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【旧稿】台所シリーズ ― 水と記憶と祈り ―  作者: 朧月


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ただいま編 第44話 飛行機の中で

前書き


羽田。55番ゲート。搭乗開始を告げるアナウンスが、静かに流れる。

列に並び、スマホを入口にかざす。

「ぴっ。」

小さな胸の位置の扉が開く。

空が、少しずつ近づいてきていた。(ただいま編 第43話)



台所シリーズ 「台所でせかいをかえる」ただいま編

第44話 飛行機の中で



少し、疲れたわ。話しすぎたみたい——

飛行機を待つラウンジで、伸子さんと語り合った。もちろん、心の中でだけど。


でも、もう少しだけ、一緒に飛行機に乗っていてくれる?

ねえ伸子さん、まだ切りたくないの。


ありがとう。


それで……どこまで話したんだっけ。


今、窓の外に一番星が見えるの。


ねえ、信じられる? 空の色が、まるで夢みたいなの。


水平線には、紅からベージュへと移ろう、上質なグラデーション。

ひと塗りで気品をまとえるような、しっとりした口紅の色が、永遠に空へ引かれている。


そのすぐ上には、見たことのない青。

でも、それはただの青じゃない。

高校生の制服みたいな、まっさらな紺色。

未来のかけらが、そっと預けられているような色。

それがどこまでも、高く、広く、宇宙へと広がっている。


翼の先、小さなオレンジ色の光。

線香花火の、最後のひとしずくみたい。

今にも消えてしまいそうな灯なのに、ずっと静かに瞬いている。


その光を見つめていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。

まるで、私の小さな願いまで、空に抱きしめられているみたい。


その光から、少し斜め上に——そうね、60度くらいかしら。

そこに、一番星がある。


線香花火の光と一番星との距離が、ずっと変わらずにいる。

それがね、不思議で、奇跡のように思えてくる。


ライト兄弟の偉業もすごいけれど、

満席の飛行機が、札幌と千歳の間を毎日飛んでいることだって、同じくらいすごいと思う。


いま聴いている曲のせいかしら。

あなたの好きな、桑田さんの声が流れてる。

イヤホン越しに、少し遠くて、でもはっきりと。


好きな歌を、自分だけの空間で聴きながら、空を旅できるなんて——

これは思い出? それとも、まだ来ぬ夢の幻?

そうね、人だけね。戻らぬ日々を胸に抱くなんて。


♪ 愛、愛、愛……


深いわ、この曲。

心の奥を、そっと撫でられるような感覚。


気づけば、飛行機はもう闇の中。

窓の外には、さっきの線香花火のような光がひとつだけ。

かすかな振動と、耳の奥の違和感だけが、私たちがまだ空にいることを教えてくれる。


星も、口紅の色も、制服の紺も——

本当は、写真に撮りたかったの。

でも、とうとう撮れなかった。


窓に映るのは、私の姿ばかり。

ねえ、あなたには、見えるかしら? この景色。


……ああ、見えたわ。

とても、綺麗。


「思い出したの。名古屋の帰りにも、こんな空を見たわ――」

伸子の声が、ふっと心に届いた気がした。

あのときも、今と同じように静かな光に包まれていたはず。


そしていま、眼下には夜に浮かぶ光の町。

アナウンスが流れるたびに、機内の灯りが少しずつ変わっていく。


そのとき、イヤホン越しに聞こえたの。

「幸せの風」って。


その言葉が耳に届いた瞬間、飛行機はゆっくりと着陸態勢に入った。


滲んで、広がっていく町の光。

いくつもの記憶が、その灯りの粒に宿っていく——

あたたかく、静かに。

まるで、ひとつの願いが、そっと灯っているみたいに。


翼先の光も、一番星も、そして私の心も——

すべてが、この瞬間に溶けて、静かに輝いている。



伸子さんと、こころあわせて、

「ただいま。」と。


伸子さんと、こころあわせて、

「ただいま。」と。


ヘッドライトが動く

光の道の先に、


ゆるやかな明かりがつどう

千歳のとなりのまち。


街の灯が、

闇に消えた星空を

映した湖面のように、


静かに、

あたたかく、

夜を抱いている。

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