第五話
空気が冷える。頬を撫でる風の温度が一段階下がった。
呼吸が浅くなり、鼓動も速くなる。
相手をこちらの土俵に下ろした。優位のはずなのに、どこか引っかかる。
──さすがにいない。
先ほどまで相手が陣取ってた場所を読んでみるが、気配はない。どこかに移動している。
先に優位の場所を取らないと負けると分かっている相手は、相当な腕の狙撃手だ。
戦況に合わせて、詰める判断ができるのだから。
──だけど、負けない。
ハーツには天性の観測技術がある。気配の不穏を察知し、相手よりも先に捉える。そして、致命打を与える。
それが彼女の驕りであった。
「……っ!」
不穏な風を感じ取ってすぐ、身を屈めた。髪を銃弾が掠める。空気を裂く音が耳に響く。
反射的に弾道を予測して、狙撃銃を構える。しかし、そこには誰もいなかった。
一撃離脱。狙撃手の鉄則。相手はその定石を取って移動している。しかし、ハーツはその動きに違和感を覚える。
──ボルトアクションじゃない、そのはずなのに。
そう、先手を打ったのなら二発目くらいは連続で打ち込む。その猶予はあったはずだ。なのに、相手は反撃のリスクを恐れて、さっさと姿を消した。
これは、中距離でのスナイパー戦に慣れているものの動きだ。
彼女の頭には一つの仮説が浮かび上がった。
ハーツが土俵に落としたのではなく、ハーツが土俵に上げられたのでは?
超長距離スナイプ自体が、観測手であるドローンありきの戦術だとしたら?
あの動きは、距離を詰めてくる側の狙撃手のリズムだ。
敵の本領は、中距離戦。今まさにハーツが立っている場所だ。
「ふふ……」
嵌められたというより、やられたという気持ちが先行した。ピンチだと言うのに、何故か笑みが溢れる。
心の底で楽しいと感じている自分に疑問を抱くが、感情を抑えることはできない。
追い詰められているのに、胸の奥が熱を帯びる。
自分でも呆れるほど、戦況の読み合いが楽しい。
──なら、認識を変える。
ハーツは走って適切な狙撃ポイントを探りながら、相手の位置を予測する。点で捉えるのではなく線で捉えることに切り替えた。
動きを予想し、そこに合わせて撃つ。それが最適解。
建物から建物へと渡り、窓際で構える。先ほどの相手の狙撃ポイントから計算して、次の最適な狙撃ポイントを割り出す。
そこに置くように、ハーツは銃口を向けた。
風向きが変わる。引き金に指をかける。
反動が手に伝わり、肩を駆け抜けた。
発射された銃弾は、回転しながら吸い込まれるように飛ぶ。照準器の先に、次の狙撃ポイントに人影が見えた。
結果は当たらなかった。ギリギリで回避し、こちらに驚いたように顔を向けた。その人間の正体に、ハーツは息を呑んだ。
──女の子?
カーキ色のブレザーを崩したような服装をした軽装の女の子だ。灰色チェックのプリッツスカートの裾が、動きに合わせて揺れる。
赤茶色のセミロングの彼女は、黄色い瞳でこちらを見つめていた。
女の子は冷静にゆっくりと狙撃銃を構えている。
まずいと思い、その場から離れた。
柱の陰に身を隠すように逃げると、その後を掠めるようにして銃弾が飛ぶ。
同じ場所から顔を出すのはリスクしかないので、ハーツは下がる。ボルトレバーを引きながら、空薬莢を取り出す。
風向きが変わった。相手はすでにその場所にはいなかった。新たな狙撃ポイントを求めて移動したのだろう。
相手の動きはこちらの狙撃ポイントを的確につくように移動している。すべてを俯瞰して見ているかのように、視野が広い。そのことが、ここが彼女の本当の射程距離であることを裏付けていた。
敵と接近すればするほど咄嗟の判断が求められる。その上で視野の広さを求められる。一発の重さが桁違いの狙撃手が近くで戦わないのは、そういった要因が大きい。ブリッジのように何も考えずに銃弾をばらまいたほうが強いからだ。
しかし、彼女の視野の広さはそれを補っていた。どこで最適の一手を打てば有効かすべてを組み立てている。まるで戦場をチェスに見立てているかのように。
明らかにハーツと真逆の天才だ。しかしだからこそ、動きもまた読みやすくなる。
ハーツは移動を完了させて、次の相手が移る狙撃ポイントへと撃ち込んだ。一手早く撃つのは、ボルトアクションでどうしても遅れることを補うためだ。
瓦礫の隙間から相手が顔を覗かせる。しかし、頬を掠めるだけで有効打にはならない。
──それでいい。
ハーツはすでにボルトレバーを引いて、空薬莢を排出済みだ。引き金に指をかけて二発目を撃つ。
銃声が重なった。
空中で大きく火花が散った。
お互いの観測がぶつかったことで、空中で弾同士がぶつかったのだ。
こんなことは普通起こらない。奇跡に近い現象に、口角を大きくつり上げた。
『両者ストーップ!』
そんな時だった。一台のジープが、大通りに入ってくる。
タイヤと地面が擦れて、砂煙を巻き上げていた。
『銃を置いて! 降参するから』
そのあまりにも場違いな空気に、思わず照準器から目を離した。




