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マコトのデバイスの画面に表示されている『二十六』という数字を見て、ゴンタは見開いた真ん丸の目をぱちくりさせた。
「……すみません。すごくおいしいケーキなのに、ボクたちではこれが精一杯でした」
がっくりと肩を落とすマコトの横で、ミサキもフグのように頬をふくらませている。
「そ、そんなに落ち込まないでください! 顔を上げて、ほっぺたもぷしゅってしてくださいっ!」と、二人を励ましてから「本当に二十六も予約が取れちゃったんですか? こんな短時間で? 私のケーキが?」と、ゴンタは念を押してくる。
「なんですか? 嘘だって疑ってるんですか?」
「いい意味でですよ!? すごいなって、びっくりしてるんですよっ!」
完全に拗ねているミサキの台詞に、ゴンタは慌てて首を振る。その表情は少しうれしそうにも見えたので、マコトはひとまずホッとした。
約束の時間を迎えても、目標の数には届かなかった。店に入ってきたマコトとミサキが、あからさまに落ち込んでいる様子を目にして、ゴンタはすぐに結果を察したようだった。嘲笑うことも責めることもせず、それどころか優しい笑顔と温かいコーヒーで迎えてくれた。それを思い出して、マコトはますます申し訳なくなってしまう。
「試食用のケーキまで用意していただいたのに、本当にすみませ――」
「ゴンタ」
マコトの言葉を、タイシの呼びかけが叩き潰す。ユウやエリヤとともに遅れて店に入って来た彼は、眼鏡が曇っていることも気にせずに続けた。
「お前は俺たちが『ケーキの予約を五十個取ってくる』という目標を達成できなかったと、そう思っているのか?」
「えっ? ……ええっと、はい。単純に数字だけで見れば、そういうことになるとは思うんですけど……?」
どういうことだろう、と。ゴンタは不思議に思っているに違いない。当然の疑問だ。一緒に行動していたはずのマコトでさえ、タイシが次に何を言い出すのか予測できないのだから。
「――だが」びしっと、強い語調で切りつけるようにタイシは続ける。
「この世界は、数字がすべてではない。そうだな?」
「えっ?」
「んっ?」
ちょっと言っている意味がわからない。五十という数字を目指して、寒空の下で三時間も頑張って来たばかりなのに。ぽかんとするゴンタとマコトを尻目に、タイシは淡々とデバイスを起動する。
「フォロワーが多ければ偉いのか? 体重が少なければ美しいのか? 目に見える数字に惑わされて、本質を見失っていないか? その数字の裏にある、本当に大事なものを忘れていないか?」
なにやら急に難しいことを言いながら、タイシがとある静止画像を立体表示にした。それは、小さめのホールケーキが大きく映り込んだ一枚の写真。どこかの家庭で撮られた、ある特別な日のワンシーンだろうか。新郎新婦を模した可愛らしい人形が、恥ずかしそうな笑顔を浮かべながら、ケーキの上にちょこんと乗っている。
「結婚記念日の写真だそうだ。ゴンタ、このケーキに見覚えはあるか?」
「――ああ」
まじまじと画像を凝視していたゴンタの目が、うれしそうに細められる。
「思い出しましたよ。数年前、別の場所に店を構えていたころの話です。結婚記念日なのに仕事が忙しくてなにも準備をしていなかったと、ひとりの男性が閉店間際に駆け込んでこられて……」
「その娘が、さっき店の前に来ていた。お前の作った砂糖菓子の人形を覚えていたらしい」
「えっ!?」マコトとゴンタが同時に声を上げて、同時に店の外に目をやるが、そこには誰の姿も見えない。「ひとりきりで出歩いていたようなので、この画像写真だけ受け取ってさっさと家に帰した」という常識的なタイシの言動に、マコトとゴンタだけでなく、ミサキとユウまでもが驚く。
「どうやらその子どもは、父親が買ってきたケーキの上に乗っていた両親そっくりの人形に、いたく感激したようでな。ずっと喧嘩ばかりしていた二人が、そのケーキがきっかけで仲直りをしたのだと言っていた」
「そうですか、あのときの……」
ケーキ職人として、ケーキの味を褒められることは、もちろん嬉しいことだろう。けれど、ケーキの存在そのものが誰かの喜びの一因になることだって、同じくらいうれしいに違いない。大きな顔を大きな手で覆い隠して震えているゴンタがパンダのように可愛らしく見えて、マコトまで幸せな気持ちになった。
『パパとママのけっこんきねんびに、かわいいおにんぎょうのケーキをつくってくれてありがとうございました。クリスマスになったら、パパとママとうまれたばかりのおとうとといっしょにケーキをうけとりにいきます。またおいしいケーキをつくってください』
とどめとばかりに、タイシが新しい立体画像を表示する。きっと、その子どもから預かったメッセージなのだろう。丸いフォントの文字がカラフルに輝きながら、空中をダンスしている。
「どうだ、ゴンタ。ここまで期待されてしまっては、とても握手会などに行けんな」
まるで悪代官のようにニヤリと、タイシが口の端を上げる。いいことをしているはずなのに、なぜかいつも悪い顔をするタイシの不器用さが面白い。
「……っ、はい! 不肖、茶摘ゴンタ! 全力でケーキを作らせていただきます!」
うっすらと目の端に涙をにじませながら、ゴンタが大きく何度もうなずいた。そんなゴンタの隣で、笑顔の仲間たちと顔を見合わせたマコトは、自分のデバイスの画面に視線を落とす。
二十六という数字が、二十七になった。たった今、話に出ていた子どもの予約分が加算されたのだろう。たかがひとつ。されど、ひとつ。この一という数字の重さを、この場にいる全員が知っている。当初の五十という目標は達成できなかったが、なんとか参加券を譲ってもらうことはできそうだ。ほっと安堵の息をはくマコトの目の前で――ふと、明らかな異常が発生する。
「……ん?」
二十七だった数字が、二十八になった。二十九、三十、三十一と、マコトの瞬きよりも早く、数字がどんどん増えていく。
「え、あの、タイシくん!? なんかケーキの予約数がおかしなことになってるんだけど!?」
マコトの反応も、おそらくは数字の増殖も、タイシにとっては想定内なのだろう。いつも通り眼鏡を上げる姿に、まったく動じた様子はない。
「世の中には酔狂な人間が多い。キャッチーな画像に感動的なストーリーをつけてやれば、おのずと注目が集まる」
「つ、つまり?」
「サッキノ写真ニサッキノ実話ヲツケテ、ネットニ流シマシタ。コノオ店ノ名前ト地図ト、クリスマスケーキノ予約受付中トイウ情報ヲ添エテ」
優秀な執事が、デバイスの中から主人の台詞を補足してくれる。つまり、マコトやミサキ、ユウやエリヤが試食販売を頑張っている間、タイシはネットを使って予約を取っていたのだ。四人にも黙って、たった一人で。
「それならそうと、ちゃんと説明しなさいよね。がっかりして損したじゃない」
「サプライズのつもりなのか知らねぇが、振り回されるこっちの身にもなりやがれ」
ミサキとエリヤがタイシに不満をぶつけている間にも、数字は目まぐるしく変化していく。やがて、とある数字に辿り着くと、ぴたっと動きを止めた。その数――きっかり、五十。
「これでなんの文句もないな、ゴンタ。大人しく参加券を渡してもらおう」
なぜか最後まで悪役然とした態度を貫いたタイシは、そう言って満足そうに笑ったのだった。




