長旅編 第3話 ③ その2 名古屋のコメダが、リフレイン ダビデの登場
台所シリーズ 第2部『台所はせかいをかえる』 長旅編
第3話②ーその2 名古屋のコメダが、リフレイン ダビデの登場
振り返ると、やっぱり一番印象的だったのは、ダビデとの出会いだった。
ペンいれには、今も「ダビデ」と刻まれたペンが入っている。
彼が、伸子を“虹の輪”へ誘ったのだ。
あのときのやりとりを人に話すのは、難しい。
というより、恥ずかしい。
だけれども、あの瞬間、自分をとても愛おしく感じる。
“Sorry for surprising you. Actually, I saw you yesterday as well.
When I saw you entering Komeda, I couldn't help but go in with you.
You went to the Water History Museum yesterday, right?
I was watching the exhibit you were so keenly looking at from behind.
When you were looking at the bus timetable, you dropped your pen.
It’s a cute pen. I could exchange it if you'd like. Would that be okay?”
「ワンモア、プリーズ」
今度は、ゆっくりと。
ダビデは、やわらかな英語でこう言った。
後からわかったことだけど、ダビデはこう言っていたらしい。
「驚かせてしまってごめんなさい。実は昨日もあなたを見かけたんです。
あなたがコメダに入るのを見て、つい後を追ってしまいました。
昨日、水の歴史資料館に行きましたよね? あなたが熱心に見ていた展示を、後ろからそっと見ていました。
バスの時刻表を見ていたとき、ペンを落としましたよね。
かわいらしいペンでした。もしよかったら、そのペンと交換してもらってもいいですか?」
でも、伸子の心の声は、
(最初の “Sorry” と “OK” しかわからない)
(イエス? ノー? どっちが正解?)
(ペンを貸してもらったのは私なのに、なぜ “Sorry”? 日本人じゃあるまいし)
(玉木先生……助けて )
中学一年の英語の先生「玉木先生」の名が、なぜか頭をよぎった。
ソーリー、ミュージアム、バス、ペン、キュート。
伸子は単語だけをなんとか拾う。
(ぺん、ぺん……って、昔のギャグ?)
(そうか、ペンを返してなかったんだ!)
伸子は、はきはきした小学生のように、
「サンキュー!ジス イズ キュートペン!」
と、ダビデの名が刻まれたペンを机に置いた。
返却完了。胸をなでおろす……はずだった。
しかし、三重奏王子が、言った。
「こまったな〜」
名古屋イントネーションにも聞こえる片言の日本語で、じっと伸子の顔を見つめる。
彼は、彼女の“次のセリフ”を待っていた。
伸子は思わず、口をついて出た。
「HELP。Yourself」
(=私:あなた自身でなんとかしてください)
(=彼:ご自由にどうぞ)
三重奏王子は、やわらかな福山雅治そっくりの声で、剛くんみたいな謙虚なさわやかな笑みを浮かべ、
「いいんですか?」
と言いながら、伸子の手をそっと取った。
「あ・り・が・と・う」
――どんなときでも、スターとして合格だ。
その「ありがとう」が、やけに耳に残った。
そして、ようやく手を離すと、テーブルに置いたペンを再びゆっくり伸子に差し出す。
一本のペンを差し出す様子が、普通じゃない。
まるで宝塚の舞台を観ているかのようだ。
コメダにかかる音楽が、彼の仕草の効果音になっている。
「ぼくのじゃ、だめですか?」
彼の低音ボイスが、周囲の視線を集める。
向かいの席の母親談義の二人も、店員も、ことのなりゆきをうかがっている。
(もう、さっぱりわからない。早くこの店を出たい。札幌のコメダでコーヒー飲みたい)
伸子は意を決して、
「グッドバイ」
そう言って席を立とうとした。
すると、静かにダビデが、
「Pardon me, but I think you may have forgotten this — your iPad. It looks quite important.」
言ったかと思うと、次の瞬間、伸子の腕をつかんで引き戻した。
思わず、
「やめてください!」
強い口調で言うと、
「おわすれですよ。大事なアイパッドでしょう?」
今度は――流ちょうな日本語で。
「世界最高水準のお仕事、見せていただき感謝しています。
もう少し、お仕事のお話、聞かせていただけませんか?」
(え? なんで急に日本語うまいの?)
あとから聞いた話によれば、ダビデは日本の時代劇が大好きで、小さいころから日本語に慣れ親しんでいたらしい。
結局、ダビデのペンを置いたままのテーブルをはさんで、再び座ることになった。
この三重奏王子ダビデは、スマートな立ち姿、爽やかな笑顔、艶やかな低音ボイスを武器に、伸子を席にひきとめ、会話を続ける。
向かいの席から、甘い生クリームの香りがただよってくる。
彼女たちまでもが、こっちを意識しているようだ。
「あまいかおり。やっぱり、日本の生クリームさいこうだわ。ビューティフル」
そんな彼女たちにも視線を向け、スタースマイルで会釈。
長い足を組み直し、店員に視線だけで注文するのに、嫌味はない。
無言の「それ、ふたつ」。
(何者?)
彼のことを知りたい気持ちも芽生えたが、伸子は自分の周囲を見渡す。
そこに、ようちゃんと呼ぶ亀田課長そっくりの男が、コーヒーを飲んでいた。




