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諸々の都合を考えて、時間的猶予は十六時までの三時間とした。残り一時間半。現在の予約獲得数は、十九個。
店の外では、マコトとミサキが数人の客を相手にケーキの試食を勧めていた。実家の和菓子屋で鍛えたミサキのセールストークは、さすがに慣れたものだが、マコトのほうも最初のロボットのような接客から随分と様になってきている。勘がいいうえに、失敗をおそれることなく、努力を惜しむこともないのだから、成長のスピードが速いのは当たり前だ。ケーキ屋の向かいにある小さなベンチに腰掛けながら、タイシはひとり、デバイスで状況の分析を続ける。
ユウとエリヤの親子コンビには、少し離れた大通りへ行くように指示を出した。息をすることさえ面倒がるエリヤが自分から率先して働くことなど、まずない。けれど、たとえフードを被っていても、隣にユウがいることで多少は抑えられたとしても、あの圧倒的な存在感はどうしたってにじみ出る。スケートリンクでのイベントと同じく、今回もそれを利用することにした。先を急ぐ通行人がぴたりと足を止めてエリヤに注目したところを、人好きのするユウの笑みと物腰でもってケーキ店へ誘導する――というタイシの作戦は、おそらく成功している。あきらかにこの店を目指していると思われる客が、さっきからひっきりなしにやって来ていた。
けれど。ちらりと腕時計を見やって、タイシは白い息をはく。「そろそろ限界か」
ゴンタが急いで用意した試食用のケーキと、中学生が売り子をしているという物珍しさも手伝って、ある程度の予約数は確保できた。ネームバリューのないホールケーキが短時間でここまで売れれば、普通は文句はないだろう。けれど、どうしても五十個分の予約を取り付けなければいけないタイシたちには、そろそろ別の手を考える必要がある。
残り一時間十五分。残り三十一個……たった今、三十個になった。デバイスに表示された数字を見ながら、タイシは眉間の皺を寄せる。ふと、わずかに俯けていたタイシの視界の隅で、小さな影がよぎった。
何気なく目線を上げれば、そこには幼い少女の背中。複数人の客がマコトやミサキを取り囲んでいる様子を、遠くからじっと見つめている。軽く周囲に目を配ってみても、少女の親と思われる大人の姿はない。つまり、相手をしてもケーキの予約数は増えないということだ。客でもない子どもに構っている暇があるのなら、新しい作戦を講じたほうがいい。それがわかったうえで、タイシはゆっくりと立ち上がった。
「なんだ。ケーキが食べたいのか」
「ひゃ!」びくりと大きく肩を震わせてから、少女がおそるおそる振り向く。「えっと……?」
どうやら『知らない人に声をかけられても絶対についていってはいけません』という母親の言葉を、しっかり守るタイプの子どもらしい。不審そうにこちらを見ているが、もちろん、そんな視線に怯むようなタイシではない。
「子どもの癖に、なにを遠慮する必要がある。わがままが許されるのは子どものうちだけだ。その特権をフルに使い倒せ」
「えっと……?」タイシの言い分にますます混乱した子どもは、重そうな大きな頭を左右に振る。
「言いたいことがあるなら、はっきり言え」
「……怒らない?」
「怒ったことなど一度もない」
「怒ってる!」
「生まれつき表情筋が硬いせいで、そう見えるだけだ。いいから、さっさと言え」
図らずもコントのようなやり取りを交わしたことで、子どものほうも少し緊張がほぐれたのか、えっと、と口癖を挟んでから本題を切り出す。「あの、お人形が……」
「人形?」
てっきりケーキを食べたいのだとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。小さくうなずいた子どもは、持っていた紙切れを広げてタイシに向けた。
「さっき、あっちできれいなお兄ちゃんたちにもらった」
それは、ゴンタの店のチラシだった。時代遅れもはなはだしい、手作り感満載のアナログさが逆に目を引く。エリヤとユウが今もせっせと配っているはずのそれには、ただいま絶賛予約受付中のクリスマスケーキが写っていた。そしてその上には、確かに人形のような菓子がちょこんと座っている。マジパンか、メレンゲか。それともシュガードールだっただろうか。スイーツ方面に詳しくないタイシには、はっきりと断定できない。
「ずっと前に、パパが買ってきてくれたケーキの上にいた子に似てる」
「ふむ」
どこにでもあるような人形なら「気のせいだ」とも「ほかの店のケーキと間違えている」などと言って子どもを追い払うこともできただろう。けれど、その飾りは実に特徴的だった。デフォルメされた丸いフォルムは素朴だが、グラデーションの美しい彩りが施されているため、和菓子のような品の良さがある。
「店の名前は覚えているか?」
「わかんない」
難しい名前をつけるのは、洋菓子店の常だ。ゴンタの店名もその部類だと、目の前の店の看板を見上げながら思う。子どもが一度聞いただけでは、まず覚えられないに違いない。
「だが、この人形のことは覚えていたのだな?」
「うん。だってかわいいし、うれしかったから」
「うれしい?」
ずっと硬い表情だった子どもの顔が、その言葉通り、うれしそうにほぐれる。「パパとママにそっくりな人形だったんだよ。お店の人が写真を見て、さささって作ってくれたんだって」
「……ふむ」
ケーキの味は決して悪くない。けれど、子どもにとってはその上にある砂糖菓子と、そのエピソードに対する思い入れのほうが強かったのだろう。ケーキを囲んだ家族団らんの様子を熱心に話し始める子どもを眺めながら、タイシは口の端をにっとつり上げた。




