④ ふたりの幹事会〜秋の本屋で再会 「べらぼうベンチ」
台所シリーズ 第1部「台所でせかいをかえる」ただいま編
第8話④ふたりの幹事会〜秋の本屋で再会 「べらぼうベンチ」
1
「あそこよね。おととしの秋、幹事だよりを出したの。覚えてる?」
響香はベンチを指さし、答えを待たずに続けた。
「あのベンチを見ると、いつも悔しくなってたの。あの日、何を食べたのか思い出せなくて。
でも、やっと思い出せたわ。中のフードコートで、ラーメンだったわ。」
「ラーメンでも、いいよ。」
伸子は笑っていった。
何を食べたいかなんて、ほんとうは、どうでもよかった。
「まさか。絶対今日は、メモリーよ。」
ふたりは本屋の裏の木々に目をやりながら、裏口へと歩いた。
木々からの風がそそぐ、ベンチに「五分だけ」と腰かけた。
「べらぼうよ……こんな時に使う言葉かな?」
ふと話題は飛び、NHKの大河ドラマの話かと思えば、そうでもなかった。
「来年の大河は蔦屋重三郎なんだって。本屋にはもう関連本がずらっと並んでるわね。」
思い返せば、おととしの秋も、コロナの嵐が行ったり来たりしていた。
ふたりは花人クラブの幹事として、エンタメの企画を練っていたが、風向きはいつも気まぐれだった。
結局、各自が5、6枚の「幹事だより」を作って持ち寄り、メモリーの庭を散策し、
このベンチで封をして、食事会の代わりにした。
幹事としての計画はどれも不発だった。
それでも、ふたりの、恵庭はなふるのそれぞれの視察、銀河庭園で企画づくり、――まるで、学祭の準備のように、べらぼうに楽しかった。
どれもが、セピア色の青春のページのように、静かに輝いていた。
「べらぼう」――
使い方はちょっと曖昧だけれど、あの時間にはぴったりの言葉だった。
「うん、素敵。」
二人の前を幼子を連れた同世代の女性がよこぎった。
そして、後から、肩に白地のバックをかけた母親らしい女性が、ゆっくりとスマホを見ながらついていく。
「明日、凛ちゃんに会うの楽しみだね。」
あたたかった空気は少しだけ冷たくなり、秋の匂いをいっぱい含んでいた。
ふたりはベンチを立ち上がり、静かに伸子の車へと歩き始める。
響香は、一瞬足をとめてふりかえる。
「べらぼうベンチ」
伸子の車に向かう道すがら、過ぎ去った時間のひとつひとつに、歩く足音がそっと重なり、柔らかい光の粒となって心に落ちていくようだった。
2
木々の下を大回りして駐車場に出ると、すぐそこに伸子のくるまが止まっていた。
運転席に座った伸子が助手席側のドアを開けた。
「ありがとう。」
伸子がエンジンをかけると、アコースティックギターのメロディーがな流れはじめた。
「この曲、一緒にコンサートで聴いた曲ね。」
「そうね。でもね。お風呂場でね、私の大事なサザンのツアーバッグが、凛のおもちゃ入れになってたの。もう、ショックよ。響香さんとお揃いだったのに。」
メッシュ素材のバッグには、「2005、みんなが好きです サザンオールスターズ」とプリントされていた。
風通しがよくて、お風呂場には向いていた。
けれど――響香のうちのは、気づけば底に、小っちゃなカビをみつけたばかりだった。
「うちもよ」――そうは言わず、響香はただ一言、
「……あのコンサートの感動は、忘れない」とだけ言った。
2005年。あの夜のことは、今もよく覚えている。
伸子に誘われて行ったあのライブは、まるで巨大な同窓会に迷い込んだようだった。
心が弾んだ。笑い合った。そして、歌った。
それから十年以上が過ぎた今、あのバッグは孫たちの風呂遊び用になり、カビまでつけてしまった。
そのことが、響香には少し切なく、でも同時に、時間の温かさも感じさせた。
歌詞のない、過去の余白を思わせるメロディーの曲は終わった。
伸子は何か言いかけたが、
すぐに住宅街の奥に、メモリーが静かに佇んでいたのを見つけ、
言葉を飲み込んだ。
ここで過ごした時間のひとつひとつが、庭の空気に溶け込み、光となり、また二人の心にそっと落ちていく。
再びメモリーの庭で、ふたりの時間はまた、しなやかに重なりあっていった。