はじめまして、お父さん ⑤
「静粛に! 確認いたします」
パン、と小気味よい音を響かせて、まつりが手を打った。
「子どもたち! 整列!」のかけ声に、小さな頭がぞろぞろと一列に並ぶ。まつりに目で促されて、あすかを抱いた和道も列の最後に加わった。
「自己紹介!」
はきはきとした号令の後、まつりはにこりとした。
「南まつり、十三歳。中学二年生です」
両手をそろえてお辞儀をすると、姉は弟に目配せする。
「南ひなた、九歳、小三。好きなものはお菓子とゲーム」
ふんぞり返ってにかりと笑うと、ひなたは隣に並ぶ想大を肘でつついた。
「東想大です。小学三年生です。……よろしくお願いします」
挨拶を済ませて一歩後ろに下がる想大に、ひなたが笑いかけた。
「なんだ、同い年じゃん。ゲームとかやる? スプラとか、スマブラとか」
「ひなた、シャラップ」
弟のお喋りを片手で制して、まつりは和道に微笑んだ。
「はい、どうぞ」
軽く頷きを返して、和道はあすかの右手を上げる。よだれまみれの小さな手が左右に揺れた。
「北、あすかです。一歳です」
全員の挨拶が済むと、まつりは手を二回打ち鳴らした。
「では、名前を呼びますので、それぞれの保護者は挙手をして、氏名と続柄を述べてください」
ぱちりとまばたきをして、優一、三可、和道の三人が顔を見合わせた。
中学生で続柄という言葉を知っているとは、なかなかに大人びた子だと、妙なところで和道は感心する。
まつりがこほんと咳払いをした。
「南まつり、ひなたの保護者の方」
「はい」
三可が、さっと右手をあげた。
「南三可。まつりとひなたの母です」
そう答えて、三可は兄をちらりと睨む。
「次、東想大くんの保護者の方」
「はい」
小首を傾げながら、優一も手をあげる。
「東優一です。想大の伯父です」
妹の視線を受けて、優一は肩をすくめて見せた。
「では、北あすかちゃんの保護者の方」
「はい。あすかの父の、北和道です」
和道が頷いた。
「よろしい、では、全員着席」
まつりの号令に、全員が戸惑いつつソファとカーペットにそれぞれ腰をおろす。
ソファの真ん中に座る優一に、まつりが敬礼した。
「隊長! 以上七名、確認しました」
「え、隊長? 俺?」
「家主はおじさんでしょ。だから隊長」
微笑む姪っ子に、優一は苦笑しながら頭をかいた。
しばしの気まずい沈黙の後、優一が「あー」と口を開く。
「つまり、なんというか、要するに。今日から全員ここに住むってことか? この家に。七人で?」
「マジ? やった!」
無邪気に万歳をするひなたを、まつりが肘でつつく。
「あんた、なに喜んでるのよ」
「だって遊び相手がいっぱいいる方が楽しいじゃん。ねえ、Switch持ってる? みんなでスプラしようよ」
「バカね、状況をよく見なさいよ。あと母さんの顔色」
呆れ顔のまつりに、ひなたは母の顔を伺う。三可の眉間には深い皺があった。
三可の大きなため息が、リビングに響く。
「どういうことよ、兄さん。こんなに大勢で住めるわけないじゃない」
「勝手に押しかけておいて何言ってんだ。この際仕方ないだろうが」
「身内はともかく、今日はじめて会った他人と同じ家には暮らせないわ」
三可が和道をちらりと見る。身なりは良さそうだが、どんな人物かはわからない。年頃の娘を持つ母としては、警戒し過ぎるということはない。男は押し並べて狼なのだ。
三可の発言に、優一が顔を顰めた。
「おい、失礼な言い方をするな。北は大学からの友人だ。信頼できるやつだってことは、俺が保証する」
「あのね、兄さんの友人だからって、『そうですか、どうぞよろしく』とはならないわよ」
鼻を鳴らした三可が、和道に向き直った。
「北さんだったかしら? 申し訳ないんだけど、こちらにも事情があるの。子どもたちもいるし、私たちは他に家を借りるあてもない。勝手を言っているのは重々承知してるけど、今回のルームシェアはなかったことにしてくれないかしら」
「おい!」
たまらず優一が立ち上がる。
「あんまりだろ、それは。北にはあすかちゃんだっているんだぞ」
「わかってるわよ、それくらい! じゃあ他にどうすればいいのよ!」
険悪な雰囲気の中、あすかがふにゃふにゃと声をあげた。はっとする兄妹に、まつりがしーっと口元に人差し指をあてて見せる。
ぐずるあすかをあやしながら、和道は優一を見上げた。
「アズマ、俺たちが出て行く」
「おい待て。北が出て行くことはないだろ」
「いや、南さんの言うとおりだ。家の中に他人がいるのは、家族にとってあまり良いことじゃない。ここは俺が出て行くべきだ」
生真面目な目で、和道が三可を見る。
「ご迷惑をかけて申し訳ありません。私たちはこれで」
「いえ、こちらこそ、……どうも」
ぼそぼそと返事をして、三可は気まずそうに目をそらした。
「失礼します」と立ち上がった和道の腕を、優一が慌ててつかむ。
「待てって、何考えてんだよ。アパートだって解約してきたんだろ? 今日はどこに泊まるつもりだよ」
「問題ない。ホテルでも探すさ」
「あのな、冷静になれよ。赤ん坊つれてホテル探し回るつもりか? あすかちゃんのことも考えろ」
「しかし……」
くり返される問答にあくびをしたひなたが、隣に座る母の腕をひいた。
「ねえ、お菓子もういっこ食べていい?」
「ひなた、シャラップ」
すかさず、まつりが弟を睨む。
「とにかく落ち着けって」
「俺は冷静だ、アズマ。今日中にホテルを探すなら、早く動いた方がいい。今すぐにここを出るべきだ」
「そういうことじゃねえよ。おい、三可。お前も少しは譲歩しろ」
「なによ、私が悪いっていうの?」
「ああそうだ。今回のことはお前が悪い。お前と良二が無計画で無責任だからこんなことになるんだ」
「はあ!? 私のどこが無責任なのよ!」
交わされる会話は結論を持たないまま、徐々に熱を帯びていた。このままでは埒があかないと和道が人知れずため息を飲み込んだ時、部屋の隅から声が響いた。
「あの!」
全員が、声のした方を振り返る。
「あの、お取り込み中すみません。少しよろしいでしょうか……?」
視線の先で、颯人がおずおずと右手をあげた。
「ああ、引っ越しの支払いがまだだったか」
ふーっと長く息をはいて、優一がポケットから財布を取り出す。
「悪いね、いくらかな?」
「いえ、ぼくは引っ越し業者ではなくて……」
慌てて両手を振った颯人は、すっと姿勢を正すと、深々と頭を下げた。
「ご挨拶が遅れました。ぼく、西颯人といいます。あの、東優一さん……ですよね?」
「ええ、そうですが」
不思議そうに首を傾げる優一の前で、颯人はにっこりと笑った。よく整った顔に浮かぶ爽やかな笑みに、優一は目をぱちりとさせる。記憶の片隅で、長い黒髪がゆれたような気がした。
颯人は、優一を見つめて言った。
「はじめまして、お父さん」