第二話
こんな世界でも鳥は逞しく生きている。流れてくる小鳥の鳴き声に、ハーツは目を覚ました。
ベットから這い上がる彼女の頭はボサボサだ。
裸足でゆっくりと部屋の中を歩く。ゆっくりと呼吸をして、リズムを保つ。こういう安心できる時間だからこそ、ゆっくりと自分を整えなければならない。
戦場では一分一秒が状況を左右する。普段からそういった癖をつけておかないと、いざという時に動けなくなってしまう。
洗面所に向かってから、着ているタンクトップを脱いだ。寝間着用のホットパンツと下着も脱ぐ。きれいに畳んでから、簡易的に取り付けられたシャワー室に向かう。
蛇口をひねると冷たい水が彼女の幼く白い肢体を濡らす。なだらかな曲線に沿って水が落ちる。
お湯はあまり使わない。水を温める燃料がもったいないから。水もそこまで使えないから、シャワーと言っても水浴び程度になってしまう。
少しして蛇口を捻ってから水を止めた。
シャワー室から出ると、元々用意されていたバスタオルを手に取る。体についた水気を取ってから、普段着に着替えた。
「おはよう〜……」
髪の毛が暴発してるロードが、あくびをしながら洗面所に入ってきた。だらしなく腹をかきながら、服を脱ぎ始める。
あまり見ているとまた自分のコンプレックスを刺激されるから、ハーツは歯磨きに集中することにした。
綺麗に歯を磨き、顔を洗う。鏡に映る自分の目を見て、大きくため息を吐いた。
ハーツの右目は長い酷使の影響で、左よりも薄い青になっていた。視力にはまだ影響出ていないが、このままだとどうなるかわからない。
見えなくなってしまったらどうなるのか、あまり想像はしたくない。
一通り準備を終えると、彼女は宿舎から外へと足を踏み出す。
肩に掛ける狙撃銃の重み。後ろ腰のポーチの中にいれたフラッシュバンたちの重み。ナイフや拳銃などの細やかな装備の重み。そのすべてがハーツに安心感を与えてくれる。
「起きたか、ハーツ」
その優しげな男の声に、ハーツは顔を向けた。
フラッグが近くの簡易電灯の下で腰掛けていた。いつものフルフェイスマスクにサングラスをかけている。彼の素顔は、ハーツはいまだに見たことがない。
「おはよう、どうしたの?」
「昨日の娘について報告したいと思ってな。よかったら歩きながら話すか?」
親指で指し示したのは、食堂方面。ハーツは無言で首を縦に振った。
「率直な話、彼女が何者なのかはまだ分からない」
話題の切り込みを、フラッグが入れた。
「一日中見張りをつけたが、特に異常はなかったそうだ」
「だけど、彼女の弱り具合から何かあったのは確実」
ボロボロの服。栄養失調気味でやせ細った体。おびえるような揺れる瞳に、どこか警戒心のある動き。
とても十歳そこらの女の子とは思えない雰囲気を醸し出している。
「そう、だから先日襲ってきた黒戦闘服の略奪者と関わりを見てみた」
「……黒服ね」
それを言われて、あんまり良い思い出はない。つい数週間前に、大量の人員をこちらに投入してきた略奪者集団たちだ。こちらも死傷者を出して、打撃を食らった。
なんとかリーダー格らしき人間を殺して追い返しはしたが、いずれまた襲ってくるのではないかとハーツは気が気ではない。
食堂につくと、何人かの住人でにぎわっていた。用意された簡易食をトレイに取る。フラッグは手を降っているどうやらいらないらしい。
「ゴムみたいな味がしてな。あんまり好かない」
「……わかる」
その気持は大いに賛成だが、ハーツは食べないと体が育たない。ロードみたいな肉体美が欲しいのならなおさらだ。
だから彼女の選択肢には、ご飯を抜かすというものはなかった。
適当なテーブルにつきながら、向かいに座ったフラッグと話を続ける。彼女の耳には、周りのにぎやかさが重なる。
「壊滅した南の集落の生き残りかどうかを軽く探ってみた。ただ、やはり覚えていないらしい」
「覚えていない……ね」
フォークを刺すと、弾くような反動が返ってきた。食欲が、少しだけ冷えた。それでも意を決して口に運んだ。
噛みにくい弾力性と何とも言えない味が口の中に広がる。できるだけ真顔を保とうとするが、眉根だけ寄せてしまう。
「ただ、その覚えてないが信用ならないんだ」
続けるフラッグに、目線を向けた。
「彼女は覚えてない……じゃなくて、言いたくないのかもしれない」
ハーツの一言に、フラッグも頷く。
彼女は明らかにハーツの狙撃銃を知っていた。そんな人間が、記憶喪失なのだろうか。
しかし、十歳の少女ならその程度の記憶の混濁が起きていても仕方ないとも思う。
「おはよう」
ロードがトレイを持ってきて、フラッグの隣に座った。
「何の話ししてるの?」
「昨日保護した女の子のだ」
「あーね」
適当に聞きながら、ハーツと同じ食べ物を口に運ぶ。小さく美味しいとか言ってるのが聞こえて、ハーツの右眉毛がピクリと動いた。
「ロード。南の集落の壊滅は、どういう経緯か覚えているか?」
「推測も混ざるわよ?」
「構わん」
その言葉を聞くと、よく噛んでから口の中のものを飲み込む。
その様子を見て、ハーツはフォークを強く握り直した。
「黒服の連中が南が流れてきたところから見ると、十中八九奴らに滅ぼされたわね。今のところ、生存者との連絡はなし。生存者の有無は致命的」
「うん、俺との見解は一致してる」
「つまり、彼女は南の集落の生存者ではない?」
ハーツの問に二人同時に頷いた。
「だったら可能性はもう一つある」
「浮遊者か」
ハーツの言葉に返したのはフラッグだ。
浮遊者は、簡単に言えばどこの組織や集落にも所属していない。言葉の通りにこの世界を浮遊している者たちだ。
彼らの生活は様々で、行商をしていたり一人でほそぼそ生きていたり。独自のコミュニティを作って、略奪者紛いのことをしている人たちもいる。
「確かに南からここまでの進路上に生活していた浮遊者なら、説明はつく。奴らに襲われて、命からがら逃げてきたって“筋書き”ならな」
その言い回し的に、フラッグな頭の中では彼女の疑いで満たされているのがわかる。
確かにそれだけで片付けるには、あまりにも不可解すぎる。
ただ逃げてきただけではないとわかる彼女の存在自体が完全な異端なのだ。
「おい、フラッグ!」
大声とともに入ってきたブリッジの声が、食堂中の視線を集めた。
「ライが倒れた!」
その言葉に、三人は顔を見合わす。




