喋って写真のデータを転送してくれる。最初に話しかけられたとき、美月は暗闇から引き上げられた気がした。絶対的な味方になってくれた2人に背中を押されて勇気を貰う。


「ありがとう! 行ってくる!」


 美月はしっかりとした足取りでベンチに向かって歩き始めた。


◇◇◇


「お姉さん、大丈夫かな」

「なんか言い合ってるけどジェットコースターの音で何も聞こえない」


 千夏たちはお姉さんが隠れていた植え込みの影から修羅場を見学する。お姉さんが時代劇の印籠のようにスマホを夫さんの方に向けていた。


「ね、もっと近くに行かない? ここからだと何にも分かんないよ」


 綾音が大胆なことを言う。でもさっき近くまで寄っても不審に思われなかったし、今日は学生が多いから気づかれないかもしれない。


「2つ隣のベンチ、あそこに座ろう」


 千夏も気が大きくなって遠回りでベンチに向かう。


「——ポップコーン。口、ついてるけど? ばっかみたい」


 風に乗ってお姉さんの声が聞こえてきた。思わず振り向くと夫さんが「これは、その……」と口元を押さえてあたふたしている。


「ほんと、ばっかみたい」


 千夏は小さく呟く。


「お姉さん、マジ、かっけー」


 綾音がお姉さんだけにわかるようにピースサインを送った。お姉さんも晴れ渡るような笑顔でピースサインを返してきた。

千夏と絢音は「2.並ぶ」で出てきていました。

これでおしまいです。ありがとうございました。

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