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【旧稿】台所シリーズ ― 水と記憶と祈り ―  作者: 朧月


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ただいま編 第13話 十月のある日曜日の朝〜スパイスの香りと凛との再会

台所シリーズ 第1部 「台所でせかいをかえる」ただいま編

第13話 十月のある日曜日の朝〜スパイスの香りと凛との再会


その日、伸子は少し早く目を覚ました。

カーテン越しに差し込む柔らかな朝の光が、部屋をやさしく照らしている。リビングの時計は、六時を指していた。


夫が目を覚ます前の静かな時間――それは、ここでの一日を整える、貴重なひととき。けれど今日は、それだけではなかった。昨日よりも、胸の鼓動が高鳴っている。


今日は特別な日。六歳の孫娘、凛がやってくるのだ。


どれくらい大きくなっただろう。娘の未希とも、話したいことが山ほどある。


伸子はキッチンに立ち、久しぶりに開いた自宅のパソコンの画面を拭った。うっすら積もったほこりさえ、懐かしく感じる。


音楽を流すと、昨日セットしておいた炊飯器からは、ご飯の炊きあがる香りが漂ってきた。


「ああ、これだわ」


流れてきたのは、サザンオールスターズの『真夏の果実』。


その歌を口ずさみながら湯を沸かし、

たったっとネギを刻み、

豆腐をすっと入れて味噌汁をつくる。


納豆をかき回すと、白い糸がゆっくりと伸びていく。


音楽に合わせるように、手の動きは大きく、なめらかになり、糸は高くのびる。繭のような粒が光を受け、朝の台所に小さなリズムが生まれた。


時計を見る。……そろそろ、一人の時間が終わる。


朝食をすませ、片づけを終える頃、再会の瞬間が近づいていた。


8時を少し過ぎたころ、玄関のチャイムが鳴る。


「ばあばー!」


玄関を開けると、凛が笑顔いっぱいで両手を広げて駆け寄ってきた。

その後ろには、娘の未希が「おかえり」と言いながらゆっくり家に入ってくる。


「おはよう、凛。元気だった?」

「うん! 今日は何するの?」


凛は目を輝かせ、次の時間を待ちきれない様子だ。

頭一つ分、大きくなっている。


「ばあば、見て!ランドセル!」

日曜日なのに、わざわざ持ってきた薄紫のランドセル。


「ごめんね、一緒に買いに行けなくて……」

凛は小さく首をかしげる。


「なんで?」

「でもね、ばあばからもらったお菓子の箱で、『めだか』で秘密基地つくったんだよ!」

「めだか?」

「児童館の名前が『めだか』なの。さっぽろのばあばのところに行くとき、たまに行ってるの」

「ああ、学童保育のことね。『めだか』って、いい名前ね」


凛はもう次の話題に移っていた。

「ねえ、ばあば。誕生日プレゼント、何にしようかな?」

「ばあばにも、ちゃんとあげるからね」


「まあ、そうなの? うれしいなあ。凛ちゃん、十月生まれだものね。もうすぐね。今年はちゃんとプレゼント、用意するからね。

凛ちゃんの誕生日パーティ、どうしてもしたくて、お仕事早く切り上げちゃったの」


「えーっ、でも去年もくれたじゃん!」


その一言で、伸子の胸に思い出がよみがえった。

去年の誕生日、未希がAmazonで代わりにプレゼントを送ってくれたこと。凛にプレゼントをおくれなくて、少し切なかったこと。


十年前、未希は反抗期の余韻を残したまま大学進学で上京。ほとんど帰省せず、就職、結婚、出産、育休復帰……すべてが事後報告で過ぎていった。


けれど今、育児をしながら社会でしなやかに羽ばたく姿に、伸子は胸が熱くなるばかりだった。


今は、ほどよい距離で暮らせていることが、何よりありがたい。


「未希、アンジェラもありがとうね」

「アンジェラって?」

「今、咲いているバラのことよ」

「お母さんたっら、あいかわらず全くわかってないのね。お姉ちゃんがほとんどやってくれたわ」


長女、加奈も、千歳空港の職員として日々忙しい。


少し語気が強くなった未希も、バラに目をやると声が和らぐ。


「そういえば、一度、凛と一緒に3人でやったんだわ。ちょっとさっぱりしすぎたけど……ちゃんと咲いたね」


「凛、バラの前であとで写真撮ろうか?」


遠くで遊んでいた凛が「加奈ちゃんって言わないと怒られるよ~」と返す。


窓の外で風に揺れるアンジェラを見つめながら、未希がぽつりとつぶやいた。

「よかった。無事に、帰ってきてくれて」


「お母さん、エスコンフィールドのガーデン、まだ行ってないでしょ?」

「うん。忙しくてね。でも、頭を整理してから行こうと思ってるの」

「ほんとにもう……また冬になって、春にどっか行かないでよ」


「アラビアの国のごちそう……これ?」と、スマホをひろげて、スパイスを出す伸子の前で凛が首をかしげる。


「そうよ。ほら、アラビア文字。」

「これは異国のレシピよ。響香さんにもらったの。今日はちょっと試作」


カルダモンの甘い香りが広がり、凛が「私もやらせて!」と飛んできた。


翻訳アプリを開いた凛は、画面の中でぐるぐる回る文字を見て楽しそうに笑う。


「凛ちゃん、すごいね。翻訳アプリつかえるの?」

「なかいくんがお菓子の箱の文字読んでくれたんだよ」


「なかいくん?」

「一緒にで秘密基地つくったんだよ」

「秘密基地?」

「ばあばがおくってきたお菓子の箱で作ったんだよ。凛の台所もあるよ。」

「あら、素敵ね」

伸子はそううなずきながら、スパイスを小瓶につめかえていた。

カルダモン、シナモン、クミン。

スパイシーでと甘い香りがたちこめる。

「凛もやる」

「あら、やるやる星人はかわりないわね」

と、ターメリックと小瓶ひとつを凛にわたすと、嬉しそうな顔。

テーブルにターメリックの黄色い粉がこぼれてしまったが。それでも、

「あらら」

といって、にこにこ伸子は笑っていた。

「ハート」

凛は、指に着いた黄色のターメリックをつかって、キッチンペーパーに絵をかいたりする。

未希が台所近くの窓を開けると、白いレースのカーテンがふわーっと広がると同時に、ますます部屋中にスパイスの香りが広がった。

「ナマステ」

どうやら、凛はいつかいったインド料理屋のシェフにでもなりきったようだ。

伸子は小さな手の動きを見守りながら、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。

「凛ちゃん、きょうはカレー屋さんかな?」

「うん。」

「凛ちゃんと台所一緒にたてるなんて幸せだわ。」


オレンジ色の空気と異国の香りが、二人をそっと包み込む。

「これは、アラビアのごちそうよ。きっと。」


今日という一日が、きっとこれからも特別な思い出になるだろう――そう思いながら、伸子はアンジェラの咲く窓の外を見た。


凛も窓の外を指さして、声を弾ませる。

「ばあば、あっちにも探検に行こうよ!」

小さな声が風にのって庭の木々を越えていく。


「探検?」

「ばあばにも、みてほしいの」

「楽しみね」


まさに冒険のような長旅をこえてきたからこそ、

この凛のかわいい探検に、ときめく自分がいるんだ――と伸子は思った。


庭の向こうに、まだ見ぬ小さな冒険がそっと芽吹き、

風にのってその予感が胸の奥まで届く。

伸子の心は、少し高鳴りながらも、ゆったりと満たされていた。


第13話  十月のある日曜日の朝〜スパイスの香りと凛との再会 おしまい

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