転変
天文十八年(一五四九年)六月 摂津国武庫郡 越水城
「戦はどうなっているのでしょう……」
切なげに眉を寄せながら呟いたのは私の母だ。三好筑前守長慶の側室で、名を瀧という。
「さて。いくさの事なれば何が起きるかは私にも分かりませぬ」
母の手前そう言ったが、恐らく父は私の祖父を殺すだろう。その為に兵を挙げたのだから。
母方の祖父三好越後守政長、入道して半隠軒宗三と名乗る男は父方の祖父、三好筑前守元長を陥れて殺した首謀者なのだ。到底赦せる相手ではあるまい。
「それはそうですが……」
不服そうな母を横目に見ながら思考に没頭する。
細川右京大夫晴元は六角家の来援を待って総攻めを仕掛ける腹積もりのようだが、それでは遅きに失するのは想像に難くない。
父は江口城の守りに不安があることを既に見抜いており、そして攻めどきを見逃さない果断さも持っている。援軍を待つなどという消極的な戦法を採るのであれば、最も気が緩むその瞬間を衝いて勝利を収めるだろう。
「母上、生き死には武門の習いでございます。どのような報が齎されるかは分かりませぬが、気をお平らかになさいますよう」
唇を堅く引き結んだ母が小さく頷いたのと、城中が俄に騒がしくなるのは殆ど同時のことだった。勝ったか、負けたか。いずれにせよ戦は終わった。
先程まで石のように堅く身を強張らせていた正室の清様、側室として嫁いできたばかりの智様もほっと息を吐いている。
慌ただしい足音と甲冑の擦れるガチャガチャという音が徐々に近づいてくる。やがて姿を現したのは、厳しい具足に身を包んだ武者姿だ。
“失礼致しまする”と野太い声を響かせたのは十代後半の男だった。精悍な顔立ちが綻んでいるのを見るに、恐らく悪い報せではないのだろう。
「主税助か、ご苦労。それで父上は、三好勢はどうなったのだ?」
「ご安心くださいませ、若様。お味方大勝利にございまする」
気が急くのだろう、兄上――千熊丸が身を乗り出すように尋ねると、主税助――岩成主税助友通は破顔して話し始めた。
「六角四郎率いる援軍が山崎に到着したことを察知した筑前守様は兵を動かし、十河讃岐守様、安宅摂津守様が東側から、筑前守様は御自ら西側より挟撃する格好で江口城に攻めかかったのでございます。長滞陣で疲弊していた城方の兵はこの攻勢に耐えきれず、およそ八百ほどの兵を討ち取りましてございまする。また、名のある武者としては高畠甚九郎、平井新左衛門、田井源助、波々伯部新左衛門尉などが討死したとのこと」
そこまで笑顔のままで語った主税助だったが、急に口を閉ざすと顰め面とも困惑ともつかない表情を浮かべた。言っていいものかどうか、そんな感情が見え隠れしている。
視線が何度か母のほうを向いていることに気付いたのか、母の表情が目に見えて強張った。兄上もそれに気付いたのだろう、なんとも言えない表情になっている。……ここは私が聞いたほうがいいのだろうな。
「敵方の大将はどうなったのだ、主税助?」
敢えて能天気な声音で問いかけると、ホッと息を吐いた主税助が口を開いた。
「細川右京大夫様は江口城が落城してすぐに三宅城を退去し、丹波から山城方面に向かったようにございます。それと三好宗三殿でございますが……池田衆の荒木弥助なる若武者が討ち取ったとのこと」
「間違いないのだな?」
「はっ。筑前守様御自ら首実検をなさいましたので間違い御座いません」
主税助の言葉が重々しく響く。視界の端で母が顔を俯けたのが見えた。
「そうか、であればまず大勝利だな。父上に家族一同喜んでいたと伝えてくれ。……兄上、他に聞いておくことはございませんか?」
「えっ?……そうだな、父上は何時ごろお戻りになられるだろうか。何か聞いてはおらぬか?」
兄上の問いかけに、主税助は黙って首を傾げた。具体的には聞いていないが、何か思い当たるところがあるのだろう。
「恐らくではございますが、筑前守様は摂津国内の細川方に与した勢力を叩くことを優先されるのではないかと存じまする。さしあたっては伊丹城の伊丹次郎を降伏させるのではないかと。彼の者は池田家と並んで摂津の有力国衆でございますれば、それを屈服させることで余の者達の心を挫く狙いではないかと愚考致しまする」
暫く押し黙っていた主税助だったが、一度話し始めると淀みがなかった。恐らく相当程度の確信があるのだろう。若年ながら父上の信頼が篤いとよく聞く男だけに、流石に思考も明瞭だと思った。
「なるほど、よく分かった。よく報せてくれたな。疲れたであろうし、暫し城で休んでいくがいいだろう」
兄上の言葉に破顔した主税助だったが、その後ゆるゆると首を振った。
「仰せは誠に有難きことなれど、筑前守様は未だ陣中にあり申す。某が休むことなど出来ませぬ。これより取って返し、主のお役に立つ所存にござる」
言うが早いか、“それでは、御免”と頭を下げ、主税助は足早に去ってゆく。忙しないことだと思いながら、思わず笑ってしまった。
「どうした、千満丸」
「いえ、あのような家臣を持ち、父上はさぞ心強かろうと思ったのです」
私の言葉に、兄上も訳知り顔でウンウンと頷いた。それを見て笑みがこみ上げてきたが、グッと呑み込んで母の方へと向き直る。表情は沈痛そのものだったが、幸い涙までは流していない。いつかはこうなることを予期していたのだろうか。
「母上、心中はお察し致しますが改めて申します。重ね重ねではございますが、御心をお平らかになさいませ。その上で父上に文を出されるのが宜しいかと」
母が驚いたように私を見ている。いや、母だけではないな。この場にいる皆が私を見ていた。私の表情に何かを感じたのだろう。母はグッと喉を鳴らすと、ぎこちない動きで頷いた。それを見て頷き返し、今度は清様の方へ向き直る。
「お方様、確か此度の戦に波多野家は兵を出していなかったかと思うのですが」
「ええ。兄は家中が纏まらぬ故兵は出せぬと」
言っていることは事実だろう、どのような意図から出た口上かは兎も角として。
清様の兄君である波多野孫四郎元秀殿が家督を継いだのは昨年のこと、丁度此度の合戦が起きる原因となった事件が起きたばかりの頃だ。父親の死とそれに伴う家督継承、この状況で家の浮沈を賭けた決断ができたとはとても思えない。
兵は出せぬが敵対もせぬ。というのは、何とか絞り出した妥協点だったように思う。元々細川家に近い家中を纏めてこの結論を出したのは大したものだろう。言い分を容れて貰えたことを以て安心しているのなら危ういが……。
「孫四郎様は父上に戦勝を賀する使者を送る積もりは御有りなのでしょうか?」
「さあ、そのような話は聞いていませんが」
やはりか。これを油断というのが酷なのかどうか、微妙なところではあるな。
「お方様、お手間をお掛けして恐縮なのですが……孫四郎様に文を出してはいただけませぬか?」
「文を、ですか?一体どのような……」
「出来ればご自身が赴かれるのが最上ですが、使者を立てるのでも構いません。……伊丹城を父上が囲んでいるうちに戦勝を賀するべきだと。此度の戦で細川方の勢力は大きく減退しました。その分だけ父上の勢威が増す以上、ここでいち早く旗幟を明らかにすることがお方様の地位の安泰、そして兄上の立場をより盤石たらしめることになると。孫四郎様は英明なお方のようですから、それだけ書けば御理解いただけましょう」
「……分かりました、すぐに文を出しましょう。感謝しますよ、千満丸殿」
頭を下げた清様に私があくまで家中の安泰を専一に考えているだけだと答えると、清様は驚いたように私を見、再び頭を下げた。
もの問いたげな兄上を連れて清様が去ってゆくのにあわせて智様も席を立ち、そして最後まで残っていた母上も文を書くといって私室へ引き上げてゆく。静まり返った部屋の天井をぼんやりと見つめ、私は溜息を吐いた。




