はじめまして、お父さん ③
「あ、届いてる!」
嬉しそうな声で、少年が笑った。
「こんにちは! それ、もらっていい?」
「あ、はい、どうぞ」
屈託のない笑顔に、颯人は思わず返事をする。
「会いたかったぜ、Switch! マイフレンド! もう君を離さないよ」
颯人が差し出した段ボール箱を一つ受け取ると、少年は嬉しそうに抱きかかえた。そのままスキップをするように、家の奥へと駆けていく。
あの子が、例の甥っ子だろうか?
とんとんと階段を上る軽快なリズムを聞きながら、和道は内心首を傾げた。
活発そうな子だ。
短髪に日に焼けた肌は、校庭を駆け回っている姿がよく似合う。優一は「おとなしい」と言っていたが、年相応にやんちゃな子らしい。
賑やかになりそうだなと、和道が胸の内で呟いた時、リビングのドアからもう一つの顔がぴょこりとのぞいた。
「ちょっと、ひなた! ゲームはあとにしなさい!」
現れた少女は奥に向かって叫ぶと、両手に抱えた荷物をどさりと床に置いた。
「自分の荷物は自分で持ちなさいよね、あんたのものなんか運んでやらないわよ!」
腰まである黒髪をゆらしながら、少女が大声を上げる。
歳の頃は十代前半。おそらく中学生だろう。水色のTシャツにショートパンツというラフな服装からは、若々しい夏の気配がした。
しかし――
この子は、誰だ?
「失礼、どちら様ですか?」
和道は訊ねた。
もしかしたら近所の子なのかもしれない。もしくは、優一の知り合いの子か。
振り返った少女は、和道を見てにこりとした。
「こんにちは、わたし、この家の者です」
挨拶をして、ぺこりとお辞儀をする。大変礼儀正しい。
「この家というと――」
「あ、引っ越し屋さん? ご苦労さまです」
和道の問いかけを遮るように、少女は颯人を振り返った。ドアの横に突っ立っていた颯人は、はっとした顔で少女を見下ろす。
事情を話さなければ。泥棒と間違われてはたまらない。
「いや、僕は」
段ボール箱を受け取ろうと手を伸ばす少女に、颯人は焦った。
「引っ越し業者じゃないんですよ」と説明しようとしたところで、再び呼鈴が大きく響いた。
呼鈴の主はせっかちな性格らしく、続けて二、三回の鈴の音が鳴り響く。
音に驚いたのか、あすかが泣き出した。小さな背中をなで、和道は娘をあやしてやる。
「はーい! 開いてます!」
少女が叫ぶと、玄関からどたどたと足音が響いた。
「どうも! 大きな荷物も、軽々お届け! 安全、迅速、丁寧の引っ越しオーケーです!」
リビングに入ってきたのは、門の前で颯人に段ボール箱を押し付けた、粗忽者の引っ越し業者だった。
「荷物運んじゃいますね、このあたりでいいっすか?」
「はい、お願いします」
はきはきとした声で少女が答える。
颯人がぽかんとしている間にも、荷物は次々と運び込まれてきた。
「ありがとうございます。それも受け取りますね」
「あ、どうも」
少女の明るい声と伸びてきた手に、颯人は思わずぺこりと頭を下げた。歳の割にはしっかりした子だ。
階段を駆け下りる音がして、少年がリビングに飛び込んできた。
「この箱、オレのじゃない!」
口をとがらせて、きょろきょろと部屋を見回す。不満そうな目が、少女を見つけた。
「まつり! これ、まつりのだよ」
そう言うと、少年は段ボール箱の中から、大きめのポスターを引っ張り出した。
きれいな顔をした男性アイドルが、こちらを向いてぱちりとウインクをしている。
「ばかひなた! やめてよ!」
少女が叫んだ。
「そのポスターを破いたら、あんたの顔も破いてやるわよ!」
物騒な言葉を投げて、少女が少年に手を伸ばす。うわっと声を上げて、少年が逃げ出した。
少女が追いかけ、少年が逃げる。
部屋をぐるりと二周して、二人は廊下に飛び出して行った。
リビングには、あすかのぐずる声だけが響いている。
妙に間の抜けた空気のなか、優一が姿を見せた。
「おかしいな、どこにも見当たらない」
ぼやくように呟いた優一は、リビングに積み上げられた段ボールの山を見て、ぎょっとした顔を見せる。
「またずいぶんとすごい荷物だな」
あたりを見回した優一が、ドアの前に立ち尽くしていた颯人に気付く。
「ご苦労さま。申し訳ないんだけど、荷物は奥の和室まで運んでくれる? 廊下を出て右にあるから」
「いや、僕は……」
違うんですよという言葉は、背後から聞こえた大声にかき消された。
「どうも! 大きな喜び、計画的に! 安全、迅速、丁寧の引っ越しオーケーです! 荷物はこれで全部ですね。それじゃ、ちょっとトラックどかしてくるんで! さっきから通りの車に邪魔だって睨まれてて怖いんすよ。あ、これにサインお願いしますね。じゃあ、また後ほど!」
早口でまくしたてると、引っ越し業者の青年は帽子を被り直してさっさと出て行ってしまった。
「あ、ちょっと、この荷物を奥に――。まあいいか、後で」
優一が声をかけた時には、もう玄関のドアが閉まる音がした。やれやれと頭をかきつつ、優一は和道を振り返る。
「部屋にはいなかったよ。なあ、俺がいない間に、誰かここに来なかったか?」
「ああ、子どもが来た」
頷く和道に、優一は「なんだ」と笑う。
「ここにいたのか」
「ついさっきな、二階へ行った」
「そうか。行き違いだったな。どうだ? おとなしい子だったろ? 話せたか?」
「話はしていない。軽く挨拶しただけだ。二人とも元気だった」
「二人?」
優一が怪訝な顔をする。
「ところで、甥っ子は一人じゃなかったか?」
うとうとするあすかの背を優しくたたきながら、和道が訊ねた。
「一人だよ。小学生の男の子」
「女の子がいたが。中学生くらいの」
「女の子?」
優一が不思議そうに首を傾げた時、玄関のドアが開く音がした。
廊下を歩く軽い足音が響いて、リビングのドアががちゃりと開く。
ドアの向こうには、スーツ姿の女性が立っていた。軽い足取りでリビングに入ってきた女性が、優一を見つけてにこりと微笑む。うすく紅をひいた唇が、ゆっくりと動いた。
「ただいま、兄さん」