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このソロ曲は、もう何度も歌っている。スターレットそれぞれの持ち歌を作るにあたって、どんなイメージの曲がいいかとマネージャーに聞かれたとき。「むしろ感情を込めないほうが強く心に響く歌詞と曲調を」と、生意気な要求をしたのは正解だった。
ひどくニュートラルな気持ちで歌うことができる。自分の中にいる氷の女王を刺激する必要がない。そのことが、カナエにとっては何よりもありがたかった。
カナエが氷の女王の存在に気づいたのは、三年前。
理由はわからないが、自分の中に異質な存在がいること。
それが決して外に出してはいけない危険な存在であること。
封印し続けるためには、笑ったり、喜んだり、泣いたりというような、ごくごく自然な情動を常に抑えなければいけないということ。
その事実を当たり前のように受容し、当たり前のように順守してきた。つい、この間までは。
――カナエちゃん、やっと見つけた!
マコトに出会って、思い出してしまった。小学生のときに、異世界で不思議な冒険をしたこと。その旅の果てに、自分の意思で氷の女王を体内に封印したこと。
――みんな君に会いたがってる! みんなで君を探してたんだ!
覚えていないはずの仲間が、堪らなく恋しかった。知らないはずの誰かが、無性に愛おしかった。
――なにかあるなら、絶対に助けるから!
助けてほしい。一緒にいたい。人目もはばからずに大声で叫び出したい気持ちを、唇を強く噛み締めて必死に堪えた。
もっと心を凍らせなければ。もっと心を殺さなければ。
それが、自分の選択だから。なにもできない自分が仲間のためにできる、たったひとつのことだから。
「……大丈夫、大丈夫」
今まで何度も繰り返し繰り返し呟いてきた言葉を、カナエはひとりきりのステージの上でも口にする。歌い始める前に、端から端まで客先を眺めることが、カナエは何よりも好きだった。自分が主導権を握ることができるソロ曲前ということもあって、いつもよりもゆっくりと、軽く手を振りながら声援に応えていく。
――そうして、それを見つけた。
来場客は一人につき一枚、ライブパネルと呼ばれる電子色紙を持参することを許されている。三十センチ四方の中に、アイドルの名前や応援のメッセージ、ときには似顔絵などをデジタルで描き、曲と曲のインターバルという限られた時間の中で大きく掲げてアピールするのが、ライブ会場のいつもの光景だ。
「どうして……?」
マイクを通さないただの呟きが、カナエの足元へ滑り落ちていく。
どうして、見つけてしまったのだろう。どうしてあれが、そこにあるのだろう。
扇形の階段状に開いた客席。その右手後方で輝く、三枚のライブパネル。複数の電子色紙を繋げて一枚の大きな絵を形成する手法は、特に珍しいものではない。
目を奪われたのは、その絵柄。その構図。
――氷の女王に立ち向かう六人の少年少女が、そこにいた。
六人。そう、六人だ。カナエもいる。まだ髪が長かったころの幼い自分が。五人の仲間と一緒にいる。マコトとエリヤと、まだ思い出せない三人の仲間と、一緒に戦っている。
デフォルトされたコミカルなタッチで描かれたイラストは、異世界に行ったことがある者にしか知り得ない光景をはっきりと映していた。どくどくと、カナエの心臓の鼓動が早まる。その音が氷の女王の眠りを妨げるとわかっていても、もう止めることができない。
「……どうして」
知らなかった。どんなに遠く離れていても、人と人の視線は出会うことができるのだ。三枚のライブパネルをそれぞれ掲げた三人の仲間の笑顔を見つめながら、カナエはぐっと強く奥歯を噛み締める。
ミサキちゃん。
タイシくん。
ユウくん。
思い出してしまった。全部、思い出してしまった。みんなと一緒だから楽しいと思えた、異世界でのすべての出来事を。
「どうして、来てくれるの……っ?」
会いたくないと言ったのに。きっと、傷つけてしまったのに。
それでも、彼らは来てくれた。
一緒に戦おう、と。ひとりで戦わなくていい、と。無言の叫びを掲げて、カナエに笑いかけてくれている。
――あの場所に行きたい。また、みんなと一緒にいたい。
「……、……っ」
絶対に口に出してはいけない想いが、喉元を駆け上がって今にも外に飛び出しそうになる。胸を抑えて必死にそれを押しとどめるカナエの視界が、突如として真っ白な光に覆われた。




