5-26 映画 「少女歌人の恋」26
そこで、1番 柚が望んでいたのは、涼真の存在さえ知らなかったら、それが、なによりもよかったのだと、そう感じるのであった。
そして、祝言を見送って、2人を祝福し、町を後にして、旅立ち、最後の一首を詠む。
すると、降臨歌人は、再三の登場となった小野小町であり、
「逢はざらば 恋も知らずに すぎしもの なれど出逢ひて 命惜しけれ」
その意味とは、、、
出逢わなければ、恋も苦しみもなかった――けれど、出逢ったことで、命すら惜しく思うほどの想いが生まれた。
ここに、ソフィアの演技力が深く注ぎ込まれ、静かに涙をこらえながら詠み上げる柚の姿に、観客の胸を撃つクライマックスとなっていった。
このような展開になり、実は、ここまでは、ソフィアは、秘流の伝承者として、六歌仙の歌人の能力とともに、見事な和歌を詠み、映画の主人公として、その和歌の魅力を最大限に 発揮して、観客にアピールをしてきたが、ここにきて、ラストシーンにおいて、女優ソフィアの演技力により、見事なまでの切なさを表現して、より一層観客を魅了する。
これにて、少女歌人の物語「少女歌人の恋」は、ラストを迎えて、監督は、この完成された作品を一本の映画として、あらためて通して鑑賞し、その感想や思いを語った。
この作品は、主人公の町娘、小野 柚の物語ではあるが、実は、和歌を心から愛している、ソフィア・オートマティックという歌人本人の映画でもあった。
それは、初恋から、実らぬ恋と知り、しかし、誤解であると真実を知るも、その結果、自分の幸せは、人から喜びを奪ってまで、叶うことではない、という、主人公、小野 柚そのものと重なる、その思いやりと優しさを貫いてゆく本人は、人の感情を、深く、繊細に、それを、たった31文字に繊細に表現しているソフィアそのものであった。
そして、また、それぞれの和歌を詠む場面において、その感情を和歌にしっかりと託している一方で、やはり、そこには、抑えきれない、若い1人の少女としての感情を、手のほんの数本の指先を使い、時には反らせ、時には折り込み振るわせる。そのような、指先だけで微妙な感情表現を加え、ソフィアの女優としての奥深い才能をあらためて、再確認する作品であった。それは、見事な感情表現の高度な体現力の極みとも言えるものであった。
それについては、のちに、大門監督は、ピンポイントでも語っている。
「とにかく、彼女の、和歌の詠み上げについては、まさに、伝承者としての能力を遺憾無く発揮して、これまでにない日本語表現の究極の作品を生み出してくれた。まず、そこは、この映画の1番の特徴であって、最高に評価したい点ではあります。
そして、撮影中にも気づいていたことですが、今回、完成した作品をみて、その時々の和歌を詠む場面で、特に、ラストのシーンなどの、あまりにも、小野 柚に起こる衝撃的な展開に対して、その感情が和歌だけに抑え込み切れない状況に、彼女は、その数本の指先の動きによって、その、ほんの少しだけあふれでてしまった心情を表現する体現力には、あらためて、その能力に感服しました。ただ、和歌の感情表現をするのではなく、しっかりと、1人の少女、小野 柚としての役柄を忘れずに、それを言葉ではなく、押さえ込まれた言葉の代わりに、その所作で見事に表現している。
日本語の繊細な表現力には、定評がある彼女から、また、そんな能力が見出せたなんて、女優としても、超一流であることは、間違いありません。今度、また、ぜひ、和歌以外のところで一緒に仕事をしたいと、そう思いました。」
そして、映画「少女歌人の恋」は、いよいよロードショー公開された。それは、とても不思議な作品であった。
主人公、小野 柚の恋物語を見守っていく観客は、そのうちに、和歌を詠み、その時、別の世界へと誘われると、これまで経験したことのない、小野 柚が作り出した世界に入り込み、物語の中であり、同時に、物語の中でもない、その、和歌の一首から、感情があふれだす不思議な感動の世界を体験する。そして、再び、小野 柚の日常に戻ってくる。その不思議で、感動的な小野 柚の、これまで体験したことのない恋物語を、観客は堪能してゆく。
この、小野 柚が和歌を詠む時に、観客が入り込んでいく世界、これこそが、秘流の真の伝承者となったソフィアと、降臨した六歌仙の歌人の能力が融合して作り出した世界なのであった。
その後、日増しに観客の動員数は、増える一方で、その不思議な感動的な世界の体験は、とても話題となった。
そして、そこには、ソフィアが秘流の力を初めて披露した、その会「詞華幽玄の座」のメンバーたちももれず、鑑賞に映画館を訪れていた。そして、自分たちが、いつも詠みあげて、耳から感じる印象とは違う、その巨大なスクリーンから、ソフィアの演技と共に感じられる、新たなる和歌の感動の世界を、その詠みあげる和歌以上に響き伝わる感動に、メンバーたちは、和歌の、これまで味わったことのない感動を覚えていた。
そこには、かつてない和歌の素晴らしさを感じると共に、ソフィアが、現代に和歌を伝え、広めていく、六歌仙の伝承者であることを再認識し、メンバーたちは、喜びに涙するのであった。
そして、ついに、「少女歌人の恋」は、アオデミー賞の作品賞、監督賞、そして、主演女優賞を受賞した。その後、「和歌研究推奨協会」から、特別推薦映画として、認定され、一般上映が終了後も、「和歌研究推奨協会」事務局を訪れると、無期限でいつでも鑑賞が可能だということが決定した。
実は、この作品がクランクアップした時、大門監督から、ソフィアに対して、最後の、涼真との決別を意識して、旅立つ時のシーンが、強い印象を与えていたと、その点を強く問われていた。作品全体も、和歌以外も素晴らしいのは、もちろんだが、その最後の切ないシーンが、またさらに、とても感動したといい、あの大門監督でさえも、他のシーンとは違う奥深さをそこまで理解できなかった。あのシーンには、どんな秘密があるのかと、大門監督から問われていた。
すると、ソフィアは、お礼の挨拶をして、その点については、特に語らずに済ませたのだが、その問い掛けには、驚きがかくせなかった。そして、ソフィアは、思った。
あの最後のシーンは、やはり、大きな見せ場であるし、和歌そのもののシーンとは別に、印象的な最後となる、繊細かつ、緻密な感情の変化と、その積み上げによる、悲しみと切なさの交錯した複雑な心の思い。
それは、この町を去る時に、走馬灯のように、浮かんでいた、この町での、これまでの思いによって、思い起こされた、幾重にも折り重なって、柚を包みあげた、辛い事実であり、その思いが旅立つ柚の心に容赦なくよみがえるものであった。
それは、涼真という、心から信頼のおける友人を、その恋心を抱いたことにより失い、その恋心は、告白するまでの、片思いという辛く切ない日々に変え、その思いはやがて告白直前に、兄妹という残酷な事実を知ることにより、一瞬のうちに崩壊する。そして、その関係は、やがて住職から間違いであったという知らせから、再びの奇跡的な希望を取り返すが、それも、ほんの一瞬のこと、涼真の祝言の相手の笑顔をみた瞬間に、自ら、その希望を放棄してしまうという、柚の、そのあまりにも深い優しさゆえに、自ら選択した悲しい、一気に悲恋への道。
ここまでの、次々と訪れた辛さと切なさの折り重なってからの繰り返しが、その最後の旅立ちのシーンに、一気に押し寄せる、この映画の切なさの集大成を、物語全体の中でも、小野 柚の心情が、もっとも観客に突き刺さるようにするためのシーンだったのよ。それは、ただの感動だけではなくて、小野 柚の切ない気持ちが、これでもかと、最後の一首の和歌に込められていて、それは、六歌仙に次ぐ、七人目の伝承者、秘流としての実力を発揮した最高のシーン。
つまり、あの最後のシーンは、同時に、抑えきれない小野 柚の複雑な感情の多重層演技、とでも言えばいいのかしら。それをその所作にて、和歌の詠みあげと同時にあふれ出る渾身の演技なのよ。
つまり、その奥深さについては、この映画を見るたびに、その複雑な感情の奥深さが、毎回、印象が変わり、新鮮な感動としてよみがえってくる。だから、何回観ても、その小野 柚の切なさの、本当の意味での細やかな心情は、一度では決してわからない。私、深く深く、そのように、感情を閉じ込めて演じているんですもの。わざと、一度では、その繊細な心情がわからないように、そこまで深く刻み込んでいるの。
だから、この作品は、何回も観たくなるようにできているのよ。それで、繰り返して鑑賞することで、その深い繊細な心情が、徐々に、そして、さらに浮かび上がってくる。すると、これまでの一度の鑑賞では味わえ切れなかった切なさが、より強くより感じられてくるの。それが、最終シーンの隠された秘密ね。
だけど、一度の鑑賞だけで、その感情の多重層を感じとった大門監督は、さすがね。やっぱり、他の監督とは違うわ。だから、多くの方たちに、何回も観てほしいのよ。
そして、ソフィアは、次の仕事のため、フランスへと旅立っていくのだった。




