知覧編第17話 水を飲む鳥 ― 会ったことのない若き父 ―
台所シリーズ 第4部
台所の世界をかえる 知覧編
第17話 水を飲む鳥 ― 会ったことのない若き父 ―
響香が飛行中に見た夢は、十八歳のころの父の姿だった。
夢の中で、響香は父の目を通して世界を見ていた。
そこにいるのは若い父だ。
けれども、胸の奥で動いている感情は、なぜか響香自身のもののようでもあった。
――父の家に、水道ができた。
知覧の町では、かなり早いほうだった。
その日は、近所の人たちが珍しそうに見に来ていた。
タイル張りのシンクに水がはねる。
その音が、父の心を揺らした。
いや、響香の胸を震わせた。
どちらの記憶なのか、もう区別がつかない。
父は、庭のにわとりにもその水をやった。
三羽のにわとりが羽をばたつかせながら、競うように水を飲む。
――にわとりにも、水の味がわかるのだろうか。
空を飛ばない鳥が、水道水を飲んで、一瞬、空に羽ばたいた。
旋回し、砂をけって着地した。
そのとき、飛行機のタイヤが滑走路に触れた。
響香の体もわずかに浮き上がり、重力を感じて、夢から醒めた。
滑走路を進む機体の窓の外には、夜の千歳が見えた。
灯りの列が、遠い記憶のように滲んでいる。
まるで中東を旅してきたような気分だった。
だが、さっき飲んだごぼうスープの味が、
これが羽田からの帰りだと気づかせてくれた。
飛行機を降りると、ガラス越しに搭乗を待つ人々が見えた。
その景色の中に、鹿児島便に乗る二日前の自分がいる気がした。
そして、五年前の自分も。
五年前――
響香は二晩だけ実家から岩見沢の自宅に戻り、
パート先に休暇の延長を願い出た。
まだスマートフォンではなかった。
飛行機の遅れを知らせる、二度目の電話だった。
これから長い看病をしようと思っていたのに――
「もう、父の看病さえできない」と知らされた。
そのときのことを思い出しながら、
意識が遠のいたまま、人の流れに押されて新千歳空港駅へ向かった。
岩見沢の一つ手前の駅で降りた響香は、
スマホを取り出してJRの時刻表を調べようとしたが、
うまく入力できないまま、ちょうど来た列車に乗った。
北広島、白石――そこを乗り換えれば、札幌を通らずに帰れる。
少しは時間を短縮できる。
けれども、それが何になるのだろう。
時短が、何を変えるというのだろう。
響香は思った。
もう一度、あの中東を舞台にした映画を見たい。
夢でもいい。
父に似ているけれど、父ではない。
あの映画の日本人俳優の顔が、ふと浮かんだ。
――夢は、自分では創れない。
目を閉じると、映画の最後に映った「Fin」の文字が、
夜の窓の外に浮かぶ光と重なった。
南千歳で降り、スーツケースを引きながら、
響香はまた列車に乗った。
ホームにあった「北広島」の案内板を見て、
響香は伸子のことを思い出した。
初めて乗る室蘭本線。
地元を走る列車なのに、
南千歳と岩見沢を結ぶこの路線に乗るのは初めてだった。
今日は、本当に眠い。
そしてまた、夢を見た。
そのころ、伸子は、明後日に控えた講演の準備に、
一所懸命、力を注いでいた。




