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【旧稿】台所シリーズ ― 水と記憶と祈り ―  作者: 朧月


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長旅編 第3話 ⑤ 視線作戦と同郷のひと ーもじゃもじ

台所シリーズ 長旅編

第3話 ④ 視線作戦と同郷の人ーもじゃもじ


 


1 視線作戦


まだ、もじゃもじゃ頭の彼とは視線が合わない。

「もじゃもじ、私のお願いを聞いて。」

「……どうか、よろしくおねがいします。」


 


視線で、視線で。


 


「北広島ニコニコ水道会社」視線作戦。


えりちゃんに、「この書類、今、このタイミングで部長に持っていくべきだ」と、

小刻みなうなずきと視線で伝えるようにする。


そしてもう一つ、「私ではなく、あなたがしたほうがいい」と。


 


えりちゃんは一瞬戸惑い、「私?」と小さく人差し指で自分の顔を指す。

そして右手の四本指を顔の前でワイパーのように振る。

「違う違う。」


 


「私よりあなた」と強い視線ビーム。


えりちゃんは「しょうがないなぁ」と、しぶしぶ納得した顔をする。


けれど、部長の席の一歩手前で、女優のように最高の笑顔をつくり、

「確認のうえ、早急に押印をお願いします!」


 


あの視線の合図作戦は、成功率が非常に高い。


私は、「部長の前だと、いつも素晴らしい笑顔ですね」と言えばいい。


もっと上級作戦は、

「カレダ次長にばれたら困りますから、目を皿のようにして、確認して、印鑑くださいね」

と、書類の意味を公然と示すのだ。


 


 


2 名古屋コメダの回想


その視線の合図作戦・基本編を、見知らぬ同郷の彼に試してみた。


もじゃもじゃ頭の彼と、細かな笑顔と最強の困った顔を交え、

最後の視線ビームを試みる。


 


すると――あった。


 


向かいの同郷のもじゃもじゃ頭の彼と、ついに視線が合った。


彼はまるで神のように、私の隣に立ち、

「なにかお手伝いできますか?」と、英語でダビデに向かって立ってくれた。


 


“MAY I HELP YOU?”


 


そう、彼は堂々と立ってくれた。(同郷の神様、頼りになります)

心の中で精一杯、感謝した。


 


ダビデは流ちょうな英語で自己紹介したらしく、

もじゃもじゃの彼はうなずき、聞き取れたかのような顔をしていた。


そして、軽く右手を上下させ、

「よう。」

といった。


 


この私の救いの神は、どうやら「よう」と名乗ったようで、

決め顔でダビデを見つめた。


三重奏王子・ダビデは、ホルンのような声でゆっくり、

「ようちゃん」と呼んだ。


 


ようちゃんの英語力はわからないが、コミュニティ力はすごいらしく、

三重奏王子とようちゃんは、すぐ仲良くなったらしい。


ふたりは、このコメダにかかる曲に思い出があるらしく、

音楽の話で盛り上がっていた。


 


ようちゃんは、「僕にあとは任せて、レジで会計して、席を立っていいよ」と、

目で合図していた。


 


でも伸子は、このようちゃんとダビデの話を、

この席であと少し見ていたかった。


この特等席で。


 


他の人もこの特等席に座りたそうな顔をしていたけれど、

伸子は譲りたくなかった。


ぴーちくコメダ母親会談のAとBも見守っている。


 


伸子はようちゃんに、「いいの。まだ十分時間あるから」と、

さっきとは違う視線の合図を送った。


ようちゃんは、「君、ずいぶん勝手だな」と言いたげな顔をした。


 


音楽の話が盛り上がってきたところで、

昨日は桑田さんのコンサートに行ってきた、素晴らしかった――と、

つたない英語で伸子が話した。


ますます会話が盛り上がる。


 


三重奏王子ダビデは、「愛しのえりー」を小声で歌い、

最初のフレーズが世界に愛されるわけを語った。


 


還暦を過ぎた伸子は、コメダのコーヒーの中にとろけこみそうだった……。

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