ただいま編 第6話 ポンポネッラと慣れないスマホ
台所シリーズ 第1部「台所でせかいをかえる」ただいま編
第6話 ポンポネッラと慣れないスマホ
1 ポンポネッラとスマホ
伸子と響香は、ガーデニング教室で出会ってから、20年になる。
長旅から伸子が帰ったという便りを聞いた響香は、半信半疑だった。
自分の庭のポンポネッラを花瓶に飾ろうと、響香はハサミを手に庭に出た。
そのバラは、毎年およそ100輪の花をつける。
夏なら、近所から夕食の香りが漂いはじめる7時過ぎでも、先に夕飯の支度を済ませてしまえば、哲郎の帰宅まで庭の作業が続けられた。
けれど9月にもなれば、4時にはもう向かいの公園のオレンジの電灯がともる。
切ってドライフラワーにしようか、それとも最後まで庭で咲かせてあげようか、大切に思ってくれそうな人に花束にして贈るか――。
暗い庭先に長くいると、不審がられるかもしれない――そんなことも気にしてしまう自分を、「へんちくりんなガーデナー」だと思わずにはいられない。
どの花を花瓶に挿すか決められず、ハサミをポケットにしまう。
「伸子さんのアンジェラ、どうしてるかしら」
画面に映る「縣伸子」の名前を見ながら、「厳島響香」という自分の表示を見て、ふと昔の会話がよみがえる。
「字画が多いのよ」
「薔薇のほうがもっと多いわよ」
そんなやりとりから生まれた、架空の人物――何出茂薔薇子。
ふたりで夢中になって、何出茂薔薇子の人生をあれこれ深掘りした。
「ピエール様のもとに、帰らなくちゃ」と、いそいそと帰っていった何出茂薔薇子。
伸子も、まだ覚えているだろうか?
庭には、出会ったころに植えたバラ「ポンポネッラ」が、秋の終わりを惜しむように咲いている。
アンジェラと同じくドイツ育種のバラで、冷戦期に生まれたアンジェラに対し、ポンポネッラはベルリンの壁が取り払われた後に生まれた花。
そんな説明を伸子さんと一緒に読んだ。
かつては一眼レフで撮っていたが、最近はスマホの方がきれいに撮れることを知り、秋の花をスマホに収めている。
空に咲くポンポネッラを撮り、名前を入力しようとするが――。
小学生も超高齢者もスマホを使いこなす時代なのに、響香の指はもどかしく動く。
哲郎には、「ネット難民」と呼ばれるほど。
響香の指のあとに動いたその表示――
「pんねっら」「ポンポコリン」「ぽんpん」「ぽんぽねっち」
となって、どうももどかしい。
「もうめんどくさいわ」
どろどろのエプロンのポッケにスマホを入れようとした。そのとき――。
LINEの通知がきた。
伸子から一年半ぶりの連絡。
画面を見て、響香は幻かと思った。
既読マークがともり、薔薇の写真と、光るステンレスの台所の写真。
台所には、一本のバラが飾られている。
ふたりの時間が動き出した。
そして、長く長く、ふたりは電話した。
いつのまにか、場所はリビング、台所に移っていた。
「あー何時間あっても話しきれないね。また電話するね。」
2 ピロリンと 虫たちの行列
ようやく切った一本のバラをテーブルの上に飾り、響香はスマホの画面をじっと見つめる。
気づけばまた、伸子のLINEページを開いていた。
その最中、不意に――「ピロリン」。
実家からLINEが届く。
「例の、謎の……」
添えられていたのは、幼い子どもの書いた、たどたどしいひらがな。
その下にミミズ、芋虫、そして長いしっぽの虫。
何段にもわたって列をなし、ずるずる、もぞもぞ……と。
延々と続く虫の行進。
最後には、アルファベットの筆記体。
象形文字のような不思議な文字の羅列だった。
まるで虫の行進。
右から左へ、ずるずる、しゅるしゅると。
延々と続いている。
「これが、例の謎の……」
つぶたいた、そのとき。
手が、すべった。
「あつっ。」
よりによって、その“虫行列の写メ”を――
伸子に転送してしまった。
あわてて虫たちを、人差し指で連打。
「送信取り消しって……長押し、って……」
押すほどに、うまくいかない。
「あ、あ、あ……」
ミミズ、芋虫、そして長い長いしっぽの虫たち。
いっぺんに送り出されていった。
まるで何出茂薔薇子のいたずらみたいに。
先日送った、バラをか抱えた女の子のスタンプも残ったまま。
響香は、それをまた、意味もなく連打。
その瞬間。
画面に小さく、「既読」の文字が灯る。
「……また、やっちゃった。」
でも。
その「既読」の光に、ふっと口角がゆるむ。
椅子に腰掛け、伸子さんへ、電話した。
電話を切ると、鍋から「ぐつぐつ」と、いい音がした。
玉ねぎの甘い香りが広がり、響香はスマホをそっと抱きしめる。
湯気が頬にふれて、思わず笑みがこぼれた。
第7話へつづく




