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零時のログ  作者: 橋本陽


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【第2章 鍵二本/館内時計/合意があれば例外】2-1

第二章になります。

コメントいただけると嬉しいです。

 十九時の夕食までは自由時間だと峰岸は言った。自由時間、という言葉はここでは柔らかすぎる。結菜は二階の廊下に立ったまま、階段の下のロビーを見下ろしていた。

 女性——静香は、コートの袖を直しながら峰岸に何か短く答えた。声ははっきり聞こえない。それでも、航が固まったまま目を逸らせないでいるのが見える。逃げたくないのか、逃げられないのか。どちらも同じ顔をしている。


 結菜は深く息を吸い、廊下を引き返した。静香と会うのは夕食前——梨央はそう言った。会わなかったら、もっと怖くなる。怖さを増やしたくない。なら会うしかない。そう決めたのに、足は自分の部屋の前で止まる。

 襖を開けると、畳の匂いが少し落ち着きを取り戻させた。封筒は畳の上に置いたままだ。そこにあるだけで、空気が一枚薄くなったように感じる。


 結菜は封筒から目を逸らし、鞄から受領確認書の控えを引っ張り出した。薄い複写紙。自分の署名と、航の署名。ところどころに小さな文字が並んでいる。さっきは読もうとして諦めた。今は読む。読むことで安心できるかもしれないし、読んだからといって安心できないかもしれない。どちらにしても、目を逸らすよりましだ。


 ——「館内規則に同意します」

 ——「安全確保のため、職員の指示に従います」

 ——「夜間の移動は原則禁止、ただし合意があれば例外」

 合意があれば例外。ここにも書いてある。しかも「合意」のところには括弧書きがある。

 (合意の確認:署名控えの提示をもって代替する)


 結菜は紙を持つ指に力を入れた。代替する。つまり、誰かと話して確認しなくても、この紙を見せれば「合意がある」ことになる。

 それは、合意を簡単にするための仕組みだ。簡単にするための仕組みは、簡単に悪用できる。


 結菜の脳裏に、峰岸の「控えの提示があれば例外を適用します」という言葉が戻ってくる。さっきは聞き流した。今は、聞き流せない。


 襖の外で、きし、と床が鳴った。結菜は紙を畳の上に置き、そっと襖を開けた。廊下の向こうに梨央が立っている。片手にスマホ。圏外の表示を睨みながら、舌打ちしそうな顔。

「結菜、今いい?」

「……うん」

 梨央は部屋に入るなり、畳を見て封筒の位置を確認した。確認してから結菜の顔を見る。その目に、指揮者みたいな決意がある。


「鍵のこと、言った?」

「鍵?」

「鍵、二本しかないって。峰岸さん、言ってたでしょ」

 梨央は言いながら、指で二本を示す。

「部屋三つなのに二本。効率とか言ってたけど、普通おかしいよ」

「おかしいのは、鍵だけじゃない」

 結菜は受領確認書を指で叩いた。「合意があれば例外」って、ここにも書いてある。控えの提示で代替、って。

 梨央はそれを見て、一瞬だけ言葉を失った。


「……やっぱり」

「やっぱりって何」

「こういう仕組み、好きでしょ、あの人」

 あの人。梨央は静香のことを言っているのか、峰岸のことを言っているのか、航のことを言っているのか。結菜には分からない。分からないのが怖い。


 梨央は腰を下ろし、畳に両手をついた。

「結菜、まず確認。ここに来たのは、航と話すため。で合ってる?」

「……うん」

「で、ここにいるメンバーは——私と修と、静香。峰岸は管理人。つまりさ」

 梨央は言いかけて、噛んだ。噛んだ瞬間、いつもの軽さが戻りそうになるのに、戻らない。

「つまり、偶然集まったわけじゃない」

「うん」

 結菜は頷いた。偶然じゃないことはもう分かっている。分かっているのに、受け止めきれていない。


 梨央は立ち上がった。

「掲示板、見た?」

「まだちゃんと」

「見よう。結菜は“正しい”のが好きだから、ルールをちゃんと読む」

「……皮肉?」

「半分。半分はお願い」

 梨央は言って、結菜の手を取った。引っ張る力は強くない。でも拒めない。拒めないことが、怖い。

 拒めないまま、結菜は廊下に出た。


 二階の廊下は短い。部屋の扉が三つ並び、突き当たりに掲示板がある。掲示板の上には壁掛け時計。丸い白い盤面。黒い針。秒針が刻む音が、たしかに大きい。

 結菜は時計に目を凝らした。秒針は滑らかに動いている。止まっている気配がない。

「この時計さ」

 梨央が小声で言った。

「一階のロビーの時計と同じ時間だった」

「……同じ?」

「ぴったり。秒まで。普通、ズレない?」

 結菜は喉の奥が乾くのを感じた。電波が入らないと言っていた。電波が入らないなら、複数の時計がぴったり一致するのは、手動で揃えているからだ。手動で揃えるなら、ずれる。ずれるはずだ。ずれないのは、ずれないように揃え続けているからだ。

 揃え続けている。誰が? 何のために?


 掲示板の紙は三枚。上から順に「ご滞在中のお願い」「夜間のルール」「非常時について」。

 結菜は一枚目を読んだ。

 ——「本宿は山間部につき通信状況が不安定です」

 ——「館内時計を基準とします」

 ——「火気厳禁」

 ——「他の宿泊者のプライバシーに配慮してください」

 当たり前のことが並ぶ中に、「館内時計を基準とします」が二回書かれている。強調が過剰だ。

 二枚目。「夜間のルール」と太字。

 ——「0:00以降(館内時計)廊下に出ない」

 ——「必要がある場合は、関係者同士の合意を得ること」

 ——「合意の確認は署名控えの提示で代替する」

 ——「例外適用の際は、受付カウンターに声をかけること」

 合意の確認は署名控えの提示で代替する。受領確認書の文面と同じだ。

 結菜は息を吐いた。吐いた息が白くならない。室内なのに寒い気がする。


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