ただいま編 第20話 ①スマホの夜会(第一夜)
「もっと、おとうさんのはなしをきかせて、じゅういさん」
と伸子はそっとささやいた。 (第17話))
台所には、記憶の匂いが残る。
食器の音、缶を開ける音、遠くから聞こえる「おやすみ」の声。
この物語は、スマホ越しの小さな夜会の記録です。
湯飲みひとつからよみがえる過去、
動物たちの姿を借りて語られる人の想い、
記憶の中でいまも道案内をしてくれる父の存在。
誰かと語り合いたい夜、あるいは、ただ誰かを思い出したい夜に──
そんなとき、そっとこの話の輪にはいってくれたら嬉しいです。
台所シリーズ 第1部 「台所でせかいをかえる」ただいま編
第20話 スマホの夜会(第一夜)
1 うさぎのカップ
響香の前には、ウサギの絵が描かれた湯飲みと、酎ハイの缶。
なんとも妙な取り合わせだけれど、それでいい。
「このカップ、伸子にもらったんだったね」
「札幌のチカホ、覚えてる? 黒羽さんの湯飲み。あのとき一緒に行ったよね」
白い磁器に青インクで描かれたカップを見つめながら、響香は静かに息をついた。
2 ひつじのうわごと
「イノシシはね、本当にヒツジのことを可愛いと思ってたの。もちろん鳥や馬のことも大事にしてたけど」
「もしヒツジが困っていたら、隣を空けて──『こっちにおいで』って言える人だったのに」
「……でも心配していたのは、いつも鳥や馬のことばかり」
「ヒツジが本当に困ったときだけ、一緒に考えてくれた。でも、そんな話をしたら鳥や馬はきっと言うのよ」
『いつもヒツジのことばかりじゃないか』
「……それでもイノシシは何も言わない。ただ前を見て、狩りをしてたの」
扉の向こうから、家族の「おやすみ」の声がかすかに聞こえた。
「お酒、持ってきたわ。お待たせ」
伸子が戻ってきた。
「母の口ぐせはね、『うちは母子家庭』だったの」
3 車の思い出
「免許取るときも、不器用だったのよ。私に似てね」
「でも度胸だけはウルトラ級。私の心配性と、ちょうど釣り合いが取れてた」
「子どものころは車酔いばかりで、遠足も苦い思い出だったな」
『うえの、うえのだぜ! お前、車に酔ってんじゃねーの? げろげろの香りなんて、えんがちょ!』
「……あれ、誰だったかしら。後ろのエンドウ? 前のイノウエ?」
「ふふっ、そんなことまで覚えてるのね」
「名前も、画数が多すぎて。小学校では一番最後まで書けなかった」
「でも、みんな“きょんきょん”って呼んでたんでしょ?」
「そう。本物のキョンキョンが出てきてからは誰も呼ばなくなった。父まで。ほんとは私が初代きょんきょんなのに」
4 じゅういの七大不思議
「父はいつも狩りをしてた。イノシシみたいに十の牙を持って」
「十の牙?」
「そう、“十猪”。母が言ってた七大不思議の一つよ」
「父は一切メモを取らなかったんだって。予定も番号も、全部覚えてたの」
「まるで体の中にカレンダーがあるみたいね」
「私は主人の番号ひとつも覚えられないのに」
「それが普通よ」
5 中東を駆け巡る父
「40代のころ、父は中東を飛び回ってたの。ハイジャックのニュースが流れるたびに、家は静まり返ってね」
「ホテルでスーツケースを切られても、翌日には何事もなかったように出勤してた」
「羽田に迎えに行っても、『おかえり』さえ言えなかったけど……お土産だけは、必ず持って帰ってきたの」
ピスタチオの缶。
人形。
そしてラクダに乗った父の写真。
響香は黙って見つめていたあの頃を思い出す。
6 グーグルナビを内蔵した父
「父はね、地図がいらなかったの。裏道を一度通れば、忘れない人だったの」
「まるでグーグルナビを内蔵してるみたいね」
「法事で横浜を走ったとき、ナビの道が父の記憶そのもので。みんな笑ったの」
「それ、きっとお父さんが乗ってたのよ」
7 寿司屋「タフ」へ
「偶然着いた回転寿司屋がね、私の手帳に書いてたお店だったの」
「それって、テレビで見た『タフ』?」
「そう、あざみ野の駅前。けっこう混むけどね」
「ありがとう。メモしておくわ」
父の記憶と、時を超えた糸がつながっていく。
響香は“あの一度きりの時間”に思いを馳せた。
お話きいてくださってありがとうございます。
スマホの中にあるのは、未来への便利さだけではありません。
写真、メモ、地図……それは、記憶の引き出しでもあるのです。
「スマホの夜会」は、“語りたかったけど語れなかったこと”を
ゆっくりと手渡すための時間でした。
響香と伸子、二人の語りの中にある “父” という存在。
遠くでありながら、静かに支えてくれていた確かな記憶。
「スマホの夜会(第一夜)」はこんな感じでした。
これからも、こんな夜会 開きたいと思います。
よかったら、のぞいてみてください。




