知覧編 第16話 中東の鰹節
第16話 中東の鰹節
響香の父と響香の娘の共通点、それは、飛行機が離陸するまに、ねむりのつく。
滑走路を走る震動が、眠り薬になる――そんな覚醒遺伝。
響香は、そんな遺伝子はもっていないのだけれども、鹿児島の帰路のその日はちがった。
飛行機が羽田を離陸するとそこは、中東のどこかの映画。
響香のまぶたの裏には、父が見たあの光景が広がっていた。
――世界は、日々、新しい風が吹いている。
たった50年前のあの日も、
世界の風が変わろうとしていた。
ひとりの日本人が、砂漠を渡り、やってきた――
日本人は、異国の地に不器用に立ち尽くしていた。
背が高く、がっしりとした体格、
厳しい顔つき……けれど、
少女には、その目が、遠い父の眼差しに重なった。
「How old are you now?」
(いくつなの?)
ぎこちない英語が空に溶ける。
「I can wait here. But I cannot wait Japan.」
(私は、ここでは まつことができる。しかし 日本ではまつことができない。)
そこへ、黒いビジャブをまとった母が、台所のオーブンで
湯気をまとった「マグルーバ」を作ってくれた。
Today is this child's birthday. Would you care to join us for a bite?"(「今日はこの子の誕生日なの。一緒に食べてくださる?」)
You know, we really had a promise… but you always keep me waiting."
(「本当に、約束していたのに、いつもまたせてばかりですね。」)
このビジャブをつけた彼女の英語もまた、たどたどしかった。
そして、その日本人は、
少女とともに、まだ新しい蛇口へと向かう。
この年代 (1970年代)中東のいくつかの国々では、日本の淡水化技術の導入により、水道インフラの整備が始まりました。特に海水を淡水に変える技術(逆浸透膜など)は、水資源が乏しい地域にとって新しい希望の仕組みであった。
――水が出た。
少女の瞳が、オアシスを見つけた旅人のように輝いた。
その輝きは、男の心の奥にあった十八になったばかりの朝を思い出した。――
若者を飛び立たせてしまった知覧の町
あの時、冷たい井戸での別れの八年という歳月がながれていた。
その時の細く頼りない水道が通った日の記憶を呼び覚ました。
やがて、ふたたび卓へ戻った少女と日本人を、
香辛料の香りが優しく包み込む。
ひっくり返された釜から現れた、
黄金色に輝く「秘密のケーキ」。マグルーバ。
彼は、右手で熱い飯をすくい、
驚きと感動の言葉を、拙い英語で叫んだ。
「Perfect secret cake!」
少女と母は、湯気の中で、
こらえきれずに笑った。
祝いの贈り物として、彼は一本のボールペンを差し出した。
プレゼントだよ。男性はとりだした。日本のボールペンだ。よく、かけるんだよ。
あ、これも、プレゼントだよ。新聞紙の包みをとりだした。
開けると、そこのは、かつおぶし。
「鰹節って、いうんだ。」
「広大な太平洋を旅してくるカツオを取って、フレッシュなままボイルして、まきを使って、燻したものが、かつおぶし。けずってつかうんだよ。」
この日本から、アルミを売りに来たビジネスマンは、こういってお土産の鰹節を説明した。
そして、つけくわえた。
「気を付けるだよ。手を切るからね。うちの娘のきょうかも手をきったらしいんだ。きょうかのたんじょうびにもたべさせてやりたいな。」
目の前の少女と娘は、おなじ年頃だった。
少女は、あまり、日本語はわからないけど、お母さんの持っているレシピを、男性にもっていった。
「さんきゅう。」
男性は、「じゃ、これは、㊙のレシピだね。ほら、このボールペンすごいだろ。」とレシピの横に㊙とかいた。
「ジャパニーズ プリーズ 」と少女がいうと、
そうだね。ひらがなは、、、、と、さっき、鰹節をつつんであった新聞をひろげて、 きの字にまるをつけて、これがき
これが よ と少女におしえた。
「そうそう。きょうかは、おじさんの娘の名前だよ。 アルファベットだと、、、といって、Kの文字にまるをつけた。」
しばらくしたら、少女のおとうさんがかえってきて、商談がはじまった。
空いた 空白に 書く少女の ひらがな 。あるふぁべっとたち 。
「き 」「か 」「K 」「Y」 「O」「A」
でもあの日、少女は見てしまった――
母が、いつもビジャブで隠していた素顔を、
ゆくっりと持ち上げて、日本人の男に見せた瞬間を。
少女の胸に、言葉にならない感情が走った。
神か悪魔か、
この一瞬は、未来へと続く秘密の扉を開いたのかもしれない。
彼は、去り際に、
マグルーバのレシピの余白に
しわだらけの新聞の日付を書き記した。
「1972年11月7日。
この日づけ。 おぼえとくといい」
新聞の漢字の 「中」「東」 「未」 「来」
ひらがな の 「の」
ペルシャ湾に沈む太陽を背に、
男の影は、砂漠に長く伸びていった。
1972年11月7日は、アメリカ合衆国の大統領選挙が行われ。
ニクソン大統領が再選された。
――時は流れた。
少女は、やがて「ドラえもん」を知り、
のび太の母をみつめた
世界には自由な女性たちがいることを学び、
母の優しさと強さを、
心の底から理解するようになった。
そして、ひとつの夢を胸に抱いた。
「あの日本の男に、自分のラーメンを食べてもらいたい。」
やがて少女は、
異国の地に、日本の味を伝える伝説の料理人となった。
遥か遠い砂漠で生まれた一杯のラーメンは、
国境を越え、時代を越え、
いまも世界中の美食家たちの心を震わせている。
すべては、あの日。
あの湯気と、
あの言葉――「CAN」から始まった。
Change(変化)させたのは 少女の日々
壮大なエンディングテーマが響香の夢のなかで流れていた。
そして、壮大な壮大なエンディングソングのなかで、その日本の男性は固い椅子の座って考えていた。
なぜ「I can wait here. But I cannot wait Japan.」と自分がいえたのか。
日本では、とにかく待つことができない。上野動物園のパンダの列にならんだのは、この数年のなかで、もっともつらいことだった。
だけれども、ペルシャ湾に沈む太陽の下では、なぜか、いくらでも待つことできる。
この不思議さをどう表現したらいいだろうか。
あの、スパイスの香りの漂う部屋で、30年前の知覧を思い出していた。きっと、少女の蛇口からみずがでた、誇らしげな表情を見たからだ
山間の知覧には、戦後もしばらく水道は、なかった。戦時下、飛行機訓練生がきたので、町は、父親世代は戦地にいってしまったが、人口が増えた。それでも、井戸の水でやりくりしていた。
トイレには、常時水を入れ、下から推すとみずちょぼちょぼでるものが、今でも現役でおいてあるが、台所に一つ真鍮の蛇口ができたのが、戦争が終わって8年がたって、18歳の誕生日当日だった。
そして、すぐに 上京した。
あの水道が自宅にできたのは、知覧の町では、結構はやいほうで、みなが見にきた。
タイル式のシンクに水がはねた、あの感動の日が忘れられない。
庭のにわとりに、あの水道の水をやったのも覚えている。
三匹のにわとりがバタバタ羽をうごかしながら、競い合うように飲んだ。
にわとりにも水の味がわかるのかとおもった。
空をとばない鳥が水道水をのんで、空に一瞬はばたいて、旋回し、どんと砂をけって、着地した。
飛行機が着陸と同時に、響香は目が覚めた。
響香ののった飛行機が着地し、滑走路をすすんでいく。
千歳は夜だった。
まるで中東を旅した気分になったが、
さっき飲んだごぼうスープの味の記憶が、羽田からの帰りだと気づかせてくれた。




