長旅編 第11話 数滴に映る未来――横浜水道に見る、驚異の数値
台所シリーズ 第2部 『台所はせかいをかえる』 長旅編
第11話 数滴に映る未来――横浜水道に見る、驚異の数値
ぞろぞろと、横浜の水道施設を見せていただいた。
一日を共にすごすと、おのおのの性格がよくわかる。
ダビデは、おそらく潔癖症だ。
テーブルに残った水滴のひとしずくにすら、彼の視線は止まる。
まるで、世界のノイズを取り除くように。
工学科に籍を置いた、理の世界の住人。
けれど、小数点は――どうも苦手らしい。
「小数点……あの点のあとに並ぶ数字が、ぞわっとするんだよね」
ひと呼吸おいて、静かに笑った。
謙虚な態度の奥に、すべてを把握しているかのような自信が、ちらりと覗く。
「本気にしちゃうぞ」なんて軽く言うくせに、本気には決してならない。
揺れない。近づきすぎることもなく、決め台詞を残して距離を保つ。
不思議な人だな、と思った。
横浜では、ポンプ場において、IoTセンサーやドローンを活用した予兆保全の実証実験が行われていた。
ポンプの振動や回転数のデータが、リアルタイムで収集・解析されている。
最新鋭の機材を囲んだ説明には、皆どこか悔いるような面持ちで耳を傾け、それぞれが熱心にメモを取っていた。
ただ一人、ダビデだけがその輪の中にいなかった。
彼は皆が素通りした、百年前の井戸の説明ボードの前に立ち、腕を組んで、長いこと動かなかった。
「どこが気になるの?」――そう聞きたい気持ちはあるのに、言葉にはできなかった。
ジェリーにだったら、気軽に聞けるのに。
ダビデには、なぜか聞けない。
一度も気分を害するような態度を見せたことがないのに、どこかで彼の琴線に触れてしまいそうで。
――彼には、そんな“扉”があるように思えた。
研修室にもどって、それぞれがレポートを書くことになった。
私は彼の背中を見ていた。無言で、真剣に何かを書いている。
「1000年つづくストーリーを、かくのだと……」
そんなことを、ダビデはつぶやいていた。
きっと読ませてくれると思っていた。
……でも、その文章を、最後まで読むことはできなかった。
それでも私も、真剣にレポートを書いた。
『横浜市水道インフラの驚くべき数値』
縣 伸子
最近、AIでも報告書が書ける時代になったと知りました。
そんな中で出会った横浜市の水道インフラに関する資料は、私を大いに驚かせました。
特に、2023年のデータにおける給水人口:378万人。
これは、オーストリアやニュージーランドの総人口に匹敵します。
それだけの人々の命を日々支えているという事実に、思わず息を呑みました。
そしてもうひとつ注目すべき数値――漏水率:2.0%未満。
全国平均が約7%であることを考えると、これは驚異的な数字です。
「小数点の位置を間違えているのでは?」
そんな声が、周囲の知識人たちからあがるのも無理はありません。
私の中でも、かつてアクリル板の予算を間違えていた記憶がよみがえり、
その会話に、黙って耳を傾けるしかありませんでした。
“そんな馬鹿なことがあるわけない”
そう思いながらも、どこかで納得している自分がいたのです。
横浜市という規模と予算を考えれば、これは「驚異」ではなく「当然」なのかもしれない。
けれど――この数字の裏にある膨大な努力を、私たちは見逃してはならないと思いました。
水質管理とその裏側
横浜市では、水質検査項目が90以上にのぼります。
これはWHOや日本の法定基準を大きく上回る厳しさです。
この徹底した検査のおかげで、私たちの蛇口から出る水は
「そのまま飲める」水であり続けています。
私たちが無意識に口にする一滴一滴は、
極めて高度な管理と技術に支えられているのです。
技術革新と未来への投資
横浜市の水道事業は、AIやIoTの導入により、さらなる進化を遂げています。
スマートメーターによるリアルタイムの使用量監視
AIによる漏水検知と即時対応
IoTセンサーによる24時間体制の浄水場モニタリング
これらの導入は、効率化だけではなく、
持続可能な水道システムの構築というビジョンを支える投資です。
誰にも気づかれないような日々の改善、
そして、小さなメンテナンスの積み重ねが、都市インフラの未来を形づくっていく。
横浜市は、その最前線を走っています。
水源林の育成と自然との共生
横浜市では、水道事業の一環として水源林の育成にも力を入れています。
この取り組みは、百年以上の歴史があります。
水の安全を未来にわたって保障するためには、自然環境の保全が不可欠です。
森は、水を蓄え、濾過し、そして育てる。
その働きが目に見えなくても、水質と安定供給を陰で支えています。
忘れがちなことを、思い出すために
私たちは、日々の業務に追われる中で、こうした取り組みの価値を忘れがちになります。
けれど、ふと立ち止まって振り返ると――
給水人口:378万人
漏水率:2.0%未満
水質検査:90項目
それらの「数字」が示すのは、人の努力と誠実さの結晶です。
それは、未来を生きる人たちのための、静かな祈りのようでもあります。
横浜市の水道システムの成功は、単なる先進的な技術だけでは成しえません。
何十年にもわたる地道な努力と、見えない場所での改善の積み重ねがあってこそ、今日があります。
この努力の結晶を、未来へと伝えていく――
私たちはその責務を、今、手にしているのだと気づかされました。
明日から始まる「虹の輪」の活動に、この横浜での学びを活かしたいと思います。
2023年3月24日
ダビデが気にしていた、水滴のひとしずく。
それは――世界を整えようとする、静かなまなざしだったのかもしれない。
彼が書いたレポートを、もしかしたら見ることができるかもしれない。
その話を誰かに伝文できたら、それだけでも「虹の輪」に参加する意味があるように思えた。
明日から始まるのは、少し騒がしい未来かもしれない。
けれど、それでも。
すべてをつなぎとめている なにか に、
触れてみたくて――
行きたいという衝動にかられている。




