知覧編 第2話 ひとくちのなみだ
台所シリーズ第4部「台所の世界をかえる」知覧
第2話 ひとくちのなみだ
1 知覧町
鹿児島県川辺郡知覧町。
響香の父の実家があったこの町は、かつて川辺郡に属していたが、平成の大合併で南九州市に編入された。
戦後、この町はお茶の産地として少しずつ知られるようになった。
かつて「お茶といえば静岡」と言われた時代、おばあちゃんはこう語った。
「静岡には、知覧のお茶を送っているのよ。混ぜると香りが良くなるから」
その誇らしげな口ぶりを、今もよく覚えている。
子どもだった私は、「本当かな」と思いながらも、どこか信じていた。
それから四十年、五十年。
今では北海道のスーパーにも「知覧茶」が並び、ちょっといいお茶の定番として親しまれている。
その香りを口に含むたび、夏休みや冬休みに過ごした、あたたかな日々の記憶がふわりと立ちのぼる。
南鹿児島駅から海を見下ろしながら、バスで山をのぼること約一時間。
開聞岳を遠くに望む平坦な台地に、知覧の町はあった。
「こんな山の上に、こんな静かな町があるなんて」――
子ども心に、不思議に思った。
昭和五十年代まで、家では薪で風呂を焚き、庭で鶏を飼って卵をいただいた。
竹の葉で包んだちまきにきな粉と砂糖をかけたぜいたくなおやつ。
夏は蚊帳の中で風を感じながら眠り、冬は炭火の火鉢でもちを焼いて暖をとった。
魚が水揚げされる枕崎まではおよそ二十キロ。
山あいの小さな面積に稲穂が実る風景がそこかしこにあった。
けれど、この町に特別なものがふたつあった。
武家屋敷と、特攻隊基地記念館だ。
町のはずれにある武家屋敷は、いまも人が暮らす家として現役で使われながら保存されている。
十八世紀中ごろ、江戸時代中期に整備されたものだという。
石垣や生垣に囲まれた控えめな庭と縁側。その距離感が、ここちよい人との関わりを思い出させる。
知覧は、滑走路を作るのに適した地形だった。
もともとは「簡易飛行場」として整備されていたが、のちに特攻出撃基地として拡張された。
特攻隊――それは太平洋戦争末期、片道分の燃料だけを積んで出撃した若者たちのこと。
攻撃目標は沖縄周辺のアメリカ艦隊だった。
鹿児島県南部に位置する知覧は、沖縄本島まで約五百四十キロ。
片道の燃料で飛ぶには、ぎりぎり可能な距離だった。
だからこそ、「最適」とされた。
当時の知覧の人々は、兵士たちを「わが子のように」見送り、宿舎や食事を提供したという。
父の育った町は、そんな重い歴史を背負った場所だった。
父は世界の歴史や地理には詳しかったけれど、
自分が生まれ育った町――知覧のことは、一度も語らなかった。
そして、何も言わぬまま、空へと還っていった。
響香は今、小さな断片をひとつずつ、つなげている。
2 十猪十歳
昭和十年生まれ、いのしし年に生まれた次男。
戦争が始まったのは、十猪が二歳のときだ。
十猪の家は知覧のお医者さんの家で、父は軍医として二度、船に乗った。
しかし十猪には、その父の顔の記憶がなかった。
町には飛行機乗りの訓練生たちがあふれていた。
十猪の家にも、若い兵隊たちが泊まりに来る。
「蝦夷(北海道)から来た、飛行機乗りのお兄ちゃん」
そのお兄ちゃんは母と同じように「じゅうちゃん」と呼び、十猪とよく遊んでくれた。
五つ年上の実の兄は勉強ばかりしていたが、訓練生のお兄ちゃんはちゃんばらごっこをしてくれた。
母は毎朝、お百度参りを欠かさなかった。
長い石段を登りながら、心の中で祈る。
「どうか、無事に。何でもいい、ただ無事に――」
誰にも届かない叫び。
でも願いは、飛行機乗りのお兄ちゃんにも向けられていた。
ある日、母は一枚の紙をもらってきた。
最初は丸めたが、思い直して階段下の戸棚にしまった。
十猪はその紙を、ちゃんばらごっこの剣として遊んでしまう。
「愉快に勝った!」
十猪は誇らしげに紙の剣を掲げ、飛行機乗りのお兄ちゃんに手渡した。
3 長男・伯父(中学生くらい)
長男は「太平洋」の「洋」を取り、洋一郎と名付けられた。
その場面を黙って見ていた伯父は、ぽつりと言った。
「じゅうちゃん、じゅうちゃんってさ……お前は自由でいいな」
十猪は意味がわからず笑った。
伯父は続ける。
「いい気になって、その剣を飛行機訓練生に渡すんだ。沈没ってどういう意味か……教えてやりたかった」
十猪にはまだ「沈没」という字すら読めなかった。
「……なんで、こんなに悲しいんだろうな」
伯父の声は、子ども心には重く響いた。
4 おじちゃんの家
伯父は外科医で、昭和五十年代、交通事故が相次ぐ時代、帰省は年に一度か二度のとんぼ返りだった。
響香は初めて伯父の家を訪れた。
「お医者さんの家って、きっと広くてピカピカしてるんだろうな」
だが、家は意外に普通だった。
ただひとつ印象に残るのはトイレ。
家の中なのに、学校のように個室が三つ並んでいた。
後に、戦争の記憶が家の設計に反映されていた可能性に気づく。
非常時には病院隣の自宅も診療や避難の場として使えるように――
そんな備えだったのかもしれない。
伯父は無意識のうちに、多くの使命を静かに背負っていた。
5 なだこおばちゃん
洋子――《なだこ》おばちゃんの髪は長く、毎朝きれいにまとめていた。
タンスの上にはたくさんの人形が並び、ひとつひとつに思い出が宿っているようだった。
おばちゃんの終戦は十六、十七歳のころ。
軍事工場で働いていたこともあった。
戦争の爪痕は見えないように思えたが、特攻隊のお兄さんが家で寝泊まりしていた話は、おばあちゃんから聞いたことがある。
茶の間に座る、遠き空へゆく若き青年の背中――
襖一枚の距離感が、今も胸に刻まれている。
6 トマトサラダ
小学生の響香は、なだこおばちゃんから聞かされた恋の話を覚えていた。
会いに行くことさえ、秘密の出来事のように――。
おばちゃんは静かに話してくれた。
そんな話をするのは、いつもおばあちゃんのいない、二人きりのときだった。
「会いに行った。」
知覧では、なだこおばちゃんの横で台所に立って話を聞いた。
子ども心に、思ってることをなかなか言えないってことが、世の中にあるんだな、と思った。
そんななだこおばちゃんが、
「かえったら、お母さんのお手伝いしてあげてね」
と言った。
そう言われて、作ったトマトサラダ。
母は一口で「おえっつ、まずい」と言った。
あの時も、思わず泣いた。
なだこおばちゃんの台所を立つ姿を思い出すと、いまもどうしてか悲しい。
トマトの赤が、なだこおばちゃんの台所と、母の声を、ひとつにしていく。
どちらも、わたしのなかにいて、どちらも、光っている。
台所という舞台は、時を越えても、そこに立つ人の光を消さない。




