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「スターレットが、またクリスマスマーケットで握手会をしてくれるのは本当にうれしいよね。去年よりも人気になってきてるから、今年は無理かと思ってた」
「着実にファンを増やしてるよな。握手会の参加券も、あっという間に配布が終わったし」
「あさってには無料ライブもしてくれるもんね! わたし、絶対行くよ!!」
スターレットの握手会は、公園内にあるミュージアムの一部を借りて行われる。開始を目前にした吹き抜けのロビーには、幅広い年齢層のファンが詰めかけていた。歓喜の声が渦巻く中、たったひとりで参加しているマコトは身を縮こまらせながら、おどおどと辺りを窺う。
「ウララちゃんは、きょうも元気が爆発してるんだろうな。いつも宇宙人みたいなことしか言わないのに、歌はマジでうまいとか卑怯すぎない?」
「ツヅルさんも好きなんですよね。いかにも悪役令嬢という雰囲気が、僕に刺さりまくります」
「あたしは絶対カナエ様! 女の子なのに、なんであんなにかっこいいの!?」
「絵に描いたようなクールビューテイーだし、ちょっと影のあるところも魅力的っ!」
「ヒカリちゃんはさ――」
どきりと、マコトの心臓が跳ねる。ひょっとしたら六人目の仲間かもしれない少女が、ファンからどう思われているのか。聞きたいような聞きたくないような、どっちつかずの気持ちを抱えながら、マコトは息をひそめた。
「どんどんうまくなるから、びっくりするよ。この前、デビュー当時の動画を見たんだけど、今と動きが全然違うの。私たちの知らないところで、いっぱい練習してるんだろうね」
「オーディションに何回も落ちても、諦めずに頑張ってたんでしょ? ヒカリちゃんを見つけて拾い上げてくれたコスプロには感謝しかないよ!」
「いいグループなんだから、もっと全国的に名前が知られてもおかしくないんだけどな」
「だよね。でも、あたしたちだけのスターレットじゃなくなっちゃうのは嫌じゃない?」
「わかる!」
握手会に参加するような熱心なファンの集まりということもあって、スターレットに対する否定的な意見はまったく聞こえてこなかった。アイドルを追いかけた経験がないマコトには、応援する側の空気や熱量といったものがよくわからない。けれど少なくとも、この場所は素直に居心地がいいと思えた。
おかげで少し緊張がほぐれたマコトは、仲間たちに託された参加券をぐっと握りしめて気合いを入れ直す。まもなく聞こえてきたアナウンスに従い、ほかのファンたちと一緒にぞろぞろとホールを後にした。
普段は企画展示に利用されているのだろう広いスペースに、ファンで作られた長い列が二つ。スターレットのメンバーは四人だが、一度に全員が並ぶのではなく、二人ずつの交代制になっているらしい。前半はヒカリと、ツヅルという少女の番だ。マコトは何度も何度も確かめながら、ヒカリへと続く列に並んだ。
数十秒から一分ほどの間隔で、一歩ずつ前に進んでいく。背伸びをして先頭のほうを確認してみたが、あと二・三十歩はかかりそうだった。こんなに沢山のファンひとりひとりと向き合って笑顔で握手をするのだから、アイドルはすごい。同年代の少女たちが、学校とはまったく違う世界で大人と一緒にプロの仕事をしているという現実を、マコトはこの瞬間、初めて意識した。
ヒカリは、なぜアイドルを目指したのだろう。自分で作詞も作曲もするくらい歌が好きなら、異世界で出会ったときには、すでにはっきりとした将来の夢があったのかもしれない。六人目の仲間の存在を思い出すきっかけとなった曲を歌っていた動画の彼女は、まさしく光り輝いていた。憧れの仕事につくことができて、大好きな歌を歌うことができて、きっととても幸せなのだろう。
「次の方、どうぞ」
「え!? あ、はいっ!」
スタッフの呼びかけに、マコトは思わず元気すぎる声を上げてしまう。考え事をしながら無意識に前進しているうちに、気がつけば列の先頭に立っていた。目の前にある真っ白なパーテーションで区切られた向こう側のスペースに、ヒカリがいる。そう思った瞬間、マコトの頭の中も真っ白になってしまった。全身が固まって動けなくなったマコトだが、タイシに教えられた『握手会は時間が勝負だ』という知識を動力源にして、錆びついたロボットのように移動する。
「あ、あのっ!」
――とにかく、目を合わせることが最優先。
――仲間の確認さえできれば、それでいい。
事前に言い渡されていたタイシの合理的な指示に背中を押されて、マコトは勢いよく顔を上げた。
「ボク、マコトです! キミに会うために来ました!」
目の前には、ヒカリの大きな瞳。動画を通して何度も見た円の中に、マコトの姿が映っている。カチカチに固まった自分の姿が、はっきりと。そうしてやってくる、五回目の衝撃――のはずが。
来ない。まったく来る気配がない。
待てども待てども、一向に。
ということは、つまり――。
「……あ、あの」
至近距離からの、小さくて細い声。はっと我に返ったマコトが改めてヒカリをまじまじと見つめると、彼女は照れくさそうな笑顔を向けた。
「とってもうれしいです、ありがとう。わたしなんて地味で目立たないし、ほかのメンバーに比べたら歌もダンスもまだまだなんですけど、そんなふうに言ってもらえると励みになります」
記憶が戻らないということは、ヒカリは六人目の仲間ではないということだ。残念な結果に終わったが、マコトが握手会に参加した目的自体は達成された。あとは「頑張ってください」と言い残して立ち去ってしまえばいい。――けれど。
「そんなこと、ないです!」
自分の口から飛び出た台詞に、マコトは自分で驚いた。同じようにびっくりして、目をぱちぱちさせているヒカリに向かって、言葉がどんどん飛んでいく。
「地味で目立たないなんて、そんなことないです。歌っているときのヒカリさんは、とてもキラキラしてました。歌うことが本当に大好きで、アイドルをやっていることが本当にうれしいんだろうなということが、見ているこっちにも伝わってくるくらいに」
けれど、きっと楽しいことばかりではないのだろう。今のヒカリの言葉を聞いて、マコトはさっきまでの自分の考えを改める。夢を叶えて、好きなことができるのなら、それは幸せなことだと思っていた。けれど。
ヒカリが仲間かもしれないとわかってから、マコトはタイシに教えてもらいながらスターレットに関する動画を見続けた。ライブの様子と、その裏側。練習風景を撮影したドキュメンタリーなど、ありとあらゆる場面でヒカリはいつも頑張っていた。
つらいことも苦しいことも、たくさんあるはずだ。汗も涙も、ときには血だって流しているに違いない。それでも頑張り続けているのだ、彼女たちは。ファンに笑顔と歌を届けるために。
「まだまだだってヒカリさんは言いましたけど、ボクは『まだまだ』って言いながら頑張るヒカリさんのことが、好きです」
未熟でも、未完成だからこそ、少しでも太陽に近づこうと懸命に背伸びをするヒマワリのような彼女に、マコトは惹きつけられた。その頑張りが、いつか彼女自身を太陽に変えるだろうと、確信できてしまったから。
びくっと、ヒカリの肩が跳ね上がったと思うと、その大きく見開かれた目の端から、小さな宝石のような涙が生まれる。そのまま滑らかに頬を滑り落ちていく様子を、マコトは声も出せないまま見届けた。
「……ありっ、ありがと、ござっます、うれ、うえしいえすっ」
「わ、えっ、ごめんなさい! なか、泣かせてしまって……!」
目元を抑えて、しゃくりあげるヒカリを認識して、ただ事ではないと判断したのだろう。マコトは少し離れた壁際で置物のように控えていたクマ型の警備ロボットの目が、ぎらりと光った瞬間を見てしまった。待ってましたとばかりに腕を振りながら、二足歩行でゆらりと歩き出す。もう時間がない。
「……すみません、ヒカリさん。変なことを聞きます。前にライブで一度だけ歌ったソロ曲。あれは、本当にヒカリさんが作ったんですか?」
六人目がヒカリだと思うきっかけとなった、あの曲。なぜヒカリの作詞作曲ということになっているのか。次につながるヒントとして、その真相だけでも持ち帰りたい。けれど初対面の一般人を相手に、グループ内の事情を話してくれる可能性は低いだろう。こんな失礼すぎる質問に、ヒカリが応えてくれるわけが――。
「いいえ」
マコトが驚くほど強くはっきりとした口調で、ヒカリが断言した。涙で潤んだ目に信頼の光を宿しながら、マコトを真剣に見つめる。
「あれは、本当は友達が作った曲なんです。でも『歌詞の内容や雰囲気と、世間一般の自分のイメージが違うから、情報を公開するならヒカリの名前を使わせてほしい』と言われて――」
「その、友達って……っ」
誰なのか。おそらくその人物が、本当の六人目に違いない。固唾を呑んで答えを待つマコトとヒカリを引き裂くように、アニマルロンドのクマ型ロボットが容赦なく立ち塞がる。
「ハイ、オ時間デス。アリガトウゴザイマシタ。今後トモ、スターレットヲヨロシクオ願イシマス」
「わわっ、ちょっと待ってください! もうちょっと、もうちょっとだけ話が! 大事な話があるんです!!」
「マコトさんっ」
クマの巨体にひょいっと担がれて強制的にフロアの外へと連れて行かれるマコトを追いかけるように、ヒカリが身を乗り出す。そうして、じたばたと暴れるマコトの片手を両手で包み込むようにつかんだ。どきっと、マコトの心臓がひとつ音を立てる。そういえば握手会なのに握手をしていなかったと、今頃になって気がついた。
「本当にありがとう、マコトさん! あさっ、あさってのライブにも来てくれると、うれしいですっ!」
まるで助けを求めているかのような響きに打たれて、マコトの頭の中から、ほんの一瞬だけ六人目の仲間のことが消える。そうして、視界に映るただひとりのアイドル、ただひとりの少女であるヒカリに向かって、大きくうなずいた。
「絶対に!」
「っ」
ぐっと、ヒカリの目元が再び泣きそうに歪むが、それを強く堪えて笑顔を作ってくれる。その凛とした姿は、まぎれもなくプロのアイドルだった。




