ただいま編 第38話 ランドセルと信号機
台所シリーズ 第1部 「台所でせかいをかえる」ただいま編
第38話 ランドセルと信号機
1 金庫から井戸へ
伸子さんと新年会。
札幌の地下歩道のベンチに座る。
ランチの場所を決めたら立ちあがるつもりだった。
けれど、気がつけば──そこには深い話の扉がひらいていた。
後ろには、かつてあった拓銀の金庫。オブジェのように置かれている。
その金庫に古い時代の空気が隠れていたわけではないのだけれど、
あのとき、話は自然と、古い井戸のことへと広がっていった。
「井戸なら、よく見ていたわ」
「どこ?」
「妙蓮寺」
それから、響香にとって、ランドセルを背負って過ごした妙蓮寺は、気になる場所になった。
スマホやパソコンの画面だけでは物足りなくて、本屋に行って横浜の地図を買い、畳の上で広げたりもした。
「通学路は、やっぱりかつての綱島街道だわ」
「港まで歩いて行ける距離よ」
時代めぐりの一人散歩。響香のひとり遊びは数日続いた。
そんなときだった。
いとこの宏兄ちゃんから電話がかかってきた。
「電話じゃ、わからないよ」
――真剣な声だった。
母とは先週会ったばかりだと伝えると、宏兄ちゃんはますます驚いたようだった。
――突然だけど、横浜の実家に行くことにした。
せっかくだから──
伸子さんと話した“妙蓮寺の井戸”の場所を、もう一度たずねてみたいと思った。
2 おでん屋とそろばん
当たり前のことだけど、もう妙蓮寺駅に伝言板はなかった。
かつてその風景を知っていた人は、今、この駅を行き交う中には、もういないのだろう。
線路のすぐそばに、ぎりぎりで並ぶ小さな商店と細い路地。
人がひとり、ようやく通れるだけの道幅が、なぜか胸をしめつけるように、郷愁を誘う。
駅前には──「おでんの具専門店」。
そんな珍しいお店が、いまもちゃんとある。
──50年前も、たしかにあった。
でも、子どもの頃の私は、妙蓮寺しか知らなかったから、
どこの町にも「駅前におでんの具専門店」があるものだと思っていた。
白いポリ袋に詰められた800円のおでん。
棚の前に3,4個並んでいた。
哲郎が先を歩いていくのに気づいたけれど、私は店の人にたずねてみた。
「すぐ売り切れちゃうけど、3時にはまた出来立てが出ますよ」
10歳の頃、ガラス棚の上は遠くて見えなかった。
あそこは“想像の世界”だった。
今、こうして棚を見下ろすと、そこには100年ものの大きなそろばん。
いまも現役らしい。
ランドセルの端に手縫いの袋に入れたそろばんを入れていた世代でも、
このサイズのそろばんは、ちょっとした“衝撃”だった。
ダイヤモンドのように削られた木の珠、五つ。
深い黒で光沢があり、まるで毎日磨かれているかのよう。
心棒で規則正しくつながれ、棒にはめ込まれている。
木枠には釘が使われていない。
きっと木組みで作られているのだろう。
まるで、古来から受け継がれた職人技のような──ずっしりとした芸術品だった。
子どもの頃に見た視線の高さでもう一度見たいと思ったが、
振り返ると哲郎はずいぶん先を歩いてしまっていた。
店番をしていたのは、40代くらいの女性。
まだ若いのに、あの100年そろばんが、とても似合っていた。
もっと話したかったけれど──
哲郎は遠く先にいて、私はあわてて小走りで追いついた。
3 ラーメン店と妙蓮寺ニューキャッスル
哲郎はスマホ片手に、昼ごはんによさそうな店を探していた。
「変にガイドブックに載ってる店より、ふらっと入ったほうが、きっといいよ」
その通りだった。
ふたりでラーメン屋の暖簾をくぐる。
色あせた“B級グルメ”のポスターが貼られた壁。
7席のカウンターにテーブルが二つ。
一人で手際よく働く店主の姿に、店内には昭和の空気がそのまま残っていた。
夏の名残を感じる甘酸っぱいトマトの入った冬のラーメン。
ラーメンを食べ終え、井戸のある駅側には戻らず、少し菊名寄りに歩く。
やがて鉄道の高架下をくぐり、かつて住んでいた“妙蓮寺ニューキャッスル”へ向かった。
高架の上を走る東急電鉄の線路を思う。
近代資本主義の礎を築いた渋沢栄一──
新しいお札の顔にもなったその名を、この沿線でふと思い出す。
彼の偉業に比べれば、この鉄道などほんの一端かもしれない。
─けれど、その精神は、いまもこの沿線の暮らしの中に息づいている。そんな気がした。高架を見上げながら、ふたりで歩いた。
目指す“妙蓮寺ニューキャッスル”は、7階建ての大きな建物のはずなのに、
その10分の道のり、一度も姿を現さない。
記憶に鮮明な、あの信号機が視界に入る。
信号機の前に立つとき、
ようやく建物の全貌が姿をあらわす。
響香の住む岩見沢では、6階建て以上の建物などまず見かけない。
だから、50年前に建てられた“コの字型”のマンション──妙蓮寺ニューキャッスルは、
まるで要塞のように見えた。
4 信号機と三角公園
記憶に鮮明な、あの信号機。
その横断歩道でわたる道こそが、綱島街道。
もともとは、江戸時代の大動脈「旧道」。
昭和以降に直線化・拡幅され、「新道」として整備されたのだという。
──そんなことも、伸子さんとの話のあと、スマホで調べて、はじめて知った。
そして、要塞のようにそびえる妙蓮寺ニューキャッスルの前には、
小さな三角公園。
よくあんな場所で、20人近い子どもがラジオ体操を同時にできたものだと、首をかしげるほどの狭さ。
遊ぶと叱られた駐車場。
警察と泥棒ごっこに夢中になった、あの長い廊下。
信号機を渡って、ようやく見えてくる要塞の全貌。
響香は、そういう“怒られる遊び”の常習犯にはなれなかった。
疎外感と、一度混ざったときの罪悪感。
忘れていたはずの両方が、ふすふすと胸の奥で思い返した。
妙蓮寺ニューキャッスルを背にふりかえると、そこに見えるのが──あの信号機。
ここですごした時間、いったいどれだけ、あそこに立っていただろう。
ニューキャッスル、小学校、おばあちゃんの家──
どれも、この信号を渡ることのない場所にあった。
信号を渡れば、駅へと続く、長くのびる“学区外”の世界。
私は、放課後の“かぎっ子”。
あの信号の前で、いろんなことを考えた。
三角公園には、あの子がいる──
グラウンドには、あのいじめっ子がいるかもしれない。
「どうしたの?」と叔母に聞かれても、うまく答えが見つからない。
そんなふうに思いながら、幼い響香は信号を渡った。
母が帰ってくる駅へと、歩いていった。
……あの信号機を見ていたら、ことばがひとつ、生まれた。
「ぐるぐるぽんちき」
そう。
この日から、妙蓮寺ニューキャッスルの前の信号機を、
響香は「ぐるぐるぽんちき」と呼ぶことにしたのだった。
そして、時おり──
たとえば、風の音で眠れない夜などに、
こころの中で、その「ぐるぐるぽんちき」にそっと灯をともして、
くすっ、と笑う。




