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老雄

天文二十一年(一五五二年)一月 山城国愛宕郡 京都御所

「父上、失礼いたします。三好千熊丸、瓦林甚五郎、お呼びに応じ参上いたしました」

 兄上が頭を下げるのにあわせ、私も一礼する。

 上座には父上と、老境に差し掛かった男が一人。下座には日向の大叔父上と弾正殿、そして見知らぬ顔が二つある。恐らく上座の男が六角弾正少弼殿、下座の二人は六角家の家臣なのだろう。

「ほう、中々凛々しい若者たちではないか。これは将来が楽しみなことだな、筑前守殿」

 老境の男が楽しげに笑い、父上が苦笑を浮かべた。

 目は窪み、頬はこけ、肌にも生気がない。まるで死病に冒されたかのような姿だ。とても冬の道を越えて京まで来られるような有様には見えない。

 だが、それでも瞳だけは炯々として、凄まじいまでの覇気を放っていた。

「おっと、まだ名乗っておらなんだな。儂は六角定頼。そこなる二人は六角の家臣、目賀田(めがた)摂津守と青地(あおじ)勝兵衛よ」

 弾正少弼殿の紹介にあわせ、二人の家臣が頭を下げた。

 いずれも只者ではなさそうだ。弾正少弼殿と同年代、あるいは少し上にも見える老人が目賀田殿、十代半ばほどの若者が青地殿らしい。どちらも厳しい顔立ちをしており、とても兄上の元服を寿ぐために居るようには見えなかった。

「弾正少弼殿が直々にお出でとは……正直に申せば驚いております」

 大叔父上がそう言うと、父上と弾正殿も頷いた。

 昨年末に隠居し、当主の座を嫡男の六角四郎義賢殿に譲ったとはいえ、使者として前当主自ら赴くなど殆ど聞かぬ話だ。それも病身を押してとなれば、尋常ではない。何やら謀議の気配を嗅ぎ取ったとしても、考えすぎとは言えぬだろう。

「儂も家督を譲り、おまけにこの歳だ。先も長くはないことだし、最後の御奉公をと思い定めたのよ」

 あまりにも静かな弾正少弼殿の言葉が、耳朶を打つ。

 やはりこの男は、死を覚悟して此処へ来たのだ。

 そう思えば、あの凄絶な覇気にも納得がいく。死を覚悟してなお己の役目を果たそうとする者は、皆ああいう目をする。前世で、私は幾度も同じ目を見てきた。

 父上や大叔父上、弾正殿も、同じような経験があるのだろう。いずれも神妙な表情をしている。兄上は――気圧されている。こればかりは仕方がない。あの覇気は、些か強烈に過ぎる。

 控える目賀田殿と青地殿もまた厳しい顔つきのままだ。六角家に隆盛を齎した英主が、自らの死を口にする。その意味が分からぬほど愚かではあるまい。つまり、これは六角家の総意なのだろう。

「御奉公、でございますか」

 父上が、ようやく重い口を開いたという風な調子で呟く。尋常の用向きではないと悟ったのだろう。

「儂は非才の身ながら、懸命に将軍家にお仕えしてまいった。上手く運んだこともあれば、そうでなかったこともあったが……先年(さき)の和睦を成し、公方様を京へお戻ししたこと、そして御先代様の故地をこの京と出来たこと。この二つは、儂の生涯において会心の出来事であった」

 御先代様――足利義晴公は、天文十九年の和睦成立と帰洛からさほど間を置かずに亡くなられている。およそひと月ほどであったか。そう考えれば、相当に際どいところで帰洛を果たされたと言えるだろう。

 葬儀の折、公方様は安堵の涙を流されたと聞く。仮に御先代様が近江で最期を迎えられていたなら、その恨みは恐らく三好へと向かったはずだ。

「それもこれも、三好の者達が恨みを呑み込んで和睦へと動いてくれたからよ。感謝している、この通りだ」

 弾正少弼殿が頭を下げた。

 父上が驚きに目を剝き、「頭を上げて下され」と慌てて声をかける。それでも暫く頭を垂れたままだった弾正少弼殿は、やがてゆっくりと顔を上げた。

「右京大夫――いや、今は普元入道か。あの男のこともあってな、儂にとって三好とは、正直に言って心許せる相手ではなかった。だがの、そなた達が天下の静謐を第一に考えてくれたのだ。ならば六角もまた、それに応えるべきではないか……あの和睦からこのかた、儂は考え続けておった」

 管領代にまで任じられ、その威光は細川、三好といえども無視できぬものであった六角弾正少弼殿。

 そのような方が命数の尽きを悟り、己が亡き後に六角家がいかに身を処すべきかを考えたとき、このまま三好家と相争うのは得策ではない――そう判断したのだろう。

 それが、自らが泉下の人となれば六角の武威が否応なく衰えると見たゆえか。あるいは、跡取りたる六角四郎殿の器量に不安を覚えたゆえか。そこまでは私にも分からない。

 ただ、何が理由であれ、弾正少弼殿にそう決断させるだけの材料があったのは確かなのだ。だからこそ、病身を押してまで京へとやって来たのである。

「六角と三好。この二者が手を取り合えるならば、畿内とその周辺のほぼ全域が落ち着くことになる。そうなれば、公方様の威光も弥増すというものよ」

 六角が抑え、あるいは強い影響力を及ぼしているのは近江、伊賀、伊勢。確かに、その言葉に嘘はない。

「しかし、手を取り合うとは申されますが……具体的にはどのようになさるおつもりで? 我らは今まで敵対してきた間柄。それに、公方様を抜きにして斯様な話を進めるのは拙いかと存じますが」

 父上の問いかけに、弾正少弼殿がにやりと笑みを浮かべる。

 当事者でないから呑気に見ていられるが、あの笑みを向けられている父上には少し同情したくなった。

「安心めされよ、筑前守殿。この件については、既に公方様の御内諾を得ておる。あとは我らの合意のみということよ」

「……なるほど。それで、どのようなご提案でございますか。お聞かせ願いたい」

「それはだな……」

―――――

「……」

「弾正、どう思う?」

 大叔父上に話を振られた弾正殿が、いかにも迷惑そうに顔を顰めた。

 それもそのはずだろう。弾正少弼殿と目賀田殿、青地殿が去ってからというもの、父上はずっと押し黙ったままだ。兄上も困惑顔ではあるが、流石に場の空気を読んで静かにしている。京に来てから苦労続きの兄上には、正直なところ同情を禁じ得ない。

「正直に申せば、断るという選択肢はございませぬ。公方様の御内諾があるというのが真実であるならば、これは即ち幕府の御扱い。断れば、和睦など一息で吹き飛びましょう」

 弾正殿の言葉に、大叔父上と、押し黙ったままの父上が揃って苦虫を噛み潰したような顔をした。

「断れぬように話を持ってきたのだろうが、正直に言えば全く気が進まん。六角の娘を側室に迎えろなどと……」

 父上が深い溜息を吐いた。

 そう、弾正少弼殿が持ってきた提案というのは、六角家と三好家の縁組だったのである。

 お相手は蒲生下野守殿の御息女、紗瑛殿。御歳は十七、青地殿の一つ上の姉にあたる方だという。

 蒲生家といえば藤原秀郷を祖とする近江の名門武家であり、当主の蒲生下野守殿は六角家の重臣の一人に数えられる人物だ。その娘を養女として嫁がせるとなれば、六角家が相当の覚悟を示したことになる。

「兄上への縁談かとも思っておりましたが……」

 私が首を傾げると、大叔父上がふんと鼻を鳴らした。

「両睨みであったのだろうよ。直接会談の場を設けて感触を探り、折り合いがつきそうなら若様との縁談を、警戒心が勝るようなら殿との縁談を、という腹であったのだろうな」

「なるほど。では六角家は……」

「時期尚早と見たのだろう。何しろ我らは幾度となく干戈を交えた間柄だ。此度の和睦では利害が一致したゆえに協力したが、流石に次代の当主と縁を結ぶほどの関係には、まだ至っておらぬと判断したのだ」

 確かに、兄上の婚約ともなれば、六角家にとっても相当に踏み込んだ決断となる。幕府にとっても軽々に認められる話ではあるまい。恐らく、許すとしても相応に厳しい条件が付くはずだ。

 その点、父上に側室を出すというのは数段軽い。すでに嫡男は元服する上、正妻の実家(はたのけ)と三好家の関係も良好だ。そこに付け入る余地はほとんどない。だからこそ、側室を出す側としても踏み切りやすいのだろう。

「とにかく、この件は一旦持ち帰って評定にかけるほかあるまい。今は千熊丸様の元服の儀に集中せねば」

「弾正の言う通りよな。全く六角め、とんでもない時に面倒を持ち込みおって……千熊丸、準備は万端整っておるのだな?」

「はい。弾正を筆頭に、皆よく働いてくれました。私も幾度も練習を重ねてまいりましたゆえ、恥ずかしくない姿を必ずやお見せいたしまする」

 兄上の力強い言葉に、ようやく父上の顔にも笑みが戻った。


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