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ただいま編 第9話①メモリー~五年のトンネルを越えて

※本作は、「台所シリーズ」第1部『ただいま編』の第9話①です。

2020年から続いたコロナ禍を振り返りつつ、昨年秋、再び歩き出すふたりの姿を描いています。

五年越しの季節の匂い、光、そして記憶を、一緒に味わっていただけたら嬉しいです。

台所シリーズ 第1部「台所でせかいをかえる」ただいま編

第9話①メモリー~五年のトンネルを越えて



メモリーの秋の庭は、今年も想像を超えて美しい。

ガレージには山葡萄の実が絡まり、紫と白のマーブル模様がひそやかに光をまとって揺れている。


もし、そのひと粒ひと粒を数えたなら、億の数にもなるだろう──まるで小さな宝石たち。


秋バラは、春の美しささえ凌ぐ勢いだ。


春の薔薇が季節の初めの息吹を吸い込んで生まれた命の証ならば、

秋の薔薇は終わりゆく年のすべての命の息を吐き出し、その花に託しているように見える。


この空気、この匂い。


響香は、伸子とこの庭を歩く幸せを、一歩一歩、かみしめていた。

オーナーの手によって丁寧に敷かれた足元のレンガ一つひとつを、見逃したくなかった。


──この庭をともに歩くのは、やはり伸子でなくてはならない。


見晴台にあるこの庭園は、春の雪解けとともに芽吹き、一日として休むことなく命のループを巡り、この季節へとたどりついた。

その時間のすべてに包まれるように咲く秋バラが、また心を奪ってゆく。


レンガの温もり、水の音。

キボウシの葉とともに

すべてが静かに、心を満たす。

空気の香りが違う。


ワンシーズンで伸びた葡萄の蔓は、すでに硬そうな茶褐色に変わり、どこか愛おしい。

それを籠に編もうと考えた誰かの気持ちが、今ならよくわかる。



この秋も、インフルエンザの流行でマスクの着用が推奨されていたが、今日はあえて、それを外して歩いた。

秋の空気を、秋の匂いを、まっすぐに感じたかった。


北海道にコロナが入ってきたのは、2020年の1月ごろ。

あれから、もうすぐ五年になる。


最初のころは何がなんだかわからず、マスクを奪い合う映像が流れ、販売状況に振り回され、ドラッグストアに長い列ができた。


前回、二年前にメモリーを訪れたときは、すれ違う車の中でも皆がマスクをつけていた。


メモリーの階段前には、閉店中の看板がたっていて、飲食はできなかった。

昭和レトロの素敵な店内の話を伸子さんに伝えた。


そのときは、出口は見えていたとしても、まさにトンネルの中だった。

たとえ光が射していても、それが本当に外の光なのか、確信できなかった。

見えている出口さえ、また幻になるような気がした。


季節が巡り、庭の木々は葉を落とし、また芽吹くを繰り返した。

思えば、本当にながい、長いトンネルだった。



今では、戸棚の奥にしまわれた、全国民に配られたあの“アベノマスク”が、まるで参加賞の記念品のようにそっと残されている。

裏扉の飾りになってしまった、過ぎた時間の証のように。




それでも、メモリーの秋の緑を、生涯一度と思えるほどに味わった。

けれど今日、響香ははっきりと感じていた。

あのときよりも、さらに美しい。

この秋は、あの記憶を超えている。



「コロナ禍が明けたら、ふたりで、その初日に上りたい」

――そう思った、おととしの秋。


去年の「開店中」の記憶は、知らせる人もいなく、インスタの画面を、そっと閉じた。


そして今年。

もう無理だと、あきらめかけた――あの夏を、

すっかり忘れてしまうほどの、今。


わたしたちは、看板の先の階段を、ゆっくり――あがる。

五年のトンネルを越えたその先で、初めて感じる光。


秋の、駆け込み乗車。

それは、時をとめた。


過去も未来もその一瞬の輝きに閉じ込めたようだった。



最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

秋の光景、五年ぶりの「ただいま」の気持ちが、少しでも伝わっていれば幸いです。

次回は、第9話②として、メモリーの庭で生まれた幼き頃の風景の詩を描いています。

ぜひまたお立ち寄りくださればとても嬉しいです。

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